【本日2本目の記事です。1本目はトウキョウトガリネズミの訂正とお詫びです。そちらもぜひご覧ください。】
「密」だそうです。流行語大賞が「三密」でした。
わたし個人としては「密」とは縁遠い生活、自然の中での生活でしたので,わたしなら「禍」を選びます。この字も2番手の候補に挙げられていたようです。
「コロナ禍」
それ以上に「政権禍」を連想します。
【本日2本目の記事です。1本目はトウキョウトガリネズミの訂正とお詫びです。そちらもぜひご覧ください。】
「密」だそうです。流行語大賞が「三密」でした。
わたし個人としては「密」とは縁遠い生活、自然の中での生活でしたので,わたしなら「禍」を選びます。この字も2番手の候補に挙げられていたようです。
「コロナ禍」
それ以上に「政権禍」を連想します。
先日紹介いたしました「トウキョウトガリネズミ」。専門の方に写真で見てもらったところ、「オオアシトガリネズミ」ではないかということでした。
いただいたメールをここに添付し、誤った情報を皆様に流してしまったこと、深く反省し、お詫びいたします。
*****
こんばんは。
体長、全長の測り方は、添付ファイルのようになります。
(添付ファイルより)
背中が伸びた状態で計った胴長長(鼻先から尾の付け根まで)が、4cm程度がトウキョウトガリネズミに該当する可能性があります。全長は約7cmになります。
(トウキョウトガリネズミの胴の長さが4.5cmと引用されていますが、背中を伸ばした状態ということを書いていないサイトが多いので多くの方が勘違いされています。)
写真の状態では、背中が丸まっているため、実質4cm以上あることから、トウキョウトガリネズミではありません。
大きさとその他の体の状況から、オオアシトガリネズミである可能性は95%以上です。
ごく希に、エゾトガリネズミの大きい個体が似たような大きさに見えることがありますが、今回はその可能性はほぼ無いと思われます。
体長を正確に計ることは、死亡している場合丸まっているので、難しいこと、個体差が大きいので種の確定の決め手には基本的にはなりません。
むしろ、体長よりも後足長(かかとから指先まで(爪をいれない))が、10mm未満であれば、トウキョウトガリネズミである確率はほぼ99%になります。
なお、足は地面についている状態、体をささえている程度の圧力がかかっている状態で計ってということになります。
足も丸まっている状態では、ダメです。
なお、正確に種を確定するには、上顎の歯の形で確認する必要があります。
お住まい地域には、トウキョウトガリネズミ次に小さいヒメトガリネズミの生息が確認されています。
ヒメトガリネズミの特に小さい個体は、トウキョウトガリネズミの大きさと非常に似通っています。
しかし、後足長を計れば10mm以上あります。
とても、小さいと思ったら、後足長を計ってみてください。
同定方法については、そのうちHPでアップしますのでまた見ていただければと思います。
不明な点があれば、ご連絡ください。
よろしくお願いします。
*****
後ろ足長を見てみると確かに10㎜を超えています。
そんなわけで、今回の「大発見」はなかったことになりました。
残念ですが、このような生物がいることもご理解いただけたのかと思います。
ちなみに、この生物は虫を食べる、人にとっては益獣であり、作物を食べるようなことはないようです。
今、メールを確認するとまたまたうれしいメールが届いていました。
ご紹介いたしましょう。
*****
おはようございます。
北海道に生息する4種の内オオアシトガリネズミは、ミミズが多いところに個体数が多い傾向にあります。ミミズは好物ではありますが、昆虫やクモを食べています。
体は小さいですが、かなりの大食漢です。
昆虫が大発生しないように、調整する役割を担っているのです。
オオアシトガリネズミは全道に広く生息していますが、
ミミズが多く、一般的に豊かな環境と言われる環境に圧倒的に多い
傾向があります。
すなわち、ネズミ捕獲器で捕獲できるということはそれだけ、個体数が多い=豊かな環境=良い土壌を作られておられるという証でもあります。
トウキョウトガリネズミは、これまで豊かなと言えないような環境で
発見されています。
むしろ、オオアシトガリネズミが身近で見られる、捕獲される環境に
あるということは、トウキョウトガリネズミを発見されるよりも、
素晴らしいことだと思います。
トガリネズミは、人に対して悪さをするようなことはありませんので、
数を減らさないように見守っていただければと思います。
トウキョウトガリネズミの発見よりも、オオアシトガリネズミがいることを確認できた方が、○○様の無農薬、無化学肥料による事業が正しく環境と調和されているひとつの指標であり、素晴らしいことだと思うことを申し添えたくメールさせていただきました。
現状では、道央圏ではトウキョウトガリネズミは発見されていませんが、可能性が無いわけでありませんので、もし怪しいものを発見されたらお知らせいただければと思います。
***
ありがとうございました。
AERA 2020.12.12
石臥薫子
コロナ禍の収入減は子どもの教育費にも影響を及ぼしている。AERA 2020年12月14日号で、親と学生たちが苦しい胸の内を明かす。
* * *
「あしなが育英会」の創設者で、85歳と高齢の玉井義臣会長は、スタッフに体を支えられながら会見場に現れた。そして振り絞るような声でこう訴えた。
「コロナで自殺者が増えているが、あしながからは絶対に出さない。生活についてはとことん面倒を見る。死のうなんて思ってはダメだということを、はっきりと子どもたち、お母さんたちに伝えたい」
■1人20万円を緊急給付
親を亡くしたり、親が重度障害を持つなどする子どもを支援するあしなが育英会は、11月30日、全奨学生7612人に「年越し緊急支援金」20万円、総額15億円を給付すると発表した。春に実施した1人15万円、総額10億円の給付に続く措置だ。
あしなが育英会は毎年、春と秋の街頭募金で2億円近くを集め、リーフレットを配るなどして支援者を増やしてきた。だが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大に配慮し街頭募金を断念。一方で奨学金申請者は急増しており、今回の給付には積立金の一部を取り崩す覚悟で臨む。
「寒さで震えている子どもがいれば、まず自らの上着を脱いで掛けてあげる。それがあしなが運動の歴史です。捨て身の支援を行えば協力してくれる人が現れると信じています」(同会広報)
この決断を促したのは、10月末から11月初めに実施したアンケートに寄せられた悲痛な声だ。保護者と高校生・大学生の計6241人が回答した。保護者からは「収入が減った」という回答が3割。8割近くは手取り月収が20万円未満で、6割が「食事の回数を減らしたり親が食べるものを減らすなどして食費を抑えている」と答えた。
会見に同席した母親は、Go Toトラベルキャンペーンを引き合いにこう訴えた。
「あしなが奨学生の家庭で旅行に行ける人はいません。旅行に行ける家庭に税金を使うのではなく、本当に困っている家庭を助けてほしい」
大学生では食事や交通費などを節約しているという回答や、「ふさぎ込むことが増えた」といった回答が目立ち、経済的にも精神的にも追い詰められている様子がうかがえる。
日本学生支援機構の調査によると、一般の大学生の収入は年間200万円。うち、親からの仕送りは6割を占めるが、あしなが育英会から奨学金を受ける一人暮らしの大学生の7割以上が親から仕送りを受けていない。以前から過酷なアルバイトに従事する学生が多かったが、アンケートでは回答者の半数が1月に比べてバイト代が「減った」「なくなった」と回答した。
「ホテルのフロントで週2回、夜10時から翌朝8時までの深夜勤務をしていました。でも、体調を崩して1月に辞めてしまい、以来、次が見つかりません」
そう話すのは、あしなが奨学生で佐賀大学3年生の石王丸貴士(いしおうまるたかし)さんだ。高校2年生の時に父を病気で亡くした。母は市役所の非常勤職員で年収は160万円。大学の授業料全額免除を受け、月7万円の奨学金(4万円は貸与、3万円は給付)と、8万円ほどのバイト代でやりくりしてきた。この春、妹が私立大に進学。母は将来の返済負担を心配し、妹に奨学金を借りさせなかった。石王丸さんは「母や妹を支えなくては」という思いでバイトを再開しようとした。一時は退学し就職することも考え、精神的に落ち込んだが、就活に向けて気持ちを立て直した。
「面接用のウェブカメラもわずかな貯金で買いました。卒業すればすぐに月々1万5千円の奨学金返済も始まる。返還して後輩遺児に利用してもらうためにも、なんとかして就職したい」
(編集部・石臥薫子)
※AERA 2020年12月14日号より抜粋
民間の「自助」でしょうか? これ、「自助」でいいのでしょうか!
必要なところに税金を使ってほしいものです。
「東京新聞」2020年12月12日
新型コロナウイルスのPCR検査が1回1980円(税込み)で受けられる施設が10日、JR東京駅近くにオープンした。施設の運営会社は「無症状の感染者の発見につなげたい。気軽に安心して検査を受けてほしい」と話している。(デジタル編集部・三輪喜人)
こんなに需要がひっ迫しているのに国も自治体も黙って見てるだけ?
#大竹まことゴールデンラジオ#金子勝さん
トウキョウトガリネズミ(亜種) S. m. hawkeri 【北海道/絶滅危惧II類 (VU)(環境省レッドリスト)】 世界最小の哺乳類の1つ。
トウキョウトガリネズミは、全長約70㎜、体重約2gの世界最小級の哺乳類です。北米のアラスカからノルウェーまで北極圏を含む北方圏に広く生息するチビトガリネズミの亜種で、国内では北海道でしか確認されておらず、絶滅危惧種のためほとんど一般の目に触れることはありません。
原産地:北海道 チビトガリネズミの亜種 ネズミの名はついていても、食虫目でモグラの仲間。(wik)
世界の最小哺乳類「トウキョウトガリネズミ」。
(ネズミの名がついてはいても、食虫目に属するモグラの仲間です。また、生息地は東京都ではなく北海道ですが、新種として発見されたときの標本のラベルにYezo<エゾ>とすべきところををYedo<エド>と誤って表記されたためにこの和名になりました)
胴の長さは約4.5cmほどで、人間の親指よりも小さいです。
札幌市円山動物園
まだ10体ほどしか確認されていないようです。非常に珍しい動物で道央ではまだ未確認ではないかと思います。
以下粘着ネズミ捕りにかかったトウキョウトガリネズミです。(閲覧注意)
「10体ほど…」というのは誤りでしたので訂正し、新たな情報を紹介します。
「トウキョウトガリネズミの世界にようこそ」より
http://www.least-shrew.jp/shrew/
トウキョウトガリネズミの国内分布
トウキョウトガリネズミの国内における捕獲地(北方領土の択捉島・国後島を除く)は、下図に示した北海道における21地域である。
第1期 1903年~1970年(捕獲されなかった時期)
1903年にHawkerによって鵡川で初めて捕獲された。その後1957年に弟子屈町虹別原野で9頭捕獲されるまで、54年間捕獲されなかった。更に1971年に標津町当幌で1頭捕獲されるまで13年間かかった。この67年間で捕獲された個体は、2カ所10頭であった。
第2期 1971年~2001年(希に捕獲された時期)
1971年に標津町当幌で1頭捕獲されて以降、2001年まで12件、8地域で35頭が捕獲されている。この時期の捕獲はサロベツ湿原に多く、9回28頭が捕獲されている。しかし、同一地点における再捕獲はなく、異なる地点、異なる環境によるものであった。1983年~1974年の9間は捕獲されていない。
第3期 2002年~現在(2017年) (捕獲の再現性がある地点の発見により、生体を捕獲が可能になった)
私が、2002年に浜中町の海岸と嶮暮帰島で本種の再捕獲ができることを発見したことで捕獲数が急激に増加すると共に、生きた個体を捕獲することが可能になった。これを契機に2005年から多摩動物公園と共同研究を行っており、本種の展示が現在可能になっている。なお、2002年~2017年の15年間で捕獲された195頭のうち161頭が我々のチームが捕獲している。なお、北海道の属島で生息が確認されているのは、現時点では嶮暮帰島のみである。
トガリネズミに関する記事他にもあります。ブログ内検索してみてください。
マガジン9 2020年12月9日
「彼女は私だ」
12月6日、渋谷で開催された「殺害されたホームレス女性を追悼し、暴力と排除に抗議するデモ」には、そんなプラカードを掲げる人がいた。前回の原稿で書いた、ホームレス女性殺害事件を受けてのデモだ。渋谷のバス停にいたところ、近所の男性に撲殺された女性。この日、夜の渋谷の街を170人がキャンドルを手に追悼と抗議を込めたサイレントデモをした。
「社会に出てから一度も正社員で働いたことがありません。ずっと非正規や日雇いで暮らしてきました。今、コロナで仕事もなくなりました。本当にまったく他人事とは思えません」
デモ出発前、参加者の女性の一人はマイクを握ってそう語った。「他人事じゃない」。この日、参加した女性たちから多く聞いた言葉だ。
今年、殺されたホームレス状態の人は彼女だけではない。1月には東京・上野公園で70代の女性が頭部に暴行を受けて殺害されている。3月には、岐阜でホームレスの男性が少年らに襲撃を受けて死亡。そうして11月、渋谷の事件が起きたのだ。コロナで仕事だけでなく、住まいを失う人が増えている中での惨劇。このところ、都内のターミナル駅ではホームレス状態になったばかりと思われる若い人の姿が目に見えて増えている。
そんな中、ある本を読んだ。それは『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』。つくろい東京ファンドの稲葉剛さん、小林美穂子さん、ライターの和田静香さんの三人が著者だが、本のメインは小林さんの支援日記だ。
この連載でも、コロナ禍での支援の状況については4月頃からずーっと書いてきた。しかし、私は自分が動ける時に現場に行くくらいで、現場対応をしているわけではない。では誰がしているのかと言えば、反貧困ネットワーク事務局長の瀬戸大作さん、そしてつくろい東京ファンドの稲葉さん、小林さんらである。他にも数名が、過労死が心配になるほどフル稼働している状態で、4月からずっと野戦病院のような日々が続いているわけである。本書は、そんな支援の現場の4月から7月までの記録だ。
ちなみにつくろい東京ファンドとは、東京・中野に拠点を置き、2014年から困窮者支援をし、個室シェルターを運営している。17年からは路上生活経験者の仕事づくりと居場所づくりの店「カフェ潮の路」を始め、小林さんはそのカフェの女将もやっている。
そんなつくろい東京ファンドは、東京に緊急事態宣言が出された4月7日、緊急のメール相談フォームを開設。これが「パンドラの箱」を開けることとなる。困窮した人々からSOSが殺到したのだ。
この頃は、東京をはじめとした7都府県のあらゆる活動がストップし、「不要不急の外出は避けろ」、とにかく「ステイホームを」と呼びかけられていた頃。しかし、東京都には推計で4000人のネットカフェ生活者がいる。「ステイホームする家がない」人々がそれだけいるのだ。その上、頼みのネットカフェまで休業要請の対象となったのだからたまらない。
「ネットカフェ休業により、住む場所がなくなってしまいました」
「携帯も止められ不安でいっぱいです。もう死んだ方が楽になれるのかなと思ってしまいます」
「お金がなく、携帯もフリーWi-Fiのある場所でしか使えず、野宿です」
5月末までで、そんな緊急の相談が約170件寄せられたという。その多くが20〜40代。本書にはそんな人々への緊急支援の日々が綴られる。
ネットカフェ暮らしで昨日から何も食べていないという若い女性は、「もう首吊るしかないと思ったんですけど、私も人間なんですかね、生きたいと思ってしまったんです」と口にする。日雇いで働いていた人、コロナで仕事がなくなり会社の寮を追い出された人、ネットカフェで生活してきた人、とにかく多くの人から次々とSOSが入る。小林さんはそんな人々のもとに駆けつけ、話を聞き、寄付金からホテル代や生活費を渡し、生活保護申請に同行するなどして公的な制度につなぐ。
