昨日の午後は教区有志が集まり、大○駅周辺でミャンマーサイクロン、四川大地震の救援托鉢を行いました。
浄財の集計はまだ出ていませんが、今回有志が10人も集まったので数万円にはなったかと思います。
地元なのでちょっとドキドキしましたが、思ったよりも知り合いに会わなかったのでかえって拍子抜けしました・・・。残念
法衣を着て大きな声で読経をしていると怪訝な顔で通り過ぎる人や無関心を装う人もいます。
浄財を入れてくださるのは、通り過ぎる人の200人に1人といったところでしょうか・・・。
坊さんパワーもこんなものかと思うとさびしい限りです・・・。
お寺では守られている僧侶も、一歩街に出ると世間のリアルな対応に直面することになる。
こちらが思っているほど甘くはないな・・・と托鉢をするたびに思い知らされます。
いろんな理由が考えられますが、そのひとつとして、人々にとって僧侶が身近な存在ではなくなってしまったことに原因があるような気がします。
法事と葬儀の時にしか僧侶と接する機会を持たない人が増えている。
考えてみれば、自分とあまり接点のない人に対してよそよそしくなるのは仕方のないことです。
また、僧侶がいつしか托鉢をしなくなったために、人々にとって法衣姿が異形の者として映るようになってしまったのでしょう。
托鉢が習慣化していけば、街の人々も次第に心を開いてくれるかもしれません。
これからも地道に継続していくことが大事だと思いました。
ともあれ托鉢をしていると、いろんな世代のいろんなタイプの方が浄財を入れてくださるのがとても興味深いです。
信仰の篤そうな年配の方はもとより、近所の栄○学園の学生たちや、パツキンのイマドキの兄ちゃん、小さい子供をつれた親子連れなどなど・・・。
えっ!と思うような方が寄付してくださると、見た目で判断してしまった自分が恥ずかしくなります。。。
特に小さな子どもを連れた若い親御さんはとても多いような気がします。
逆に一番少なかったのは団塊の世代と呼ばれている年代の人たち・・・。
モンスターペアレントなんてことが言われてますが、まだまだ日本も捨てたもんじゃない!これからよくなる可能性だってあるんだ!と心強く思いました。
<追記>
今回の托鉢で、長らくブログで交流させていただいている風月さんとやっとお会いすることが叶いました。
想像通り、素敵な庵主様でいらっしゃいました。
仏縁に深く感謝致します。
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浄財の集計はまだ出ていませんが、今回有志が10人も集まったので数万円にはなったかと思います。
地元なのでちょっとドキドキしましたが、思ったよりも知り合いに会わなかったのでかえって拍子抜けしました・・・。残念
法衣を着て大きな声で読経をしていると怪訝な顔で通り過ぎる人や無関心を装う人もいます。
浄財を入れてくださるのは、通り過ぎる人の200人に1人といったところでしょうか・・・。
坊さんパワーもこんなものかと思うとさびしい限りです・・・。
お寺では守られている僧侶も、一歩街に出ると世間のリアルな対応に直面することになる。
こちらが思っているほど甘くはないな・・・と托鉢をするたびに思い知らされます。
いろんな理由が考えられますが、そのひとつとして、人々にとって僧侶が身近な存在ではなくなってしまったことに原因があるような気がします。
法事と葬儀の時にしか僧侶と接する機会を持たない人が増えている。
考えてみれば、自分とあまり接点のない人に対してよそよそしくなるのは仕方のないことです。
また、僧侶がいつしか托鉢をしなくなったために、人々にとって法衣姿が異形の者として映るようになってしまったのでしょう。
托鉢が習慣化していけば、街の人々も次第に心を開いてくれるかもしれません。
これからも地道に継続していくことが大事だと思いました。
ともあれ托鉢をしていると、いろんな世代のいろんなタイプの方が浄財を入れてくださるのがとても興味深いです。
信仰の篤そうな年配の方はもとより、近所の栄○学園の学生たちや、パツキンのイマドキの兄ちゃん、小さい子供をつれた親子連れなどなど・・・。
えっ!と思うような方が寄付してくださると、見た目で判断してしまった自分が恥ずかしくなります。。。
特に小さな子どもを連れた若い親御さんはとても多いような気がします。
