ぽれぽれ百綴り

犬好きおばさんのんびり雑記。

ケニアの旅 3.マタツの思い出

2011-09-30 01:48:42 | Singapore/たび・現実逃避
公共交通機関が他にはタクシーくらいしかないケニアでは、
マタツがケニアンの足といえるのではないでしょうか。
 
電車は2路線のみで週2、3便と、あまり発展していません。
旅行者向けではないでしょうか。
長距離になると、会社運営の長距離バスが幅を利かせています。
飛行機での移動は、一部のお金持ちしか利用できません。
 
マタツが私たちの考える路線バスと違うところを何点か。
日本ではとっくに廃車になっているような車体を走らせていること、
どうも会社などが運営しているのではないこと、
乗り場と降り場はだいたい決まっているが、ラッシュアワーは呼込みと大勢の乗客で大混乱なこと、
時刻表はなく、満席にならないと出発しないが、地方によっては満席以上のぎゅうぎゅう詰めに乗せられること、
集金人みたいな係の人が乗り込み、その人かドライバーに言っとけば、目的地までに途中下車できること、
スペースさえあればタクシーみたいに止めて途中乗車もできること、
子どもは座席に座らなかったらタダなので、時として子だくさん母さんの子どもをひざの上に載せてやるハメになること。
 
こういうシステムの乗り物、他でも経験しましたが、こんなににぎやかなのは初めて。
初めて利用したときは、友人ネットワークをいかしての保護者つきだったにもかかわらず、
乗り場の騒々しい様子にびびり、
あまりの乗客同士の密着度に緊張し、
そのシステムに面食らうことも多かったマタツ。
慣れてくるとこれに乗るのが楽しくて。
相変わらず、居眠りしていましたし。
 
特にぎゅうぎゅう詰めマタツは、
「いったい何人乗せる気なのか?」と驚き、
「こんな姿勢で他人と密着するのは、運動会の組立体操以来だよ」と感動し、
集金人の、中国雑技団のように走るマタツに飛び乗って、ドアからはみ出ている姿に、心のなかで、やんや、やんや。
旅行中の私は、大きな荷物を持っているのが常なのですが、マタツ内は狭い。
それで身動きとれずにもがいていると、ケニアンのおばさんがひっぱり上げてくれたり、
「こっちにはみ出していいよ」と、おじさんが自分のひざをぽんぽん叩いて示してくれたり、ということにも感激。
ケニアの印象を聞かれると、マタツがらみのものが上位にランクインします。
 
そして、思い出深いのがナイロビからの乗車。
首都の乗り場は何か所かあるみたいですが、さすがに人もマタツもすごい混雑でごった返し。
呼込みの大声や、乗客の声、クラクションなどで騒然としています。
そのなかで私は、「だいたいあのあたりに止まってるはず」というサイタマ行きのマタツを探します。
サイタマエリアはカンバ族。
おとなしくておっとりさんだから、呼び込みなどなさらない。
自力で探さないといけないのです。
ようは聞いて回るのですけれど、サイタマ行きか聞いてるのに、
「ちがう、○○行きだ!でも、これに乗れ!」と、行き先の違うマタツの集金人に強引にひっぱられたりするのです。
それを振りほどいて、「サイタマ~!サイタマ~!」と、再び探す私。
するとまた同じ目にあう。
食堂や宿の呼込みだったらわかるけど、あなた、
行き先が違うとわかっている乗り物に、乗るわけがないでしょうが。
 
帰宅して友人に報告すると、「ほんと、あれってムダよねえ」と。
私がぼんくら旅行者だからああいう目にあう、というわけではないようで。
何を考えているんでしょう、ケニアン。
そして、カンバのみなさん、
時には積極的に、もっと熱心に呼び込みをやって!
友人によると、
はしっこの方でおっとりおとなしく待っているグループがいたら、
きっとそれがカンバのみなさんだから、一緒に待っているとサイタマ行きに乗れるでしょう、と。
それで知らない間にサイタマ行きが静かに出発して乗りそびれたりしても、
カンバのみなさんは不満も言わず、辛抱強く次を待つのだそうです。
それって長所なのかもしれないけれど、これからのスピード社会を生きる力としてはどうなのでしょう?
 
