では、岡倉天心がインドの女流詩人に宛てた17通目の手紙(英語の原文を大岡信が訳している)。
「奥様
何度も何度もペンをとりましたが、驚いたことに何ひとつ書くことがありません。すべては言い尽くされ、なされ尽くしました――安んじて死を待つほか、何も残されていません。広大な空虚です――暗黒ではなく、驚異的な光にみちた空虚です。炸裂する雷鳴の、耳も聾せんばかりの轟音によって生み出された、無辺際の静寂です。私はまるで、巨大な劇場にたった一人で座り、みずから一人だけで演じている絢爛たる演技をみつめる王侯のような気持です。おわかりでしょうか?
いいえ――何も書くことはありません。
お元気でいらしゃることを念じます。具合はよくおなりですか? 私は元気で幸せです。
あなたの
覚三
戒告
私が死んだら
悲しみの鐘を鳴らすな、旗をたてるな。
人里遠い岸辺、つもる松葉の下ふかく、
ひっそりと埋めてくれ――あのひとの詩を私の胸に置いて、
私の挽歌は鴎らにうたわせよ。
もし碑をたてねばならぬとなら、
いささかの水仙と、たぐいまれな芳香を放つ一本の梅を。
さいわいにして、はるか遠い日、海もほのかに白む一夜、
甘美な月の光をふむ、あのひとの足音の聞こえることもあるだろう。
一九一三年八月一日」
「奥様
何度も何度もペンをとりましたが、驚いたことに何ひとつ書くことがありません。すべては言い尽くされ、なされ尽くしました――安んじて死を待つほか、何も残されていません。広大な空虚です――暗黒ではなく、驚異的な光にみちた空虚です。炸裂する雷鳴の、耳も聾せんばかりの轟音によって生み出された、無辺際の静寂です。私はまるで、巨大な劇場にたった一人で座り、みずから一人だけで演じている絢爛たる演技をみつめる王侯のような気持です。おわかりでしょうか?
いいえ――何も書くことはありません。
お元気でいらしゃることを念じます。具合はよくおなりですか? 私は元気で幸せです。
あなたの
覚三
戒告
私が死んだら
悲しみの鐘を鳴らすな、旗をたてるな。
人里遠い岸辺、つもる松葉の下ふかく、
ひっそりと埋めてくれ――あのひとの詩を私の胸に置いて、
私の挽歌は鴎らにうたわせよ。
もし碑をたてねばならぬとなら、
いささかの水仙と、たぐいまれな芳香を放つ一本の梅を。
さいわいにして、はるか遠い日、海もほのかに白む一夜、
甘美な月の光をふむ、あのひとの足音の聞こえることもあるだろう。
一九一三年八月一日」