今日は、ぼんやりとした世間話です。本来なら仲間を相手に、居酒屋などで語るべき内容ですが、時間も時間、居酒屋に集合することなどできないので、ここに書くことにいたしました。
今日の朝日新聞に、村上龍の『無趣味のすすめ』という本の広告が掲載されていた。すでに9万部突破のベストセラーらしい。
『無趣味のすすめ』などという本に、趣味の塊みたいなぼくが興味を持つハズなどないのだが、広告中に「本文より抜粋」された文章が出ていたので目を通してみて驚いた。そんな考え方もあるのか、と。
例えば、
「趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。」
とのこと。
おそらく村上龍さんには、心から打ち込める趣味がないのでしょう。お気の毒に、としか言いようがありません。ご自分がそうおもっているだけならまだしも、それを本にして出版してしまうなんて……。
釣りを趣味にしているぼくたちは、何て幸せなのでしょう。自然の中で遊び、自然から学び、等身大の自分を見つめられる釣りはいいですよね。
人生を揺るがすような出会いも発見もたくさんありますし、達成感も充実感も十分ありますよね。ああ、この幸せがどれほどのものか、村上さんには分からないのでしょうね。
さらに、
「夢は、常に大っぴらに、屈託なく楽しそうに語られる。だが目標はそうではない。目標は達成されるべきもので、語られるものではない。達成のための努力を続けている人は、他人に自分の目標について語るような時間的余裕はない。いまだ達成されていない目標は、他人に語ることで「意志」が拡散する。目標は自らの中に封印されていなければならない。だから目標を持つのは基本的に憂うつなことなのである。」
とのこと。
何となく、陰うつな気分になりませんか。
ぼくなんぞは、「これこれこうしたい」などとすぐに口に出してしまうタイプですから、村上さんの記述には、賛同できません。
それにしても、つくづく、釣りはいいなぁ、とおもいますね。
釣りありき。
釣り人ありき。
釣り友ありき。
釣りが、ぼくの人生を幸せなものにしてくれているのは確かなことなのです。
定年を迎えた人が、家庭でどうなるかは・・(以下略w
子供に伝える事が出来る釣りって素晴らしい。
村越さんのブログは、お気に入りのトップにあり、いつもチェックさせて頂いております。
いつもは、ROMオンリーなのですが今日は全く同感と感じ投書いたしました。
趣味にも打ち込めないって悲しいことだよね。
自分は、仕事が忙しい時ほど釣りに行きたくなる事が多いんだ。
人は仕事だけで生きれる者ではないし、逆も真なりと感じている50代です。
趣味と仕事が同化している場合はどうなのかは良くわかりませんが、村越さんみたいに突き進んでいればOKなんでしょうね。
そもそも仕事は必要だからするのであって趣味から分けることは意味がない。企業のトップの人は仕事イコール趣味って感じで必要だけでやってたら人望を得られないような気がします。
まぁ若者向けのビジネス啓発本なんでしょうかね…。本当のスリルは仕事でしか味わえないと言いたいのかな?説教には使えそうですね。嫌がられそうだけど。
「この人本当に楽しそうに釣りしてるねぇ!」
って言ってました。小さな魚でもなんでも釣りが好きなんですね。テレビでメバル40分歩いてボーズとか言ってましたが地獄度いくつでしたか??戻って釣れて良かったですね。
夢は語りますが、目標は…
語るような目標は単に夢だからではないでしょうか。
人生の目標をブログに書けますか?書けるなら、趣味の範疇で、夢だからだと思います。