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MT.FORTUNE

Discover 奄美大島!

西郷南洲翁遺跡

2007-04-06 08:14:16 | 奄美-見る・遊ぶ
Saigo

龍郷町(たつごうちょう)には、西郷隆盛の謫居跡がある。
謫居(たっきょ)とは、「罪を犯した罰として遠方に流されてその地に住むこと」(新明解国語辞典)。

ここには、これまで誰か島外の人が遊びに来るたび、何度も行っている。家の中は見られないが、小さな家と庭が無料で公開されているー。

...と、思い先日義父母が来た時も、もちろん連れて行った。
すると、なんと!有料の看板が。

 大人(高校生以上)200円 ・ 小中学生100円
Saigo4


無料なら良いが、この小さい敷地を見るのに200円は...



Saigo5(特別に事前に頼んだ場合など、中を見せてもらえることもあったようだが)このようなおうちを外から眺めるだけなのだ。

(一昨年7月の写真。ちなみにその時のブログの記事はこちら。)



しかし、ここまで連れてきて、入らないわけにもいかない。
なんといっても、薩摩人なら誰でも熱烈大好きな西郷さんのお住いである。
その薩摩人の中でも、我が夫とその父はとりわけ西郷さん好きと思われる。好きというより、畏敬の念。うちにも実家にも、西郷さん関係の本がいっぱいあるし、時代劇などを見ていても維新前後の西郷さん関係のことにはやたらと詳しい。

夫と結婚して、お互いの荷物を新居に入れて整理すると、テレビから録画された1年分のNHK大河ドラマ、『翔ぶが如く』全話があり、新婚早々そのビデオを観ては鹿児島弁の勉強をさせられた私である。たまに鹿児島弁を使ってみると、「それじゃあ、まだ賀来千賀子並み(=大久保利通の妻役。)だ。国生さゆり(西郷の末弟の妻役=鹿児島出身)は無理だとしても、田中裕子(=西郷の最後の妻役)ぐらいにはならなくては。」と厳しく指導を受け、チェストー!と叫んでいたのだ。(注:数ヵ所誇張あり)

そんなわけで入ってみると...

Saigo_1中が公開されていた!そして写真や様々な資料が展示されている。
そうよね、そうこなくちゃ!

西郷隆盛は、奄美大島・徳之島・沖永良部と流されているが、奄美大島は他の2島へ流されたのとはちと事情が違う。奄美へは、流刑というよりは政府の目から逃れるための潜居だったので、愛加那という妻島もめとり比較的自由な生活だったようだ。
えー、これ以上詳しくは、夫または義父へお問い合わせ下さい。
ただし、当時薩摩藩に搾取されていた奄美の人からみた西郷像は本土の「LOVE?西郷どん!」とは同じではないようだ。


さて。
ここのご主人が、色々と解説して下さるので、またまた熱心に質問を重ねる義父。小さい家ながら、細部まで見せていただき結構長い時間居た。
昨年まではご主人のお母さんが管理されていたそうだが、今年に入ってから今のご主人が管理されるようになって、1月より有料&公開になったそうだ。

西郷直筆のおまじないが書いてある梁が置いてあった。(今は、シロアリの被害にあって家の梁は別のものになっているが、この家のご主人のお父さんが同様の文言を書いているので当時の様子がわかる。)

おまじないの文言は「サチホコセベランカ」。
ご主人曰く、「家内安全のような意味らしい。薩摩の言葉かと思ったが、どうも中国の言葉のようだ」ということなのだが、家に帰って検索してみてもわからない。

サチホコセベランカ...どなたかご存知でしょうか。
(ちなみにさすがの義父も存じておりませんでした、ハイ)

Saigo_2庭には、西郷さんのお手植えの緋寒桜がさくらんぼをつけていた。そろそろ色づいているはずだ...

