一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

観自在とは異人にあらず、汝、諸人是なり。

2007年06月03日 | 哲学・思想・宗教
観自在(観世音菩薩=観音のこと)とは異人にあらず、汝、諸人是れなり。何をか観自在といふ。眼を開けば森羅万象ありありと現はれ、耳に通ずることは無量の音声間断なし。六根(眼、耳、鼻、舌、身、意の六つの感覚器官のこと)皆な是の如く十万無量の事、一事に対すれども一として見ぬこともなく、聞かぬこともなし。
江戸期、曹洞宗の天桂伝尊禅師(1648-1735)の言葉。



人間は、たとえどんな欠陥があるにせよ、どんな弱点をもつにせよ、またその他のいかなる事情のためにも、いずれにせよ決して己自身を神から遠く隔たっていると考えてはならない。「教導説話1―17」

不動の離在は人間をば神との最大の等しさにもたらすのである。神が神であるのは彼が不動の離在をもつが故であり、彼はこの離在から、彼の純粋性と単一性と不変性とを得ているからである。さればこそいやしくも人間が神に等しくなる――一個の被造物が神との等しさを持ちうる限りにおいて――べきであるなら、それは離在によってでなければならない。このものこそ人間を純粋性の中に、純粋性から単一性の中に、そして単一性から不変性の中に引き入れる。これらのものは神と人間との間に等しさをもたらすのである。「離在について」
『神の慰めの書 M・エックハルト 講談社学術文庫』


「遍界不曾蔵」(へんかいかつてかくさず)という禅語がある。

いま・ここ・自己を見失わないように。
真理は、全宇宙どこにも隠されていないのだから。


エックハルトの説く「離在」とは神の空性を指しているのだろう。
人が離在によって空性であるとき、神と人間が等しくなるということ。


そのとき、観音は異人ではない。
私、あなた、全世界が観音である・・・。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
失礼いたします。 (tenjin95)
2007-06-03 17:09:24
> 管理人様

さすがは天桂禅師。この辺の直観は他の宗師家の追随を許さないような所がありますが、このお示しも素晴らしいですね。心地・心田という禅僧の心の働きがありますが、この辺は最近の宗学では余り顧みられておりません。しかし、天桂禅師の教えなどを媒介に、参究を進めていくべきであろうと、拙僧は考えています。

拙僧は、観世音の融通無碍をあらわすものとして、『正法眼蔵』「観音」巻にて用いられた「夜間背手摸枕子」というのが好きです。
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TB (acqua)
2007-06-03 18:43:07
過去記事にTBさせていただきました。
よしなに願います
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tenjin95さん、コメントありがとうございます! (りょう)
2007-06-03 21:17:05
こんばんは!
ご教示ありがとうございます。
恥ずかしながら、天桂禅師の宗学の内容は知りません。
天桂禅師のこの言葉は、ある本でたまたま見出して感銘をうけた次第です。
一刀両断、明快に言い切ってしまうところに、なんとも言えない清々しさを感じました。
禅者としての深い境涯を感じます。
なかなか、こうスパッと言い切ることって、できるようでできないと思うんです。
心地・心田など、よく分かりませんが、学んでいきたいと思います。

最近ご無沙汰していましたが、またtenjin師のブログなどでも学んでいきたいと思います。
いろいろとご教示ください。

>『正法眼蔵』「観音」巻
では読んでみます!
返信する
どうもです。 (りょう)
2007-06-03 21:19:27
TBありがとうございました。
感動的な言葉ですね。
以前紹介されその冊子は購入しました。
一冊単価が安いので、10冊セットで♪
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