ぽれぽれ百綴り

犬好きおばさんのんびり雑記。

早池峰山へ

2016-04-30 05:35:59 | たび・現実逃避
昨日はシロクマ相方のお誕生日でした。
Happy Birthday!
よい一年になりますように…ってこれは新年のごあいさつ?


(甘いものは嫌いだから、カタチだけ)


ゴールデンウィークに突入しましたね。

今年と来年はシロさんと一緒に過ごすつもりでした。
今まで一緒に過ごせなかった分、彼女の介護に専念するつもりでした。

シロさんが急に去って、どうしていいかわからなかった。


まだシロさんががんとわかってなかった頃、
シロクマ相方はこのGWにいわて花巻へのフライトを予約していました。
彼の郷里は岩手県宮古市。
震災後はマメに帰るようにしていたのだけれど、
今年のお正月は帰省できなかったので。


シロさん闘病中だし私の分はキャンセルを、
って先月に言ってたんですが、そのままになっていたみたい。

一緒に帰ってきます。
宮古に帰る前に早池峰山(はやちねさん、1,914m)に登ってきます。
花々が美しい山なんですって。
エーデルワイスの仲間、ハヤチネウスユキソウが見られるのはまだ先。
雪がたくさん残っているらしいので、アイゼンも持ちました。

シロさんも連れていってあげよう。


(シロ首輪にシロ毛を入れたボトルをセット)

シロさん、雪が積もると大はしゃぎだったなあ。

彼女はその不幸な生いたちからまた捨てられると思って怖くなるのか、
おびえてしまって遠出ができませんでした。
だから実家で暮らすようになってからは
病院より遠くへ行ったことがありません。
そんなだから病院へ連れて行くのも大変だった。


(4時起床。始発電車で空港へ)


シロさん、これから一緒にあちこち行こうな。

いってきます。

ご覧いただきありがとうございました。

ちりめん山椒

2016-04-29 10:20:25 | おうちで食い意地
冷凍庫に去年いただいた山椒を下ゆでしたものを見つけたので、
ちりめん山椒を作りました。

ちりめんじゃこをさっと水洗いして、


酒、みりん、しょうゆで炊いて、


実山椒を加える。
シロクマ相方も私も好きだから、倍量をIN。


できあがり。


ごはんが進んでキケン、キケン。

シロさん亡きあと、
シロさんのことばかり考えて、何も手につかない、
という私は、
ごはんは手につくので、太る一方、
という悲劇。
アカン、アカン。

シロさん、ちりめんじゃこが好きだったなあ。
おやつにもらったり、おじゃこでおじやを炊いてもらったり。
母は時々シロさんにお供えしているそうです。


(去年晩秋。まだこんなにむくむくしてました。
骨太だったのはカルシウムばっちりだったからやな。)

今回使ったちりめんじゃこ、熊本から来たみたいです。


熊本には獣医をしているいとこがいます。
学生だった私がベビーシッターをしたくらいだから、ずいぶんと年下です。
最近結婚したばかり。
今、彼は美人のヨメと車中泊の生活。
牛さんが専門なので、お仕事も相当忙しいもよう。
大変だけれど、自分の体も労わって、
たくさんの動物を救ってほしい。

私がシロさんのことを深く悲しんだり、
その思い出に耽ったりできるのは、
今の暮らしが落ち着いていて穏やかなおかげ。

熊本をはじめとする九州地方のみなさまに
一日も早く、穏やかな暮らしが戻ってきますように。
動物たちにも安らぎが戻りますように。


シロさん、あなたが逝った翌日みたいに今日は晴れたで。

ご覧いただきありがとうございました。

クリニックお礼参り

2016-04-27 17:18:30 | いぬ・シロさん
4月16日はシロクマ相方がシロさんをお見舞いしてくれる予定でした。

でもシロさんは旅立ってしまった。

相方は「じゃあお線香をあげに」と言ってくれました。


(1年前のふたり。
男性の苦手なシロさんから近寄っていくなんて!
何を話しているのん?)