 
以下、マタツ写真。
 
ナイロビ駅広場のマタツ乗り場。
   
おそろしくごった返しているのを、広場のはしっこのゴミ置き場の影から、こっそり撮影。
広場中心はだんじり祭りさながらの荒っぽさ、大変な喧騒と人混みなのですが、
こんなにはしっこからじゃあ、雰囲気が伝わらなくて残念。
治安の悪いことで有名なナイロビ、
ひとりでは歩くな、そっちの方は歩くな、夕方以降は歩くな、
と忠告してくれるガイドブックに、3点セットで逆らっているわけですから。
もうね、こわくて、こわくて、カメラなんか堂々と出せる雰囲気じゃないの。
アングルとか考える余裕なんてないの。
ええ、腰抜けですとも。
 
 
ボケボケですが、サイタマのマタツ乗り場、っていうか降り場かな?
     
ナイロビから帰ってくるとホッとします。
毎回なぜか完全に夜。
これもいちばんにぎわっているところから離れています。
もうね、暗くて、こわくて、ピントがあってるかなんて、確認している余裕がないの。
ええ、笑ってくださって結構ですとも。
           
 
 
最終日、空港に向かう途中、ナイロビ近くの、トラックの運ちゃんたちが休憩をするエリアで。
                      
こういったところはウォータービジネスの女性も多いので、ここはエイズ問題が深刻なところです。
ペパーミントグリーンのがマタツですね。
となりの黄色とピンクのバス、荷物満載でいい味出してるなあ。
友人によると、ニワトリやヤギをてっぺんにのっけているバスも珍しくないとか。
もちろん生きたまま。
ワイルドだなあ。
このときはお昼間だし、友人が一緒だったので、カメラも露出で、思う存分、撮り三昧、堂々三昧。
トラの衣を借るきつねとは私のこと。
ええ、どこまでも小心者ですとも。
                                     
 
ぎゅうぎゅうマタツ内も撮ったんだけど、あまりにボケててUP断念。
さすがにあの姿勢では、まともな写真は撮れませんワナ。
あ、最後列に座ってて(というか立っていて)、みなさん後ろアタマだったから撮ったわけで、
写真がダメなひとも多いから、その辺は自分なりに配慮してますよ~。

ケニアの旅 2.日程と部族について

2011-09-29 01:27:32 | Singapore/たび・現実逃避
ほぼ友人が組み立ててくれたケニアの旅はこんな日程でした。
どうでもいいことですが、私の備忘記録として。
 
参考までに地図も。
キカイに弱いもので、行った先をマルで囲むとか、行程を矢印で書き込むとか、
そんな気の利いたことはできなかったです。
   
          
 
1日目:ナイロビ到着。友人の住む街、サイタマ(後述)へ。
2日目:朝から友人のオフィス見学。マタツ(後述)デビューでナイロビからナクルへ。
3日目:ナクル湖でサファリを堪能。夜、ナイロビ経由で友人宅へ帰宅。
4日目:ナイロビで所用
。友人とともに夜行バスで、ケニア第2の都市、海辺のモンバサへ。
5日目:モンバサ着。フェリーやマタツで山の上にある小さな町、クワレへ。
6日目:モンバサ南のディアニというビーチリゾートへ。モンバサへ戻り、夜の観光。
7日目:マーケットで買い物後、観光など。夜行バスでサイタマへ。
8日目:帰宅後、悪夢の掃除洗濯。夜はご近所さんちへ晩ご飯をおよばれに。
9日目:早朝ナイロビへ。セスナに乗ってマサイマラへ。到着後、朝夕サファリ。夜はテント泊。
10日目:終日サファリざんまい。お昼はマサイの村へ。
11日目:朝サファリ後、小型機でナイロビへ。ナイロビ観光後、夜、サイタマへ帰宅。
12日目:友人たちと最後の食事後、ナイロビの空港へ。お別れをして搭乗。
13日目:ドバイ乗継にてシンガポールへ。無事帰宅。
 
友人はナイロビからマタツで1時間15分くらいの街に住んでいます。
ナイロビを東京とすると、埼玉くらいの感覚なのかなあ。
神奈川ほど大きくない地方都市です。
今回は友人の住む街を「サイタマ」って呼んでおきます。
マタツというのは、ワンボックス型のバスみたいな都市間を走る乗り物。
マタツについては、次回詳しく…。
 