こう書くと簡単そうに見えるかもしれないが、制度について十分な知識がないとできない技だ。なぜなら、福祉事務所はあの手この手で申請を阻もうとするから。本書にも、そんな福祉事務所との攻防、悪質な福祉事務所の対応があますことなく描かれている。
例えば一人で生活保護申請に行った人に申請をさせない福祉事務所。「3密の回避」が言われているのに、申請に来た人を相部屋の無料低額宿泊所に案内する福祉事務所。一方、3年間ネットカフェで暮らしていた人に、「どうしてネカフェからアパートに入ろうと思わなかったんですか?」とありえない質問をするケースワーカーさえいる。これには当人が「入れるわけないじゃないですか! 一生懸命働いても10万くらいにしかならないのに、なんとか食べて、ネットカフェ代払って、ロッカー代払って、どうやって初期費用とか貯めるんですか!!」と返す。ちなみにネットカフェ生活者の平均月収は11万4000円。これでは日々の生活で手一杯で、敷金礼金などとても貯められない。
「貸付金」を渋る福祉事務所もある。申請者に所持金がない場合、多くの区では1日あたり2000円ほどが出るのだが(食費や生活費として)、それを1日500円しか出さない区もあるのだ。
ネットカフェや路上を経験しながらも必死で働き、身体を壊してやっと福祉事務所に辿り着いた男性は、窓口で「1日500円」と言われた。ひどい仕打ちだ。
「500円で3食を食べて、交通費ももろもろ必要雑費もまかなえと福祉事務所が言うんですか?」
小林さんが言うと、係長の女性は「カップラーメンとか」と言う。「私もスーパーの安売りで買ったりしてますよ」と続ける係長。その言葉に、小林さんはキレた。
「なに言ってんですか! 自分も同じだみたいに言わないでよ。この人が歩いてきたこれまでと、あなたの生活はまったく違う! 同じだというなら、無低やネットカフェで、カップラーメンで命をつなぎながら職場に通ってみなさいよ。冗談じゃない!! 無神経なことを言わないでくださいよ!!」
同行した小林さんが怒ってくれて、男性はどれほど心強かっただろう。どれほど嬉しかっただろう。
そんな現場で日々奮闘する小林さんは、コロナ禍による困窮は、これまでの矛盾が噴出したものだと指摘する。
「アベノミクスなんて言葉で誤魔化されてきた日本の経済が、とっくに崩壊していたのをコロナが可視化させた。この2ヶ月間、私が対応している人たちは、いわゆる多くの人が想像する『ホームレス』ではない。補償も出ないまま休ませられている正社員もいれば、この国の文化・芸能を支えてきたアーティストもいる」
本書で共感するところは山ほどあるが、中でも今の支援を考えるにあたってもっとも「そうそう」とうなずいたのは、稲葉剛さんの「いまや住まいに次いで、Wi-Fiは人権に近い」という言葉だ。これはコロナ以前から言えることだが、困窮者の多くは携帯が止まっている。通話できない状態だ。よって、本人がフリーWi-Fiのある場所にいる時に支援団体でメールしてくる、というのが一般的なのだが、これだとフリーWi-Fiがない場所では連絡がとれない。また、携帯の充電切れが支援の切れ目になってしまうことも多々ある。
余談だが、私は平野啓一郎氏の小説『マチネの終わりに』を読んだ時、「これってまさに支援者が日々直面してることじゃん!」と思い、それ以来、携帯をなくした、盗まれた、止まった、充電が切れたという状態を勝手に「マチネ」と呼んでいるのだがこれ以上書くと小説のネタバレになるのでやめておこう。
それにしても、携帯がないことは社会参加の壁になる。例えば、仕事。通話できる携帯番号がないと仕事はなかなか見つからない。不動産契約も携帯番号がないと難しい。また、料金滞納で携帯が止まってしまうと、他の携帯会社ともその情報が共有され、場合によっては再契約が難しくなることもあるらしい。携帯に関して「贅沢だ」と言う人もいるかもしれないが、今、もしあなたが携帯を失ったら、たちまち日常生活のあらゆる部分に支障がでるはずだ。すでに携帯は社会的IDになっている。
ということで、7月には、つくろい東京ファンドがNPO法人ピッコラーレ、合同会社合同屋と協働し、本人負担ゼロで通話可能な電話番号を付与した携帯電話を渡すという「つながる電話プロジェクト」を開始。最長2年間まで無料で使ってもらうシステムで、独自に通話アプリを開発したというのだからなんだかすごい。このプロジェクトに関わったつくろい東京ファンドの佐々木大志郎さんは、本書の「『コロナ禍』における『通信禍』」という原稿で、以下のように書いている。
「『相談フォーム・テキストベースでの相談体制』『原則オンラインでのヒヤリング』『物品ではなく現金での緊急給付』『スマートフォンは端末自体の所有を前提としてのフリーWi-Fiという環境要素』『オンライン送金や電話マネーという瞬時の給付手段の併用』そして『音声電話をお渡しする支援』。
これらは従来型のホームレス支援・生活困窮者支援の文脈だと、積極的な要素とはなりえなかったものだが、今回の緊急対応から始まる一連の動きでは主役となっていた」
このように、当事者のニーズを受け、支援は日々、進化している。しかし、翻って公的支援はどうだろう。一部ではいまだに生活保護申請は「無料低額宿泊所に入ることが条件」という感染対策を無視した運用が行われ、その無料低額宿泊所では多くの人がダニや南京虫に悩まされている。携帯やWi-Fiは日常生活に不可欠という認識は皆無で、女性が生活保護申請をした際に婦人保護施設などに入れられてしまえば、そこでは携帯を所持することもできない。携帯などなかった昭和のルールが令和の今、当事者たちを苦しめている不条理。
さて、最後に、小林さんのあとがきの言葉を紹介したい。彼女が支援してきた人たちのことだ。
「会う人たちはみな、これまで数年ネットカフェで暮らしながら仕事をして命をつなぐ人ばかりでした。彼らのほぼ全員が、親が不在か、いても頼れるような関係性ではなかった。仕事を求めて転々としているから、友達が少ない。助けてくれる人がいない。半数くらいは『死』を意識するほど追い詰められており、あと一歩後ずさりしたら崖から落ちてしまう、そんな待ったなしの状況でした」
「全員が、もっともっと早くに、ネットカフェ生活を始める直前に、福祉を利用して生活を立て直すべき人たちでした。いまでもそういう人が何千人も、ネットカフェや、漫画喫茶、あるいは見知らぬ男性の家に泊めてもらいながら、身を削って生きています。こんな状況を日本の社会はいつまで放置しているつもりなのでしょうか?」
まったくもって一字一句すべてに同感である。「これでダメだったら自殺しかないと思ってました」。制度につながれた人からその言葉を聞いたのは私自身、一度や二度ではない。自殺対策に本腰を入れるなら、生活困窮対策がまず必要なのだ。
さて、コロナ禍が始まって、もう9ヶ月以上。
この9ヶ月、地味につらいのは、一度も国から「安心して」というメッセージが発されないことだ。3月の時点で失業者が大幅に増えることを見越し、ドイツでは大臣が国民に「生活保護をどんどん利用して」と呼びかけていた頃、この国ではコロナ対策として「お肉券・お魚券」という素っ頓狂なものが検討され、みんなを不安に陥れていた。台湾でIT担当大臣がマスクをみんなに行き渡らせるよう対策をとったのに対し、日本では布マスクが2枚配布されただけだった。それだけじゃない。医療機関は機能不全を起こし、保健所にどれだけ電話しても繋がらず、春頃には自宅で次々と亡くなる人が出た。失業者、困窮者対策はまともになされず、特別定額給付金は一度きりで、自殺者が激増した頃、新たに総理大臣となった菅氏が強調したのは「自助」だった。
「誰も困窮では死なせない」「自殺者も増やさない」「感染したら速やかに医療にアクセスできるよう努力するので安心してください」
一度でいいからこんなメッセージが発されていたら、どれほどの人が救われていただろう。しかし、第三波の中、強調されているのは「マスク会食」。そんな中、「Go To」キャンペーンの来年6月までの延長が発表された。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなやり方で、もう、何をしようとしているのか、どこに向かっているのかさえ誰もわからない。ブッ壊れた暴走車に乗せられているような生きた心地のしない日々。
そんな中、支援者たちは今日も「誰かの緊急事態」に対応している。国は、民間の善意に甘えるのをそろそろやめてほしいと今、改めて思う。3月に結成した「新型コロナ災害緊急アクション」では、すでに1000人以上に対応し、寄付金から4000万円を超える給付をしている。民間がボランティアですでに数千万円の給付をしていること自体が異常なのだ。
「自助」を強調するのはどんなに無能なトップだってできる。公助のトップであるならば、そろそろ本気でこの問題に向き合ってほしい。
今日も暖かく、沼の氷も融けだした。
園内を整備しています。南側境界の伐開。
片平敦 | 気象解説者/気象予報士/防災士/ウェザーマップ所属
YAHOOニュース(個人)12/8(火)
生物季節観測で観測対象となっている植物の例。その多くが廃止となる。(筆者撮影)
■ 生物季節観測とは
気象庁は、2021年1月から生物季節観測を大幅に縮小することを発表した。
生物季節観測とは、全国各地の気象台(気象庁の出先機関)で実施されている観測のひとつで、動物や植物の様子を観測するものだ。生き物の振る舞いをもとにして、毎年の季節の進み具合の遅れ・進みを把握したり、長期的には過去の記録と比べることで気候変動や都市化の影響などを知るために利用したりする観測である。 テレビのニュースなどでよく伝えられる「さくらの開花・満開」のほかにも、植物は「かえでの紅葉」や「いちょうの黄葉」など34種類が、動物は「うぐいすの初鳴」や「つばめの初見」など23種類が観測対象となっているのだ。なお、観測される動植物の種類は、それぞれの地域の特性に応じて異なっているが、さくらやいちょうなどは概ね全国で観測対象となっている。
2020年12月現在、気象庁で実施している生物季節観測の種目・現象。(気象庁「生物季節観測指針」より)
動物については気象台の周辺であればどの個体でも構わないが(同じ個体を毎年見つけるのは不可能だろう)、植物については気象台構内や周辺の公園などで予め決めたもの(「標本」と呼ぶ。木の場合は「標本木(ひょうほんぼく)」)を対象として毎年観察し、開花などの現象を確認している。また、観測の方法はすべて目視・聴覚によるものであり、気象台の職員が実際に見て・聴いて観察したものを観測記録としているのだ。機械により自動で観測することはできない。
このように全国的に統一された観測基準で行われるようになったのは1953年からで、すでに70年近い観測記録が各地で積み重ねられているわけである。
この生物季節観測が、2021年1月からは6種目9現象に大幅縮小されることが気象庁から発表された。2020年11月10日のことである。具体的には、動物の観測はすべて廃止され、植物は「うめ(開花)」「さくら(開花・満開)」「あじさい(開花)」「すすき(開花=穂が一定以上出ること)」「いちょう(黄葉・落葉)」「かえで(黄葉・落葉)」のみに限定されるという。
■ 大幅縮小の理由
気象庁が発表した「お知らせ」には、今回の変更の理由として以下のように示されている。
本観測は、季節の遅れ進み、気候の違い・変化を的確に捉えることを目的としておりますが、近年は気象台・測候所周辺の生物の生態環境が変化しており、植物季節観測においては適切な場所に標本木を確保することが難しくなってきています。また、動物季節観測においては対象を見つけることが困難となってきています。
気象台の周辺で、植物や動物のようすを適切に捉えられなくなってきていることが理由に挙げられているのだ。「お知らせ」は、さらに以下のように続く。
このため、気候の長期変化(地球温暖化等)及び一年を通じた季節変化やその遅れ進みを全国的に把握することに適した代表的な種目・現象を継続し、その他は廃止することとします。ついては、生物季節観測は、令和3年1月より次の6種目9現象を対象とします。
つまり、動物は気象台の周辺では見つけるのが難しくなってきているので全部廃止し、植物も観測環境が悪くなってきているので代表的なものだけに減らします、というわけである。
気象庁が発表した「お知らせ」。(気象庁HPより)
しかしながら、私は、観測環境の悪化のみを挙げるのであれば、理由としては「薄い」と感じざるを得ない。そう感じるのは以下の2点のためだ。
まず1つ目。「観測できなかった」ということは、何もしなかったということではない。観測できない状況に何らかの理由でなっている、という貴重な観測結果なのだ。観測できなかったことを、私たち気象技術者は「欠測(けっそく)」と呼ぶ。「観測していない」のではなく、しようとしたができなかったということが重要なのである。なぜ今年は観測できなかったのだろうか、逆に、しばらく観測できていなかったのになぜ今年は観測できたのか、などといったことを考察するためにも、観測できない年があっても、観測を続けようとする行為・想いが大切だと私は強く思う。
2つ目。なぜこれほどまで一度に廃止するのか。仮に、ある気象台においてかれこれ20年も30年も観測されていない動物がいるとする。それほど長く連続して観測されていないのならば、かつてはいたのかもしれないが今はもういなくなってしまったということだろう。それならば、今後は観測対象から外す、ということもある意味納得はできる。実際、これまでにもそうやって、観測対象から適宜、各気象台の実情に応じて「段階的に」外された種目もあった。
それが、今回はどうだろう。まだ問題なく観測が続けられている種目も含めた大幅な削減である。気象庁が挙げる理由だけを材料とするならば、あまりにも乱暴な「リストラ」と私には感じられるのだ。
「観測精神」という言葉がある。今この瞬間というのは、もう二度と戻ってこない、取り戻せない瞬間だから、観測する者はしっかりと記録しておかなければいけない、という心構えのことだ。動植物の観測も同様である。先人たちが約70年の長きにわたり続けてきた観測を途絶えさせてしまうには、上記の理由だけではあまりに「薄い」と私は感じるのである。
■ 大幅縮小の背景
私はこの大幅縮小を初めて聞いた時、正直に言って「ついに来たか」という想いを持った。というのも、気象庁の業務はここ20年ほど、防災関連の業務は増加する一方で、それ以外の人員を割く部分については縮小されてきていると感じていたからだ。全国各地にあった測候所の段階的な廃止・無人化(約100か所→現状は帯広と名瀬の2か所のみ)に始まり、近年は地方気象台での目視観測の廃止も実施されている。2年前のその際、私も記事を執筆したが、その中でも「生物季節観測の廃止」の危惧をすでに言及していたほどである。
こうした業務削減の背景にあるのは、気象庁の予算の「据え置き」である。気象庁の年間予算はここ20年ほど大きく変わっていない。毎年減額されないといえば聞こえは良いが、これほど災害が多発するようになり防災対策が急務とされる我が国において、各方面での対応のトリガー(きっかけ)となる情報を発信する危機管理官庁としての気象庁の予算が長年変わらないというのは、明らかにおかしいと言わざるを得ない。
気象庁の年間予算の推移。(気象庁HPの資料より筆者作成。)
当然ながら、限られた予算の中で防災対策により一層力をかけるには、何か別の分野のものを削ったり、マンパワーに大きく依存したりする、ということになると思う。現場の業務はすでにいっぱいいっぱいと聞くこともあるほどだ。防災の観点で見た場合、直接的に重要とされないものについては、真っ先に削減対象になっていくのは自明のことであろう。
