「生(しょう)を明らめ死を明らむるは仏家(ぶっけ)一大事の因縁なり」。
道元禅師『正法眼蔵 諸悪莫作巻』の言葉。
曹洞宗の所依の経典、『修証義(しゅしょうぎ)』の一番最初に出てくる言葉である。
<意訳>
「われわれが生まれて死ぬという、この真実を明らめることが、仏法者のもっとも大切な問題である。」
われわれは、今、ここに、生きている。
無限の関係性の中で、生かされ、生かし、生きている。
そして関係性は変化しつつ、必ずや現象としての「死」を迎える。
しかし、それは「終わり」、「消滅」ということではなく、現れの変化に過ぎない。
今、ここに、生きているということ。
そして、いつか現象としての「死」を迎えるということ。
その意味を明らめる。
いつか死ぬこの命は何のために生きるのか・・・
その意味を一生かけて明らめるということ。
さらにこれを進めよう。
その意味を一生のあいだ明らめ続けるということ。
「このために生きる」という生きかた。
それは、はじめは分別知であろう。
だが、次第に仏行が自己に浸透していく。
すると、生きているということの中に「生死」の意味が顕現するようになる。
「生(しょう)を明らめ死を明らむるは仏家(ぶっけ)一大事の因縁なり」。
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道元禅師『正法眼蔵 諸悪莫作巻』の言葉。
曹洞宗の所依の経典、『修証義(しゅしょうぎ)』の一番最初に出てくる言葉である。
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「われわれが生まれて死ぬという、この真実を明らめることが、仏法者のもっとも大切な問題である。」
われわれは、今、ここに、生きている。
無限の関係性の中で、生かされ、生かし、生きている。
そして関係性は変化しつつ、必ずや現象としての「死」を迎える。
しかし、それは「終わり」、「消滅」ということではなく、現れの変化に過ぎない。
今、ここに、生きているということ。
そして、いつか現象としての「死」を迎えるということ。
その意味を明らめる。
いつか死ぬこの命は何のために生きるのか・・・
その意味を一生かけて明らめるということ。
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その意味を一生のあいだ明らめ続けるということ。
「このために生きる」という生きかた。
それは、はじめは分別知であろう。
だが、次第に仏行が自己に浸透していく。
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