逆に一番少なかったのは団塊の世代と呼ばれている年代の人たち・・・。
モンスターペアレントなんてことが言われてますが、まだまだ日本も捨てたもんじゃない!これからよくなる可能性だってあるんだ!と心強く思いました。
<追記>
今回の托鉢で、長らくブログで交流させていただいている風月さんとやっとお会いすることが叶いました。
想像通り、素敵な庵主様でいらっしゃいました。
仏縁に深く感謝致します。
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千葉そごうの信号待ちの所にいらっしゃいました。
以前銀行の前にいらして知らなかったので『ここに入れていいんですか』と尋ねてしまいました。
応えないって知らなかったので…(^^ゞ
ご無沙汰しています。
都市部で問題になっているのはイカサマ托鉢僧ですね。。。
それで警戒している方もいるようです。
僧侶から見れば一発で分かるんですけど、一般の方には見分けが付きにくいのでしょう・・・。
ぜんさんは毎月回っていらっしゃるんでしたね。
地元の方にとってもなじみの深いものとなっているのでしょう。
地道な行の積み重ねが、 周囲の親しみにもつながっていくのだと思います。
行は自分のためであるのと同時に、それを見た在家の方々にも感じてもらえたらいいですよね。
私に何ができるかな・・・
確かに、托鉢が修行ではなくなってしまうと、見る目は違ってくるかもしれませんね。
私は、住職して以来ずっと地元を回っています。毎月のあたりまえの風景になってしまいました。
そして、おっしゃるとおり、いつも僧服を着ていると、僧侶が身近に感じられるのかもしれません。
私のことをいってもしかたありませんが。。
集計、多額な寄付があったようでよかったです!
なかなか、ずっと声を出して立っているというのは大変ですね。。。
りんしょうさんの発案のおかげで托鉢という機会を与えられいい修行をさせていただいています。
托鉢、一般の都会の寺ではまずやらないのでしょうね・・・。
仰るとおり地方の寺院では、まだまだ地道に托鉢行をされている方がいらっしゃるのでしょう。尊いことだと思います。
都会の僧侶も、人々にとって親しみやすい存在になるには何ができるか、考えていかなければならない時期に来ているのかもしれません。
ありがとうございました。
また、次回も参加したいと思います。
ご指摘のとおり、私服を着たり、自家用車に乗ったりということがあるのでしょうね。
私も駅そばの斎場などに行くときは、なるべく僧服姿で電車で行くようにしています。
電車の方が時間も正確ですしね。
確かに、さりげなく周囲の視線を感じたりします^^
せめてふだんはなるべく、作務衣で活動したいですね。
>坊主が携帯電話するんじゃない」なんて怒られました
いろんなことを言う方がいるんですね。。。
人々が抱く僧侶のイメージもこちらが思っている以上に多種多様なのかもしれません。
托鉢姿の僧侶というのは、都会の人にはあまり見慣れないものかもしれませんね。
しかし、托鉢が日常の風景となっている地方もまだまだ多いと思います。浄財を喜捨してくれている方の中には、そんな風景を見て育った人もきっと多いことでしょう。自分も子供のころから托鉢をしてきたので、托鉢に慣れている人はなんとなくわかります。
いろんなところで頑張っている仲間の努力を無駄にしないためにも、都会の坊さんはもう少し人前に姿をさらす努力をしなければならないと思います。
お疲れ様でございました。
風月さんにお会いになったとのこと、何よりでございました。
さて、以下の件ですが、拙僧も思うところがございます。
> また、僧侶がいつしか托鉢をしなくなったために、人々にとって法衣姿が異形の者として映るようになってしまったのでしょう。
托鉢の不足もあると思いますし、そして、後は都心部に住むお坊さんの多くが、自家用車で移動していること、或いは私服で移動している問題点があると思います。拙僧も、極力、僧服で電車などに乗るようにしています。すると、生の対応なども実感できますし、色々と話しかけられることもあります。こういうのは大切だと思うんですね。
なお、先だって、非常に重要な電話を受けたものですから、路上の端で通話していたところ、或る人から、「坊主が携帯電話するんじゃない」なんて怒られました。なかなか興味深い一件でございました。