気象庁は、今回の生物季節観測の大幅縮小について、予算や他業務との関連性を理由としては挙げていない。もちろん公式の発表にあるように、特に動物については観測対象を見つけることさえ困難化している種目があるのも間違いではないだろう。しかし、その背景には予算や人員の確保が難しくなってきていることがあると私には思えてならないのだ。担当する職員は生物季節観測だけを専任で行うわけではないが、今回削減されるだけの業務量をほかのことに充てたい、充てざるを得ないという段階にまでもう来ているのではないか、と私は推測している。
一方で、本省の外局である1つの官庁の予算を大幅に増額するというのは、そう簡単なことではないだろう。気象庁単独でそうした予算要求を財務当局にするというのも、なかなか酷な話だとも思う。であれば、そうしたことができるのは政治であり、それを動かすのは私たち世論の力だとも思う。今回の生物季節観測の話に限ったことではないが、気象庁の予算・人員確保やあり方については、関連する他省庁や民間の業務との関連性や役割も含め、もっともっとしっかりと議論すべきだと日頃から感じている。(防災業務のあり方については以前詳しく書いたため今回はこの程度にするが、ぜひ関連する他の拙稿もご一読いただきたい。)
■ 生物季節観測は不要なのか
そもそもの話である。
生物季節観測は、不要なのか。気象庁が行う業務として、生物季節観測は必要不可欠なのだろうか。国の業務として行うからには税金を使うのだから、徹底した無駄の排除は行うべきだと思うが、生物季節観測は無駄に当たるのだろうか。気温など観測機器で測定するデータさえあれば、人間による目視・聴覚による生物季節観測は不要なのだろうか。
人によって価値基準が異なる部分だとは重々感じているが、気象業務に携わる私としては、不要とは思えない。防災業務としては不可欠ではないが、季節の遅れ・進みや気候変動の把握という観点では不要でも無駄でもない、というのが私の考えである。
前述の通り、気象庁が今回オフィシャルに挙げた点だけが理由であるならば、それでも続けるべきだ、と私は強く思う。予算・人員不足が背景としてあるのならば、「適切な予算をつけてでも続けるべきか」という問いになり、それは国民一人ひとりの価値基準に委ねられるべきだろうと私は思っている。
今回の大幅縮小に際して、事前に広く国民に意見募集がされることはなかった。パブリックコメントの制度があるのだから、実施しても良かったのではないか。また、気象庁のカウンターパートである民間気象事業者や気象解説者に対し意見照会があったという話も、私が知る限りは無かった。非常に残念に思う。
そこで、今回の件について、私は自身のツイッターでアンケートを実施した。11月11日昼前からの3日間で、大変ありがたいことに650人を超える方々からご回答をいただいた。この場を借りて深く御礼を申し上げる。
今回の変更について伺うと、
「賛成」:13.8%
「どちらかと言えば賛成(条件付きなど)」:16.1%
「どちらかと言えば反対(条件付きなど)」:40.4%
「反対」:29.7%
という回答結果だった。
私がツイッターで行ったアンケートの結果。
私が行ったアンケートであり、私のツイッターのフォロワーの方々が回答者の多数だろうという属性の偏りはあるが、大変価値がある貴重な結果だと思っている。「反対」と「どちらかと言えば反対」を合わせると70%にも上っており、国民の方々の雰囲気としては、少なくとも、大多数が見直しすべきと思っていらっしゃるわけでは決してなさそうだ。もちろん、「賛成」や「どちらかと言えば賛成」とも合わせて約30%の方々が思っていらっしゃるのだが、読者の皆さんはどのようにお感じになるだろうか。
■ 生物季節観測の意義
気温など無機質な数字だけではピンと来ないが、「今年は去年より○○日も早くさくらが開花しました」「50年前と比べると××日も早まっています」など、身近な生き物のようすで示されると、私たちは季節の歩みや気候の変化を肌感覚として実感できる。
そういった意味で、私は、生物季節観測は、近年様々な場で話題になっている「シチズン・サイエンス」とある意味とても近いものではないかと思っている。高価な観測機器は必要なく、身近な動植物の様子から季節・気候の状況を知ることができる観測なのだ。四季の変化と生活が密接に関わり、季節や自然を愛でる日本人の特性が表れている観測とも言えるだろう。
問題は「気象庁がしなければならない業務なのか」という点にあると思う。私は、地味で地道な観測だからこそ、国が続けていってほしいと思っている。ありていに言えば、「カネにならない業務」こそ民間では続けにくいのだから、その価値をきちんと認識し、国がしっかりと継続していってほしいのが正直な気持ちだ。税金を使う以上、無駄は排除すべきだが、無駄ではないと判断されるのであれば、適切な予算と人員を確保して継続してほしい業務のひとつだと私には思えてならない。
■ 気象庁が観測をやめるのならば…
また、今回の大幅削減は「いつかあるだろう」と予期していたものとはいえ、かなり拙速だと感じた。公式発表の11月10日から数えると、わずか2か月足らずで多くの種目の観測が廃止されるわけで、観測を途絶させないように何か対処したくてもあまりにも時間がない。気象庁で観測を続けない(続けられない)というのならば、他機関・他団体へ観測を継続してもらえるように丁寧な引き継ぎはできなかったのだろうか。これまでの観測成果が重要で貴重であるということは、気象庁にも異存はないだろう。実は、気象庁からの「お知らせ」にはさらに続きがあり、末尾にはこう書かれている。
なお、廃止する種目・現象を含む観測方法を定めた指針を気象庁ホームページで公開する予定ですので、地方公共団体等において各々の目的に応じて観測を実施される際にはご活用ください。
公式に挙げられた理由の通り、観測環境の悪化が原因で続けられないのであれば、誰が実施しても同じように困難であるはずなのだが、ありがたいことに、観測指針(観測方法を示したマニュアルやガイドラインのようなもの)をホームページで公開してくださるそうである。この1文に、私は、「気象庁としては観測を続けることはできないけれど、観測を続けてくれる所があるならば、引き継いだり、新たに自分たちで実施してみたりしてほしい」というかすかな想いを感じたのだ(勘繰りすぎかもしれないけれど)。
正直、気象庁にはあと2~3年、いや1年でも良いから大幅縮小を待ってもらい、これまでの観測を引き継いでくれる団体や機関がいないか、募集や調整をしてほしかった。公の機関であれば、業務的に親和性のありそうな環境省のほか、都道府県・市区町村、研究機関、大学などが、全部とはいかなくても引き継いでくれる種目があるかもしれないと思う。
また、先に述べたように、専用機器のいらない「シチズン・サイエンス」的な観測でもある。観測指針を読むことにより簡単な観察の方法さえ知れば、誰にでもできるのである。観光情報や季節の情報として、標本木がある公園の管理者や観光協会、地域のNPO団体などで引き継げないだろうか。ほかにも、これまでとは違う標本になってはしまうけれど、植物園などで同じ種目を対象とし、気象台の方法を引き継いで観測をし、記録として適宜公開することも可能だと思う。
さらに、私自身がかつてこのYahoo!ニュースにも記事を書いたり、2017年度の気象庁「気候講演会」でもお話ししたりしたのだが、小学校の理科クラブなどで「マイ標本木」を作って代々観測をしていくこともお勧めしたい。記録が長くなればなるほど貴重なものとなり、子どもたちの教育にもとても有益ではないかと私は思う。その子どもたちが大人になって、後輩たちも代々受け継いだ観測記録を見た時にはきっと誇らしく思うだろう。
もちろん、一個人でもできる。実は、私自身も自宅周辺で生物季節観測を行っていて、2020年末の現時点では、植物は19種目23現象、動物は10種目10現象を観測している。気象庁の観測種目にはないような「きんもくせい初香(=初めて香りを感じた)」など自分なりにアレンジもして、身の回りの季節変化を記録しているのだ。
私が自宅周辺で実施している生物季節観測の観測記録の一部。
やはり、動物は年によっては見かけなくて観測できないこともあったりし、試行錯誤をしながらだが、長いものはすでに10数年間の観測記録が積み重ねられている。初めは個人の楽しみでだけで行っていたものの、しばらく前からは気象庁の生物季節観測がいつか無くなるかもしれないという懸念も抱きながら、観測を続けてきたものだ。気象台の標本と個体は異なるが観測手法は同じなので、自分が住む地域の季節の歩みなどを知る手段としては全く問題ないと思っている。
気象庁と同じような水準にしたいと考えて、観測種目を増やしたり統計資料としてまとめたりすることも、その気になれば誰だってできる。その一方で、個人レベルで行うならばあまり難しく考えず、日記帳に毎年書き留めておくだけでもいいだろう。気象庁の観測種目はまもなく大幅縮小されてしまうことになり非常に残念だが、興味のある読者の皆さんは是非ともこの機に、身の回りで始めてみてほしい。
【参考文献・引用資料】
○ 気象庁・おしらせ「生物季節観測の種目・現象の変更について」(2020年11月10日発表)
http://www.jma.go.jp/jma/press/2011/10a/20201110oshirase.pdf
○ 気象庁「生物季節観測指針」(2011年1月発行)
○ 「マイ標本木」のすすめ 学校や家庭で季節の記録を残しませんか(Yahoo!ニュース個人、片平敦、2013年11月)
https://news.yahoo.co.jp/byline/katahiraatsushi/20131127-00030149/
○ 目視観測・予報作業の廃止も検討 地方気象台の業務縮小は防災上「支障なし」か【前編】(Yahoo!ニュース個人、片平敦、2018年4月)
https://news.yahoo.co.jp/byline/katahiraatsushi/20180425-00084397/
○ 気象庁ホームページ「ウェブ広告掲載」の議論から国の防災対策・体制のあり方を考える(Yahoo!ニュース個人、片平敦、2020年8月)
https://news.yahoo.co.jp/byline/katahiraatsushi/20200827-00195045/
※追記(2020年12月8日11時20分):
気象庁年間予算の推移を示したグラフの単位(百万円)が誤っていたため、正しい画像に差し替えました。
幼少時からの夢は「天気予報のおじさん」。19歳で気象予報士を取得し、'01年に大学生お天気キャスターデビュー(TBS系BS)。卒業後は日本気象協会に入社し営業・予測・解説など幅広く従事した。'08年ウェザーマップ移籍。平時は楽しく災害時は命を守る解説を心がけ、関西を拠点に地元密着の「天気の町医者」を目指す。いざという時に心に響く解説を模索し、被災地へも足を運ぶ。関西テレビ「報道ランナー」出演。(一社)ADI災害研究所理事。趣味は飛行機、日本酒、アメダス巡り、囲碁、マラソンなど。航空通信士(航空従事者技能証明)、航空無線通信士(無線従事者)の資格も持つ。1981年埼玉県出身。
税金の使い方が問題になる。「防衛」費に使うのか、辺野古の海を埋め立てるのに使うのか、米軍への「おもいやり」をまだ続けるのか、等々。無駄な税金の使い方は、今の自公政権による改善は期待薄である。今問題になっている75歳からの医療費負担増。やむを得ないとは到底思われないのだ。
「東京新聞」社説 2020年12月8日
鶴彬(つるあきら)という川柳作家をご存じでしょうか。日本が戦争へと突き進む中、貧困と反戦を詠み、治安維持法違反で逮捕、勾留中に病死しました。苛烈な言論統制の末にあったのは…。七十九年前のきょう破滅的な戦争が始まります。
鶴彬(本名・喜多一二(かつじ))は一九〇九(明治四十二)年一月、石川県高松町(現在のかほく市)に生まれました。尋常小学校や高等小学校在校中から地元新聞の子ども欄に投稿した短歌や俳句が掲載されるなど、才能は早くから知られていたようです。
◆貧困、社会矛盾を川柳に
喜多の作品が初めて新聞の川柳欄に載ったのは高等小学校を卒業した翌二四年の十五歳当時、進学の夢がかなわず、伯父が営む機屋で働いていたときでした。
<静な夜口笛の消え去る淋しさ>(二四年「北国柳壇」)
「蛇が来る」などと忌み嫌われた夜の口笛を吹いても、何の反応もない寂しさ。少年期の感傷的な心象風景が素直に表現された作風がこのころの特徴でしょう。
翌年には柳壇誌に作品が掲載され、川柳作家として本格デビューを果たします。その後、多くの川柳誌に作品を寄せるようになりました。このころはまだ柳名「喜多一児(かつじ)」や本名での投稿です。
十七歳の時、不景気で伯父の機屋が倒産。大阪に出て町工場で働き始めた喜多を待ち受けていたのは厳しい社会の現実でした。喜多の目は貧困や社会の矛盾に向けられるようになります。
<聖者入る深山にありき「所有権」>(二八年「氷原」)
このころ都市部では労働運動、農村では小作争議が頻発、政府は厳しく取り締まります。持てる者と持たざる者、富める者と貧しい者との分断と対立です。修験者が入る聖なる山にも俗世の所有権が及ぶ矛盾。そこに目を向けない宗教勢力への批判でもありました。
◆反軍、反戦を旺盛に詠む
十九歳のとき大阪から帰郷した喜多は、生産手段をもたない労働者や貧農、市民の地位向上を目指す無産運動に身を投じ、特別高等警察(特高)に治安維持法違反容疑で検束されます。その後、故郷を離れて上京、柳名を「鶴彬」に改めたのも、特高の監視から逃れるためでもありました。
兵役年齢に達した二十一歳の三〇年、金沢の陸軍歩兵第七連隊に入営しますが、軍隊生活が合うわけはありません。連隊内に非合法出版物を持ち込んだ「赤化事件」で軍法会議にかけられ、大阪で刑期二年の収監生活を送ります。
刑期を終え、除隊したのは三三年、二十四歳のときです。このときすでに日本は、破滅的な戦争への道を突き進んでいました。三一年には満州事変、三二年には海軍青年将校らが犬養毅首相を射殺した五・一五事件、三三年には日本は国際連盟を脱退します。
この年、自由主義的刑法学説をとなえていた滝川幸辰(ゆきとき)京都帝大教授に対する思想弾圧「滝川事件」が起こり、学問や言論、表現の自由への弾圧も苛烈さを増します。
しかし、鶴がひるむことはありませんでした。軍隊や戦争を批判し、社会の矛盾を鋭く突く川柳を作り続けます。
<万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た>
<手と足をもいだ丸太にしてかへし>
<胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき>
召集令状一枚で男たちは戦場へ赴き、わが家に生還しても、ある者は手足を失い、妻の胎内に新しいわが子の生命の胎動を知るころに遺骨となって戻る男もいる。鶴が川柳に映しだした戦争の実態です。いずれも三七年十一月「川柳人」掲載の作品です。
特高はこうした表現を危険思想とみなし、同年十二月、治安維持法違反容疑で鶴を摘発し、東京・中野区の野方署に勾留しました。
思想犯に対する度重なる拷問と劣悪な環境。鶴は留置中に赤痢に罹(かか)り、東京・新宿にあった豊多摩病院で三八年九月に亡くなりました。二十九歳の若さでした。
川柳に続き、新興俳句も弾圧され、表現の自由は死に絶えます。
◆戦争へと続く言論弾圧
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この社説の見出し「鶴彬/獄死の末(さき)に/ある戦(いくさ)」も五七五の川柳としてみました。
学問や言論、表現に対する弾圧は、戦争への道につながる、というのが歴史の教訓です。
安倍前政権以降、日本学術会議の会員人事への政府の介入や、政府に批判的な報道や表現への圧力が続きます。今年は戦後七十五年ですが、戦後でなく、むしろ戦前ではないかと思わせる動きです。
戦後制定された憲法の平和主義は、国内外に多大な犠牲を強いた戦争の反省に基づくものです。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。その決意の重みを、いつにも増して感じる開戦の日です。
まさに、「戦争前夜」と言える状況ではないでしょうか!
