瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

朋友としての未知なる力

2010年02月28日 | 瞑想日記
◆ミンデル『シャーマンズボディ』より

「辛くて苦しい夢、耐えられない身体の諸問題、深刻な人間関係の危機、手に負えない気分の変調、さまざまな運命のいたずらが、あなたを目覚めさせ、人生を賭けた戦いへと赴かせる。人生それ自体がまるで敵になって襲いかかってきたように思えるのは、おそらくあなたがその人生を拒否しているからだろう。そのときあなたは、不快な未知なるリアリティを、自分には属さないものとして排除しているはずである。」P45

「シャーマンたちは、運命におけるこのような対立的な局面を克服すべき敵とは考えず、自分にとって最も力強い盟友となる潜在的な可能性を持つものとして理解する。不可思議な力とは、まさに盟友そのものなのである。それが怪物であれ、神聖なものであれ、身体の問題や、人間関係や世界の諸問題であれ、それはアイデンティティを拡大して新たに生まれ変わるよう、あなたに挑戦しているのだ。」P45

たとえばオーストラリアのアポリジニの先住民の師たちも、人を押しつぶすかに見えるこの不可思議な力に、逆に目覚めることを促すのだという。シャーマンは、その未知なる力を支配することではなく、「その力が示す方向に自分を向け直すこと」を学ばせようとする。

かたくなに抵抗すればするほど、アイデンティティは委縮して身動きがとれなくなる。襲いかかる波に身を任せ、それが自分を運ぼうとするところに運ばせる。そうすると思わぬ地平が開けてくる。それがアイデンティティの拡大であり、新たな生まれ変わりなのだ。

公平な観察眼

2010年02月27日 | 瞑想日記
◆先月10日に一日半断食を再開して一ヶ月半を過ぎた。この間、週一回の割合で断食をしてきた。再開する前の体重は70.8キロで、今朝は66.6キロだった。今回は、とくに印象的な夢は見なかった。

今日は午前中、ある研修会に参加し、12時半すぎ、外食で少なめ目の復食をした。研修中は、空腹感は全くなくお茶だけで充分だった。

週二回行うと確実に体重は減っていくようだ。一日半断食明けに昼食。夕食をとり、翌日からまた一日半断食というパターンを何回か繰り返すのもよいかも知れない。これだったら全く危険はないし、つらくもない。

◆ミンデル『シャーマンズボディ』より

プロセス指向心理学によって「インナーワークを積み重ね、幸運に恵まれると、成長の過程が進み、それによって注意力や自覚を使う能力が増していく。そして、その能力は次第に自分の立場から分離して、公平な観察眼となっていく。この公平な観察眼から見ると、この瞬間のあなたというものは、少なくとも、古いアイデンティティとだけ結びついているのでもなければ、あなたの内部で起りつつある新しい出来事とだけ結びついているのでもない。人生の流れを自覚している自分に気づき、そして同時に自分が流れの一部であるという視点を獲得したとき、あなたは意味深い体験をすることになるのだ。多くの人々は、この状態を『無』という言葉で語る。」

人が成長するということは、今まで見ずにすませていたことにまで「気づき」が及ぶようになり、自覚の範囲が広がるということなのだろう。「自己」を守るために必要な出来事だけでなく、「自己」から排除し無視したい出来事にまで、自覚が及ぶようになるということだろう。そして、目をそむけていた出来事の中にこそ、未知の力が展開する可能性が秘められている。というより、そこに気づいてしまえば、もう展開は始まっているのだ。「気づき」とは、自己(アイデンティティ)の拡大でもあるからだ。

ヴィパッサナー瞑想は、サティ(気づき)によって、まさに「公平な観察眼」を育てる。すべてのものを公平に等価に眺めるのがウペッカーの心である。

未知なる力への注意

2010年02月26日 | 瞑想日記
◆水曜日からの一日半断食中に強烈な夢を見たことがかなり刺激になって、また今日から一日半断食をしている。もちろん断食をしたからその夜、100パーセント深い夢を見るわけではない。期待しすぎるとむしろ見ないのかも知れない。

しかし、少なくとも私の場合は断食が、心の奥底へのドアを開きやすいということがはっきり分かった以上、断食、瞑想、自発動気功などいろいろ組み合わせながら、もっと深く探求してみたくなったのだ。

◆ミンデル『シャーマンズボディ』より

「普通の人であるあなたは、未知なる力のことを忘れ、悩み、苦しみ、最悪の出来事を忘れる。そして、いつも自分のアイデンティティや履歴(パーソナルヒストリー、自分史)を守ることにやっきになっている。抜け殻であるあなたは、他人が自分をどのように評価するか、そして未来に何が起るか、絶えず心配している。しかし、説明のつかない力の存在を無視し、人生は自分次第でどうにでもなると思い込んでいる。」P10

