瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

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心随観で力を抜く

2012年12月04日 | 瞑想日記
職場から駅まで帰宅時に40分弱歩いている。この時が歩行瞑想の絶好の機会だ。ただ、あまりやる気にならないこともある。やはり集中はある程度エネルギーを使うらしく、疲れていればなおさらやる気にならない。

しかしそんなときは心随観から入ると、その時々の知覚の中心へとサティする通常の歩行瞑想にすんなりと移行する。昔、熱心に歩行瞑想を行っていたときもそうだった。今も変わらない。たとえば「やる気がない」、「めんどうくさい」などと心随観していると、なぜか通常モードのサティに入っている。しかも昔のような力みがなく、できなくてがっかりということも少ない。サティが楽しくなっている。

先ほど、集中はある程度エネルギーを使うらしいと書いたが、「今日はいやだな」と思っているときに集中しようとすれば、やはりある程度エネルギーが必要だということだろう。だから疲れているときはやる気にならない。しかし心随観は、自分の今の気持ちに気づき確認することだので、とても楽だ。自分を認めてあげること、受け入れることは、抵抗をやめることだから、むしろ力を抜くことなのだ。そこからサティに入っていくのだから、すんなり行くもの不思議ではない。

意識に耳を傾けると、
思考はやむことなくやって来ては去って行きます。
それらは一貫したものではなく、お互いに調和もしません。
それらは統御することも予測することもできません。
ただ、空に浮かぶ雲のように、現われては消えていきます。
このプロセスを見ることが空(emptiness)を見ることなのです。
(『呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想』)

現れては消え、来ては去る思考に気づき続けることは楽しい。心の不思議に日々直面する。

そしてもう一つ。サティをしていると、思考に埋没している時よりも遥かに、いつもは抑え込んでいる自分の深い感情に直面することが多いということ。
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今いるところを愛する

2012年12月02日 | 瞑想日記
友人4人とともに行っているブログ『忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす』に、私の新しい記事をアップした。「「日常的な思考」と「論理的な思考」」という記事である。

友人との対話なので、相手の発言を受けて考えを展開する必要がある。その辺が面白く、自分ひとりで考えていたのでは思いつかないようなことを気づかせてくれる。「日常的な思考の心理学」という自分のテーマを深め、展開するよい機会を与えてもらったと思っている。また自分と無意識とのつきあい、関係を振返る機会にもなっていいる。

今日は、夕方、荒川の土手をランニング。ゆる体操と気功は少し。座しての瞑想は、最近ほとんどやっていないが、復活したい。

最近、精神世界関係の本をあまり読んでいない。しばらく離れていたという感じか。それは、このブログをあまり熱心に更新しなくなった時期とほぼ一致しているかもしれない。ということは、もうかれこれ二年半くらいになるが、また少し読み始めたいなという気持ちが出てきている。

ただ、最近復活してきた求道の思いは、昔とは少し違う。余計な野心が少し落ちているかもしれない。

もう何年も更新していないサイト『臨死体験・気功・瞑想』の中に「精神世界・心に響く言葉」というページがある。これも更新していないが、折々の読書の中でいいなと思った言葉を選んで掲載してきた。

たとえばこんな言葉。

現在のレベルに安住していては、
私達はより高く昇ってゆくことはできません。
そして愛は、私達を他のどんな手段よりも早く、
高く導いていってくれます。
しかも、私達はまず、今、自分のいるところを
愛することから始めなければならないのです。
ですから、あまりせっかちにすべてを求めてはいけません。
なまけ者のさとり方

かつていいなと思った言葉は、何度読んでも、どこかで私の魂に働きかけてくる。そして、たとえわずかでも私を変える。


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