瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

集中への抵抗

2009年11月29日 | 瞑想日記
◆このブログ、前回書いたのが10月20日で、もう一ヶ月以上更新していないのに、ここ数日なぜかアクセス数が上昇している。

2009.11.28(土) 428  PV 183 IP 6662 位 / 1331160ブログ
2009.11.27(金) 748  PV 206 IP 5174 位 / 1330716ブログ
2009.11.26(木) 414  PV 174 IP 7670 位 / 1330302ブログ
2009.11.25(水) 364  PV 152 IP 9821 位 / 1329862ブログ

PVとあるところが訪問者数だ。アクセス解析は有料なので、申し込んでいない。だからアクセス数が上がる理由は分からない。このブログをリンクしているサイト『臨死体験・気功・瞑想』の方のアクセス数が上がっているのかも知れないが、こちらもしばらく1年以上まともな更新はしていない。

ともあれ、アクセス数があがっているのに更新しないのも気が引けるので、久しぶりに書いている。

◆まずは瞑想について。最近、平日は瞑想はしていない。昨日、今日と2週間ぶりに40分から50分瞑想した。瞑想すればいろいろ気づきはある。今日気づいたのは、私にはサマタ的な瞑想に対すて相反する二つの感情があるようだということ。一方に集中を高めたいという思いや、集中力がないことへのコンプレックスがある。他方に、何かひとつの対象に集中しようとすることで、自然に湧きあがる様々な思考や感情を抑圧してしまうことへの抵抗感がかすかにある。

一点に集中し、他の余計な要素は抑圧しようとする「力み」に、私は抵抗感があるのだ。それでいながらどこかで力んでしまう自分がいた。最近、その「力み」にも気づき、力まないでゆったりと思考や感情(雑念、妄想)を受け入れる方向に動いているような気がする。この問題は、瞑想するときの永遠のテーマかも知れない。だからこそ、サマタ瞑想に対してヴィパッサナー瞑想があるのだ。抑圧するのではなく、気づき解放すること。

◆次は読書関係。最近は、私にとって新しいテーマに夢中になっている。一言でいうと、日本のポップカルチャーと伝統文化の関係ということ。縄文時代への関心もそのテーマと結びついている。また、テレビで放映され評判になってアニメをDVDを借りて見たりしている。私にとって全く新しい世界が開けたようで、本を読むのもアニメを見るのも楽しい。その分、精神世界系の読書がおろそかになっているが。