Saigo_3






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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>薩摩人なら誰でも熱烈大好きな西郷さん (義志直)
2007-04-06 14:32:30
>薩摩人なら誰でも熱烈大好きな西郷さん
維新三傑と呼ばれる人物の中では、客観的に見れば西郷隆盛より大久保利通のほうが国にとっては偉人かもしれませんが、どんなところが人気の秘密なんでしょうかね?地元びいきの人情味のある生き様か、判官びいきの我々の心根によるものなのか?
だいたいにおいて歴史は強者によって都合よく書き換えられてしまうものですが、このように大きな人気が支えてくれるとその心配も要りませんね。
お隣の国では征韓論の首謀者とされて朝鮮出兵の豊臣秀吉とともに不人気No.1の人物のようですが、奄美では地元の人々に読み書きを教えてくれたことなど畏敬の念を持つ人が圧倒的に多い一方、島人を馬鹿にした言動を口にする人もいますね。西郷隆盛と言えども聖人君子ではありませんから両方真実なんでしょうね。(普通に憤慨した言動でも島人側は長い歴史のせいで『島チュを馬鹿にして』という捉え方に陥ったでしょうし)
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ご主人とお義父様は西郷さん好きなんですね。 (ぶ~こ)
2007-04-06 20:27:14
ご主人とお義父様は西郷さん好きなんですね。
細部まで熱心に色々見せてもらえて、有料になった価値はあったのかな^^
ところでもうさくらんぼですか・・・。
しかも既にふくらんできているとは、さすが南国ですね~。
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有料について一言、 ()
2007-04-06 21:48:24
有料について一言、
是です。かって愛加那さんの末裔といわれる女性が
優しくその歴史を語ってくれましたが、拝観料を催促するでもなく・・・「ただ見」を決め込む観光客にだまって一礼してお部屋へ帰って行く彼女を私は知っています。彼女にとって本当は「住居」なんですよね。なんら施策を打ち出せなかった龍郷町にこそ大きな非があるのです。(彼女が病んだということを聞いて)最初からあの看板を出せばよかったのです。西郷好きな人なら「安いもの」ですよね。いや、むしろ怒るかも知れませんよ。「もっとあげろ」ってね。
歴史上 彼が何したのか瞭然とする日も近いでしょう。奄美の(種・屋久・琉球の)黒糖地獄があっての薩摩藩、そして維新だったという歴史的な検証も必要でしょう。そのことをもっと研究していかなければなりません。西郷さんの優しさを信じるならば、彼を偉大だと信じるならば、歴史的にも社会的にも、正しい評価をしなければならないのでは、とおもいます。
有料化、賛成に一票です!
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維新前後は好きな人多いですよね。私はありがちな... (ほーげっちゅ)
2007-04-07 05:11:55
維新前後は好きな人多いですよね。私はありがちな坂本竜馬でした。

西郷さん詳しくないですが、好人物だろうということは容易に想像できます。
魚釣りが好きで、船で便意をもよおして水汲みで用を足した後それを裏返して刺身を作ったとか。飾り気のない人だったんだろうな。
愛加那さんは母校に赴任した校長先生が「愛加那記」なる本を書いてましたね。まだ読んだことないですけど。琉球王家の血筋だとか。

個人的な意見ですが、島っちゅの場合は歴史、文化面で薩摩との相違があるから「LOVE?西郷どん!」郷土の誇りという感覚になりにくいんだと思います。愛加那側からだと夫と子供が鹿児島へ去り、孤独に暮らした家になりますし。