その前に、母に実家の最寄駅まで迎えに来てもらい、
シロさんがお世話になったクリニックに
ご報告とお礼にまわることにしました。

シロさんがお世話になったクリニックは全部で3つ。


ひとつめは市内の小さなクリニック。
そこの老先生には、シロさんを引き取ったときからお世話になりました。

初代の犬からみんな通っていました。

いきさつをご存知ですし、
来院するのが貧しい身なりのおばあさんと、
食費のかさみそうな大型雑種犬の組み合わせだったからか、
老先生は診断や相談だけでは診察料を受け取られませんでした。

動物の持つ本来の治癒力や生き方を大切に考え、
動物が高齢になってくると積極的な治療を行わない方針のようでもありました。

それで高齢犬となったシロさんに治療を求めたい時は
別のクリニックにも通うようになったわけですが。

クリニックを出た母を駐車場まで追いかけてきて、
こんなご本を手渡してくださいました。



老先生のにこやかなお顔を拝見するのも最後なんだなあ。
私たちの気持ちに寄り添ってくださるお優しい先生でした。


2つめはシロさんのしっぽの手術をしてくださったことから、
通うようになった若いドクターのクリニック。
(シロさんは先住犬もものことがストレスとなったのか、
しっぽが傷つくほどしつこく舐めるように。
強迫神経症の長い治療期間を経て、しっぽは断尾することに。)
実家から車で数分といちばん近いので、
その生い立ちから、長距離ドライブや病院が
極端に苦手なシロさんにはありがたい存在でした。

ご自分の診断や治療方針にプライドをお持ちでこちらから質問しにくいことがあったり、
少し商業主義的なところが感じられて、
苦手なときもありました。

鼻腔内腫瘍の推測を立てられたのもこちらの先生です。
私はインフォームドコンセントの際に、
検査や治療の提案、セカンドオピニオンの紹介を求めましたが、
高齢犬であるシロさんのリスクと負担を考えるように促され、
いったんは納得の上、それらをあきらめました。

鼻腔内腫瘍であれば、
安楽死を考えなくてはならないケースも多いのですが、
その時はドクターが引き受けるとおっしゃってくださったことは心強かったです。



3つめは腫瘍科のある市外の大きめのクリニックです。

検査や積極的治療が望めないのであっても、
シロさんのがんの進行をどうにかして少しでも遅らせたい。
それで穏やかな最期を迎えさせてあげたい。
その一心で、私は独学で本や文献を読みあさり、
サプリメント投与や食事療法を始めました。
サプリメント会社の獣医師電話相談にも何度かお世話に。
でも「やはりドクターの個別のサポートが必要」と思うように。
上のふたつのクリニックではそれが難しい。
(ふたつめのクリニックにはやんわり断られました。)
それで腫瘍科のあるクリニックを探して、相談することに。
「そういったケアもできます。
ですが、鼻腔内腫瘍であるとして、
その種類や進行を確かめてからの方がより効果的です」
(鼻腔内腫瘍にも腺がんなど何種類かあります。)
ドクターのその言葉で検査に踏み切ることになりました。
そこから多発性骨髄腫とわかり、
まず痛みをとる緩和ケアを行い、診断を確定させ、
体調が整い次第、抗がん剤投与、という方向性が示されました。
結局、抗がん剤投与は始められないまま、
シロさんは私たちのもとを去ってしまいました。

短い期間でしたが、
ドクターもナースさんたちもみなさん丁寧でお優しく、
シロさんと私たちを最後まで支えてくださいました。

結果的に検査がシロさんの命を奪うことになったのでは?
それを考えると今も苦しいです。
でもわからないことでしょう。
病名がはっきりしたことで、
最後だけでも痛みやしびれをお薬で抑えられ、苦しみを緩和できた。
それでよかったと思っています。

2日後にこのクリニックから届いた可憐なお花はなぐさめになりました。
今もきれいに咲いています。

3つのクリニックとも
お忙しい中、ドクターがきちんと時間をとってくださり、
シロさんの最後を聞いて、悼んでくださいました。
シロさんがほんの少し前まで健康ご長寿だったこと、
最後までがんばったことをほめてくださいました。
ひとりでも多くの方がシロさんの冥福を祈ってくださったらうれしいな。


