瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「臨死体験」に関して果たすべき使命

2022年12月05日 | 臨死体験

2,022年11月24日、代々木公園にて撮影。

今、『臨死体験研究読本』の旧版の原稿の文言を変えたり、文章を少し付け足したりの作業をしていた。臨死体験者の様々な意識変容について論じる章だ。その中に次のような事例があった。

「突然、自分がどこかを移動しているのに気がつきました。計り知れないほど大きな愛を放っている存在といっしょでした。その人といると安心で、とても幸福でした。私はこれまでの短い人生について考え、……『あれで終わってよかった』と言いました。でもその人は同意せず、『まだやることがたくさん残っている』と、辛抱強い声で言うのです。
 するとたちまち、使命を果たし終えていないような気持ちでいっぱいになりました。『そうだわ、帰ったほうがいいかもしれない』。そしてそのとおり、私は肉体に戻り、たちまち苦痛が襲ってきました。ひどく苦しくて、肉体に閉じ込められているようでした。無性に腹がたちました。
……でも、すぐに怒りは鎮まりました。あれ以来、使命を果たし終えていない、という気がして仕方がないんです。世界のために何かやらなければいけないような気がします。私は看護婦になりましたが、いまだに、自分にはほかにやるべきことがあるはずだ、という気持ちが消えません」(メルビン・モース『臨死からの帰還』)

これを読んでいて、私自身は臨死体験をしたわけではないが、まさに「果たすべき使命を果たし終えていない」という気持ちになった。私が果たすべき使命とは、まさにこの臨死体験についての本の改訂版を無事に出版することだ。これは旧版を出版したときにはほとんどなかった気持ちだ。今は、この改訂版を出すことが、何かしらによって自分に与えられた使命のひとつだと思っている。ただし、改訂版を出し終えたからと言って私の使命が終わるわけではない。臨死体験の探求に関連してまだまだ果たすべき使命が続いていくものと思っている。


あるがままの受容

2022年12月05日 | 臨死体験

2022年11月24日、代々木公園にて撮影。

昨日書いたように、臨死体験者の体験後の意識変容をまとめると、およそ次のようなものだ。(一)「死への恐怖の減少」、(二)「死後の世界への確信」、(三)「人生に対する態度の変化」、(四)「あるがままの受容」、(五)「生きる目的の自覚」、(六)「愛、思いやり、寛容さの増大」、(七)「物質的欲望から霊的・精神的関心へ」、(八)「宇宙の全一性という感覚および宇宙との一体感」。

私はこのうち、とくに(四)「あるがままの受容」を重要なものと考えている。一般に私たちが心理的に成長するというとき、この受容性の増大が根底にあると考えるからだ。そして受容性の増大は、まずは自己受容から始まる。自己受容とは、自分の中の様々な感情に気づき、そして受け入れるということである。通常私たちは、自分をあまり受容できていないのだが、それに気づいていない。いわゆる無意識の世界とは、自分で受容できずに意識から排除してしまった自分やその感情だともいえる。

私たちは、何層にも重なった様々な感情を抑圧して生きている。自分のなかの本当の感情に直面するのは辛いから、それを避けたり無視したりしているのだ。そして抑圧した感情を周囲の人々に投影させて、誰かを激しく嫌ったりする。

そして、自分自身の受容ができていなければ、他者や周囲の世界の受容もできない。自分の嫌な部分、見たくない部分をどれだけ受容できるかに、精神の成長がかかっている。可能な限り自己が受容され尽くされたとき、それが「魂の目覚め」のときだともいえる。

人は、自分を受容できる程度にしか他者を受容することもできない。受容とは自分のあるがままを愛することだともいえる。だから人は、自分を愛する程度にしか他者を愛することもできない。成長とは、自分の一切をどれだけ受け入れ、愛しうるかにかかっている。

臨死体験者には、確実に上に述べたような意味での「あるがままの受容」が起こっている。つまり、本物の精神の成長がある。とすれば、そのような本物の成長を引き起こした体験も「本物」と言わざるを得ない。それを単純に、死にゆく脳が見た「幻覚」として片づけるわけにはいかない。

臨死体験者の意識変容

2022年12月04日 | 臨死体験

近所の小さな公園にて撮影 木の名はアメリカフウ

ちょうど20年前に出版した『臨死体験研究読本』の改訂版を出すことになったのは、京都在住の若い出版人がこの本を読んでくれ、再出版する価値があると判断し、決断してくれたからだ。つまり彼自身の英断によるものだが、同時に何かしら大きな意志のはからいもあるのかも知れないと思っている。とすれば、できるだけその意志にそうように力を尽くしたい。

改訂版の書名は、いまのところ『光・悟り・臨死』とする予定だ。副題は、出版社の意向をくんで「生きる意味への問い」としたいと思っている。この書名と副題は、本の主題を旧版よりはるかに的確に表わしている。

臨死体験者のほとんどが、多くの意識変容をするのは明らかだ。この本では、その意識変容を(一)「死への恐怖の減少」、(二)「死後の世界への確信」、(三)「人生に対する態度の変化」、(四)「あるがままの受容」、(五)「生きる目的の自覚」、(六)「愛、思いやり、寛容さの増大」、(七)「物質的欲望から霊的・精神的関心へ」、(八)「宇宙の全一性という感覚および宇宙との一体感」という八つの項目に分けで論じている。前半の四つの章はこれらの意識変容を、多くの事例と統計的な研究を交えて紹介する。

これらの項目からも明らかなように、臨死体験者は、体験後にきわだった精神的成長をする。とくに(八)「宇宙の全一性という感覚および宇宙との一体感」は、仏教などでいう「悟り」にも通ずる、一種の覚醒体験である。本書の後半では、体験者の悟りともいってよい意識変容と、宗教的な覚醒体験とを徹底的に比較することが中心テーマとなる。新しい書名が『光・悟り・臨死』となっている所以だ。

世界も日本も、今さまざまな問題を抱えて混迷している。この混迷から抜け出す道は、遠い道かも知れないが、一人ひとりが少しでも精神的に成長していくことにしかないと思っている。臨死体験者からのメッセージに接する人が少しでも多くなれば、そのメッセージに影響を受ける人も多くなるだろう。世界の指導者のなかにも影響を受けるひとが出るかも知れない。そのような可能性を考えると、はるかに遠いと見えた道も、意外と近いのかも知れない。