三代目虎真之助blog 『森から出たまこと』

「森はいのちの源」 奥三河の森から学んだこと、感じたこと、得たものを書き記しています。

あれから1年…… 2日目~3日目

2012-02-15 14:30:02 | 土木

2日目。

2011年2月15日(火)。

 

AM6:30 作業員7名が到着。

繁忙期であり当社だけではとても対応できないため、同じ支部の会員より応援人員3名を派遣してもらった。

 

今日の作業は、鳥インフルが発生した鶏舎にある飼料と糞を、昨日、掘削した箇所へ埋設すること。

当初は、鶏そのものを埋設する予定だったが、昨日の試掘等の結果、

十分な埋設スペースが確保できないため、鶏はすべて隣接する市の焼却炉で焼却処分することとなった。

 

豊橋の同業者より、鶏の埋設作業の悲惨な状況を伝え聞いていたため、作業内容が変更になり少しホッとする。

 

が、それも束の間。

感染拡大を防ぐため、埋設作業は幾重にも防御策を施した、とても手のかかるものであった。

掘削箇所へ隈なく石灰をまく。

その上に、吸出防止マットを敷き、その上にさらにブルーシートを敷く。

トンパックに詰めた鶏の飼料と糞尿を積んでいく。

ブルーシートで全体を覆う。

その上に、下と同じように吸出防止マットをかぶせる。

その上に石灰を再度まく。

そして、掘削した土で埋め戻す。

 

という一連の作業を繰り返していくわけだが、これが思うように進まない。

昨晩から作業内容が二転三転したため、その情報共有がうまくなされておらず、すぐさま着手できなかったり、

豊橋でのケースとは異なる作業内容となったため、その作業手順を確認するのに手間取ったり、

埋め戻しの土を仮置場から運搬するのだが、その入退出に消毒作業が必要となったり、

狭い鶏舎の敷地内に100人を超えるような人員がいるため、接触防止のためダンプが足止め状態になったり、

トンパックへの袋詰め作業のペースと埋め戻し作業のペースが合わず、手待ち状態が発生したり……

みんな、早期に終息させねばと気持ちが焦るばかりに、情報や指示が錯綜し、

その結果、手待ち、手戻りが発生して、気持ちをさらに焦らせるという悪循環。

 

夕方PM5:30には交代人員が到着し、同業者3社からの応援人員を加えた計17名で作業を引継ぐ。

だが相変わらず作業は思うようにはかどらず、当初、深夜0:00には完了する見込みでいたのが、

あらかた埋め戻しが終わったのは、朝の7:00。

 

再度、交代要員が到着し、最後の仕上げを行なう。

埋め戻し箇所に石灰をまき、立ち入り禁止措置を施す。

 

気がつくと、一時は100人以上いた鶏舎に、残っているのは我々と県の担当の方数名。

時間はPM1:00をまわっていた。

最初に「鳥インフル発生」の一報を受けてから、48時間。

無事に任務を終える。

どっと疲れが出る。

 

が、実は鳥インフルへの対応は、これで終わりではなかった。

 

つづく。