YAHOOニュース(個人)12/7(月)
12月6日夜、東京・渋谷で行われたホームレス女性追悼デモ
渋谷区幡ヶ谷のバス停で夜を過ごしていた60代の女性が殺された事件を受け、12月6日夜、「殺害されたホームレス女性を追悼し、暴力と排除に抗議するデモ」が行われた。参加者約170人(主催者発表)がライトやプラカードを手に、渋谷駅前、宮下公園前などを歩いた。
デモの開始前、参加者によるスピーチが行われた。以下はスピーチより抜粋。
「僕自身も、この近くの公園で野宿をしています。いろいろと考えることはあるんですけれども、バス停のところで過ごされていたということなぜその場所で過ごすことになったのかを考えると、街の中で泊まる場所、寝る場所が奪われてきていると。特に渋谷においては、そういう場所がなくなってきている。代表的なのは宮下公園であるとか。
バス停という場所は彼女にとってはもちろん一つの家であったと思いますけれど、そういうところにバラバラに追いやられていくことが背景にあるのかなと思います。
もう一つは、100パーセントとは言えませんけれども、彼女はおそらくこの辺でやっている炊き出しには顔を出していなかったのでは。炊き出しには女性が来にくい……、男が多いということだけを理由にすることはできないけれども……。つながることができなかった人が孤立して、僕たちから見たら孤立なんですけれどそして殺された。
行かれるとわかると思うんですけれど彼女のいたバス停は他よりも暗くて、おそらく彼女は選んであのバス停にいた。辿り着いた、自分の束の間の安息の場、そこで無惨にも殺された。彼女にとっては彼女の家で殺されたと僕は感じます。そういう事件だと思っています」
「去年と比べると生活が苦しいという相談が増えて、野宿の人からも野宿じゃない人からも相談を受ける。今年に入ってから野宿の人が襲撃を受ける事件が、わかっているだけでも1月の上野、2月の岐阜、そして11月の彼女。
渋谷近辺ですと、去年から今年にかけて亡くなっている(野宿の)人がすごく多いです。数字が多い、それ自体が気になるところではあるんですけれども、数字じゃなくて、一人ひとりが、いろんな経緯があって野宿になったり、野宿をやめたいと思ったり、野宿のままでいいと思ったり、いろんな感情があることを考えなければいけないと思っています。
彼女がどんな人だったんだろうと思いながらデモに参加しようと思っています」
「いつもまさしくこの場所で炊き出しをしています。この場所で2004年から支援活動をしています。たった一人の方のことすら、私たちはできていないということを、このような事件があるたびに毎回思うんです。
私たちのできることが本当に少なくて、打ちのめされると共に、この人のことを思って何も言葉にすることができない。
この女性のことがあって、多くのメディアの方が関心を向けてくださったことは良いと思うんですけれども、一人もこのような形で命を絶つことがない、そういう社会を作りたいと思ってやっている。
せめてこの冬も、路上で生活するみんながちょっとでも元気になってくれたらいいと思って食事を」
「ずっと非正規で日雇いで暮らしてきて、今のコロナで仕事も無くなり暮らしているんですけれど、まったく他人事と思えず、自分にも起こるかもしれない。
私は野宿していたこともあるし、野宿者の支援に携わっていたこともあるんですけれど、やっぱりそういうコミュニティも男性中心なんですよね。その中でも嫌な想いをすることがたくさんあって……。
これから先、誰とつながって、どうやって生きていけばいいのかと思って絶望的な気持ちになって引きこもってしまうこともあるんです。こんなこと二度と起こしてはいけないと思い、この場所へ来ています」
「捕まった犯人の男の言い分を聞いて、この社会で生きているのは本当に怖いと思いました。
ボランティアでゴミ掃除をしていた男が、ホームレスの女性にどけと行って、言うことを聞かなかったから殺した、こんな大ごとになると思っていなかったと言っていて。道で寝ていたからといって、私たちはゴミになるわけじゃないですよね。ゴミじゃないです。
屋根がないところで寝ているからといってゴミみたいに殺してしまうということが、ボランティアの、ある意味、カギカッコ付きの『善良な』人によって行われることが、本当に恐ろしいと思いました。
安心安全な、快適な社会を作ると言いながら、公園のベンチに仕切りを作って、ホームレス、家がない人を公園とか路上とかからどんどん排除していくことでは、社会は安心にも安全にもなりません」
「なんでこんなことが起こったのか。生産性のあるものしか生きていけない社会になってきている。社会の中で排除が行われている。そういう背景があるのではないか」
「やっぱりやまゆり園の事件のことを思い出した。普通のちょっと違うかたちでいる人を、いない方がいい、みたいにやるのは良くない」
追悼デモでコロナ禍でもあるため、シュプレヒコールなどを上げない「静かなデモ」とすることが呼びかけられた。参加者らのプラカードには「彼女は私だ」「この街に排除も暴力もいらない」「殺すな」などの文字。渋谷の街のネオンや「TOKYO2020」の旗の中でも目立った。
渋谷の街の通行人はデモを珍しそうに見る人が多かったが、中には「ああ、あの事件の」とうなずく人もいた。
デモの呼びかけ団体は、ノラ、アジア女性資料センター、ねる会議、ふぇみん婦人民生クラブ。ほか、野宿者支援など38団体が賛同した。
(記事内の画像はすべて筆者撮影)
初の単著『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)発売中。ライターです。主に性暴力、働き方、教育などの取材・執筆をしています。カウンセラーではないので、ケアを受けていない方からの被害相談は基本的に対応できません。お仕事、講演のご依頼は、info.mapt7@gmail.com ※スタッフが対応します。NAVERまとめへの転載お断り。
12月とは思えないほどの暖かさだ。
兎の足跡。
近頃は、長靴ばかりなのでウオーキングとはご無沙汰している。それでも今日は1万歩を超えるだろう。園内を右往左往。しっかりと運動の時間を取り入れなければいけないのだろう。歩くスキーでも買ってくるか(中古で)。
藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授
YAHOOニュース(個人) 12/5/
女性の貧困の背景にある労働問題
本日(5日)21時よりNHKスペシャル「コロナ危機 女性にいま何が」が放送される。
見逃した方は12月10日 午前0:50 ~ 午前1:40からNHK総合で再放送されるので、こちらからも視聴いただきたい。
私が所属するNPO法人ほっとプラスや反貧困ネットワーク埼玉なども取材協力して「貧困の見える化」にNHKとともに取り組んだものだ。
多くの方にコロナ禍で困窮する女性の現状を把握いただきたい。 これが今の現実の日本社会である。
生存のためのコロナ対策ネットワークでともにコロナ危機に対処してきた今野晴貴氏は、労働分野から女性の困窮要因、自死増加の要因を分析している。 併せて一読いただきたい。
”コロナ禍は、飲食業やサービス業などの女性労働者の比率が高い業種に深刻な影響を及ぼしているため、女性雇用の状況は男性以上に悪化している。
なかでも影響を受けやすいのが非正規雇用で働く女性だ。 総務省が12月1日に発表した10月の労働力調査によれば、正規労働者が前年同月から9万人増加しているのに対し、非正規労働者は85万人減少しており、このうち53万人を女性が占める。
また、最近、NHKが実施したアンケート調査では、今年4月以降に、解雇や休業、退職を余儀なくされるなど、仕事に何らかの影響があったと答えた人の割合は、男性が18.7%であるのに対し、女性は26.3%であり、女性は男性の1.4倍に上っている。
10月の月収が感染拡大前と比べて3割以上減った人の割合も女性の方が高い(男性15.6%、女性21.9%)。 また、今年4月以降に仕事を失った人のうち、先月の時点で再就職していない人の割合は女性が男性の1.6倍だという(男性24.1%、女性38.5%)。
参考:「新型コロナ 女性の雇用に大きな影響 解雇や休業は男性の1.4倍」(2020年12月4日、NHK)
こうしたデータから、新型コロナの感染拡大が女性の雇用により深刻な影響を与えていることがわかるとともに、雇用に関係する諸問題が女性の「自死」増加の要因になっていることが推察される。
”出典:女性の「自死」急増の背景にある労働問題 今野晴貴
社会保障の弱さも自死急増の要因
その一方で、雇用の不安定さだけが自死の要因ではない。
もう一つの背景には社会保障の弱さもある。 日本の社会保障は貧困に対処し切れていない。
収入減少、仕事の減少に対して、生活を下支えする扶助機能が弱いともいえる。
現在の菅政権は「自助・共助・公助」を強調しながら政策を実施しているが、日本は伝統的に社会保障が弱い。 いわゆる「公助」だ。
つまり、生活困窮に至る前に支援する方策が少ないので、女性は精神疾患や自死に追い込まれていく。
例えば、相談に来られた派遣労働者の20代女性は、派遣先の飲食店の厨房で働いていた。
半年ごとの契約更新だったが、9月末を期限に雇い止めにあった。
コロナ禍で店が休業し、将来の見通しも立たないことから雇い止めを契機に、一人暮らしの都内のアパートも解約し、北関東の実家に戻っている。
両親との関係性はあまり良くないそうで、日常的な口論も絶えないそうだが、一定期間だと思って我慢するしかないと話している。
首都圏は家賃が高く、収入減少のため、生活の維持にさえ困難が生じてしまう。
生活困窮者の家賃を給付する住居確保給付金はあるが、期限付きであり、先行きの見通しがなければ利用しても生活再建の効果は十分でない。
そのために、女性たちは実家などの家族、男性パートナーとの同棲や家計を同一化させて急場を凌いでいる。
しかし、当然、DV(ドメスティック・バイオレンス)や性暴力の増加、家族内不和によるストレスも生じさせていく。
「家族は安心して生活を共にする存在である」という思い込みは、一面的な見方で極めて危険だ。
もちろん、家族やパートナーにさえ頼れない女性は、どこにも寄宿することができずに追い込まれていくこととなる。
日本の社会保障は、いわゆる「家族主義」をとり、家族が支えることを大前提にして、それができない場合にのみ、残余的に救済する。
そのため、生活保護などを受ける際の「恥の意識」も強い。
旅行代理店で国内旅行ツアーに添乗する30代女性も派遣労働者である。
宿泊、観光業は全面的に大きな打撃を受けている。 基本給は低く抑えられ、ツアーに添乗した回数ごとの歩合性という給与形態だ。
ツアーがなければ到底生活することができない働き方である。
彼女は企業から雇用調整助成金による休業補償を受けて待機していた。
しかし、旅行業に先行きの見通しがないことから、退職して失業給付を受けながらハローワークで仕事探しをしている。
今は仕事が見つからないまま、失業給付の期間が切れて、貯金が底をついてしまうことに大きな不安を抱えている。
そもそも、前述の今野氏の指摘にもあるが、非正規雇用に女性が多いという現状に大きな問題がある。
その雇用を政府、経団連も推奨してきたならば、せめて雇用の不安定さを社会保障が補わなければならない。
経済危機が起こったら自分や家族で対処してくれ、では問題は解決しない。
貧困を体験すると自死のリスクは高まる
最後のセーフティネットである生活保護も機能しているとは言いにくい。
生活保護という仕組みは「保護の捕足性の原理」というルールがあり、厳密に資産調査を実施する。
資産や収入、稼働能力、頼れそうな親族などの力を把握して、それでもなお最低生活が送れない場合に保護する。
そのため、家庭の経済状況や生活上のできごと、これまでの暮らしぶりを第三者の福祉課職員にさらし続けなければならない。
つまり、生活保護制度の主旨に従い、調査後に金銭を支給するため、もっともプライベートな部分に踏み込む。
生活保護は最後にたどり着くセーフティネットであるため、女性たちはこれまでに葛藤や喪失を体験し、心身の疲労も著しい。
そこでさらに根掘り葉掘り聞き取りしなければ、金銭が支給されないという制度的欠陥がある。
昔から貧困状況におかれた人の特性として、様々な生活課題を抱えているから自死に至りやすいと言われてきた。
例えば、相談者は健康や障害、就労、住宅等の課題が複雑に絡み合って、一人では解決困難な状態にある者が多い。
いわゆる多問題世帯とも呼ばれる。
それゆえに、貧困が人間の感情や行動に及ぼす影響も大きく、メンタルヘルスにダメージを与える。
要するに、生活困窮するということは、先の見通しが立たなくなって非常に大きな不安を抱えるということ。
その際に人間は無気力、自信喪失、自己否定感、怒りの感情などが湧いてきて、それが持続すれば精神疾患も発症するし、自死に至る。
だからこそ、女性だけでなく、人間全般に対して、貧困や生活困窮を経験させてはいけないのである。
これからも新型コロナ禍は継続していく。 長い闘い、長い道のりである。
これまでの雇用、社会保障、暮らしを振り返り、欠陥部分は柔軟に変更し、意識も変えながら生き抜いていきたい。
とにかく今は信頼できる人や第三者に辛さや苦しさを話してみる時期だ。
意外と助けてくれる仲間は多くいるものである。
安心して相談を打ち明けてほしい。 あなたは一人ではない。
「日刊ゲンダイ」2020/12/04
「勝負の3週間」と言いながら、かたくなに「Go To キャンペーン」を続ける菅政権。このままでは、新型コロナウイルスの感染拡大は止められそうにない。とくに気がかりなのが、「Go To トラベル」を利用した帰省だ。年末年始、感染が全国各地に一気に広がる恐れがある。
「Go To トラベル」は交通費のみでは対象外だが宿泊とセットにすれば成立する。旅行会社も〈Go Toを使って1泊だけホテルで実家に帰省〉〈新幹線+1泊以上の宿泊で帰省することもGo Toの対象です〉とPRしている。
1泊だけホテルに泊まっても、旅行代金の35%が値引きされ、15%分の地域共通クーポンがもらえるので、安く帰省できる場合があるのだ。実際、帰省に使う予定の人は相当数いるとみられ、大手旅行代理店は「年末年始にGo To トラベルを利用して帰省する方は多いですよ」と日刊ゲンダイの取材に答えている。
しかし、現在、第3波が猛威を振るっている。帰省によって地方にウイルスがばらまかれる可能性が高い。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏が言う。
「第3波は会食や職場などで感染した無症状者が同居の高齢者に感染させるケースが目立っています。一人暮らしでは家庭内感染の心配はありませんが、帰省すれば、実家で高齢の親と接する機会ができて、感染させるリスクは高くなります。家庭ではどうしてもソーシャルディスタンスは取れませんからね。最近、実家に帰省を考えている人からの相談が増えています。安心して親に会えるように、帰省直前にできれば2回、PCR検査を受けることを勧めています」
英スコットランドのセント・アンドルーズ大学では、クリスマス休暇に帰省を予定している学生に3日あけて2回検査するように求めている。帰省による高齢者感染を警戒しているからだ。
■年明け局地的ロックダウン
年末年始の帰省を経て、全国隅々まで感染が拡大すれば、地方は大変なことになる。感染を封じ込めるために、各地で局地的なロックダウンが行われ、介護施設や老人ホームが次々と封鎖される可能性がある。
各地で帰省クラスター――。第3波はさらに大きくなるのか。