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奄美の旅行で一番行きたかった所で、一番心に残っ... (marri)
2007-04-07 10:03:06
奄美の旅行で一番行きたかった所で、一番心に残った所です。
あの日・・・狭く小さな所で道を何度も行ったり来たりしました。やっと見つけました。「エッ?」と言う感じでした。
ここで幸せな親子していたんだなぁ~、二人の子供を奪られしまったんだなぁ~60歳(?)で野道で死んでいったんかぁ~。一杯の事を知りました。年の瀬の寂しい風が吹いていました。
何枚も何枚も写真を撮りました。誰かと。ここにもっといたい、もっと知りたいと思いながら一人で長い事立っていました。孤独の分かる私です!
貴女のブログに感謝いたします。ありがとう。
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「サチホコセベランカ」は、『南島雑話』の著者・... (NASHI)
2007-04-07 20:33:51
「サチホコセベランカ」は、『南島雑話』の著者・名越左源太と同様の記載をしているのではないかと思われます。
名越左源太は、琉球方言の母音e→i、o→uの音韻変化を理解していて、動植物の名前等は、わざわざ発音を大和風に直して記載しているのです。
「サチホコセベランカ」を琉球方言の音韻で発音してみます。
「サテフクシビランカ」となります。
とくれば、この後半は「紫備欒駕(シビランカ)」にちがいありません。
正確な意味を忘れてしまいましたが、中国の道教で北斗七星を意味する言葉です、たしか。
で、奄美や沖縄では、家を新築すると、棟木に棟梁が「○○上棟 紫備欒駕」と筆書するのです。
奄美大島でも戦前に建てられている住宅でしたら、ほとんど棟木に書いてあります。
一時期、博物館で「紫備欒駕」の記載がある棟木を集めたことがありますから。
大工の棟梁からも聞き取り調査をしたことがあります。
何のためにこれを書くのかというと、家内安全、魔よけのようなものです。
沖縄本島では、「天願至福 紫備欒駕」と記載しているものがあるので、「サテフクシビランカ」とはこれではないかなと思います。
元大工さんのお年寄りでしたら、たぶんご存知ですよ。

ご主人曰く、「家内安全のような意味らしい。薩摩の言葉かと思ったが、どうも中国の言葉のようだ」

これは正しいと思います。

聴き慣れない「紫備欒駕」という言葉を、西郷隆盛が琉球方言と思い、大和風に書き直したのだと思います。

これですこしは謎が解けましたか?
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おはようございます。 (ガマ太郎)
2007-04-08 08:08:31
おはようございます。

ガマ太郎@復活?です。

龍郷町のHP見てみたのですが、この建物自体は町の指定文化財でもなんでもないみたいですね。

だとすれば管理者が維持管理しないといけないので有料化はその管理費を得るためのものかもしれません。

文化財守るのもお金がかかるんですよねー。
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たびたびコメント入れて恐縮です。 (NASHI)
2007-04-08 15:43:18
たびたびコメント入れて恐縮です。

「サチホコセベランカ」を「サテフクシビランカ」としましたが、頭の部分の「サテ」は何だろうと気になりました。

ここは「サチフク」なのかなと思います。
「幸福 紫備欒駕」なら、意味がよく通ります。

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★義志直さん★ (FORTUNE)
2007-04-09 01:29:28
★義志直さん★

西郷さん人気については、夫に解説してもらいたいところですが
(^^;、判官びいきもあるでしょうし、心身ともに「大きい」というイメージ、一本気、日本人に好まれるタイプなんでしょう。あとの2人はなんとなく策略家という感じですものねー。三傑外で坂本龍馬というもっと(?)人気の御仁がありますが、やはり豪気で大人物というイメージですよね。

それにしても、もともと日本人は西郷さん好き、とは思っていましたが、鹿児島(本土)に来た時の西郷さん贔屓は想像以上でした。今では大久保さんの功績もきちんと評価されているようですが、長いこと西郷さん裏切ったヒドイやつ...という感じで遺族も苦しかったことでしょう。

奄美時代の西郷さんは、西郷さんの人生で一番「荒れて」いた時期なんですよね。(色々なことに挫折して自暴自棄的な...) 本土で植えつけられた島人に対する先入観もあったでしょうし、さすがの西郷さんといえどもそこま島人を思いやる余裕がなかったのでしょうか。



★ぶ~こさん★

郷土の誇りですからねー。
先のコメントに書きましたが、同じ鹿児島出身の(西郷さんとは幼馴染の)大久保利通の方が、歴史的功績は大きいかもしれないほどですが、西郷さんがの人気は圧倒的です。
おうちの中も見せてもらえた上に、義父の細かい質問にも丁寧に答えて下さり、本当に安い200円でした。
さくらんぼは、赤くなったらまたアップしますねー!
(もうなっているところも多いのかも...近頃あまり天気がよくなくて外に出ていません。)



★きさん★

龍郷町は、西郷さんの謫居の地ということをもっと観光や研究課題として重視した方が良いですね。
島人にとっての西郷さんは鹿児島本土や日本全体の人気に比べると温度差があったのかもしれませんが...。marriさんもコメントでとても行きたかった場所だったと書いておられますが、色々な人がそう思っていると思います。もっと県や龍郷町としてできることがありそうですね。
(県の指定史跡になっているようですが、具体的には何かしてくれているのでしょうか?維持費を出すとか)

それにしても、かつてあそこでそんなことがあったとは知りませんでした。観光客は時に傍若無人ですし、色々な人がいますから、個人で受け止めるのは酷なことですね。. 