 
私にしては短く終わりそうなので、ケニアの民族構成についてなど。
 
ケニアンは最大勢力のキクユをはじめとして、ルオー、カンバ、マサイなど、42部族で構成されているそうです。
この日本人には馴染みのない民族構成というやつが、アフリカでは色々問題となるわけで。
アフリカでは大統領選などをきっかけとして、民族対立が激化して、
ジェノサイド(民族浄化、集団虐殺)など、時として凄惨なことが起きたり。
ケニアではそれほどひどくなったことはないようですが、
やはり大統領選結果を巡って対立があり、治安が悪化したことも。
今の大統領はキクユの方だそうです。
 
日本人に県民性があるように、ケニアンも部族性とでもいうのかな、性格など特徴があるようです。
キクユ…気が強くて、お金儲けに熱心、がめついとも。会社経営者に多い。仕事は早いがザツとも。
    キクユのヨメをもらうと大変だとか。
ルオー…気位が高くて、血気盛ん。頭も良いが、自信過剰で敬遠されることも。
    「ケニアで一番美人が多いのはルオー。私を見たらわかるでしょ」などと普通におっしゃるとか。
    前回の民族対立もこの方たちから火種が?
カンバ…おっとりおとなしくてお人好し。コツコツする仕事に向いているが、スピードを求めてはいけない。
    ケニアのおみやげ物の木彫りなどはカンバ族が作ったもの。
マサイ…誇り高さや勇ましさが取り上げられることが多いけれど、実は商売上手な一面も。
    ケニアのいたるところで、あの赤い衣装で出没し、おみやげ売りなどやってます。商品はカンバ族作だったり。
    コビや人懐こさがなくって、逆にそれがおもしろい。

以下、子どもたちの写真。
校外学習中の子どもたち。ナイロビ近郊だからたぶんキクユかと。
ケニアの学校は制服好き、制服姿も絵になります。
後ろのキリンを撮るふりしてたのが気づかれて、自分も写せと多くのリクエストが。


友人宅近くの村に住む彼女の仲良しさん宅で。カンバの子どもたち。
カメラを向けるとエキサイトして激しく動き出すから、なかなかカワイイ写真が撮れない。
ちびっ子でもアフリカン。
びっくりするくらいのリズム感とノリの良さで、歌って踊るのです。
                                      

沿岸部に多いスワヒリかと。
でもここ、山の上の小さな町だから、もっと少数派の部族なのかな。
私たちについてくるのでカメラを向けると、これ、ビデオじゃないから、ってくらいに、激しい動き。
                                
 
 
マサイの勇士も子ども時代はあどけない。
大人は赤い衣装でも、子どもたちはイマドキの服でブルー、ピンク、紫などが多く、集まると配色がキレイ。
両側のシバみたいなものは、これで村を囲って、肉食獣の侵入を防いでいるのです。
彼らの生活圏を写すときは、ちゃんと村の大人に了解をもらい、チップを渡すのが礼儀だそうで。
さすが商売上手なマサイ。                                            
 
子どもはみんな、かわいいなあ。
 
ところで、友人の住むエリアはカンバ族の土地。
友人は職場や近所の人にもすっかり溶けこんでいて、彼らにいやな思いをしたことがないとか。
それもカンバ族だからってことによるところが大かも、とのことです。
 
みなさんもご存知の方でルオー族ゆかりの方もいらっしゃるんですよ。
その方は・・・オバマ大統領!
彼のお父さんがケニアのルオー族。
ケニアではオバマ氏の人気は絶大です。

ケニアの旅 1.到着

2011-09-28 10:06:22 | Singapore/たび・現実逃避

おはようございます。

ご無沙汰しております。

こつこつ更新するとか、宣言しておきながら、このありさま。
さては学生生活で、もうつまづいているのでは?
皆さまにはそうご心配おかけしているのかもしれません。
ええ、そのとおりです。
ナタリーとの書類のやり取りに行き違いがあったみたいで、
ビザ取得の件もちっとも進展していないとわかり、ちょっとへこんでいます。
 
ところで最近、何かの検索にでもひっかかっているのか、
当へっぽこブログへの訪問者数が増えています。
ここが目的地であった方の割合は少ないとは思うものの、なんだか心が痛むので、
やっと重い腰を上げて、更新することにしました。
 
ケニアのお話をようやくお届けしようかな、と。
途中で中断するかもしれないので、さきにお謝りしておきます。
ごめんなさい、です。
実はお昼までに宿題をしなくてはいけないので、完全な現実逃避です。
先が思いやられます。
 
