瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

日本になぜキリスト教は広まらなかったのか?(1)

2009年10月20日 | 読書日誌
日本文化論への関心とのつながりで、なぜ日本にはキリスト教がそれほど広まらなかったのかという問いが、かなり重要な意味を持つようになった。

日本文化の特徴として、異質な文化を自分の社会のなかにためらわず積極的に取り入れて自分のものとしていくという貪欲さがある。かつては中国から、明治以降は西欧から多くの文化を取り入れて来た。とくに明治以降の西欧からの取り入れは凄まじく、その貪欲さがあったからこそ、非西欧世界ではいち早く近代化に成功した。

しかし、あれほど西欧の文物を崇拝し、熱心に学び、急速に吸収していったにもかかわらず、日本でのキリスト教の普及率はきわめて低かったし、今も人口の0.8パーセントを占めるにすぎない。なぜなのだろうか。

私たちが自覚していると否とにかかわらず、日本の文化には日本の文化なりの成り立ちや仕組みがあって、それと根本的に相容れないものは、受け入れてことなかったのであろう。あるいは、受け入れてきたものは、これも無自覚のうちに、日本文化の仕組みに合うように変形して取り入れて来たのかもしれない。

では、キリスト教とは相容れない日本文化の仕組みや構造とは何なのか。これは日本文化を考察する上ではきわめて大切なポイントになるのではないかと思う。しかし、この問いを体系的に本格的に論じた研究は、これまでほとんどなかったのではないか。

私が読んだ中で何人かの人が、それぞれにこの問いに答えている。それらを紹介しながら、少し探求を続けてみたい。

日本文化論への関心

2009年10月18日 | 読書日誌
最近、精神世界関連の本はあまりよんでいない。日本文化論に関係する本と、日本のサブカルチャーに関係する本を集中的に読んでいる。日本の伝統的なものとサブカルチャーとの関連に関心が向いており、いずれこのテーマで本を書きたいと思っている。縄文時代への関心もこのテーマにつながっている。

上のような関心で読んだ本で、まだブログに書評を書いていない本をいくつかあげておく。

小笠原 泰『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)
題名からは軽い読み物という印象を受けるかも知れないが、実は本格的な日本文化論だ。これまでの日本論の成果を受け継ぎながらも新しい切り口で日本語や日本人を論じていてとても面白かった。

佐々木敦『ニッポンの思想 (講談社現代新書)
浅田彰や中沢新一以降の日本の論壇を振り返る本。浅田や中沢までは読んでいたが、それ以降の動向についてはまったく関心を失っていたので、いまどんな人たちが活躍しているのかも含めて、新鮮に読めた。しかし、フランス思想の最先端をニホンに紹介し、それを日本の現実にちょっと応用してみせるようなことをやっているのが相変わらす日本の思想界の現実だということがよく分かった。

東 浩紀『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
上の『ニッポンの思想』によると東 浩紀は、ポストモダンの代表的な論客だという。オタク文化の構造には、ポストモダンの本質がよく現れている。オタク文化の展開を世界的なポストモダンの流れの中で理解しようとする試み。私には、日本のサブカルチャーの展開を伝統と切り離して論じることで、何か本質的なものを見失ってしまったような気がしてならない。

鳴海 丈 『「萌え」の起源 (PHP新書) (PHP新書 628)
東 浩紀の上の本とは逆に、日本のサブカルチャーを、伝統との密接な関係の中で論じており、興味深かった。私も、文化がたとえ伝統から切り離されたように見えようとも、少なくとも深層のレベルでは密接にからんでいるものと思う。

かつて日本文化論に強い関心を持ち、話題になったものはかなり読んでいた。最近は、それと日本のサブカルチャーとの関連に関心が広がったので、アニメを見たり、J-POPを聴いたりすることにかなり時間を割いている。こうして研究テーマが広がると、今まで関心のなかった様々な世界に急速に視界が広がり、とても楽しい。

もちろん瞑想の時間もとっている。むしろ瞑想の時間は増えているかもしれない。