****** ******
新橋駅前にPCR検査センター 2900円、唾液採取、翌日に結果
「東京新聞」2020年12月5日
JR新橋駅前に開業し、40人以上が並んだPCR検査センター=4日、東京都港区で
東京都港区のJR新橋駅前のニュー新橋ビル1階に4日、「新型コロナPCR検査センター新橋」が開設された。工務店や不動産会社などの「木下グループ」(東京都新宿区)の子会社が、医療法人の監修を受けて運営する。(宮本隆康)
木下グループによると、予約後にセンターで唾液を採取し、翌日に検査結果を通知する。唾液採取の時間は3分程度で、価格は2900円(税別)。同グループは検査キットの卸売りも手掛けていて調達コストが低く済み、工務店を営むため検査センターの設置費も抑えられ、検査価格を安価にできたという。
医療機関の検査証明書を発行する場合などは、医師のオンライン診断も受け付ける。企業向けに50人以上の団体の場合、検体を配送する方式でも受け付ける。団体は1人あたり2500円(税別)。来年1月には来店と配送を合わせ、1日に2万件の検査を目標にするという。
これから「移動」を考えている方はPCR検査を少なくとも2回、受けてください。でも、なるべくなら動かないほうが良いでしょう。
NIKEに日本社会の人種差別を批判する「資格」はあるのか?
ケイン樹里安 | 社会学者。「ハーフ」や海外にもルーツのある人々の研究。
YAHOOニュース(個人)12/4(金)
NIKEの広告「動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting.」が大きな注目を集めています。
まずはご覧ください。
動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting. | Nike
https://www.youtube.com/watch?v=G02u6sN_sRc
上記の広告では、アスリートであり学生でもある3名の女性が、人種差別を含む困難が埋め込まれた日常生活の困難に直面し、困難が解消される状況の到来を「もう待ってられないよ」と言いつつ、サッカーを通じて乗り越えていく、というストーリーが展開されています。
この広告は、日本社会のレイシズムを描き出してもいるために、賞賛から非難まで、さまざまな言葉が集まっており、そのこと自体の分析が進められつつあります(「話題のナイキ広告で噴出――日本を覆う『否認するレイシズム』の正体」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893)。
広告とは、主に自社の商品・サービスの販売促進を目的として構築されるものといえますが、上記のNIKEの広告に対しては、「なぜ日本社会の人種差別が取り上げられているのか」NIKEに日本社会の人種差別を批判する『資格』」はあるのか」という問いが寄せられています。
NIKEの広告に注目が集まり、その「資格」を問うようなコメントが現れていることについて、どのように考えればよいのでしょうか。
1.なぜ注目されたのか
なぜNIKEの広告にこれほどまでに注目が集まっているのでしょうか。
そこで、まずは「注目している日本社会の側」の状況について確認していきましょう。
まず、確認すべきことは、日本社会に人種差別は存在しており、そのことは法務省によっても明らかにされています(http://www.moj.go.jp/content/001226182.pdf)。
しかしながら、人種差別の実態が明らかであるにもかかわらず、その実態は否認――無効化・矮小化・個人への帰責化・抑圧――され続けられてきたことが、歴史的資料の分析および現代社会を生きる人びとへのインタビュー等によって明らかにされてきました(下地 2018,梁2020,ケイン2019ab・ケイン2020abc)。
つまり、日本社会のレイシズム(思考形式あるいは制度に組み込まれたものとしての人種差別主義および実際に表明される言動等)は、「否認するレイシズム」として立ち現れてきたのです。
否認するレイシズムの整理については、先ほどの論考を参照していただければと思いますが(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893)、その具体例としては、上記の論考が転載されたYahoo!ニュースのコメント欄にみられる、「日本に人種差別は存在しない」と主張するコメントや「人種差別の無い国はない(ので日本で人種差別が起こっても仕方のないことだ)」と問題を無効化・矮小化するタイプのコメント群が挙げられるでしょう(https://news.yahoo.co.jp/articles/ad414714ee9a72c753edfbbdc13ad28565b65e57)。
また、異なるパターンの典型的なものとしては、神戸市会議員・岡田ゆうじ議員による、現在は削除されたツイートが挙げられます。
本稿執筆段階で保存していた文章およびURLを含めて引用します(当該のツイートはすでに削除されていますが、複数のアカウントが岡田ゆうじ議員の以下の投稿を引用していたのでTwitter上で現在も閲覧することが可能です。必要ありましたら各自ご参照ください。なお、以下の文言の閲覧に際してはくれぐれもご注意ください)。
“神戸市会議員 岡田ゆうじon Twitter: "
というか、わが選挙区の垂水区に朝鮮学校があるが、チマチョゴリで通学してる子なんて、見たことない… #火のない所に差別 #NIKE #NIKEの印象操作に抗議する htn.to/3uJqVV4xgL )
岡田ゆうじ議員が「見たことがない」理由は、1990年代の「チマ・チョゴリ切り裂き事件」のように、チマ・チョゴリ制服を着用することが人種的・民族的差異に照準する暴力の対象となり「自由に着られない」状況があるからです(下嶋1994,そんい/早瀬2016)。
だからこそ、NIKEは日本社会の人種差別を取り上げるにあたって、チマ・チョゴリ制服を事例の1つとしたのでしょう。
岡田ゆうじ議員の投稿は、「チマ・チョゴリ切り裂き事件」によって、チマ・チョゴリ制服を着用することが人種的・民族的差異に照準する暴力の対象となる状況の否認(あるいは看過)であり、まさしく「否認するレイシズム」の典型例だといえます。
このように、レイシズムには、人種差別の実態を否認するタイプのものが存在するのです。
したがって、「否認するレイシズム」が現れる日本社会だからこそ、NIKEの広告は「注目されざるをえなかった」といえます。
2.資格と責任
さて、日本社会の「否認するレイシズム」の状況を踏まえた上で、NIKEに日本の人種差別を取り上げる「資格」はあるのか、という論点を取り上げたいと思います。
結論から述べますと、NIKEには、広告上だけではなく、自社、関連企業、取引先、商品の制作・流通等々のプロセス、顧客の日常で生起する人種差別と向き合う「責任」があると思われます。つまり、反レイシズムの「実行」が待たれています。
実行に際しては、ほかのマイノリティへの差別や抑圧を押し隠すように反レイシズムを掲げてはならないでしょう。
たとえば、この点に関しては、NIKEのダイバーシティ・マネジメント(ちぎりとられたダイバーシティ)の問題であるとして、渋谷区・宮下公園のホームレス強制退去への関与が批判されています(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893)。
さらに、NIKEは「ウイグル人の強制労働」に関与している懸念が報道されており、その実態解明と、事実であるならばグローバル企業のレイシズムに基づいた搾取ですので、ただちに取りやめるべきです(https://forbesjapan.com/articles/detail/33101)。
したがって、NIKEはNIKE自身のレイシズムを批判する「責任」があります。
その上で、NIKEには別の「責任」があります。日本社会の人種差別に批判的に取り組む「責任」です。
なぜでしょうか。
それは、日本が1995年に国際条約である人種差別撤廃条約に加入しているからです。
外務省によれば、人種差別撤廃条約とは、「人権及び基本的自由の平等を確保するため、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策等を、すべての適当な方法により遅滞なくとることなどを主な内容」とする国際条約です(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/index.html#:~:text=%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%9D%A1%E7%B4%84%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84,%E5%B9%B4%E3%81%AB%E5%8A%A0%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82)。
したがって、日本という国家には人種的・民族的差異に照準する差別を撤廃する政策や取り組みを、条約の文言通り「遅滞なく」実施する責任があります。
日本は、自ら人種差別撤廃条約に加入した以上、条約の規定に従って「すべての適当な方法」によって「いかなる個人、集団又は団体による人種差別を禁止し、終了する」義務があります(梁2020)。
さらに、外務省が明言するように、日本社会は、国や地方公共団体の活動に限らず、「企業の活動等も含む人間の社会の一員としての活動全般を指す」ものとしての公的生活(public life)における人種差別の撤廃に取り組む責任があります(https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/top.html)。
企業であるNIKEは、人種差別撤廃条約に加入した日本社会で事業を展開する以上、自社および関連企業の労働者と消費者の「人権及び基本的自由の平等を確保する」ために、あらゆる形態の人種差別の撤廃に取り組まなければ、日本という国家に批判される立場にあります。
したがって、NIKEには日本社会の人種差別を批判し撤廃に取り組む「資格」があるというよりも、その必要性や「責任」があるのです。
上記の点をふまえると、今回のNIKEの広告は、人種差別撤廃条約締約国・日本にとっては「遅すぎる」取り組みだとすらいえます。
もっと早期に、自らのグローバルな事業展開におけるレイシズムへの関与を絶ちながら、批判的に日本社会における反人種差別的な取り組みが展開されるべきだったのです。また、先ほども述べたように、広告を世に出して終わるのではない、取り組みが求められています。
そして、何よりも、NIKEの広告が目立ってしまうほどに、「否認するレイシズム」が浸潤する状況を看過し、人種差別撤廃の取り組みを怠ってきた日本企業は「遅すぎる」とただちに批判されるべきです。広告という商品・サービスの販売促進を目的として構築された映像作品ですら、ここまで注目が集まってしまうほどに、広告の3名の女性たちのように「そんなの待ってられないよ」と、不平等・不公正を前に口に出している――あるいは出せない――人々がいるのですから。
その意味で、すでに反人種差別およびほかの差別現象の撤廃に真摯に取り組んでいる企業はより積極的に報道されるべきでしょうし、評価されるべきだと思います。
しばしば、NIKEの反人種差別的な広告やその擁護、あるいは本稿のように意義を見いだしながらも批判も行う論考には、「分断をもたらすもの」というコメントが寄せられることがあります。
ですが、そもそも日本社会には「否認するレイシズム」をはじめとする多様な人種差別の形態と、それを維持させる不平等・不公正が埋め込まれています。
それこそが、人々を「分かち絶つ」契機をもたらすものですので、NIKEの広告に限らず、まずは可視化がなされるべきです。
それを「否認するレイシズム」のように否認することで、不平等・不公正を維持・再生産させることや、「わたしには関係のないことだ、仕方のないことだ、Not for Me」と「距離をとる」だけで、問題を無効化・矮小化するのであれば、NIKEの「資格」を問うために放った批判が、自分の身にただちに返ってくることになるでしょう。
そもそも、人種差別は、誰もが差別されないために勝ち取られるべき普遍的人権を侵害する行為の1つですので、誰もが批判を行う「資格」、むしろ「責任」があるといえます。
しかしながら、差別とは明白な意思をもった言動という側面だけでなく、差別を知覚できていないがために、不平等・不公正に巻き込まれるなかで「差別してしまう」メカニズムをも含みます。その意味で(本稿の執筆者も含めて)、いつでも/すでに、誰もが差別の当事者であり続けざるをえません。
ですので、他者の「資格」を問うばかりであるよりも、さまざまな差別に向き合い、自制しながら積極的に介入を試みるほうがより適切であるように思います。
また、「分断」という言葉には、不平等・不公正を後景化・不可視化させた上で「どっちもどっち」であるかのように捉えさせてしまう、厄介なニュアンスがあります。つまり、不平等・不公正によって不利益を受けやすい人々とそうではない人々へと、人々が「分かち絶たれていく」メカニズムや抑圧のありかたが、ますます見えにくくなるのです。
したがって、NIKEの広告を「分断をもたらすもの」と指摘する際には、その指摘自体が、広告以前に存在していた不平等・不公正を覆い隠していないかどうか、検討する必要があります。あるいは、そもそも、「分断」という言葉を、不平等・不公正を可視化できるような言葉へと、変えていく必要もあるでしょう。
そしてやはり、階層・階級、ジェンダー、セクシュアリティ、障害……といったように、個人はさまざまな社会的属性を付与されているために、直面する不平等・不公正の立ち現れ方は一様ではありませんので、そもそも「分断」という比喩は適切ではないように思われます。だからこそ、それぞれの不平等・不公正に可能なところから向き合っていく必要があると思います(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893)。
また、「分断」という言葉がもつニュアンスに注意を払うと共に、「日本人」という言葉が用いられるときも、やはり注意が必要だと思われます(「日本人感」とは何だったのかhttps://news.yahoo.co.jp/byline/keanejulian/20200627-00185269/)。
一方で、このNIKEの広告には、さまざまな多義性が込められています。
韓東賢氏が指摘するように、日本人女性、在日コリアン女性、ミックスルーツの女性、それぞれの抑圧された経験の差異が交錯する映像表現と、スポーツによって打破されるというスポーツ・ブランドとしては「巧い」ストーリー展開のかかわりをロール・モデルの必要性との関係から捉えるプロセスが求められます(韓2020)。
その広告としての「巧さ」が、広告の最後に登場する“You Can't Stop Us”のUS(わたしたち)と、スポーツという個人の身体技法が問われざるをえない身体実践が結びつくことで生まれる緊張関係にかかわる論点、そして、そもそも企業にだけ反人種差別を委ねてしまっていてはならないという論点をも提起していますが、この論点については別稿が必要となりますので、本稿はここで筆を置くことに致します。
【参考文献・引用順】
・下地ローレンス吉孝,2018,『「混血」と「日本人』――「ハーフ」「ダブル」「ミックス」の社会史」青土社.