 
ケニアへの出発は深夜でした。
間際まで、忙しい友人はもとより、私もくだんの事情で立て込んでおり、旅の詳細は詰められませんでした。
友人に行きたいところをあげておいただけで、あとは彼女の手と知恵を借りて、現地で決めようかなあ、と。
シンガポールの空港から彼女に電話をかけ、そろそろ搭乗と連絡。
その時、彼女のフィールド見学の次に行きたかったマサイマラが、
2泊3日でUS$1,200という見積もりだと教えてもらいました。
「そんなに高いの~!?持ち合わせ、そんなにないよ~!!」と叫んだところで、つ~、つ~、つ~。
ケイタイのチャージが切れたようです。
そのまま出発しました。
 
フライトはエミレーツのドバイ乗継が一番ラクチンそうだったので、それに決定。
久々のエミレーツ。
一時期、イスラム圏にはまっていたときに利用していました。
日本からも深夜便を飛ばしているので、仕事が終わった後そのまま空港へ向かえるから無駄がない。
ドバイからの乗継も便利いいし、眠らない空港、眠らない免税店だからいつ着いても時間つぶしに困らない。
3連休でイスラム圏へ旅できたのはエミレーツのおかげ。
今はそんな無茶はしませんが、エミレーツに乗ると弾丸旅行が思い出されます。
 
シンガポールからの便は、コロンボ経由でした。
どおりでインド系のお客さんが多かったわけだ。
それを知らずにあやうく降りそうに。
となりのシンガポーリアンの女の子に、
「ドバイまでだったら降りなくていいみたいね」と言われて、はっ。
 
この経由便、いったん全乗客を降ろすってことをしなかったです。
そのかわり、棚に残った荷物をひとつ、ひとつ、持ち主確認するのです。
イマドキ、機内持込可のぎりぎりサイズのスーツケースをスペースの都合上、自分の座席から離れた棚に収納する方も多い。
持ち主確認は大変手間取っていました。
全員降ろしたほうが早かったんじゃないの?
 
ドバイは相変わらずバブリー。
なんたって、恒例になっている空港免税店の福引、賞品がこれですから。
  
 
そんなドバイを発って4時間ほど、アフリカの赤い大地が見えてきました。
 
これはエチオピア上空くらいかな。
もうすぐケニアです。
 
ケニアの空の玄関口、ナイロビ、ジョモケニヤッタ空港はこじんまりしていました。
                             
大阪の伊丹空港より小さいような。
ナイロビはアフリカでは南アフリカのヨハネスブルクに次ぐ大都市だと思うので、これは意外。
 
空港でUS$からKSH(ケニアシリング)に両替。
1ケニアシリングはだいたい1円くらいなので、換算しやすいです。
実際には、0.8円だけど、日本で円から米ドルに替えて、それをここでケニアシリングに替えているので、
為替手数料が2回乗っかっていることを考えると、1円で考えていいかなあ、と。
 
そのとなりで、電話会社のものらしい窓口があり、SIMカードも買えました。
パスポートの提示もいらず。
SIMカードはksh50(約50円)。
安い!
チャージしたい金額を伝えてケイタイを渡すと、
窓口の女性がカードをセットしてチャージや時間の設定もすべてしてくれました。
SIMカードというのは、ケイタイに差し込んで使う、契約情報の入った小指の先ほどのカードです。
ここに、電話番号やメールアドレス、チャージ金額などが記録されます。
日本のケイタイは制限がかけられていてこのカードの差換えができないものがほとんどですが、
海外ではこれをを差換えるだけで、1台のケイタイが何カ国でも利用できます。
ただし、世界のケイタイの仕様はGSMとCDMAのふたつに大別されるので、ケイタイがどちらの仕様であるかにもよりますが。
私はGSM仕様の安いフィリピンのケイタイと、GSMとCDMAどちらもOKのスマホを持っているのですが、
ケニアでスマホは目立つと思い、盗難にあうことも考えて、安いケイタイを持ってきました。
 
空港から出ると、何台ものタクシーが。
友人が手配しておいてくれたタクシーを待ちます。
彼女がよく利用するという気のいいタクシードライバーさんは、ポールさんというお名前。
知り合いに、南米に出張で出かけて、空港で自分の迎えだと名乗るドライバーの車に乗って、
そのまま誘拐された、という貴重な体験をしたひとがいます。
ニセモノだったわけですね。
その点、ポールさんは生まれつき指が6本あるという事前情報をもらっているので、ニセモノにだまされることはありません。
ありがたいことです。
彼を探してうろうろしていると、ドライバーたちにたくさん声をかけられましたが、しつこくない。
同じアフリカ大陸でも、カイロやカサブランカのほうが、しつこくて面倒くさかった印象が。
意外にも紳士的かもよ、ケニア。
 