ひとつめのクリニックの老先生が母にくださったご本ですが、
先生は「少し時間が経ってからお読みくださいね」とおっしゃいました。

一部をご紹介。










シロさん、私の心のなかで生きているんや。
ずっと一緒にいこうな。

ご覧いただきありがとうございました。

シロさんとのなれそめ-後編-

2016-04-25 09:29:52 | いぬ・シロさん
シロさんとのなれそめ、前回の続きです。


シロさんがわが家の一員になって、
それから15年近く、
母はシロさんを大事にしてくれました。
1日2回、合計1時間から1時間半の散歩を欠かさず、
体調の悪い時は誰かにお願いするくらい。
(ももが健在の時は、1日4回犬の散歩をしていたことに)
旅行や長時間の留守も避けて、
旅行するなら私が実家に帰るか、
きちんと訓練士の先生に預かってもらいました。
母がシロさんと散歩する様子は村内だけでなく、
隣の村や市外でも知られているようで、
週末に私がシロさんを連れて遠くまで散歩していると、
様々な方に声をかけられました。
ご飯は手作りが主で、
自分の食べるお肉やお魚の美味しいところをおすそ分けしたり、
おやつも栄養を考えて与えていました。
(母は極端な薄味好きでしたが、
人間用の味付けの食事は本当は犬にはよくありません。)
自分のお布団は干せなくても、
お天気の良い日は必ずシロさんの毛布は干していましたし、
ほんの少し汚れただけでも洗うので、
シロさん専用毛布やタオルケットは10枚以上ありました。
シロさんが急病になったら、軽トラや軽自動車に担ぎこんで、
ひとりで病院まで連れて行きました。
ひとつの病院で不安なら、ふたつめの病院に行きました。
食欲がない日は、おかゆを炊いたり、重湯を飲ませたり。
シャンプーは、春から秋までしかしませんでしたが、
お湯で絞ったタオルでよく拭いてあげてました。
散歩で出会う方々に「きれいな犬やね」とほめてもらいました。
「この子、これ喜ぶねん」と言って、マッサージもよくやっていました。
私が実家に暮らして、仕事を持たなかったとしても、とてもそこまではできない。
母の犬愛は本当にすごいと思います。

私の週末の長時間散歩はシロさんに大好評でした。
ハーフマラソンくらいなら走れる私は、
シロさんと長時間走ってやることができます。
誰もいない深い森に行って、放してあげることもできました。
だから、私もそれなりに慕ってもらっていました。
実家へ帰ると、狂喜乱舞のジャンピング二足歩行で迎えてくれました。
大柄で脚力もすごいシロさんの手は、
私の頭にも届きました。
そんな彼女を抱こうとすると、はしゃいで大興奮で、
私の腕の中でビチビチと釣り上げたカツオのように跳ねてくれました。


(雪が降ると大喜びだったシロさん)


(好奇心旺盛だった若い頃)


実家では、
母のひとり暮らしから、
兄家族との同居を経て、
やがて兄家族が転勤に伴い転居し、
私がひとり暮らしのマンションを引き上げ実家で暮らすようになり、
ももが亡くなり…と時間が経過しました。
そこにいつもシロさんはいました。
母と一緒にいました。


(時々は軽トラに乗って、母の畑仕事のお供をしたり、遠くまでお散歩したり)


(野良犬から家庭犬へ。目元が優しくなりました。)

その後、私が仕事を辞めて、
シロクマ相方と上海で暮らすようになり、
シロさんとは会えなくなりました。
帰国して神戸で暮らすようになり、
しばらくしてから、シンガポールで暮らすようになって、
また長く会えなくなりました。



その間に、
シロさんはだんだんと歳を重ね、
本帰国した頃には、
すっかりおばあさんになっていました。
そしていつも母のことを目で追い、後を追うお母さん子に。

穏やかになって、どこかおっとりしたシロさん。
昔の爆発するような元気はなくなり、
私のお出迎えも控えめです。
それでも彼女が可愛らしかったです。
姿を見つけると近づいてきて、
私が手を顔に近づけると、すり寄せてくれます。
落ち込んだ時は向こうから体をくっつけ、寄り添ってくれました。
マッサージしたり、ご飯やおやつをあげると、手をなめてお礼を返します。
私はこんなに素直で愛らしいおばあさんになれないでしょう。



去年10月の前庭疾患で苦しんだシロさんは、
今年2月、右鼻から大量出血しました。
鼻腔内腫瘍の疑いがもたれました。
このがんは進行が早い。
色々調べましたが、
治療も緩和ケアも全身麻酔が必要な放射線治療しかないようです。
高齢犬のシロさんにはなすすべがありません。

シロはもう長くはない、と覚悟するようになった頃、
母が初めて話してくれました。


あの犬と初めて向かいあったん、桔梗の畑やねん。
(当時母は、花を出荷していた亡き父の残した畑をできるだけ手入れしていました。)

草ひきしていたら、白い足が見えて、
顔を上げたら、目の前にあの犬が座っててん。
やせてガリガリで、汚れてて、見るからに野良犬。
それが、こっちを見るねん。
ああ、これがもものご飯を食べに来る犬やな、ってわかったわ。
「目え、合わしたらアカン、
飼わんなんことになる、
うちにはももがいる、
こんな大きな犬、飼うたらえらいことになる」
そう思って、回れ右して、草ひきを続けたら、
また目の前に座ってるねん。
あの犬、しつこいねん。

