自然の方へ-6-
2006.1.11
いま求められていることの一つに、身体感覚を取り戻すことがあります。身体感覚とは、聞いて、見て、触れて、匂いをかいで・・・という感覚のことです。この身体感覚をよみがえらせるらせることが、ヒトに求める課題だろうと考えています。
風や雨など自然の音を聞くこと、四季折々の野山の光景を見ること、ヒトの心が自然環境の中へ広げられていくとき、そこは驚きと発見の場所です。なによりも自分が自分であることの発見です。
心が自然の方へ向くとき、それは癒しの部類かも知れない。日常の生活は雑多でストレスが溜まります。特に現代社会構造のなかで、サラリーマンをしているヒト及び家族なんぞは、お金に縛られて身動きできない状態です。心は飛翔したいと求めます。束の間の現実逃避する処は多々ありますが、すべてそれらは一過性の逃避です。
自然の方へということは、一過性の現実逃避ではなくて、ヒトのあるべき姿に戻してあげる方へいくことだと考えています。
商品経済の枠組みから逸脱すること・・・。理想形でいえばそのように言えるかもしれません。自給自足のなかで物々交換しあう方へ、です。いま大きな世界が行こうとしているグローバリゼーションの流れから逸脱すること・・・。ヒトのヒトたる心を取り戻すために、です。
京都で写真を学ぶなら
京都写真学校
宝塚で写真を学ぶなら
写真表現大学
2006.1.11
いま求められていることの一つに、身体感覚を取り戻すことがあります。身体感覚とは、聞いて、見て、触れて、匂いをかいで・・・という感覚のことです。この身体感覚をよみがえらせるらせることが、ヒトに求める課題だろうと考えています。
風や雨など自然の音を聞くこと、四季折々の野山の光景を見ること、ヒトの心が自然環境の中へ広げられていくとき、そこは驚きと発見の場所です。なによりも自分が自分であることの発見です。
心が自然の方へ向くとき、それは癒しの部類かも知れない。日常の生活は雑多でストレスが溜まります。特に現代社会構造のなかで、サラリーマンをしているヒト及び家族なんぞは、お金に縛られて身動きできない状態です。心は飛翔したいと求めます。束の間の現実逃避する処は多々ありますが、すべてそれらは一過性の逃避です。
自然の方へということは、一過性の現実逃避ではなくて、ヒトのあるべき姿に戻してあげる方へいくことだと考えています。
商品経済の枠組みから逸脱すること・・・。理想形でいえばそのように言えるかもしれません。自給自足のなかで物々交換しあう方へ、です。いま大きな世界が行こうとしているグローバリゼーションの流れから逸脱すること・・・。ヒトのヒトたる心を取り戻すために、です。
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