私もつくづく普通の人だと思う。だからこの言葉はぐさりと来る。抜け殻のような私たちの目で見ると、この現実も無味乾燥で何も語りかけはしない。しかし「第二の注意力」は、日常的な現実を、人生の深さや意味を感じさせる特別な場に変容させる。断食してその晩に見る深い夢も、ちょっとした身体感覚の変化も、おなじ未知なる力からの働きかけなのだ。ひょっとすると今日あったいやな出来事もその力からの同じメッセージを隠しているかもしれない。

昨日も書いたが、日常の中のとりとめもない思考の流れにつねに気づいていることも、未知なる力からの働きかけを知る上でとても大切ななことだと思う。

断食と夢、そしてミンデル

2010年02月25日 | 瞑想日記
◆週に一回のペースで一日半断食は続けている。昨日一日食べず、今日の昼に復食した。断食といっても豆乳を含め200~300キロカロリーは飲食するからかなり緩めの断食ということになるが。

一つ、ますますはっきりしてきたことがある。断食中は深い夢を見ることが多いということだ。先週の断食中はとくに印象深い夢は見ていないが、今回は強烈な夢を見た。夢の内容は書きたくないのだが、深い恐怖にかかわる夢だった。最近、あまり深い夢は見なくなっているが、断食中は睡眠時の8割がたは、印象的な夢を見る。断食は無意識的なものを刺激し解放する効果があるようだ。少なくとも私にとってはほぼ確実にそう言えそうだ。

もちろん断食は、瞑想の集中力を高めるから、瞑想と断食・少食が相乗効果となって瞑想が深まる。明日からまた、一日半断食をしようと思う。そして瞑想も。

今回、深い夢を見たのは、昨日からミンデルを再読し始め、深く共感したことも影響があるかも知れない。

◆これからしばらくミンデルの『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』から印象に残った言葉を抜き出して、感じるところを書いていきたい。同じようなことは、最初にこの本を読んだときもこにのブログでやったことがあるが、今は感じ方がより深くなっていると思う。引用する箇所も違ってくるだろう。

ミンデルは、ドン・ファンの「第一の注意力」、「第二の注意力」という言葉を借用して次のように言う。

「第一の注意力は、私たちが日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。一方、第二の注意力は、普段無視している内的な出来事、主観的な体験、非合理的な体験に焦点を当てる自覚である。第二の注意力は、無意識的(で夢のような)動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった、四六時中生じている自発的なプロセスへ向けられたものだが、それは夢見の世界への鍵なのである。」P30

第二の注意力を育むことによって、日々の生活の場である現実が、豊かな意味をもって働きかけてくる。夢が、私にそっと何かを教えてくれるように、体の症状も夢と同じメッセージを伝えようとしている。日常の中で延々と続けられる散漫な思考や夢想も、気づきさえすれば、私の奥深くから湧きあがってくる「傾向」を物語っている。それは、気づきさえすれば夜見た夢と同じプロセスを物語っている。そして気づき(サティ)は、日常の中でも研ぎ澄ましていくことができる。

日常の中のタオ

2010年02月24日 | 瞑想日記
あるきっかけで、数年前に書いたアーノルド・ミンデル関係の書評を読み直した。本の世界の旅プロセス指向心理学

それに刺激されて久しぶりにミンデルを読みたくなった。ミンデルの著作の中から読み直す本を一つ選ぶとすれば、やはり私にとっては、『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』だった。

自分の書いたいくつかの書評を読み直し、『シャーマンズボディ』を再度読み始めて、私にとってミンデルが魅力的である理由が、以前にもましてはっきりと分かった気がした。

その話の前にミンデルのプロセス指向心理学の基本的な考え方を、書評の一部からかんたんに紹介しておこう。

『ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。』

それで、ミンデルのどこが魅力的なのかというと、これもまず以前書いた他の書評の文章から引用してみる。

「ミンデルには、心理療法のこれまでの理論家に感じたのとは違う根源性を感じる。それはやはり、パーソナリティではなく、タオと表現されるような、生成し展開するプロセスを、中心あるいは基盤にすえているという点だろうか。トランスパーソナル心理学でさえ中心はやはりパーソナリティであり、パーソナリティを超えるにしてもパーソナリティの視点があってこそのトランスパーソナルなのだ。ミンデルにおいては、生成し展開するプロセスそのものへの信頼が、実践の中で現実に起こるプロセスとして確認される。」

「ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。『大きい力』を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。」

タオ=「ドリームボディ」=「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、夢や身体症状や偶然の一致や、一見不幸な出来事などの形をとって、絶えずこの現実の中でプロセスを展開しているということ。タオと現実とがひとつらなりであること。その働きかけを自覚してそのプロセスに自らをゆだねることが心理療法という実践のかなめであり、人間の心理的成長にとっても大切なことなのだ。

現実の中の病や人間関係のトラブルや苦悩や絶望や挫折、それらがすべてタオからのメッセージ、いやタオそのものが発現するための大切なきっかけなのだとしたら。そうだとすれば私は、日常を生きながら、その現実のプロセスの中により深い次元を発見し、その深い次元を生きることができる。そこに気づかせてくれるのが、ミンデルのたまらない魅力なのだ。