ラブミー東京アイドルズ since16.01.04

主にアイドルちゃんについて書いています

カール・ゴッチ死去

2007年07月30日 | プロレス
記事
若死にのイメージが強いプロレスラーの中で、ここまで生きればかなり長命のほうではないかと思う。
ただ彼と対で語られることの多いテーズもすでに亡く、古き良き時代の「伝説」的な人物が
これでまた一人減ってしまった。

俺がプロレスを見始めた時点で、すでに彼はもう今でいう川内康範的「日本プロレス界の顧問」
「伝説の師範」みたいなポジションであり、特に新日本系のレスラーたちは、自分たちへの
権威付けのためにゴッチを大いに利用していた節がある(今から思えば、だが)。

当時の若いプヲタは、プロレス中継の合間や雑誌、書籍で紹介される独特のトレーニング法
(自重を利用した各種筋トレ)や、ビル・ミラー&ゴッチによるバディ・ロジャースリンチ事件の
記事などで、大いに想像力をかき立てられたものである。
ロジャースの件は、「リンチ」というより、アクシデントというほうが近いようだ。
かつての俺もそうだったが、プヲタの中高生は得てして「最強」という側面にだけこだわるもので、
無骨なストロングスタイルこそが至高、ショーマン系は程度が低いとみなす傾向がある。
今なら、フレアースタイルの元祖でショーマンのイメージのロジャースも強いということが
理解できるし、そもそもエンターテイメントとしてのプロレスなら、ロジャースのほうが
上であるということもわかる。ゴッチも、神様=唯一神というより、「神々の中の一人」でしかないのだ。

ゴッチは、アメリカなどよりも圧倒的に日本で知名度が高いし、評価もされている。
現在ジャパニーズスタイルと呼ばれ、アメリカでもマニアックな人気を誇るストロングスタイルの基礎を
作ったうちの最重要人物の一人がまさにゴッチだ。そういう意味で、彼の日本プロレス界への
貢献は大きい。

結局彼はいったいどこの国の人なんだろう。
彼の代名詞・ジャーマンスープレックスからドイツのイメージが強いが、ベルギーだと
いう説もある。合掌。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (らむじん)
2007-07-30 13:20:13
自分をはじめ、かなり前からプロレスを見ていたわけではない世代にとって、ルーテーズやカールゴッチといった人物は、猪木などの昭和新日本レスラーにとっての神という位置付けで、自分らが彼らの試合をじっくりと見る機会もなかなか無い現状では、雑誌などの情報から知る限り、何かわからないけどすごい人らしいという、ある意味記号的なものになっているのではないかと思います(長っ)。

訃報を聞いて、エッ…と思ったのと同時にそのようなことをふと考えました。自分よりずっと下の世代になったら猪木がそういう位置付けになるんでしょうね。
プロレスに限った話ではないでしょうけど。

そういえばルーテーズは全日にも新日にも絡んでいたようですが、カールゴッチは新日(+U系)だけで全日には絡まなかったんですかね?
フレアーとか上げてたからかな?新日がWWFと提携するようになってから縁を切ったようですし、完全にショー嫌いだったんでしょうか。

偉大なる先人に合掌。
返信する
Unknown (るれいさちゅわん)
2007-07-30 14:58:48
>らむじんさん

テーズ、ゴッチは、“身近な歴史上の人物”という感じなのかも知れませんね。
明治後期の若い人が、その時点ではまだ生存者がいる幕末の偉人について考える、みたいな。

馬場猪木という二大レスラーに関していえば、実績では圧倒的に馬場のほうが上なのですが、
直接関係しない者が無責任に面白がれるキャラクターとしては
猪木のほうが上ですし、エピソードも多いので、「よくわからないがすごい」人物としては彼のほうが語り継がれそうです。

ゴッチは、旧・日本プロレスに関与→国際プロレスに関与→新日本プロレスに関与→派生団体へ
というのが日本との関係だそうですね。
国際に関しては、当時日本プロレスにアメリカ系外国人招聘ルートを握られており、
苦肉の策としてヨーロッパに人材供給源を求めた、ということのようで、
結果的にはそれが的中した印象。
あくまで俺の適当な推理ですが、全日とゴッチの関係は、
「全日の選手が個人単位で訪ねてきたら受け入れるが、馬場がゴッチ的なレスラー、
考え方を好まなかったので、団体として選手を教わりに行かせなかった」
のではないかなと思います。渕はテクニックを教わりに行っているようですし。