それは別の日、別の畑でも繰り返されたそうです。

「よそへ行き。
うちにはもうももって子がおるねん。
知ってるやろ?
1匹でも大変で、私、よちくたしてんねん。
あんたのことは飼われへん」
言うても、目をくりくりさせて、こっち見るねん。
「あんた、まだ大きくなるやろ?
私、歳とってきたし、あんたみたいな子はとても無理やん。
あんた、たくさん食べるやろ?
私、無職やし、うち貧乏やねん」
どんだけ言うても、のけへんねん、あの犬。

『そんなに大きくなりません!』
『そんなにたくさん食べません!』
『そんなにぜいたく言いません!』

にこにこと訴える犬。
どうにか目を合わそうと首をかしげ、
角度を変えて訴える犬。

それがシロさんでした。


飼え飼え詐欺


後に母はそう呼んでいました。



なんだ。
私がシロに選ばれたんじゃなくて、
シロは母を選んでたんやん。
シロ、自分を飼ってくれるひとを一所懸命探してたんや。
必死にリクルート活動しててんやん。

シロ、すごいな。
すごい見る目、あるわ。
その目に狂いはなかったや。
(母の動物好きエピソードはこのあたりで確認を→母の思い出続・母の思い出


私はこんなふうに犬に見初められたひとを他に知りません。
シロと母の結びつきにはかなわないと思いました。


それから、これは余談。
数年前に知ったことです。
以前働いていた会社の先輩が教えてくれました。

私がシロさんを引取りに行った時にセンターの方が撮られた写真。
当時の広報に載って県内で配布されたようです。

『犬はつないで飼いましょう。
逃げたり迷子になったりすると、迷惑をかけます。
その犬もかわいそうです。
写真は迎えにきた飼い主との再会を喜ぶ犬です。』


シロさん、私の犬とちゃうかってんけどなあ。
まあこれでかわいそうな犬が減るならいいんだけど。



シロさんが家族に加わって、シロさんと暮らすようになって、
わかったことがありました。

この子は以前は、どこかで飼われていた。
そうして、捨てられた。
物心ついた頃に、
おそらく家から離れたところへ連れて行かれ、
置き去りにされた。

母も同じように感じていたようでした。

シロさんは車に乗っている時間が長くなると、だんだん落ち着きがなくなり、怯えます。
保健所や動物愛護センターへの移動を思い出すのかな、
とも思いましたが、それだけじゃなさそうで。
また、散歩で誰もいない森に行って、放してやると、
最初は喜んで鉄砲玉みたいに疾走していますが、
先代犬たちのようにひとり遊びもできず、
すぐに戻ってきます。
いつもこちらの姿がどこにあるか確認しています。
先代犬たちが目を盗んでは逃亡を図ったのとは大違い。
先代犬たちが大好きだったかくれんぼも、
パニックになってこちらを探す始末。

ああ、
置き去りにされて野良犬になったのか。

突然、世の中にひとりぽっちで投げ出されて、
まだ子どもで、何のノウハウもないのに、
誰にも守ってもらえずに、生き延びてきたんだ。

腰を圧迫骨折するような痛い目にあい、
足を怪我するようなひどい目にあい、
お腹をすかせて、ガリガリに痩せて、
心細い思いをしながら、
いつも怯えながら、
長いこと放浪していたんだなあ。
さらに保健所や動物愛護センターでは、
死ぬほど怖い思いをさせてしまったんだなあ。

シロさんの人生は辛い始まりで苦難の連続でした。
想像するだけで涙が出ます。
終わりも難しいがんになってしまって、
私たちがなかなか気づいてやれず、
どれだけ辛かったか。

それでも、真ん中の15年のほとんどは、
毎日、母のもとで、大事にされて、
ぜいたくはできなかったけれど、
たくさん食べて、たっぷりのびのびと散歩を楽しみ、
安心して、のんびりと、穏やかに暮らせたんじゃないでしょうか。


(亡くなる10日前。最後のお顔アップ写真)

シロさん、幸せでしたか?
私たちはあなたを幸せにできましたか?