ポールさんに電話してみると、すぐ近くで待っていてくれていたようで、無事会えました。
かわいい6本目の指、間違いありません。
 
ケニアの赤い乾いた大地を縫って走るアスファルトの道を、
一路、友人宅のナイロビのベッドタウンでもある地方都市に向かいます。
          
舗装した道路は大統領官邸前とルート1くらい、というニジェールと違って、
ケニアの主要な幹線はアスファルトだとか。
さすが、アフリカの大国、ケニア。

近況ご報告

2011-09-24 04:35:04 | Singapore/学生生活

ケニアの旅がどんなだったか、
ケニアがいかにすばらしくて、おもしろいところか、お話したい気持ちが逸るのですが。
その前に、ちょっと今、立て込んでいる状況について。

実は私、来週から大学に通うことになりました。
その大学とは…シンガポール国立大学!!

の、サテライト校である語学学校みたいなもの。
シンガポール国立大学(National University of Singapore 、略してNUS)はアジアで三本の指に入る名門校です。
東大と同じくらいかしこい大学なんですよ。
私が通うのはNUS Extension(勝手に略して、えくすて)、その語学コースの英語クラス。
通うところが大学本校でもなければ、私も学部留学生というわけではありませんから、
バカでもお金と熱意があれば、入学許可はおりるわけです。
もちろんバカは私だけで、おそらく各国から留学してくる他の学生さんはそれなりにかしこいと思います。
私のクラスはほとんど初級なので、英語力がイマイチでも、今は許されるのです。
同じえくすてでも、そこはNUSだけあって、ビジネス系の講義が充実しており、
目玉が飛び出るくらいに立派な授業料だったりするので、
MBA取得とか考えているデキル方や、一流どころのビジネスパーソンも通ったりするのだと思います。
そんなかしこい方々に私のバカがうつらないように、ひっそりと通いたいと思います。
語学コースなんてきっと若者だらけだから、それでも目立つと思いますけれど。

木曜日、2回めの面接があって、無事、入学許可をいただきました。
最終学歴の卒業証明書や成績証明書など色々そろえて、
100問もあるヒアリングテストを受けて、2時間もかかるペーパー試験ふたつを受けて、知性とオーラの漂う面接官の面接もすませて、
その段階で入学許可はいただいていたのですが、
昨日の面接は、最後の判定というか、そんなもんです。

ことの経緯を説明します。
聞きたくないでしょうけれど、話したいのでガマンしてください。
話せば長くなりますが、それもガマンしてください。

ガスで1時間以上かけて玄米ご飯を炊く問題より、
都心に往復2時間かけて、高い納豆を買いだしに行く問題より、
私には解決しないといけない問題がありました。

それは、ビザなし滞在という今の不安定な状況

私がビザなしでシンガポールに滞在していることは、すでにお話しました。
だから30日以内に出国しないといけないという制約があると。
次の入国をスムーズにするために、出国先は母国がベストであると。
これね、最初のうちこそ、物見遊山で相方のところへ押しかけた手前もあって、
出入国もえへらえへら楽しんでいたのですが、だんだんイヤになってきまして。
何がイヤかって、実利の伴わない出費ほどケチに耐え難いものはない
お金も時間もムダ。

自分の貯金でやりくりすると宣言したフライト代もバカにならないし、
日本でもシンガポールでも、腰を据えて何かをやるということができない。

いつかは入国拒否をくらうというプレッシャーもストレス。
私は元来のケチで小心者。
さすがにちゃらんぽらんのダメ人間でも、堪えてきましてね。
このままえへらえへら暮らしていては、もっとダメ人間になってしまう、というヨタなりの焦燥感。
やっとですか、って話ですが。
解決策を細々と模索していました。

この話をすると、多くの方がこうおっしゃってくださいました。
ご主人のそんなに長い滞在が出張扱いというのはどうなのか?
ご主人にお願いして、会社に家族が帯同可となる駐在扱いへの変更をかけあうか、
それがムリなら奥さんの扶養者ビザ申請だけでもできるように、交渉してもらうのが一番では?