これも適当な推理ですが、ゴッチはショーマン的なものに対し、
「歌謡曲なんて全部洋楽のパクリじゃん。そんなのが売れてる国なんてダメだよ」的な
心理があり、でも広く受け入れられている存在に対して、ある種の焦りを持っていたのではないかと
思ったりもしています。プロレスを「武道」としてだけ見ていたのかも知れません。
返信する
Unknown (rona)
2007-07-30 23:41:12
あるジャンルで頭角を表した人について述べる際に、以前は「・・・に師事」「・・・道場に入門」「・・・の第1期生」といった、ミニ知識がよく付随されたものである。
ちょっと例えはあれだが、「レインボーマン」の”インドの山奥で修行して♪”も、この系統であろう。
そのような”薫陶を受けた話”において、プロレス界でもっともポピュラーかつ分かりやすい例が、カール・ゴッチであったろう。
若手時代に彼の指導を受け、それが一流となった今でも血となり肉となっているのだ・・・、というエピソードが、日本人にとって想像しやすいキャラクターでもあった。

最近は特定の師匠を持たないお笑い芸人も増えており、演歌を除けば歌の世界でも「○○先生から習った」という権威付けをあまり聞かない。
(この方面での現在での権威No.1は遠藤実だろうか。)

蛇足だが、お笑い関連。
日テレ「いただきマッスル!」の入浴シーンで庄司智春の全裸がオンエア。
説明は難しいが、視聴者に劣情及び不快感を催させないヌードではあった。
(非ダチョウ倶楽部、もしくは非出川哲郎的というべきか。)
視聴率でいえば数百万人の人が見た番組であり、その中には、ミキティのファンもいたかと思われる。
庄司の全裸が客観的にジャッジしてみっともなくない(変な日本語)造形レベルにある、というのはある意味でほっとさせられる材料ではある。
返信する
Unknown (らむじん)
2007-07-31 13:53:40
るれいさちゅわんさん、長々とコメント有難う御座います。
確かに新日本の所謂「ストロングスタイル」というのは、(あくまで)基本的には相手に攻める隙を与えず、矢継ぎ早に技を仕掛けるハイスパートなスタイルで、対する全日本の「王道」スタイル(と言うのか分かりませんが)は、相手の技を受けつつ、自分も技をかける、「間」を重視したスタイルだったと、大まかにはそのような感じだったと思いますが、ゴッチとしてみれば新日本のスタイルを好み、そうであるならば逆に馬場はゴッチを敬遠するような形になってしまうんでしょうね。

平成初期(昭和プロレスをあまり知らないもので…)に、よく全日本で60分時間切れの試合が多かったのに対し、新日本では10数分で勝負がつくというのが両団体の色をよく表していた事象だと思います(さらに言えばパンクラスは秒殺を売りにしてましたし)。

しかし「ハッスル」でゴッチさんの追悼セレモニーをやるらしいですが、かなり違和感を感じる…。
返信する
Unknown (るれいさちゅわん)
2007-08-03 02:53:01
>ronaさん

比較的若い年齢の人が、旧世代のレジェンド的な人物との関わりを強調する場合、
「○○(レジェンド名)最後の弟子」みたいな方向に走ることも多々ありますね。

庄司はAV男優でいえば南君みたいなものなのですね(笑)。
それはさておき、加護事件のときの相手があまりにああだった落胆があるので、
造形美がそこにあったのは救いです(笑)。


>らむじんさん

長州革命以前の新日は、猪木がよく提唱していた「風車の理論」に象徴されるように、
「相手に力を存分に出させ、それを利用した上で上回って勝ち、自分のみならず相手も輝かせる」
という側面があり、それは今から思えば「王道」とも共通する要素だったりするのではないかと思うのですが、
新日と全日の最大の違いは、新日がやたら「最強」を前面に出したり
異種格闘技戦に走ったりし、外向きの「戦い」という要素を強調していたのに対し、
全日はさほどそういうものを重視しなかったあたりでしょうか。
全日は持久力プロレス、今はそうでもないですが新日は瞬発力プロレス、という言い方ができたかも知れません。

ハッスル的にはゴッチはどういうポジションなんだろうか、というのに興味はあります。


返信する

コメントを投稿