★ほーげっちゅさん★

あはは。西郷さんにはそういう(釣でのお話)逸話が多いですね。で、日本人はそういうのが好きなんですよね~ 

愛加那側さんから見たら、本当に辛い一生だったのではないかと思います。西郷さんが後々活躍し、また子供達の成長と活躍を聞いて誇りに思うことも多かったのかもしれませんが、それだけに会えない辛さはいかばかりだったでしょう。

この謫居跡のご主人から聞きましたが、当時島の子どもには入れていた刺青を西郷さんは(本土へ連れていくことを見越して)最後まで入れさせなかったそうです。
ここへ行った日はこの跡愛加那さんのお墓にも参ってきました。子どもとも夫とも別にたった一人でそのお墓に眠る彼女に手を合わさずにはいられませんでした。



★marriさん★

こちらが一番心に残りましたか...
付箋をつけておいてよかったです。(でもなかなか見つからなかったんですね。すみません。もう少しちゃんとわかりやすく看板立ててくれたらいいのに...)

年の瀬ということは、まだ中は公開されいませんでした?次お越しの時は中も見せてもらって下さいね。人生お先真っ暗の西郷さんが、ここでどれほど救われたのかなぁと想像しています。そしてその後の愛加那さんの気持ちも...



★NASHIさん★

ワタクシもう、大感激です!
さすが博物館の学芸員さん!!(で、魚屋さんでもあったNASHIさんですよね??)
少しどころではないすっかり謎が解けたスッキリ感です。

サチホコセベランカなんかで検索してもひとつも出てきませんでしたが、「シビランカ」で検索したら、あるわあるわ...
一つ目のコメントをいただいて今朝、小学生の娘に「サチホコセベランカの秘密がわかったよ!」と大いばりで解説しました!

天願至福→サチホコのところだけ、うまく娘に説明できなかったので、「幸と福だと思うよ。」とでまかせを言っておいたのですが、二つ目のコメントを見て、またまた嬉しくなりました!
あてずっぽうも時には当たるものです。

ここで私(及びコメント欄を熟読された方)だけがこの知識を得るのはあまりにもったいないので、別にひとつのエントリーにさせていただこうと思います。
(「紫備欒駕」のビについては、「微」の文字が圧倒的に多かったので、そちらを採用してみたのですが...。)

本当にありがとうございます!!



★ガマ太郎さん★

お忙しかったようですねー。

さて、ここの史跡ですが、一応県の指定史跡にはなっているようでした。(→鹿児島県のサイトより)

でも、県は何かやってくれているのかよくわかりません。持ち物としては個人のものなので、とにかく維持が大変そうです。シロアリの被害もあるようですし、何しろ古い家ですから、度重なる台風とかで受けるダメージも大きそうです。
でも、200円で何ができるのか...毎日それほど多くの人が訪れるわけでもないでしょうし、少なすぎる気がします。かといって、高すぎて人が入れないのも困りますし、ここは維持費をちゃんと町や県が出してくれたらよいのですが。どうなっているのかなぁ。

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おはようございます。 (ガマ太郎)
2007-04-09 07:05:13
おはようございます。

あらら・・・県指定だったのですね。さすが西郷さん。

ところで、県指定であるからには県も何もしていないわけでは恐らくありません。

例えば建物の建替えや補修に補助金がでます。ただ、問題は全額でるわけではなく半額は県、残りの半分を市町村、残りは持ち主が負担というパターンが多いようですね。

それでも、当時のまま復元しないといけませんから、普通の家を建てるより負担が大きくなったりします・・・

管理者が誇りをもって管理してくれている間はいいのですが・・・いろいろ規制もかかってしまいますからね・・・なかなか大変なようです。
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