でもねえ、ご主人さんったらそういうことは、したくないと思うの。
面倒とか、頭を下げるのがイヤ、っていうのではなくて、
自分が特別扱いしてもらうことを潔しとしない性格だと思うから。
青いから…っていうより、白いとでもいうのでしょうかね、シロクマなだけに。
だから解決策は自分で探そうかと。

私の今抱えている根本的な問題が、他にもひとつ。
それは、英語力。
相方と暮らすなら、次がどこの国での生活になるか、わからない。
なのに、常々彼にバカにされているこの英語力では確かにマズイ。
親切なご老人に保護されている場合ではないのです。
せっかくだからシンガポールにいるこの機会に英語をちゃんとやりたいなあ。
そう思っていたのですが、英会話教室って、プライベートレッスンだと私には授業料が高すぎるし、
クラスレッスンだと、30日滞在期限が足かせとなって続けられそうにない。
いかにも残念。

それがあるとき思いついたんです。
ふたつをいっぺんに解決する策があると。
そうだ!
学生ビザを取って、留学生として語学学校に通ったらいいんじゃん。
ビザなし不安定生活からも開放され、望みどおり英語ざんまいの生活ができるじゃん。
私って天才じゃ~ん。
今さら気づくか、って話ですが。

安易に考えた学生ビザ取得と語学学校通学。
調べてみると、ビザのおりるようなコースは半日から丸1日の時間割、月曜から金曜まで毎日通学。
はっきりいって、普通の主婦では考えられない時間の割きよう。
家族の同意を得るのは難しいのかもしれません。
ですが、そこはシロクマ相方、
数週間ツマがいてもいなくても気にならないというおおらかさでもって、
私の計画にあっさり賛成してくれました。
私の存在価値って、いったい…。

8月に日本から戻ってくると、さっそく語学学校を本格的に探し出したものの。
そこにはいくつか壁があるとわかりました。

まず、私の語学力や年齢。
こんなんでも、入れてくれる学校があるのか?
最初はみんなビギナーとはいえ、この年齢でこの語学力ですからね。
まあ、私同様、ちゃらんぽらんな語学学校を見つけたらいいかな。
お金が欲しい、生徒が欲しい、弱小零細校なら入れてくれるかも。
ありがたいことに、弱小零細校のほうが、授業料が安いしね。

次に、相方の帰国時期。
ビザのおりるようなコースはターム(学期。入学申込する期間の単位)が3か月から半年、と長いところが多いのです。
いつでも帰国させられるように出張扱いとなっている(と思う)のに、タームの途中に帰国命令が出たらどうするのか?
まあ、そのときはその時、安宿にでも泊まって学生生活を続けるか、志半ばで帰国するか、考えようっと。

どちらも案ずるより産むが安しで、なんとかなるでしょう。

その後、高くて分厚い、最大の壁が出現。
シンガポールの学生ビザ(スチューデントパスといいます)取得は、私には思いのほか難しかったのです。
シンガポールで学生ビザを取得するには、
ビザを申請できる政府認定の学校の入学許可をもらって、その学校を通じて申請書類をあげないといけません。
それが、ここ何年か、いい加減な運営の学校が倒産するという事態が問題となっているようで。
さらに昨今、そんなゆるゆる学校に在籍する外国人の不法就労(学生ビザでの就労は不法)の問題も大きくなっているようで。
それらを受けて、去年、法改正があり、今年から来年にかけて、ビザ申請認定校の見直し審査が行われているようです。
なんというタイミングの悪さ。
その審査が終わるまで、今まで認定校であった学校も、生徒のビザ申請を受付できない、という状況。
さらにそんな状況下ですから、暫定的措置で引続きビザ申請を受付けられる学校や、すでに審査が終わって認定校となった学校も、
不法就労に走りそうな、グレーというかダークな生徒は引き受けたくない、という状況。
不法就労外国人の温床となりそうな弱小零細校ほど、そんな傾向が。
そういうわけで、一所懸探して、めぼしい認定校を見つけても、
ダークな私のビザ申請にあまり積極的ではなかったのです。

私、英語を熱心に学ぶような、世間一般の年齢をかなり過ぎておりますから。
私が語学学校でそういった説明を受けるのも、英語。
意味がわからず、何度も聞く私。
やっと「あなたは学生適齢期を過ぎているから」と言われているとわかったときの、打ちのめされようといったら。
何度もしつこく聞いているから一層落ち込むという、その滑稽さと哀れさ
「受付けるが、あなたの審査は難航すると思う。6週間以上かかるかも。取れるといいのですが」と、言いにくそうにおっしゃる学校も。

6週間って、42日じゃん。(間違ってませんよね?)
それまでに、また出国しなくちゃいけないってこと?
ビザ申請時期はタームの始まる○週間前とか、各校にルールがあったりするので、
出国タイミングがターム突入後になったりします。
そんなことしていたら学業の妨げじゃん。

それでビザが取得できなかったらどうなるわけ?

