――自分に関していいと思うことがまったくなくなっても、たとえどんなに自分が惨めな状態になったとしても、
生きているかぎり『最悪の道』だけは必ず残っています。もうどうしていいかわからない、
私は完全にゆきづまってしまったという人でも、そのゆきづまったままに生きる道がまだ残っているのです。
あなたは今もその道を歩いているのではありませんか。その道だけは生きているかぎり、どんなときも残っています。
それが私たちの救いならざる救いです。「もう駄目だ」と思うときでも、その駄目な道を進んでみることがまだ残っています。
どういうふうにして駄目になるかを確かめてみる道が、まだ残されているのです。
森田は、いつも残されているその「道」を仕方なく進めと言います。
それが「そのときの事実に素直に服従して生きる」生き方なのです。
実際にその「最悪の道」を進む覚悟ができてくれば、あわてる必要がなくなります。
ただ黙々とその道を進むことだけが大切になってきます。そのために何の理屈がいりますか、
最悪の道を進むのに理屈はいりません。むしろ理屈を捨ててしまわなければ通れないのがその道です。
その道が残っているかぎり、あなたの人生はゆきづまってはいないのです。――(「森田式生活法」より 玉野井幹男)
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久しぶりに文章を読んでガツンとくる衝撃を受けた。
この文章を寄稿した筆者は、若い頃から対人恐怖症に悩み苦しみながら、森田療法を実践し続け、
三十年かけてようやく症状が受け入れられるようになり、解決に向かうようになったという。
(森田療法では症状を「克服する」という捉え方を嫌う)
実体験に基づいているからこそ、言葉にはかり知れない重みと、有無を言わせぬ迫力があるのだ。
最悪の道という道、地獄に生きるという最後の道が残されているとは・・・
その道を歩む覚悟ができれば、もう怖いものはないのかもしれない。
歎異抄のこの言葉が思い浮かんだ。
「地獄は一定すみかぞかし」
※コメントの返事は基本的にいたしませんこと、お許しください。
私も、心を空っぽにし、その後で「静かな確信をもって心を満たす」というような努力をしています。この手法はあるキリスト教信者の著書から教わったものです。
説明不足で済みませんが、この教えはお釈迦様の「空即是色・・・」の教えに共通していると思いうのです。当に「空」の中から「因縁」を働かせることによって「色」が現れてくるということだと思うのです。
コメントありがとうございます!
しかと拝読いたしました。