ぽれぽれ百綴り

犬好きおばさんのんびり雑記。

住吉川上流(の私有地)でBBQ

2013-05-29 22:06:25 | 外出&食い意地
今日、病院で血圧をはかってもらいました。
 
 
記録更新。
 
 
上が78、下が42でした。
  
 
もともと低いほうとはいえ、そりゃ、最近の私、疲れやすい、カラダがだるいわけですよ。
 
働きすぎかなー?
 
 
新生児でももうちょっと高いらしい。
 
 
点滴後にはかったら、
 
下が45にUP!
 
うれしー。
 
 
とはいえ、自力で病院から帰るのはしんどかったです。
 
雨が止んでいたので、カサが杖がわり。
 
途中、何度も休憩して…おばあさんのようだったかと。
 
 
 
 
そんな私も、休日は元気。
 
日曜日はシロクマ相方とふたり、彼行きつけの立ち飲み屋さんが主催のバーベキューにいってきました。
 
   1時間ほど遅れていったけれど、50人くらい集まっていました。
 
野菜中心の生活を心がけているものとして、
 
この日も、キャベツ、焼きそば、エビ…などをいただいおりました。
 
   見事なヘラさばき。プロみたいだけれど、お客さんなのん。
 
 
が、お肉の焼ける香ばしいにおいに、早々にギブアップし、次々かっ食らってしまいました。
 
    
 
牛タン、分厚いステーキ、シカ肉。がつがつ。
 
                
               すっごく分厚くてジューシー。私、レアでいただきました。どこがベジタリアンだ。
 
食のプロが調達した素材は抜群。
 
 
ごちそうさまでした。
 
 
 
スペアリブや地鶏もあったらしいのですが、いただき損ねました。
 
 
 
 
 
デザートはスイカ。
 
   
 おとなのスイカ割り。酔っ払いだから、この不作法。
 
 
甘くておいしかったー。
 
   
 
立ち飲み屋さんが主催なだけあって、参加者はみんなお酒が大好き。
 
あっという間にサーバーのビールも空になり、陽気な酔っ払いが続出でした。
 
  近くに鶏舎が。烏骨鶏ですかね?
 
お天気の良い日で、帽子もかぶっていたし、木陰にいたのに、しっかり日焼けしました。
 
 
 
楽しかった。
 
 
 
 
久しぶりに思い出話も更新しました。
 
今回は2012年11月3日です。
 
 
  食べものを粗末に扱うのはやめましょう。 
     

続・母の思い出(*注:今も健在です。)

2013-05-26 22:21:39 | 日記
前回、動物好きの向う見ずな母についてお話ししました。
 
自分で書いたものを読み返していて、「そういや、こんなこともあった」と またひとつ、思い出したので、
 
今日はそれをお話しさせてください。
 
 
当時、小学生になった私もお世話を手伝ったカメのことを。
 
今日のお話、ごめんなさい、長いです。
 
 
 
母はカメを飼う気など、元々はありませんでした。
同居の義父母、私にとっての祖父母は強烈な動物嫌いで、爬虫類も例外ではありませんでした。
 
それが、ある日、父と一緒に花市場にいったとき、花以外のものがセリにかけられようとしているのをみつけました。
今から40年近く昔の話なので詳しいことはわかりませんが、それは立派なカメだったらしい。
夏祭りで売られている小さなミドリガメではなく、甲羅の大きさが20センチを超えたというのだから、結構な大きさです。
 
母はピンときました。
 
売れ残るに違いない」と。
 
なぜ、花市場でカメが売られていたのかは知りませんが、そういうおおらかな時代だったのでしょう。
 
 
母は急いで父のもとに走り、尋ねました。
 
 
売れ残った商品はどうなるのか、と。
 
 
 
自分たちの出荷する切り花の手続きで忙しくしていた父は答えました。
 
 
売れ残りは市場のひとに処分される。
 
でもわが家の花はよそより高値で買われているくらいだから、そんな心配は無用だ、と。
 
 
母は急いでカメのもとに戻りました。
 
 
そうして始まったセリを恐る恐る見守りました。
 
やはり売れ行きはよくなかったようです。
 
 
罪のない動物が処分されるなんて!!
 