ちくしょ~。
学生適齢期を過ぎている」って、
75%も中国系のくせに、「少年老いやすく、学成り難し」って漢詩を知らないのでしょうか!?
その象徴が私
ってわけですよ、思い知ってくださいよ!
知ったら、老若男女を問わず、学ぼうという人間に広く門戸を開けよ、ってんですよ。
そうムカついていたら、少年老いやすく~は、日本人が作ったらしい、と知りました。
いやあ、本当に学が成ってないことをはからずも証明してしまいましたね。

こうなったら、手ごろな弱小零細校入学はあきらめて、
ぐうの音も出ないような、立派な学校からビザ申請書類をあげてやる!
シンガポールで一番名の知れた学校はどこよ!?
そうやってたどり着いたのが、シンガポール国立大学だったわけです。
大学にしてみればこんな格好でひっぱりだされて迷惑な話、われながらなんという短絡思考。
貧すれば鈍する。
じゃなくって、叩けよ、さらば開かれん、ですね。
ここが一般にも広く門戸を開く語学コースを持っていたとは。

私としても、優秀な講師陣のもと、熱意にあふれる学生さんたちと学ぶことは大変有意義。
学費が弱小零細校の2倍かかる、というのはとてもイタイのですが、
より確実にビザが取得できて、より堅実なところで英語を学べるなら、これ以上言うことはありません。

滞在期限までに時間がないので、学校をここ1本に絞り込んで、アポを取って試験と面接を受けて…。
申請に必要な書類(兼入学願書添付書類)をかき集めるのに手間取ったので、提出したのがケニア行きの直前。
もうね、滞在期限も迫るし、
出国前にビザ申請をしないと入学できないか、タームの途中でまた出国する羽目になるかだし、
ケニア行きのフライトを一度変更したものの、友人が私を受入れられる時期も限られているしで、あせる、あせる。

一番取り寄せが難航したのは、卒業証明書と成績証明書。
母校の学生課に問い合わせると海外からの直接の取り寄せ(海外への郵送)は不可、とのこと。
家族しか代理人になれないところを、あの母よりは確実と、
日本にいる友人の親切心を利用して、彼女を代理人に立てることを学生課に頼み込んで、というかごり押しして承諾してもらい、
多少は余裕を持って請求したのに、待てど暮らせど、書類が届かないのですから。
ひとが人生の岐路に立っているというときに、
優雅にバカンスを取って、バカンス明けにたまった書類を放ったらかして、お泊り出張に逃げた、がくちょー
(何度も学生課に国際電話をかけて進捗を尋ねたり、催促したりだったので、真相を教えてくださった。)
各証明書に必要という、あなたのサインをどれだけ待ったことか。
挙句そのサインが、カンタンに偽造できそうな英語習いたての中学生なみの字だったとは。
恨み言のひとつも言ってやりたかったので、ここに全部暴露しちゃいましたよ。

今までの経緯で判明したこと。

シンガポールいちどころか世界に名の知れたNUSからのビザ申請には、ぐうの音も出ないようで。
必要書類も弱小零細校より少なければ、申請時にICA(移民管理局)に預託するという保証金も不要でした。
さすがにビザはまだおりていないのですが、
かかる日にちや確実性をえくすての担当者、ナタリーに尋ねたところ、
「NUSからの提出後、2週間くらいしたら連絡するから、ICAに取りに行ってね」と、いかにも軽いお返事。
まるで、確実に取れることが約束されているかのような言いぐさではありませんか。
6週間以上かかるくらい難航して、取得できるかどうかもグレーという、弱小零細校との、この差。
(それは将来有望な若者と私との差でもあるわけですが、そこは棚に上げてしまいましょう。)
さすが、シンガポールの東大!
完全に私の作戦勝ち
ですね。
思い知ったか!(って、誰に言ってるんだろ?)

