一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

一語一会(22)

2012年04月07日 | 一語一会

――自分に関していいと思うことがまったくなくなっても、たとえどんなに自分が惨めな状態になったとしても、
生きているかぎり『最悪の道』だけは必ず残っています。もうどうしていいかわからない、
私は完全にゆきづまってしまったという人でも、そのゆきづまったままに生きる道がまだ残っているのです。
あなたは今もその道を歩いているのではありませんか。その道だけは生きているかぎり、どんなときも残っています。
それが私たちの救いならざる救いです。「もう駄目だ」と思うときでも、その駄目な道を進んでみることがまだ残っています。
どういうふうにして駄目になるかを確かめてみる道が、まだ残されているのです。
 森田は、いつも残されているその「道」を仕方なく進めと言います。
それが「そのときの事実に素直に服従して生きる」生き方なのです。
実際にその「最悪の道」を進む覚悟ができてくれば、あわてる必要がなくなります。
ただ黙々とその道を進むことだけが大切になってきます。そのために何の理屈がいりますか、
最悪の道を進むのに理屈はいりません。むしろ理屈を捨ててしまわなければ通れないのがその道です。
その道が残っているかぎり、あなたの人生はゆきづまってはいないのです。――(「森田式生活法」より 玉野井幹男)


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久しぶりに文章を読んでガツンとくる衝撃を受けた。

この文章を寄稿した筆者は、若い頃から対人恐怖症に悩み苦しみながら、森田療法を実践し続け、
三十年かけてようやく症状が受け入れられるようになり、解決に向かうようになったという。
(森田療法では症状を「克服する」という捉え方を嫌う)

実体験に基づいているからこそ、言葉にはかり知れない重みと、有無を言わせぬ迫力があるのだ。

最悪の道という道、地獄に生きるという最後の道が残されているとは・・・

その道を歩む覚悟ができれば、もう怖いものはないのかもしれない。


歎異抄のこの言葉が思い浮かんだ。


「地獄は一定すみかぞかし」


※コメントの返事は基本的にいたしませんこと、お許しください。


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2 コメント

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「道は開ける」 (zazen256)
2012-04-07 04:36:12
だから「道は開ける」という言葉に真実味が出てくるのですね。
私も、心を空っぽにし、その後で「静かな確信をもって心を満たす」というような努力をしています。この手法はあるキリスト教信者の著書から教わったものです。
 説明不足で済みませんが、この教えはお釈迦様の「空即是色・・・」の教えに共通していると思いうのです。当に「空」の中から「因縁」を働かせることによって「色」が現れてくるということだと思うのです。
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Unknown (りょう)
2012-04-07 10:41:15
>zazen256さん

コメントありがとうございます!
しかと拝読いたしました。
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