・梁英聖,2020,『レイシズムとは何か』ちくま新書.
・ケイン樹里安,2019a,「『半歩』からの約束――WEBメディアHAFU TALK(ハーフトーク)実践を事例に」
『現代思想(特集 新移民時代――入管法改正・技能実習生・外国人差別)』.
・ケイン樹里安,2019b,「ハーフにふれる」ケイン樹里安・上原健太郎編『ふれる社会学』北樹出版.
・ケイン樹里安,2020a,「共に都市を歩く――『フィリピン・ハーフ』かつ『ゲイ』の若者のアイデンティティの軌跡」『都市問題』
・ケイン樹里安,2020b,「『人種差別にピンと来ない』日本人には大きな特権があるという現実」『現代ビジネス』
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73518)
・ケイン樹里安,2020c,「話題のナイキ広告で噴出――日本を覆う『否認するレイシズム』の正体」『現代ビジネス』
(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77893)
・下嶋哲朗,1994,「チマ・チョゴリ切り裂き事件」を追う――日本人は変わらないか」『世界』(601).
・そんい・じゅごん/早瀬道生,2016,『きゃわチョゴリ――軽やかにまとう自由』トランスビュー.
・韓東賢,2020,「日本人、在日コリアン、ミックスルーツの少女たち――「NIKE」PR動画に見る今ここのリアルと可能性」
Yahoo!ニュース(https://news.yahoo.co.jp/byline/hantonghyon/20201202-00210495/)
ケイン樹里安
社会学者。「ハーフ」や海外にもルーツのある人々の研究。
社会学者。「ハーフ」をはじめとする海外に(も)ルーツのある人々が直面する問題状況や日常的実践について研究。日本社会における日常の人種主義や人種差別について、インタビュー、エスノグラフィー、メディア表象分析といった方法でアプローチしています。『ふれる社会学』(北樹出版)共編者。HAFU TALK(ハーフトーク)共同代表。
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ナイキCMへ批判殺到の背景にある「崇高な日本人」史観
古谷経衡 | 作家/文筆家/評論家12/3(木) 12:05
ナイキジャパンが製作したPR動画、”動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting.”が、摩訶不思議な批判を受けている。
動画の再生回数は同社の公式ユーチューブサイトで約1000万回(20年12月3日現在)に迫るが、その中で日本人ユーザーのものと思われる批判コメントの殆どが所謂「ネット右翼」と呼ばれる層によるもので、「日本には人種差別は極めて少ない(よってこのCMはけしからん)」「日本に朝鮮人差別は無い、あったとしても理由があるから」「ナイキは反日企業だ、もう買わない」「朝鮮総連が日本人拉致に関与している事実をナイキは知っているのか」などと言ったコメントが多数を占めている。
このPR動画には主に3人の少年少女が登場するが、その中の一人は在日コリアンとみられ、チマチョゴリ姿でうつむきながら街を歩く様子や、恐らくそのエスニシティが理由で学校で「いじめ」にあっているさまが描かれている。嫌韓・反在日コリアンを金科玉条とする日本のネット右翼は、おそらくこの部分の描写が特に気に食わなかったのだろう。要約すれば今次のナイキCMに対する彼らの反応は、
・日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ないのに、ナイキのPR動画ではあたかも日本でも欧米同然の在日コリアンに対する人種差別が行われているような風潮を惹起させ、日本全体のイメージを貶めている
というものである。筆者は約10年間に亘ってネット右翼を観察し続けてきた。そればかりではなく、ネット右翼の世界に身を置いて言論活動を行ってきた経歴がある。その私からして、彼らがなぜナイキのPR動画にここまでの拒否反応を示すのか、の理解は容易い。一言で言えば、日本人は欧米人とは違って、人種差別などを行わない崇高な民族である、という「崇高な日本人史観」が背景にあるからである。これはどういうことだろうか。
・「崇高な日本人」史観の嘘と、日本での人種差別の実例
まず、ナイキのPR動画に寄せられた否定的なコメントの中にある、上記の、日本では欧米のような人種差別問題は極めて少ない~というのはまったく事実ではない。2002年頃から勃興したネット右翼の中でも、街頭に出てデモ活動や示威行為等を行う行動派を「行動する保守」と分類するが、この行動する保守の筆頭格が、『在日特権を許さない市民の会』(以下在特会)である。
在特会は2006年に公式に設立され、初代会長は桜井誠氏であった。在特会は関連団体等と共に関東や関西の韓国・朝鮮関連施設に押し掛け、ヘイトスピーチを行うことにより多数の逮捕者を出し、民事的不法行為を犯した。まさに公然と日本に居住する他民族を貶め、差別し続けてきたのが彼らなのである。特記すべき有名な事件は以下のふたつである、
1)京都朝鮮学校襲撃事件(2009年)
京都市南区の京都朝鮮第一初級学校に在特会メンバーらが押しかけ、「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「スパイの子ども」などと絶叫し、事実上同校を襲撃した事件。当時校舎には100名を超える児童がいた。2013年には京都地裁がこの襲撃事件を「人種差別」と認定し、在特会側に約1200万の賠償命令を出した(確定)。またこの襲撃事件に関与した人員4人らは侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪等で逮捕等され、有罪判決が出た。
2)李信恵氏中傷事件(2017年)
在日コリアンでライターの李信恵氏に対し、在特会関係者が「不逞(ふてい)鮮人」などの人種差別を繰り返したとして、2017年に最高裁が在特会側に約77万円の賠償命令を出して二審の高裁判決を支持し、判決が確定した。ヘイトスピーチをめぐる個人賠償では初めての画期的判例が確立された。
このほかにも、在特会を筆頭とした大小の「行動する保守」のグループが、東京・新大久保や神奈川県・川崎市、大阪・鶴橋などで「朝鮮人を叩き出せ!」「いい朝鮮人も、悪い朝鮮人も、みんな殺せ!」
(*本稿中では、ヘイトスピーチやヘイトクライム根絶への願いから、文中に事実通りの差別的文言を引用しております)
などの数多のデモ行為、街宣活動を繰り返してきたことは紛れもない事実で、日本では欧米のような人種差別問題は極めて少ない~などというナイキPR動画への反論は重ね重ねまったく事実ではないことがわかる。
こういった国内の深刻な状況から、2016年に所謂”ヘイト規制法(ヘイトスピーチ解消法)”「正式名:本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」が成立されたことは記憶に新しい。日本に人種差別問題がないのなら、ヘイト規制法など立法しなくても良いはずだが、現実にはその逆の事が進行しているから同法が立法されたのである。そして前述したとおり、日本における在日コリアン差別の前衛となった在特会会長の桜井誠氏は、同会から独立する形でその後『日本第一党』を結成し、その党首に就任。2020年東京都知事選挙に党首自らが出馬し、落選したものの都内で約18万票を獲得した。
むろん、同知事選挙で桜井誠氏に投票したすべての有権者が桜井氏の過去における人種差別に賛同していたわけではないだろうが、その多くが桜井氏への同調票であると考えるのが自然である。「朝鮮人を叩き出せ!」と絶叫していた党首に、東京都という日本総人口の1割に過ぎない地域を例にしても、約18万人の支持者が存在するという事自体、如何に日本で人種差別が激しく、またそれは「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」という言説が如何に虚偽であるかを物語っている。
・「崇高な日本人」史観とは何か?