ということで、来週からは学生さんです。
早くに結婚して子どもを産んでいたら、こんなくらいになっていたのね、といった年齢の若者たちがきっとクラスメート。
学生時代、したかったけれど、経済的な理由から断念した(ということにしたい)留学。
すっかり忘れていた夢がこの年齢で、しかもこんな経緯でかなうとは。

そんなわけで、旅行から帰ってきてからも、
ナタリーとのやり取りや面接準備などで、時間的にも精神的にも、旅の余韻に浸る間もないくらいバタついておりました。
面接が終わって、「来週から忙しくなるわよ」とのふたりの面接官の言葉に、入学決定を実感し、喜びと開放感。
夢心地でそのまま恒例のモザイク教室に行って帰ってみると、ナタリーとは別のスタッフからのメールが。
月曜日はオリエンテーションなるものがあるようです。
そのお知らせのメールが資料添付で送られてきました。
イマドキって、こういうの、全部メールでくるんですね。
当然すべて英語で、すでにそれが理解できなくて泣きそうになる、現実の厳しさ。
中高年ヨタ留学生、早くもピンチ。

来週からはもっとバタつくと思いますが、
ケニアの旅のお話もしたいし、中高年ヨタ留学記としても、お話したいことがでてくるかと。
毎日とはいかなくても、こつこつ更新していきたいと思います。
これからも、なまあたたかく見守っていただけましたら。
どうぞよろしくお願いします。

 

                                   


写真は、ケニア旅行出発当日の機内の新聞。
NUSのことが載っていたので、うれしくなってケニアまで持って行き、シンガポールまで持って帰ってきました。
ロンドンのQSという機関が発表する今年の大学世界ランキングで、NUSが3つ順位を上げて28位になった、という記事。
何度もいいますが、私はえくすての学生なのでバカでも入れたわけですが、NUSは立派な学校なのです。
同じくシンガポールの名門校、NTUは16も順位を上げて、58位だそうです。
参考までに、1位はケンブリッジ、2位はハーバード、3位はマサチューセッツ工科大学、東大は25位でした。
新聞がヨレヨレなのは、私がだらしないからではなく、
ケニアの乾燥地帯にある水不足のはずの友人宅で、部屋が浸水するという不思議な受難にあったから。
ケニアのお話、本当に積もっているのですよ。


ケニアより帰国

2011-09-19 16:12:03 | Singapore/たび・現実逃避
昨日の午後、無事帰国しました。
 
出発前はどきどきとびくびく、あい混じった落ち着きのなさでしたが、
ケニアを去るその時は、淋しくてしんみりした気持ちになりました。
 
シンガポールへ戻った昨日は、
荷物の整理とか、お土産の整理とか、衣類の洗濯とか、
散らかった部屋の掃除とか、部屋の掃除とか、部屋の掃除とか…
色々することがあり、旅の疲れもあって、くたくたに。
 
マンションは相方の一時帰国後、私の旅の前、
精魂こめてぴかぴかにしていったはずなのに、おかしいなあ。
張本人はゴルフで留守。
帰宅した私がドアを開けると、
そこにはアフリカの荒野と向こうを張るかのような荒れ放題のリビングが広がっていたのでした。
キッチンも寝室もバスルームも洗濯部屋も、すみからすみまでパーフェクトな荒れっぷり。
さすが僕。
おかげさまで私は一瞬のうちに現実に戻ることができました。
ありがとう。
 
それよりも、快く送り出してくれたことに、感謝しなくちゃね。
本当にありがとう。
 
本来の業務とイベントを企画、準備中という多忙を極めるなか、
ネットワークをいかして多くの友人を巻き込みながら、世話を焼き、時間を割き、
週末旅行にもつきあってくれた友人にも本当に感謝。
 
 
まだまだ荷物やお土産、衣類の整理や、
部屋の掃除や、部屋の掃除や、部屋の掃除は続きます。
並行して、旅の前からちょっと立て込んでおり、しばらく更新が滞るかもしれません。
それについては、また後日報告します。
 
 
 
でも、元気にやっています。
しばらくは旅の余韻に浸りながら過ごします。
 
ご心配をおかけした皆さまに、まずは無事のご報告まで。
 
 
                                   
 
 
 
写真はマサイマラの大地にかかる虹。
肉眼だと外側にもう1本かかっているのがわかるのですが。
サファリカー右の黒い粒々はヌー。
マサイマラにはこの季節、タンザニア、セレンゲティからやってきた群れが見渡す限りの大草原に。
夢にまで見た風景が目の前に広がっている、その感動はずっと忘れません。