飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
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万葉アルバム(中部):高岡、渋渓の崎

2009年07月23日 | 万葉アルバム(中部)

馬 並(な)めていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)の
清き磯廻(いそま)に寄する波見に
   =巻17-3954 大伴家持=


馬を連ねて、いざ鞭打って行こう、渋谷の清らかな磯に打ち寄せる波を見に。という意味。

この歌碑がある気多神社は、富山県高岡市の伏木駅の北西2Kmほどの一ノ宮に鎮座している。
境内は樹林が多く幽寂のたたずまいにあふれており、越中国総社跡の伝承地となっている。
越中国司大伴家持も厚く崇敬し、当時は社殿も広壮であった。

天平18年(746年)、大伴家持が越中守に赴任して間もなくの作。
「渋谿」は現在の富山県高岡市渋谷の海岸で、「雨(あま)晴(はらし)海岸」といい、年間を通じ、晴れた日には、富山湾を隔てて東方に雄大な北アルプスの3000m級の立山連峰が浮かび上がり、岩礁、白い砂浜、青松がつづく景勝地である。
中世に、奥州へ落ちのびる義経・弁慶主従がここの岩陰で雨宿りしたという伝説でも有名な義経岩があり、「雨晴」の地名は、この義経伝説から由来している。

大伴家持は「渋谿」の地で何首か歌を残しているほど愛していた場所である。
現代の雨晴海岸で、万葉時代と変らないすばらしい景観を我々は目にして、万葉びとと同じ思いを共感することができるのである。





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