一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

この“命”は私のものなのか

2006年05月25日 | つながりコスモロジー
私のご先祖様をさかのぼる。

10代で2056人。

20代で10万人。

30代で10億人。

40代で40兆人。

40代遡ると、だいたい日本史の上では鎌倉時代、約800年前になるという。

人類の歴史が600万年といわれている中で、たかだか800年前に遡っただけで、すでに40兆人のご先祖様である・・・この私一人の命に対して。

ぶったまげる。

かりに40兆人のご先祖様のうち、たった一人でも、病気で命をつなげなかったら、この(私の)“命”はないわけだ。

結果論かもしれない。

そこに意味を感じるか、感じないかは受け取り方が分かれるところだ。

だが私は、この“命”を授かったものとして捉えたい。

(私の)“命”は私の意志によって生まれたのではない。

無限のご縁、無限のご先祖様が命のリレーをしてきたおかげで、(私の)“命”は生を享けた。

だからこの“命”は「私のもの」ではないのだ。

(私の)“命”と括弧つきにしたのはそのためだ。

無数のご縁によって得た、「預かり物の命」。

この“命”をご縁の「おかげ」と見れば、明るい捉え方である。

「せい」と見れば、中立、もしくは暗い捉え方につながる。

お陰さま、預かりもののこの“命”。

訳知り顔の小生意気なエゴの勝手にさせていいものか。

もっともっと深く沈潜し内奥を探りたい。

そして、この“命”の意味を明るみに出したい。

「露堂々」

遥かな過去からつながった、

無限の「命のリレー」の意味を感じて生きたい。

<参照文献:『生きる自信の心理学』岡野守也著 PHP新書>


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