ラブミー東京アイドルズ since16.01.04

主にアイドルちゃんについて書いています

安藤美姫ウルトラセブン浦和レッズ

2008年03月21日 | テレビ
フィギュア世界選手権。
満身創痍に赤黒の衣裳でいったんはリンクに出るも無念の途中棄権の安藤ミキティ。
モロゾフコーチの姿がセブン上司に見え、前年度ある意味でトップに立った者が翌年うまくいかない姿は
浦和レッズに見えた。三者に共通の色は赤だ。

HEY!たくちゃん

2008年03月19日 | テレビ
「似顔絵にあけてある口・アゴの部分に自分の口・アゴを当てはめる芸」の人。
自身が描いているわけではないらしい似顔絵に芸の出来を左右される部分が大きく(似顔絵は
写実的で普通の人の注意を喚起する力は十分にある)、ちょっとどうなのよと思ったりすることが時々あるが、
ピシッとハマったときの感じが好きだ。亀田とかドルジとか。
それはともかく、この人は例えばパペットマペット的な、「芸と名前が直結している芸名」をつけるべきだ。
今の名前だと芸に対する名前の印象が弱くてもったいない。
なんでこんなこと思ったんだろう、と自分に対して感じたりもする。

広川太一郎死去

2008年03月08日 | 時事
記事
自分にとってのこの人は、「ミスター・ブーのアドリブだらけのマイケル・ホイ」であり、
「600万ドルの男」のオースチン大佐、あと「ベガス」のトニー・カーチスのイメージが強い。
土曜午後だったかにテレ朝でやっていた、海外スポーツを紹介する番組のナレーションを、
いわゆる広川節爆発で好き勝手にやっていたのも思い出す。好き勝手にやっていつつイヤらしさが
なかったので、知らないうちに引き込まれて笑ってしまっていた。

町田大丸(現modi)で土曜午後に収録し、日曜の夜にやっていたラジオ関東(現ラジオ日本)の
アイドル番組「ハローヤングラブ」の初代の司会者は広川さんだった。BIBIや杏里や金井夕子が来たとき、
観に行ったのは覚えている。他にも男性アイドルグループのフラッシュが来たときもなぜか観に行った。
当時の自分は「ラジオ番組をここでやっている」=町田なのに東京の中心とつながっている、
といった嬉しさが第一にあり、まだアイドルという存在に覚醒していなかったのが惜しまれるが、
もしその頃高校生くらいだったら、たぶん毎回出かけていたことだろう。
「ラブリー!」というフレーズが番組の挨拶になっていた。途中で流れる紳士服のCMの印象が強かった。

最後はかこつけて自分語りをしてしまったが、一大芸はこうして終わっていくのだとリアルタイムで感じている。
合掌。

ニュース23「金曜深夜便」

2008年03月01日 | テレビ
いきなり伊藤セーソクが出てきた&真裏のtvkでセーソク司会のメタル番組をやっているので、
TBSという感じがまったくせず、「画面が明るくなったなtvk」と思ってしまった。
民放地上波キー局で見る伊藤政則というのはものすごく久しぶりな気がする。「夕ニャン」で
司会していたことがあるのがまるで幻のようだ。
膳場とジミー・ペイジが対談する映像をセーソクが紹介している頃、セーソクがtvkで
やっている番組では、ハロウィン&ガンマレイ競演という、全日本とNOAHの合同興行みたいな
ライブ映像をやっていた。