さて、このような事実を例示しても、なおもって彼らが「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」と言い張るのは何故か。ひとつは、「愛国無罪」の原則がある。要するに、韓国や朝鮮は反日行為をしているのであるから、それに対抗するのは差別ではない―という論調である。もし仮に、百歩譲って韓国政府や北朝鮮が所謂「反日」行為なるものをおこなっていたとしても、それは相手の政府の方針であり、日本に居住している個人の在日コリアンを差別・迫害してよい理屈にはまったくならないのは自明である。
もうひとつは、これこそ本稿の主眼であるが、「崇高な日本人」史観の存在である。要するに、日本民族は世界一道徳的で礼儀正しく、よって不道徳な行いや野蛮を行わない。つまり、多民族への差別などやったことは無い―とする世界観である。これはネット右翼が依拠する日本の保守界隈でも根強く信奉されている価値観で、私はこれを「凛として美しく」路線とも呼んでいる。
つまり日本人は崇高で美しいから、略奪・強姦・差別その他の不道徳行為を現在でも過去にでも一切やってこなかったとする史観で、実はこれが日本の保守派に代表される「南京大虐殺否定」「従軍慰安婦否定」論にダイレクトに結びついている。
1)現在でも、過去においても、日本人は崇高で道徳的で美しいので、中国人(当時の中国国民党軍・民)を野放図に虐殺することなどありえない事である(南京事件否定)
2)現在でも、過去においても、日本人は崇高で道徳的で美しいので、欲望をむき出しにした戦時性暴力など行う訳はないのである(慰安婦否定)
このような論がこの国の保守、ネット右翼界隈では「常識」になっているが、すべての根源は「崇高な日本人」史観の存在だ。南京事件に関しては、中国側犠牲者数の算定数に開きはあるものの、秦郁彦氏ら実証史学者の研究によって虐殺自体は存在したことが史学界の定説になっている。そして従軍慰安婦については議論の余地なく、戦中に彼女らを日本軍が管理し、あるいは彼女らの意に反して売春に従事させ苦痛を味あわせたことは、日本政府が河野談話(1993年)で事実を認め謝罪して以来、歴代内閣が踏襲している歴史的立場である。「崇高な日本人」史観とは、まったく砂上の楼閣、机上の空論に過ぎないのである。
更には保守界隈、ネット右翼界隈で盛んなのはこれに加えて「日本人が人種差別に立ち向かった」とする一種の神話がまかり通っていることだ。この中で必ず出てくるのは、第一次大戦後のパリ講和会議(1919年)で、戦勝国となった日本が当時の国際連盟に提出した「人種的差別撤廃提案」である。つまり第一次大戦後、戦勝5大国(米英仏伊日)のなかでの唯一の有色人種が日本であった。日本は当時とりわけ欧米で根強かった(黄禍論等)有色人種への差別撤廃の為に講和会議でこの事案を持ち出したが、他の列強に拒否されて沙汰闇になった…という事実である。これを保守派やネット右翼は「必ず」といってよいほど「崇高な日本人」史観の中に登場させ、「日本民族こそが差別撤廃を願った」として、日本人の道徳性と正義感、ひいては無差別性を強調しているのである。
いかにも、パリ講和会議で日本が「人種的差別撤廃提案」を出したことは事実である。が、その当時(1919年)、日本は朝鮮半島と台湾等を植民地支配し、国際的には「人種差別撤廃」を謳っていたが、実質的には他民族を服属させ、支配していた。要するに1919年の日本政府による「人種的差別撤廃提案」は政治的ポージングに過ぎず、実際は人種差別を主張する当事者である日本が他民族への搾取と差別を行っていたというに二枚舌・矛盾を解決できないでいた。そして昭和の時代に入り、大陸侵略を目論む日本軍部・政府等は満州事変を経て「同じアジア人」である中国侵略と、「大東亜共栄圏」の下、東南アジアの被欧米植民地へ軍を進めていったのは既知のとおりである。
・差別をしない日本民族、のウソ
事程左様に、「崇高な日本人」史観とは、全く根拠のない空想であると喝破せざるを得ない。そもそも日本民族は、明治国家建設以前の近世期に於いてさえ、「他民族」たるアイヌ等への圧迫(土地・権益略奪)と搾取(不当交易)を繰り返してきた(江戸期・松前藩等)。そういった歴史的な日本人の差別(加害者)の事実がありながら、「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」というのは、全くの妄想・歴史改変でしかない。また更にさかのぼれば、戦国の世が終わって琉球王国を薩摩藩が服属させ、明を経て清朝との二重朝貢国としながらも実際は日本の服属地としておいた数次の「琉球処分」を如何に見做すのか。「崇高な日本人」史観にはその答えが全く無い。
このような厳然たる事実を以てしても、ナイキPR動画への反発は止まることを知らない。「日本には欧米のような人種差別問題は極めて少ない~」という彼らの主張は、ナイキPR動画への反発の主軸を占めるに至っていると観測する。最終的に筆者は、こういったナイキCMへの反発の声が主に日本国内における「ネット右翼」から発せられている点を鑑み、彼らの思想背景を次のように結論する。
1)ネット右翼は私の調査・研究の通り概ね「中産階級・高学歴」であり、であるからこそ順法精神が高く、不道徳な行い、反社会的な行為を嫌う傾向がある
2)1)の如くネット右翼はいわば比較的恵まれた環境の中で育ち、恵まれた環境で温和で同質的なコミュニティの中で生きてきたので、元来「他民族を差別をする」という概念が、事実であってもその認識に於いて希薄である
3)2)に述べたように、実際に彼らは民族差別を行っているが、それは「日本社会における秩序の維持・回復」に眼目が置かれており、それが差別だという認識は無い(差別を区別と言い張る)
という、3点に尽きる。つまりナイキCMに反発するネット右翼層は「中産階級の温室育ちで、異質な他者との共存や、それによって起こる摩擦をあまり経験してこなかった”社会的優等生”」であり、それが故に欧米の人種差別問題と日本でのそれが同一にされることを嫌う。
つまり彼らは、その出自が社会的に優遇された中産階級の出身者によって寡占され、過酷な差別や民族対立を身近で感じてこなかったからこそ、「日本社会には人種差別は少ない」と言い切れるのである。これは彼らのいわば「温室育ち」に依拠する実体験がそうさせている。これが論拠に、おおむねネット右翼はタトゥーや反社会的な団体とのつながりを殊更禁忌し、「反日的」と言い換えている。驚くべきことに、私の実体験で言えば、ネット右翼層には所謂「お嬢様」育ちや「お坊ちゃん」育ちの優等生が多い。しかし実際は、そういった差別などの不道徳が、自ら及びその周辺で行われているという事実を完全に無視している。その無視の理由とは、「崇高な日本人」史観に代表される「日本人こそ世界で最も崇高で道徳的な民族である」という歪んだ思想が背景にある。
ナイキCM問題は、単なる世界的大企業のPR動画への反発では済まない、日本の保守層やネット右翼に地下茎のように張り巡らされた「崇高な日本人」史観をあぶり出しているように思える。これを解消しない限り、日本に居住する他民族への圧迫や差別は平然と「差別でなく区別」と正当化されて継続されるだろう。そしてこのような、「日本人こそ世界で最も崇高で道徳的な民族である=日本に差別などない」という主張を主眼とした書籍や雑誌が、書店で平然と平積みされているとき、私たちはナイキPR動画の持つ意味の重さを痛切に感じざるを得ない。(了)
1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コアマガジン)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』(イースト・プレス)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。
今日は長くなりましたので私のことはやめておきましょう。
東京新聞 2020年12月2日
【寄稿】 白田佳子・東京国際大学特命教授
井上信治科学技術担当相は11月26日、日本学術会議の梶田隆章会長らと会談し、学術会議を国の機関から切り離すことも検討するよう要請した。会議を非政府組織(NGO)や民営化にした場合、日本の科学アカデミーにどんな問題が生じうるのか。学術会議元幹事で、アジア学術会議元事務局長の白田佳子(しらたよしこ)東京国際大学特命教授は、東京新聞に寄稿し「国際学術会議やアジア学術会議への参加が困難になり、日本社会の未来にとっても大きな危機になる」との懸念を示した。
寄稿文は次の通り。
◆「ナショナルアカデアカデミー」の意義
日本学術会議に関わる議論が、「任命拒否」問題から「学術会議を国から独立させる」方向へかじが切られ始めている。
井上科技担当相が、学術会議との会談後に、この「独立」について口にしたがそもそも政府の思惑は、当初から任命の問題ではなく、この「独立」にあったのではないか。
学術会議が「ナショナルアカデミー」として、省庁を超え、直接、政府への提言を行うことの意義や効果が、政府だけでなく、国民にもきちんと伝わっていないと感じる。そこで、少し目線を変え「ナショナルアカデミー」の果たしてきた役割にまず言及したい。
◆世界的な科学者組織
科学者組織には、国内だけでなく、世界的な科学者組織が存在する。大学等の研究者が、個人の研究成果を公表し、業績を積むための「学協会」と呼ばれる機関とは異なり、世界の科学者組織は、国境を越え、地球のあるべき姿を、科学者の視点から、議論する場として設けられてきた。
具体的にどんな機関があるか。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、加盟国における教育、科学、文化の協力や交流を通じ、国際平和と人類の福祉の促進を目的として、国際連合の専門機関として設置された。
国際社会科学協議会(ISSC)は、ユネスコの支援で設立。自然科学分野では、各国の学術機関や、自然科学に関する国際的な学会連合を、相互に連絡調整する組織として国際研究協議会(IRC)が作られ、31年に改組されて、国際学術連合会議(ICSU)ができた。
2018年に、ISSCとICSUは、統合され、人文社会科学から自然科学に至る全ての科学者が一堂に会する国際学術会議(ISC)が設置された。これは、地球温暖化など、あらゆる領域における科学者が、分野を超えて人類の福祉に貢献するために、地球のあるべき姿を共に考えていく必要性がより重要となってきたからだ。
ISCとは別にナショナルアカデミーのみで構成されるIAP(Inter Academy Partnership)と呼ばれる国際機関がある。IAPは、100カ国140以上の科学者組織から構成され、主に政策提言や科学教育の振興、保健衛生の向上など、重要テーマについて各国政府に対し、科学的な助言や勧告をおこなう。
◆学術会議が非政府組織になったら◆
日本の学術会議は、1996年にIAPに加盟して以来、積極的に活動に参加し、執行役員も派遣しており、日本の存在感は十分、加盟各国に認識されており、2017年には、学術会議においてIAP主催による「持続可能な社会のための科学と技術に関する国際会議」も開催された。
今後、井上科技相が指摘するように、学術会議が「国から切り離され」、国の機関でなくなった場合、日本には、政府直下のナショナルアカデミーが存在しないことになる。そうなると、どのようなことが起きるのか。
IAPのようなナショナルアカデミーのみが会員となることができる国際機関から、まず、日本は脱退しなければならない。その場合、日本政府は、学術会議の替わりとなる組織を内閣府内に置き、日本政府として、世界の科学アカデミーに意見を発信し続ける必要がある。その場合、政府は、優れた意見を発信できる科学者組織を、政府内にどのように再編成するつもりなのか。
国際アカデミーの1つにアジア諸国をとりまとめているアジア学術会議(SCA)がある。これまで紹介してきた国際科学者組織と最も異なる点は、アジア学術会議の事務局が、日本学術会議内に設置されているという点だ。
米国の全米科学アカデミーや英国の英国王立協会などは、政府から独立しているため、ユネスコやIAPなどには、加盟できない。米国や英国などは、これらのアカデミーとは別に政府直轄の機関を作って対応している。
学術会議を「国から切り離した」場合、国の機関として位置付けられる学術組織がなくなるため、日本はIAPやアジア学術会議、ユネスコなどに、これまでのように加盟し、リーダーシップを発揮できなくなる。
◆日本が主導して築いたアジア学術会議◆
アジア学術会議は、アジア18の加盟国の大統領、首相などの直下にある32のナショナルアカデミーによって構成され、各国の政府への政策提言を行う機関だ。
この起源は、日本の学術会議がアジア地域の各国との科学技術による連携を図る目的で立ち上げた「アジア学術会議―科学者フォーラム―」であり、2000年に改組し、設立された。
毎年行われる大会は18の加盟国が持ち回りで開催し、主催国の代表を会長、次期主催国の代表を副会長とする事が定款で定められている。
一方、実質的な運営を全て担っているのは、アジア学術会議分科会委員である学術会議の会員たちだ。私自身が、事務局長だった2011年から2014年の間に7カ国9つのナショナルアカデミーが新規に加盟、アジア開発銀行副総裁に、大会に参加してもらい、基調講演を行うなど規模も拡大した。
未加盟国へのアプローチは当該国の大臣や首相を訪問し、アジア学術会議の趣旨、活動意義など、詳細を説明させてもらうところから始まる。各国の大臣などとの会談は、事務局が日本政府(内閣府)直下の学術会議に設置され、事務局長が日本学術会議の会員(分科会委員長)であることから可能となっている。
◆地球を守る取り組みを議論する重要な場
学術会議が、民間や非政府組織となれば、その代表者が、当該国を訪問し、大臣との面談を行うのは当然困難になる。学術会議が離脱して、アジア学術会議の事務局を他国へ移転、または組織変更する場合には、加盟18カ国が集まり総会での審議が必要となる。
国家間の交渉含め、内閣府や現地大使館も、学術会議と協働してきたが、膨大な事務局作業を引き受ける国が他にあるのだろうか。井上科技相は、こういった点を踏まえて発言しているのだろうか。
アジア学術会議の定款には「登録は、国単位である」(定款1.1)と規定され、メンバーの組織は当該国の科学者組織を代表するナショナルアカデミーでなければならない。
もし、学術会議が「国から切り離された」機関となれば、当然に、アジア学術会議のメンバーの資格はなくなる。日本が立ち上げ、リーダーシップを発揮し、アジア諸国の連携を図ってきた、アジア学術会議自体の存続にもかかわる重大な危機だとして、再び、世界各国の科学者からも批判を浴びるだろう。
アジア諸国の近年の発展は目まぐるしく科学面でも日本が見習う点は多い。現在議論が進んでいるSDGsについても、アジア学術会議では、すでに2014年には「地球の未来をみすえて(Future Earth)」をテーマに大会を開催、提言を公表した。科学の成果を社会へ還元することは科学者の使命だ。
アジア学術会議は、アジア諸国の科学者が連携し、政治では、解決できない問題、地球を守る取り組みを議論する重要な場だ。アジア学術会議はもとより、世界の科学者が地球を守るために続けてきた真剣な議論に、日本が参加できなくなることは、日本社会の未来にとっても大きな危機になるのではないだろうか。
白田佳子(しらた よしこ) 東京国際大学特命教授、博士(経営学)、会計学者。専門は、企業倒産予知、経営分析で倒産予知モデルSAF2002モデルの開発者。ほかに現在、ファミリーマート社外監査役、法務省法制審議会委員、東京国税局土地評価審議会会長などを務める。元日本航空国際線客室乗務員。日本学術会議の関係では、2008年9月~14年9月学術会議会員、第一部経営学委員会委員長。11年4月~12年10月、学術会議幹事、11年10月~14年2月アジア学術会議事務局長。
本格的な冬の到来である。
窓に咲く氷の花。
アツアツの缶コーヒーと甘酒。
市川哲史2020.12.2 11:32dot.