私たちはあなたに幸せにしてもらいました。
一緒に過ごせてとても幸せでした。

ご覧いただきありがとうございました。

シロさんとのなれそめ-前編-

2016-04-23 12:06:22 | いぬ・シロさん
もうしばらくシロさんのことを。

シロさんは15年前の春にやって来たそうです。

当時、私はひとり暮らしをしていて、
ひんぱんに実家の愛犬ももに会いに帰ってました。

シロさんのことは母から聞きました。

最近、白い大きな雑種犬がうろついていて、
時々、もものご飯を食べにくるねん。
ももが怒っとるねん。
まあ、ご飯を食べ残して放っておくあの子が悪いねんけど。
その犬、がっりがりにやせてて。
歩き方とか座り方とかなんや変やから、
どこか悪いと思うねん。
あれはきっとまだ子どもやわ。
ふっとい手足したはったわ。
まだ大きくなるねやろうなあ。
もうあそこまで大きくなってたら、
飼ってくれるひともなかなか見つからへんやろうなあ。


毎週のように実家に帰ってると、
私もその白い犬を見かけるようになりました。
母の言うとおり、
やせて、薄汚れて、おどおどして、びっこをひいた大きな白い犬。
母が「シロ!」と呼ぶと、反応してこちらを見ました。
「シロ!」
私も真似して呼ぶと、そそくさと姿を消してしまいました。
「あんたがいるとアカンな」
母に言われました。

捕まるなよ。
飼ってもらえないなら、誰にも捕まるな。

わが家にはすでにももがいます。

(ビーグル系mixといわれた捨て犬だったもも)


(穴掘り偏愛主義。巣穴のネズミを捕まえることも)

体重16キロのももより大きなその犬のことを
祈ってやるくらいしかできませんでした。


ある日、実家に帰ると母が言いました。


シロ、保健所に連れて行かれてん。
ももを襲ってご飯を横取りするようになって、
もも、えらい怪我してしもてん。
だから、仕方ないやろ?
お母さんが保健所に連絡してんけど、
そうするしかなかったやろ?


涙ながらに告白しなくても…。

「うん、仕方ないと思うわ」


シロは保健所に捕まった。
母が連絡したから捕まった。


私は自分のなかでこの出来事が消化できず、
ある女性にメールを送りました。
当時、不幸な動物の保護活動をなさっていた作家さんです。


『お母さんを責めないであげてください。
でもまたこんなことが起きたら、
どうか次回からはまず私に相談してください。
お力になれるかもしれません。
私が代表を務める団体のホームページでは、
そんな不幸な子たちの里親募集もしています』


返信には、
保健所に保護され、飼い主の見つからなかった子たちが、
どんな辛い最後を迎えるのかが書かれていました。

『今、各地で行われている殺処分の多くは、
安楽死とはほど遠いやり方です。
彼らが閉じ込められたガス室に送るガスは吸うととても苦しい毒ガスで、
大きな子が死ぬには十分な量ではなく、
けいれんしたその子たちは、
焼却施設に投げ込まれ、
生きたまま焼かれます』
(15年前のお話です。)


衝撃を受けました。
この世の中できっと何にもいいことなんてなかったシロは、
そんな残酷な扱いを受けて命を奪われるのか。
最後まで恐怖に怯え、苦しむのか。

シロが捕獲されてからすでに1週間以上経っていたので、
もうこの世を去ったかもしれません。

間に合わないかもしれないけれど…と思いながら、
翌日、保健所と動物愛護センターに連絡しました。

保健所で何日か保護された犬や猫は、
動物愛護センターという施設に送られ、
そこで1、2週間の留保期間を経て、
飼い主が見つからなければ殺処分されるそうです。
(留保期間の違いは保護されたタイミングと、
子犬か、成犬か、野良犬・雑種犬か、元飼い犬・純血種かの違いで期間を調整するため)

「それくらいの白い雑種犬、1匹いますわ。
確かに座り方がおかしいですわ。
怪我しとるんでしょうな」

どういうわけか、
シロは手違いがあって、
成犬・雑種犬・野良犬として最速で処分されるはずが、
その週の殺処分を免れていました。

なんて強運な!

