瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

疲れからの回復

2006年01月30日 | 断食・少食
昨日書き忘れたが、復食日の朝の体重は、58.4キロ。だいぶ秋ごろに戻ってきた。

昨日は、一日片付けなどで動いていたので夕方にはかなり疲れが来た。その後、持ち帰りの仕事でパソコンに向かった。11時ごろに眠くなった。階下に降り、こたつに寝転び30分弱休んだ。すると疲れも眠気もすっか取れた。あまりの回復ぶりにびっくりした。それから1時すぎまでパソコンに向かい、さらに台所仕事など少し行った。疲れからの回復の早さは、一日断食と関係があるかもしれない。

話は少しずれるが、今度は、一日目にの昼を食べ、二日目一日断食、三日目の昼に復食というのを再度チャレンジしようと思う。それも、一日目の昼をかなり軽くする。すると、一晩寝たあとの一日断食の日の空腹感がなくなるのではないか。試してみたい。金曜日から始め、日曜日が復食となる。

もちろん土・日は瞑想をじっくりやる。
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一日断食15:30

2006年01月29日 | 断食・少食
午前中、隣駅の量販店へ自転車で買い物。足の動かすのがかすかにけったるい感じがした。自転車にのっている間サティ、思考がはじまるとそれにすぐにサティ。

帰宅後も父の部屋の片付けやものを取り付けたりする作業。けったるさは消えてしまった。12時ごろ野菜ジュース、30分後にチャイを一杯。その後も3時までに無糖のミルクココア、野菜ジュース、チャイを飲んだ。ずっと動いていたが、かえって調子はよく、疲れもない。空腹感もほとんどない。二日目の方が断食を続けるのは、はるかに楽である。

3時直前にチョコレートを数切れ、3時に玄米のおかゆに黒ゴマとコンブの佃煮を加えたもので復食。

二日目は、からだ全体がすっきりし、胃腸も空に近い状態で気持ちよく、空腹感もなく、疲れもこない。今後も二日目の復食を遅らせる方向でいきたい。

精神世界の本を読むの方で石原結實の『プチ断食健康法』(PHP、2005年)を取り上げた。その中に断食中に「満腹物質」が出るという説が紹介されているので、触れるつもりだ。あわせ読んでいただきたい。
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一日断食10:00

2006年01月29日 | 断食・少食
やはり一晩寝ると空腹感はまったく感じなくなる。いたって快調。9時前より30分瞑想。心身が何がしか澄んでいるような感じ。もっと断食を続けているとさらに澄んでくるのだろう。思考はあるがすぐにサティが入る。もう少しやっていたかったが、次の仕事が待っているので切り上げる。柿の葉茶を二杯。

その後、ふとんを干したり、掃除機をかけたり。すこしだけだるさ。復食日のこのだるさの感覚は初めてだ。すこし注意して観察したい。今日は、父の部屋を完璧に調えなければならないので忙しい。予定では、12時ごろ野菜ジュースを飲み、3時ごろ復食する予定。
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目撃者と自己収縮

2006年01月28日 | 読書日誌


◆『存在することのシンプルな感覚』より

「『目撃者』に落ち着き、ちょうど椅子に接触するお尻や、地面に接触する足を感じ、漂う雲を見守るように、自己収縮を見守り、感じる。思考が心のなかを漂う。感覚が体を通り過ぎていくのを感じる。自己収縮が意識のなかに浮上する。こうしたことすべてを何の努力もせず、平等に、公平に見守る。

このシンプルで、容易で、何の努力もいらない状態にあって、エゴを切り捨てようとするのではなく、ただ単にそれを感じているなら、こうしてあなたは、あなたそのものである。

『目撃者』に落ち着くこと、自己収縮を感じること、これがまさに、一如の世界がもっとも前面に出やすい状態である。」36・37(『ワン・テイスト』)

これは、まさにヴィパッサナー瞑想が行おうとしていることだろう。ただ、「何の努力もなしに」というのは、ちょっとむずかしい。むずかしいが、「何の努力もなしに」こそが大切なのだろう。今の私は「何の努力もなしに」の状態をめざして努力してしまいそうだが。

「自己収縮」というのは面白い表現だ。「自己溶解」の状態を経験していないと、「自己収縮」を実感としてはわからないのかもしれない。小さな「自己」に同一化してしまっている自分に気づくこと、気づいていること。
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一日断食20:40

2006年01月28日 | 断食・少食
◆昼から夕方
11時40分頃に野菜ジュース一杯、すぐ後にチャイ一杯。1時半頃だったかに無糖のミルクココア一杯。夕方チャイ一杯。合わせると200キロカロリーぐらいか。便通は、昼ごろ大量に。空腹感は前回と同じくらいある。

午前中、父の部屋のいらなくなったタンスなどを長男に手伝ってもらって出したり、掃除したり。父がリハビリ病院を2月4日に退院する予定。その準備だ。午後もずっと掃除。2時すぎから20分ほど瞑想。少し居眠り。

5時すぎに新しい訪問介護のサービス会社の人が来て、契約や打ち合わせ。夕刻、父のリハビリ・センターに行く。

◆断食の本
今、本はケン・ウィルバーの『存在することのシンプルな感覚』を読んでいるが、リハビリ・センターに行くときは、軽い文庫本をと思って、石原結實の『プチ断食健康法』をポケットに入れる。この人の本は、医学的なデータも古今の断食の研究や実例も幅広く収集して書かれているので、とても面白い。詳しくは、読書日誌の方に書くだろう。

少食、断食、玄米菜食などの本はいずれも興味深い。なぜこんなに関心が深いのか。ひとつは、健康への関心からということがある。もうひとつは、石原氏の本でも甲田氏の本でも、現代医学や栄養学への強烈なアンチテーゼになっていて、そこが面白い。そこで語られる、生命や健康への理解の仕方が、私にとってはすこぶる共感でき納得できるものだ。そこに生命の働きや不思議を学ぶ思いがする。現代医学との「生命観」の根本的な違いが、多くの実証的なデータをもとに明らかにされる。そこが興味深い、。

ましてや、それを自分自身で確認することができる。まさに一日断食を実行中で、現在進行形で感じている。
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