BABYMETAL。現在はSU-METALとMOAMETALの2人編成となっている(写真/GettyImages)
BABYMETALの『NHK紅白歌合戦』初出場が発表されて以来、一部ネット界隈がかしましい。はい、ベビメタの紅白出場に対する「いろんな危惧」論争です。
いわく、<アイドル枠としての出場ならば、演歌歌手のバックで踊らされるのではないか>。いわく、<NHK十八番の勘違い演出で、ベビメタならではの「あの」世界観が台無しにされるかも>。いわく、<短縮ヴァージョンとか紅白スペシャル・メドレーを歌わされた日には、せっかくのベビメタ楽曲の緻密な様式美と圧倒的なダイナミズムが台無しにされるぞこら>。とか。
思い出せば4年前――海外メタル・シーンでの華々しい実績と共に「凱旋帰国」して、国内四大フェスと東京ドーム2daysを成功させたものの、紅白は落選した2016年は真逆の反応だったはずだ。いわく<アイドルに矮小化されるぐらいなら、選ばれなくて正解>だの、いわく<福山(雅治)にセカオワにPerfumeに星野源と、所属事務所枠オーバーの犠牲になった>だのと、屈折した憤りと負け惜しみ各種が懐かしい。
出場しても落選しても、文句を言わずにいられない。そうなのだ。BABYMETALのファンはかなり複雑なのである。私も幾度となく炎上の憂き目を見てきた(←あからさまな、燃やされる気満々)。
BABYMETALの公式ラベリングは《メタル・ダンス・ユニット》だが、そもそもは某多人数女子グループアイドルから「たまたま」派生した課外活動ユニット。「どヘヴィメタル・サウンドをバックに激しいダンスとかわいい歌詞を全力かつストイックに歌う、年端のいかぬ三人組女子アイドル」という、単純明快な<アイドルとメタルの融合>ギミックがお題目だけれど、要はおそろしくざっくりとした企画物の一つだったに違いない。
ところが制作陣の、おそらく面白半分で発車したはずのメタル魂に歯止めがかからなくなり、楽曲も演出もとにかく凝りに凝りに凝りに凝り始める。結成3年目には超絶技巧派メタル職人バンドがライブで生演奏を担うに至り、本気で<ヘヴィメタル・アイドル道>を邁進する羽目になった。数奇な運命。しかし、“ギミチョコ!!”のMVがYouTubeで2000万回以上も再生――しかも内1500万回が海外ユーザーという、日本より海外の方が激しく反応したのだから、笑うしかない。結果、メタル・ゴッドたちのオープニング・アクトや有名メタル・フェスに引っ張りだこのみならず、全世界で数千人規模の会場をソールドアウトできる「本物」になってしまった。
2013年夏の《キツネ祭り@目黒鹿鳴館》で初めて目撃して以来、ずっと定点観察してきて思うベビメタの成功要因は、いろんな意味で<本気のマニア仕様>だったことに尽きる。
アイドル的には、いくらメロディーがポップでもあの速くて厚くて重くて複雑な<ヘヴィメタルの樹海>的楽曲を、全編キレっキレのフォーメーション・ダンスで完全支配する彼女たちの凛々しさは、感動的ですらある。しかもツインテール&ニーソックスが似合う童顔とくれば、ロリータに敏感な外国人はなおさらぐっときちゃっただろう。
メタル的には、一切妥協することなく「本物」を追求してきた姿勢と実績が、メタル村の信頼を勝ち取った。本気の世界観を「これでもか」と構築して見せないと説得力に欠けるし、我々のような村外の者もこれだけ面白がることはできなかったはずだもの。
そういう意味では、BABYMETALとは極めて<日本人ならでは>の作品である。
たとえばK-POPなら、「ここをこうしたらもっと売れる」的な工夫の蓄積がBTSに世界規模の商業的成功をもたらした。しかしベビメタにおける「ここをこうしたらもっと面白い/笑える」的な追求の偏執さこそが、まさにJ-POPらしさを象徴している。売れることよりも機能性よりも、<マニアックであること>に至上の喜びと価値を見いだしてしまう我々日本人の、愛すべき本末転倒っぷりを自画自賛したい。積極的に。
というわけでベビメタは素晴らしい。ついでに言えば、たぶん<アイドルに免疫のない元洋楽少年>である30代後半以上のメタルおじさんたちにとって、初めて遭遇したアイドルが自分が若かりし頃熱狂したヘヴィメタルをハイスパートに歌い踊る可憐なベビメタだったら、そりゃ心奪われて当然だろうし――。
なんてBABYMETAL論を書く度に、<ファンをロリコン扱いするな!><ヘヴィメタルの復権という志を理解できないのか!!><メタルを演るアイドル、としか理解できないこの権威主義者!!!>といちいちディスられるから、面倒くさい。今回の紅白出場に対して懸念を抱きまくってるのもたぶん、メタル村の住民かと思われる。
ケツの穴が極小すぎる。普通に出場すればいいじゃないか。
神バンドの達者な轟音生演奏をバックに歌い踊るベビメタを初めて見たとき、私は衝撃を受けた。なんだかよくわからないけど口角が上がってしまった。そんな独自のファースト・インパクトをお茶の間にぶつけさえすれば、それでいいと思う。正直、ここ数年の<来日アーティストもどき>戦略の功罪で、市井で生活している人びとはほとんどベビメタを知らないのだから、やったもん勝ちだ。普通に出ればいいのだ。自分の出番だけ最初に演ったらとっとと帰ったり、別の場所から中継したりする姑息な出演パターンは、かえって世界観が矮小化するぞ。
逆に演歌勢を見習うのはどうだ。演歌の人たちはここ数年、まったく楽曲に合わない無意味な演出を強いられている。歌う本人の死角で武闘や舞踏を集団パフォーマンスされるのは当たり前、天童よしみですら本田望結に踊られたりMattにピアノ伴奏されたりと散々だ。香西かおりなんか、「踊りド素人」の橋本マナミに堂々とダンスされた。しかしBABYMETALの圧倒的な世界観とパフォーマンスをもってすれば、後ろでけん玉ギネス世界記録に挑戦されたってどってことない。
ちょっとやそっとじゃ揺るがない世界観だから、紅白ベビメタを見逃すな。
ちなみに個人的には、純国産のベビメタと韓国製のNiziUを見て日韓ポップ観を比較するのが、今年の大みそかのひそやかな楽しみだったりするけれど。
◎市川哲史(いちかわ・てつし)
音楽評論家。1961年、岡山県生まれ。80年代から、音楽誌『ロッキング・オン』などで執筆活動を開始。同誌ではX(当時)やBUCK-TICKなど後にビジュアル系と呼ばれるバンドをいち早く取り上げた。独立後は『音楽と人』編集長を経て、2005年に『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』などを上梓。現在は音楽誌『ヘドバン』で「市川哲史の酒呑み日記 ビヨンド」を連載中。
ひょっとしてYUIメタルが復帰するかも?やっぱりこの3人でなければ面白みが半減する。そんな淡い期待を抱いている。
今、テレビを見る環境になく残念。
受信料を払うといっているのにNHKが拒否している。
ちょっとアンテナの向きを変えるだけのこと。
こんなこともやってくれない、皆様のNHK。
何様!
Imidas連載コラム 2020/12/01
ハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ問題が大きく報じられたのは2017年。その直後、「#MeToo」のうねりが爆発的に世界に広まり、これまで沈黙を強いられてきた女性たちが被害を語り始めた。同年、伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之氏による性暴力を告発。翌18年は財務省事務次官の女性記者へのセクハラが注目を集め、写真家のアラーキーこと荒木経惟氏がモデルの女性に告発された。
18年8月には東京医科大学で女子受験者が一律減点されていたことが明らかになり、年末、著名なジャーナリストである広河隆一氏が続けてきた性暴力が大きく報道された。その翌年の19年は『SPA!』(扶桑社)の「ヤレる女子大生ランキング」が批判を受け、4月、性暴力への無罪判決が続いたことに対して初の「フラワーデモ」が開催される。
最近では幻冬舎社員、箕輪厚介氏のセクハラ報道が記憶に新しい。
これらは氷山の一角だと思う。実際、私の周りでは「次はあの人では」なんて話がゴロゴロある。出版やメディアの世界でもセクハラは当然はびこり、複数の知人が同じ男性から全く同じ被害に遭っていたりする。その男性は今も普通にテレビに出ているが、内心ヒヤヒヤしているだろう。
さて、そんなことを書いたのは、2020年11月13日、2人の女性が裁判を起こしたことを知ったからだ。裁判を起こしたのは鈴木朝子さんと木村倫さん(両者とも仮名)。報道などによると、2人は同じ男性に被害に遭っていた。その男性は社会福祉法人の理事であり、内閣府の障害者政策委員をつとめ、18年には障害者自立更生等厚生労働大臣表彰を受賞した北岡賢剛氏(62歳)。鈴木さんは北岡氏が理事長をつとめる社会福祉法人「グロー」で働いており(現在は退職)、木村さんは北岡氏が9月まで理事をつとめていた福祉法人「愛成会」の女性幹部。どちらの法人も、障害者アートの振興に取り組んでいた。一体、何があったのか。
「仕事の関係者との懇親会で北岡氏に頻繁にお酒を勧められ、ひどく酔いました。目が覚めるとベッドの上に寝かされていて、上半身は服を脱がされていました。その日は生理で生理用のショーツをはいていたため、北岡氏は性行為に及ぶことを諦めたのだと思い、同時に下半身を覗かれたのだと思いました。目が覚めた時には北岡氏は下着姿でイビキをかいて寝ていました。あまりのことに動揺し、すぐにその場から逃げました」
「それから半年以上、北岡氏は仕事関係の人に『木村さんはいい胸をしている』と言いふらしました」
この言葉は提訴から3日後、オンライン記者会見で被害女性の一人、木村さんが述べたものだ。ここで「『愛成会』と『グロー』の性暴力とパワハラ被害者を支える会」の記者会見資料も参照しながら、それぞれの被害について触れたい。
木村さんは07年から愛成会で働き始め、10年以上にわたって被害に遭ってきたという。
移動の際、タクシーに同乗するとお尻を触ってくる。「やめてください」と手を払いのけるとその手を握ってくる。12年には、前述した「酔わされて上半身裸にされる」事件が起きる。その後も北岡氏は下ネタ発言をしたり、女性職員にマッサージを強要するなどさまざまなハラスメントを繰り返す。幹部に再三相談したが、「北岡氏が絶対だから」などと言われるばかり。北岡氏自身、「真面目なことをしたら不真面目な言動をしないと気持ちを真ん中に戻せない」とよく口にしており、男性幹部もその言い分に同調していたという。それだけではない。北岡氏に逆らうと、仕事上必要な打ち合わせから外されるなどのパワハラがあったという。
鈴木さんは12年からグローで働き始め、19年8月に退社。北岡氏からのセクハラは働き始めて半年後には始まっていた。「ホテルに来ないか」と誘われたり、ショートメールで「好きだ」と言われたり。嫌だったが、仕事を続けるために「慣れなければ」という思いがあったという。
そうして14年、「事件」は起きる。東京出張の際、北岡氏のホテルの部屋で他の職員も参加する「部屋飲み」が開催された。この部屋飲み、出張の定番だったようで、参加しないと何度も連絡が来るなど断れない雰囲気のものだという。そんな部屋飲みが終わり、それぞれが部屋に戻る時、北岡氏は鈴木さんに仕事の話があるから残るように声をかけた。最初は「職業人としてどう生きるか」など話していたものの、突然抱きつき、押し倒されたという。その後、ブラジャーを下げられて胸を舐められ、性器に指を入れられた。慌てて布団でガードすると、上から抱きついてきたという。必死で堪えていると、イビキが聞こえてきて、なんとか逃れたという。
その後、北岡氏は鈴木さんに「合意の上だよね」「墓場まで持って行ってね」と口止めのようなことを要求する。しかし、翌年の東京出張の際、北岡氏はまたしても部屋飲みの後に鈴木さんを「仕事の話がある」と引き止める。
「私も帰ります」と言ったものの、「仕事の話をするんだよ」と理事長に言われれば従うしかない。が、北岡氏は鈴木さんにキス。怒った鈴木さんが部屋に戻ろうとすると、追いかけてきた北岡氏が鈴木さんの部屋に飛び込んでベッドにダイブ。廊下に出て無視し続けると、やっと部屋に戻ったという。
あまりの下劣さに、ただただ言葉を失う。
2人はこんな上司のハラスメントに晒され、不眠になったりPTSDと診断されたりしている。鈴木さんは退職を余儀なくされ、木村さんも法人内での立場を脅かされている。
会見の最後に「なぜ訴えたか」と話した2人は、ともに仕事への情熱を語った。
鈴木さんは、福祉と障害者の芸術文化をつなぐ仕事が大好きだったという。だからこそ、「自分が我慢すればここで働ける」と耐えてきた。
「ただ、普通に働きたかっただけなのに、なぜそれができなかったのか」
そう悔しそうに話した彼女は「絶対王政」の中、10年以上被害者をつくってきた北岡氏の性暴力とハラスメントを批判するため提訴したという。
木村さんは、「なぜ10年も耐えたのか」についても触れた。10年前はハラスメントに対する社会の目も緩く、多少は仕方ないという空気もあった。周りの友人たちも同じような環境におり、転職しても逃げ場がないと思っていたという。しかし、MeToo運動が始まり、性暴力は尊厳を傷付けるものと受け止められるようになってきた。力関係が生み出す構造的な暴力をなくし、誰もが安心して働くことができるようになるため提訴したという。
まずは声を上げてくれた2人の勇気に拍手を送りたい。
同時に思うのは、被害者は他にもいるのではないかということだ。
2人とも、出張先のホテルで決定的な被害を受けているわけだが、おそらく北岡氏にはこの手口での「成功体験」があったのだろう。
部下を泥酔させ、あるいは部屋に無理やり残して襲い、口止めをして「なかったこと」にする。この分野で働き続けたい人間であれば、自分に逆らうことは「社会的な死」を意味することまで熟知していただろう。
被害後のことについて、鈴木さんは「激しく動揺した」が、出張中だったのでその後は必死で「いつも通り振る舞った」という。木村さんは「その日は一日中、部屋で呆然とした」と語った。弁護士はホテルでの行為について「準強制わいせつ」と指摘した。どう考えても、逮捕されて当然のことだと思う。しかし、彼はその後も障害福祉の分野で「活躍」し続けた。
作家のアルテイシアさんは、『仕事の話じゃないのかよ「君は才能があるから…」を素直に受け取れない理由 』という原稿で、立場が上の男性からの誘いについて、以下のように書いている。
〈そもそも、まともな上司であれば「断りづらいだろう」と配慮して、異性の部下を部屋に誘ったりはしない。上下関係を利用して誘ってくること自体がセクハラなのだ。女友達は大学生の時、40代のゼミの教授から口説かれて、旅行に誘われたりしたという。「信頼して尊敬していた先生だったから、すごくショックだった」「当時はそれがセクハラだと気づかなかった」と振り返る彼女。若い女子は「お父さんみたいな年齢のおじさんが、自分を恋愛対象や性対象として見ないだろう」と思う。一方、仕事や学問上の信頼や尊敬を「恋愛感情」と錯覚するおじさんは案外多い。自己評価が高すぎて眩暈がするが、世の女性たちは注意してほしい〉
本当にまったくもってその通りで、障害者アートの世界の第一人者であり、厚生労働省や政治家たちとも太いパイプを持っていたという北岡氏を尊敬する従業員は多かったはずだ。しかし、それは恋愛感情ではない。なのに、一部のおじさんは「あなたの仕事を尊敬しています」を、なぜか「抱いて」に変換してしまう。完全に認知が歪みまくっているのだが、本人だけは気付かない。
私が初めて「尊敬」を捻じ曲げて受け取られた時の衝撃は、今も覚えている。それは18歳の時。当時の私は人形作家を目指し、教室に通いながらいろんな展覧会に足を運んでいた。そんな中、何かの展覧会で出会った画家だというお爺さん(別に有名ではない)が「今度個展をする」とハガキをくれた。「展覧会」などなく、展と名のつく催しなど文化センター前のトラクター展示会くらいしかない北海道の田舎から出てきた私はその個展に足を運んだ。個展とかする人ってすごい、という素朴な尊敬があった。
画家は「来てくれたんですか!」とひどく感激し、私を会場にいた爺友たちに紹介した。普通に楽しい時間だったのだが、後日、画家から届いたお礼状には、「あなたのような若い女性が来てくれて、あの後、仲を勘ぐられ、友人たちに散々冷やかされました」と書いてあった。
「はああああ?」
顎が外れる勢いで言った。尊敬は一気に吹き飛び、画家は「薄汚い勘違いジジイ」に一瞬で変わった。
ここで男性の方々に問いたい。
もしあなたが画家とかを目指していて、たまたま知り合った自分の祖母くらいの画家の女性の個展に行ったら後日、「友人たちから冷やかされちゃった」なんて浮かれた手紙が届いたら。「何言ってんだこのババア」って思うでしょ? そういうことなのだ。それなのに、勘違いしたまま暴走する人が一部いる。私の場合は手紙だけで終わったが、もし職場にこんな勘違い男がいたらと思うとゾッとする。しかも、それがどうしても続けたい仕事で、相手がその世界で莫大な力を持つ人間だったら。
障害者福祉という、「弱者」を守るはずの現場で続いてきた性暴力。提訴された本人はどの報道を見ても取材に応じず、窓口となっている人間は「係争中のため答えられない」の一点張りだ。
これから始まる裁判を、注目していきたい。
今朝、住まいの方には除雪車が入りましたが、江部乙の方には来ませんでした。以下、江部乙のようすです。
(菜の花)春に咲くはずなのに