 
そこは、若さゆえの思い込みの激しさと、若さゆえの後先ナシの行動力。
 
 
この小さな命を救ってやらなければ!」と、
 
母はカメたちを引き取ることを決意し、なけなしのお小遣いでセリ落としました。
 
 
 
数匹全部
 
 
売れ残りの花が処分されるのは事実だとして、
花市場でカメが大人気で完売、なんて甘いことは出荷主も考えていないでしょうし、
市場のひとも生きものを処分するのはいやでしょうから、出荷主に返品するなりの取り交わしがあったはず。
 
そういったことを確認しないまま行動に走る母は、本当に考えナシだと思います。
 
 
でも母は、
 
小さな動物たちの救世主のような気分になって、
 
浦島太郎のように優しい自分に酔いしれたことと思います。
 
 
 
帰宅すると動物嫌いで吝嗇家の祖父母は激怒しましたが、
父は母をかばい、無事、カメたちを飼えることに。
 
       イメージ画像。確かこのくらいのサイズで5匹いました。
 
 
その頃には小学校高学年になっていた兄と、低学年の私は、
 
明けても暮れてもエサ調達のために野山を奔走した地獄の日々を思い出し、凍りつきました
 
 
       イメージ画像。私たち兄妹の脳内イメージ。きっとこれくらいに増えると予想。
 
 
エサ調達の人員は増強されていましたが(弟が生まれていた)
 
新規加入メンバーは、戦力的には未知数でした(弟は幼稚園年少組さん)
 
 
それに、ころころモコモコちょこまかとした愛らしいモルモットに比べ、
のっぺりずんぐりとしたトロいカメは、
私たちのエサ調達モチベーションをあまり刺激しませんでした。
 
 
私たちの様子を見て父は言いました。
 
 
そんなに心配しなくていい。
 
カメは中庭に放し飼いにして、エサは野菜やかつお節を与える。
 
井戸のまわりに水辺があるとはいえ、繁殖するには十分じゃないだろう。
 
カメが増えることはない
 
 
 
わが家の中庭は(というか、すべての庭は)、ろくに手入れもしていないので、大自然そのまま。
木々も伸び放題で木陰がいっぱいなら、草もぼーぼーなので、カメは違和感なしにのびのびと暮らせたと思います。
 
キャベツやカボチャなどの野菜とかつお節、ちりめんじゃこなどのエサは決めた場所に置きましたが、
腐ったり、アリが集まったりするのを避けて、十分には置かず、カメたちが現れると与えるようにしました。
 
      イメージ画像。こんな感じでエサ置き場を作っていました。
 
そのうちにカメたちは私たちを見つけると、エサをもらおうと寄ってきました。
トロいなりに急ぎ足で。
 
そんな愛嬌のある様子を見ていると、それなりに愛情がわきます。
 
手から直接エサを食べる様子もかわいくなくもない。
 
天気の良い日に庭を散歩していると、カメが甲羅干しをしているのに出くわしたりするのも、楽しい気分にさせました。
 
当初、みんな一緒に見えたカメにも個性があり、一匹、一匹、なんとなく区別できるようになってきました。
 
 
 
そうなると、いつも同じカメにばかり出会うことに気づきました。
 
 
カメ全員にエサをあげていないような?
 
 
 
私たちは父に報告しました。
 
 
それは一大事だ。
 
ちゃんと確認しなければ。
 
 
 
母のアイデアもあって、父はカメを見つけるたび、甲羅にマジックで大きく番号を書きました。
 
1のカメ、2のカメ、3のカメ、4のカメ…。
 
        イメージ画像。こんな感じで極太マジックで番号を書きました。
 
そうして、私たち兄弟にどのカメにエサをあげているか、記録するようにいいました。
 
 
でも、最後まで甲羅に5を書くことはありませんでした。
 
 
 
死んでしまったのか?
 
 
やがて、4のカメも見かけなくなりました。
 
 
 
庭に動物の死骸があるのを忌み嫌う祖父母の命により、
家族みんなで(←祖父母を除く)一所懸命カメを探しましたが、荒れ放題だったこともあり、見つけられませんでした。
 
カメが生きていたとしても、 中庭は塀に囲まれており、外には出られません。
 
 
増えることがないのは想定内でしたが、減ってしまうことは想定外
 
 
いったいこれからどうなるのか?
 
 
庭はカメの死骸だらけになるのか? 
   
 
 
父母と祖父母との話し合いなど紆余曲折があったのち、
 
結局、残ったカメたちを手放すことにしました。
 
 
 
 
だれに?
 
どこに?
 
子どもたちにはどう説明するのか?
 
 
 
 
 
その頃にはすっかりカメがかわいくなっていた私たち兄弟は、弟を除き、立派な小学生。
 
「ハーメルンの笛吹き男が連れて行った」では、もうごまかせそうにありません。
  
           
 
 
(そもそもハーメルンの笛吹き男がネズミの仲間のモルモットを連れて行くことはあっても、カメを連れて行くとは思えません。
 
百歩譲って、彼にその気があったとして、カメたちが彼のスピードについていけるとも思えない。)
 
 
 
