昨日、新城設楽生態系ネットワーク協議会の総会が開催された。
そこで、「奥三河」についての議論があった。
実は、昨年の総会にて、会の名称を変更したらどうかという提案があった。
曰く、「新城設楽という言葉はいかにも行政的だ。一般的には奥三河の方が名が通っている」と。
自分は奥三河ビジョンフォーラムとして参加していることもあり、それに賛同した。
そこで、総会欠席の会員の意見も聞き、全員賛成ならば名称変更しようということになった。
後日、「反対の会員もいたため、名称変更を行わない」という事務連絡が来た。
昨日、その反対理由を聞くことができた。
「奥三河という言葉の定義がなく、その範囲が限定できない」
「わざわざ自ら「奥」などと自虐的に表現しない方が良い」
ということだったそうだ。
始めの意見については、それが「豊田市まで含むと勘違いする」という意図だったことを聞き、正直驚いた。
これまで、「新城は奥三河なのか?」という疑問はぶつけられたことがある。
これは北設楽の方からであり、「新城はまちなので、自分たちと同じというイメージがない」と。
ただし、これは合併前後の頃の話、すなわち10年前のことだ。
それ以降、観光分野をはじめ、様々なかたちで「奥三河」という名称を用いた情報発信がされており、
すでに言葉として定着しているものと自分は思い込んでいた。
しかし、まだ「定義が曖昧」で「どこまで含むかイメージできない」と。
ならばこそ、ここでも「奥三河」という名称を用いて、より定着させていくことが必要だとも思うのだが…。
もう一つの意見、「自虐的だ」との見方には、非常に残念な思いをした。
かつては、「奥=田舎」というイメージを嫌う傾向があったかもしれない。
しかし今の時代は、むしろその「奥」という言葉のもつイメージを逆手にとって、
それを価値にかえて情報発信することが重要なのではないかと、自分は思う。
「奥」という言葉を辞書で引けば、次のような意味も出てくる。
・容易には知りえない深い意味。物事の神髄までの距離。「奥が深い研究」
・芸や学問などの極致として会得されるのもの。奥義。秘奥。「茶道の奥を極める」
このように、「奥」という言葉のもつ神秘性を活かすことで、
都市にはない魅力を発信できるのではないかと思っている自分にとっては、
「自虐的」との言葉には寂しさを感じた。
以前、ある方に伺ったのだが、東京で農産物のマーケティングをしたとき、
「新城産のトマト」というより「奥三河産のトマト」という方が、反応が良かったそうだ。
「奥」という言葉が貴重性をイメージさせ、そのものの価値をあげたという事例だ。
しかし、残念がってばかりもいられないので、
今後、よりいっそう「奥三河」という言葉が定着し、その価値を高められよう活動をしていきたいと思う。
なお、新城設楽生態系ネットワーク協議会のHPができました。
お時間あれば、ぜひご覧ください。
http://shinshiroshitara-seitaikei.jimdo.com/