事情を話して母を説得しました。
うちでは絶対に飼わない、速やかに里親を探す、と約束させられました。
翌日、仕事を早退させてもらって、
母の運転で迎えに行きました。
母は駐車場で待つと言います。
事務所で引き取りの手続きを済ませると、
犬たちが収容されている施設に通されました。
シロは『リーチ』と書かれた端の個室にいました。
頭をうなだれ、やせた背中を丸め、
しっぽをおまたにはさんで、
腰が抜けたような格好で、
狭い部屋のすみっこで震えていました。
その目は焦点が合ってなく、
おしっこをもらし続けており、
以前は薄汚れても白いとわかった体は、
汚物にまみれて異臭を放っていました。

斜め向かいに大きな檻の部屋がありました。
からっぽでした。
ああ、ここに収容された子たちが、
処分されたところなんだ。
当初同室だったシロは、その子たちの悲鳴を聞いていたんだ。

「シロ!」
私が呼んでも反応しません。
私を知ってるはずなのに。
心が壊れてしまったのか?

「外に出したら正気に戻るかも」
センターで働く犬の訓練士さんがうずくまるシロを連れ出してくれました。

「シロ!」
もう一度目を見て呼びかけました。
シロの顔色がぱあーっと明るくなるのがわかりました。
犬の表情がこんなに変わる瞬間を、
私は生まれて初めて見ました。
目には光が戻ってきたようです。
「助かった」
そうわかったのでしょう。
喜びにあふれたシロは、
びょんびょんと勢いよくはねて飛びかかってきました。
シロに触れたのはそれが初めてでした。
私はシロに選ばれたような気になり、
私にも喜びが込み上げてきました。
シロのことを誰ともスキンシップのできない野良犬だと思っていたので。
「シロ!」「シロ!」
シロの手を取って一緒に跳びはねました。
ひとりと1匹は歓喜に染まり、
汚物の色に染まりました。

センターの方が写真を撮るシャッター音が、
パシャパシャとうしろで聞こえました。

「シロちゃうやん、茶色やん」
車に乗せると、汚いシロを見て母が言いました。
鼻がもげそうな匂いがしました。


その週はそのまま実家から会社に通いました。
シロにはまだ野良犬気質の残っていたので、
逃げないように実家の裏庭につなぎました。
大きかったこともあり、怖くてあまり近寄れませんでた。
なにより汚物まみれで臭かったですし。

お互いに少しずつ慣れてきて、週末に洗ってやると、
まっ白なきれいな犬があらわれました。
(後にベージュになった耳もこの時はまだ白かったです。)

健康診断を受け、
シロは1歳未満で健康な女の子とわかりました。
ワクチンも受けました。
腰骨が少し曲がっているのは怪我が自然治癒したもの。
(後々の検査でシロは幼少期に腰椎を圧迫骨折していたことがわかりました。)
足の怪我は自然に治り、あとは残らないとのことでした。
「ハスキーの血が混ざっていますね。
この子はまだ大きくなりますよ」
ドクターは、野良犬でこんなに大きな子は珍しいね、
ラッキーな子だね、と笑って言いました。

その後、シロは実家預かりとなり、
先の作家さんの団体のホームページで
里親募集を掲載していただきました。


ですが、現実は甘くありませんでした。

ほぼ成犬、雑種犬、元野良犬、
しつけに適した時期を逃した大きなシロの里親募集は難航しました。
シロには里親さんはあらわれませんでした。

一度掲載期間を延長してもらい、
作家さん自らのコメントを載せていただき、
熱く募集を続けました。

やっと名乗りを上げてくださったのは、
県内で屋外の敷地につないで多頭飼いをなさっている男性
(近隣住民の方々から苦情を受け、新たな敷地を探している様子でした。)

石垣島在住で、大きな犬をとにかく無料で手に入れたいという若い女性
(メールの文面が幼い子どものようなひらがなだらけの話し言葉でした。)

里親が見つからなければと、申し出た北海道の保護団体
(何十万円かの預託金を前払し、毎月数万円を送金するシステムでした。)

その3つだけ。

いずれも不安でした。

ホームページ掲載期間の期限が迫っていました。
この中から選ぶしかないのか。

ぎりぎりまで悩みました。



「お母さん、飼うわ」


母が神に見えました。


「あの子、苦労人やん。
すっかりうちの子になったつもりでおるのん、
今さらよそにやったら、あんまりやろ」

2001年5月末のことでした。
引き取ってから2か月近く経っていました。

名前は「シロ」から変えようがありませんでした。
本人がもうそれで覚えちゃってるし。


(引き取って間もない頃のシロさん。
元野良犬らしいツンケンした目つき。
当初リードの持ち手の輪っかを杭にひっかけてつないでたのですが、
後に私たちが見ていない時にこれを自分でくわえて外す、
という技を覚え、自由を楽しむように)


シロさん、あんた、ほんとにラッキーやで。

ご覧いただきありがとうございました。