今回も引き取り手探しは難航、ついに見つけられませんでした。
 
 
その後の案は大きな村池に放すことでしたが、それでは私たち兄弟は納得しないし、生態系を乱すことも心配で、断念。
 
最後に出たのは、学校の裏庭にある池に放すことでした。
 
そこにはいろんな種類のカメがたくさん飼われており、セメントで囲まれた人工池なので生態系の乱れも心配ありません。
 
 
それでも私たちはカメと別れがたく、反対しましたが、母の言葉が決め手になりました。
 
 
私たちにカメの飼育は無理だった。
 
生きものは大切にしなくてはいけない
 
カメを学校の池に放すことは、その命を救うことになる
 
それに学校に行けば、お前たちはいつだってカメに会えるでしょう。
 
 
父母はPTAの役員をしていたこともあり、それは実現できたのでしょう。
 
実際、教頭先生とは懇意にしていて、私はニコニコと優しい彼が大好きでした。
 
 
 
その週末、日曜日の朝早く。
 
私たち兄弟は両親と学校の池に3匹のカメを放しました。
 
私はとても悲しかったのですが、生きものを大切にするため、カメを助けるため、と、自分を納得させました。
 
私たちはみんな、浦島太郎の気分になって、仲間のもとに泳いでいくカメたちを見送りました。
 
 
 
 
それからのちも、学校に行けば、いつでも私たちのカメに会えました。
 
群れ(?)のなかにいても、にごった水のなかにいても、甲羅の番号で簡単に探せました。
 
1のカメ、2のカメ、3のカメ。
 
どのカメも元気そうでした。
 
 
 
母は正しかったのです。
 
 
 
しばらくして、朝礼がありました。
 
校長先生の次は大好きな教頭先生のお話です。
 
 
でも、その日の教頭先生はニコニコしていませんでした。
 
悲しいことがあったのでしょうか?
 
 
「みんな、目を閉じて下を向いて」
 
 
黙とうさせられるほどに、悲しいことが?
 
 
「生きものは大切にしなくてはいけません」
 
 
学校か隣接の幼稚園で飼っている動物が死んでしまったのでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
「このなかに、
 
 
 
 
学校のカメにイタズラ書きをしたひとがいます。
 
 
 
 
 
正直に手を挙げて」
 
 
 
 
 
 
はい?
 
 
 
 
(カメたちを学校の池に放すことについては、事前に相談することも考えたが、万一断られたら後がないので、やめた、とは母の弁)
 
 
 
動物はかわいい。
 
でも飼うには責任が伴う。
 
 
 
母のDNAのおかげで、私たち兄弟は今もみんな動物が大好きです。
 
でも、母を反面教師としてか、それぞれに家庭を持った私たちが動物を飼うことは今もありません。
 

母の思い出 (*注:今も健在です。)

2013-05-18 17:25:33 | 日記
ご無沙汰しています。
 
と、私はこの出だしで始まるブログを何度書けば気が済むのか?
 
 
予告どおり更新が滞っておりましたが、過去となったゴールデンウィークのお話を書こうにも、
仙台旅行の写真も、その後の実家の写真も、イタリア料理教室の写真も整理できておらず、
ブログ再開前の思い出話はもちろん、ひと文字たりとも書けていないので、
今日はサクッと軽いものを。
 
母の日も過ぎちゃいましたが、それにちなんで(とっくに過ぎちゃっているのも気にせず)、母のことを。
 
私は動物全般が好きで、それも肉食を控えようと思っている理由のひとつなのですが、
それは母から受け継いだDNAのようです。
 
母は「動物は世話が大変だからイヤ」とか言いながらも、
いざ飼うとなったら、いのいちばんでかいがいしく世話し、優しく話しかけるつんデレタイプです。
 
 
小さいころから動物好きだった母は、ヨメに来てからもいろいろな動物を世話しました。
 
犬、ネコまではあたりまえ。
 
モルモット、ハト…ここまでくらいもありがち。
 
 
野鳥のヒナ…巣から落ちて母鳥に見放されたもの。
 
モグラ…害獣として捕獲したけれど、かわいそうになって(当時、村役場に持っていくとお金がもらえたのですが)
 
イタチ兄弟…わが家の牛舎(だったらしい)に産み落とされたのち、母イタチに育児放棄されたもよう。
 
 
 
ここまでくると、ちょっとすごくありませんか?
 
 
 
今日は当時幼かった私もお世話を手伝ったモルモットのことを。
 
 
母はモルモットを飼う気など、元々はありませんでした。
同居の義父母、私にとっての祖父母は強烈な動物嫌いでした。
 
それが、車で20分ほどの医大付属病院に行った帰り、近くで小動物を売るお店に気づきました。
今から40年近く昔の話なので詳しいことはわかりませんが、ペットショップではないたたずまいだったらしい。
 
母はピンときました。
 
実験動物を売るお店なのだ」と。
 
恐る恐る中をのぞいてみると。
 
真っ先に目に入ったのは、かわいいモルモットたち。
 
         イメージ画像。
 
「こんなかわいらしい動物が、残酷な動物実験の犠牲になるなんて!!
 
そこは、若さゆえの思い込みの激しさと、若さゆえの後先ナシの行動力。
 
「この小さな命を救ってやらなければ!」と、
 
母はモルモットたちを引き取ることを決意し、なけなしのお小遣いで買い取りました。
 
数匹全部
 
そこが本当に実験動物専用のお店だとして、
店内に動物は他にも色々いたらしいので、本当に考えナシだと思います。
 
 
でも母は、
 
小さな動物たちの救世主のような気分になって、
 
天使のように優しい自分に酔いしれたことと思います。
 
 
 
帰宅すると動物嫌いで吝嗇家の祖父母は激怒しましたが、
父は母をかばい、無事、モルモットたちを飼えることに。
 
友人の大工さんに頼んで、飼育用の木箱をつくってもらいました。
バスタブくらいのサイズの立派なやつ。
 
木箱は祖父母の寝室のある母屋から一番遠い庭の片隅に置かれました。
(とっても田舎のとっても古い家なので、庭が五つくらいあり、私は父母とはなれで暮らしていた。)
 
初めて飼うモルモット、うまく育てられるのか?
 
当時、田舎では番犬用の犬とネズミ対策用のネコを飼うのが主流だったので情報はありません。
 
それでも家族みんなで(←祖父母を除く)一所懸命世話しました。 
 
幼稚園児の私と小学生の兄は野山を駆け回って、モルモットのエサ調達に奮闘しました。
たんぽぽ、くず、ハコベ、クローバー、れんげ…。
 
母は木箱に敷きつめたワラをひんぱんに取り替え、清潔に保ちました。
 
父は日当たりや風通し、暑さ寒さを考えて大きな木箱を移動してやりました。
 
    イメージ画像。こんな感じで飼っていたと記憶。
 
新鮮な野草をいっぱい食べて、清潔なワラを敷きつめた十分な広さのあるスペースで、
 
モルモットたちは元気に過ごしました。
 
 
 
そして、赤ちゃんを産んでくれました。
 
その小さいこと、かわいらしいこと。
 
 
大喜びの私たち、のんきな家族
 
 
 
赤ちゃんモルモットはすくすく育ち、
 
 
モルモットたちはその後も順調に増えていきました。
 
 
 
 
 
ネズミ算式に
 
(モルモットはネズミの仲間で多産)
 
 
 
おいしい空気、おいしいごはん、清潔で快適なゆとりあるスペース。
 
 
 
不安から始まった私たちの飼育は、結果として大成功し、
 
 
 
モルモットの数は30匹を超えました。
 
            イメージ画像。これくらいに増えたと記憶。
 
 
これは一般家庭で育てられるキャパを超えています。
 
 
 
幼い私たち兄妹のエサ調達も能力の限界
 
バスタブサイズ木箱はふたつに増えましたが、その庭は小さかったので、これ以上は限界
 
ワラや木箱の設置場所を換えてもニオイが気になるようになり、祖父母の我慢も限界
 
 
 
いったいこれからどうなるのか?
 
 
 
    イメージ画像。近い将来、確実にこうなると家族全員が予想。
 
 
父母と祖父母との話し合いなど紆余曲折があったのち、
 
結局、モルモットたちはすべてひきとってもらうことになりました。
 
 
 
 
元の実験動物を売るお店に。
 
 
 
 
母ってば、悪魔の所業
 
 
結局、母は、実験動物の繁殖に加担しただけ、という。
 
 
しかも無料でひきとってもらったので、無報酬のボランティア。
 
完全無欠のおめでたさ。
 
(当時、モルモットを扱うペットショップなど田舎にはなく、探してもひきとり手はみつからなかった、とは母の弁)
 
若さゆえの愚かさですね。
 
それにしては家族への負担が大きすぎましたが。
 
そして不幸な動物を大幅に増やしてしまいましたが。
 
 
 
そんな無謀な母も今は静かな年金暮らし、今日も「動物は手がかかるからキライ」とか言いながら、
 
かいがいしくシロさんのお世話をしていることでしょう。
 
朝夕の散歩に2食の手づくり食事とおやつ、お天気の日には毛布やタオルケット干し。
 
 
おかげでシロさんは、散歩を楽しみ、おいしいご飯を食べて、ヘソ天で寝て、
 
のびのびとしあわせに暮らしています。
 
 
毎日ありがとうね、母。
 
いつまでも元気でいてください。
 
 
   
 本日の無関係写真は昨夜のおかず、赤べらの南蛮漬け。
 派手なガラ、横縞一本がカッコイイ赤べら。青べらってのもいます。これまた派手です。
 べらって最初はみんな女の子に生まれて赤色、成熟してしばらくすると男の子に性転換し、青色になるんですって。
 男女両方の人生を生きられるって、お得感あるなー。
 そういうの、ひとの世界にもありますが。