ぽれぽれ百綴り

犬好きおばさんのんびり雑記。

シロの最後

2016-04-20 10:15:12 | いぬ・シロさん
1週間が経ちました。

この世界にシロさんがいないなんて、いまだ信じられない。


一日中、シロさんの写真を見たり、3つしかない動画を見たり、
過去ブログを見たりして、ぼーっと過ごしています。


(お世話になったクリニックから届いたお花)


時々は遺品のブランケットに包まったり、

首輪のくっさい残り香を嗅いで悦に入ったり、
最後のブラッシングで集まった抜け毛のモフモフ具合を確認して恍惚状態になったり…

もはや変質者です。


(最後にシロさんを包んでいたブランケット)


(亡くなる1週間前までつけていた首輪)


(シロのモフ毛。残り香は惜しいけど、長期保存のためエマールで洗いました。)

シロさん、いっちゃったんだなあ。

もういないんだなあ。

泣くだけ泣いて、やるだけやったら少し落ち着いたので、
シロさんの最後のことを書きとめておきます。



4月11日、月曜日。

その日の夜からシロさんは嘔吐を繰り返すようになりました。

1週間も食べてないのに、
吐きだすものもないのに。

一晩中苦しそうに嘔吐していました。

息は荒く、離れていても小さな心臓の鼓動の音がトクトクと、
大きく、速いのがわかるくらい。


シロは逝く。

もうすぐ逝ってしまう。

それはもう止められないようでした。


シロの背中をさすり、
彼女が吐瀉物で寝床を汚すことをためらっているのを手で受け止めて、

「シロ、もう少しやから」

「もう少ししたら、犬の神さま、迎えに来てくれはるから」

「シロ、よくやりましたね、って迎えに来てくれはるから」

私は何度も繰り返しました。

がんばって、とはもう言えませんでした。

つらい一夜でした。



12日、火曜日。

日曜日から泊まり込んでいる私が帰る日。

予約していたので、お昼前にクリニックに行きました。

検査結果を聞くためです。

結果は「多発性骨髄腫」でした。
これでシロさんは抗がん剤治療を始められます。
でも本人はもう人生を終わらせようとしている。

シロの呼吸が苦しそうなのと鼓動が速い理由。

肥大化した下垂体と副腎腫瘍が血圧のコントロールを失われせ、
多発性骨髄腫が血液を粘性化させているからだそう。

心臓には相当な負担がかかっていると。

シロの体は悲鳴をあげているのです。

血圧のお薬と痛みを抑えるステロイド剤は併用できません。

痛みをとることを優先しました。

「痛みと吐き気を抑えてあげれば楽になり、
食べられるようになるかもしれません」

ドクターはまだそうおっしゃってくださいましたが、信じられず。

そうなればどんなにうれしいか、と聞いていました。



帰宅してお薬を飲ませると、シロさんの嘔吐は止まりました。

少し楽になったようです。

でも食べる気配はない。

「帰るのをやめようかな」

私は言いました。

今日帰るともう二度とシロさんに会えないような気がしました。

「もう一度来ることにして、約束なんだから一度は帰り」
母は私に促しました。

私がずるずると実家にいることで、
シロクマ相方との関係が悪化する、と母はずっと恐れていました。

そんなことは絶対にない、

はず、

と思うのですが。


「帰るの、やめるわ」

「一度、帰りなさい」

やり取りは繰り返され、
結局、私は母に従い、帰ることにしました。

病院のこと、治療のことで母にはたくさん譲歩してもらったので。

シロは体を丸めて横たわっていましたが、
私たちのやり取りを聞いくように、頭を上げていました。

「シロ、吐き気、おさまったやろ。

また美味しいもの、食べような。

たくさん作ってもらって、ばくばく食べような」

帰りぎわ、私はそのやせて小さくなった頬に頬ずりしました。

シロはもう食べることはない、そう思いながら。

ほっぺの柔らかいお肉は落ちたけれど、
それでも白くてふかふかのシロの頬。

「無理言わんといて。

まずは重湯からやろ」

母がシロに代わって応えました。

「シロ、またすぐ戻って来るから」

「また会おうな」

どこかで、もう会えない、と聞こえました。

左の頬をシロに頬ずりし、
両手でシロの反対側の頬と頭をなでました。

シロは少しだけ頭を揺らして私に応えてくれました。

その力なさが悲しかったです。

それがシロとの最後になりました。


13日、水曜日。
ずっと寝不足だったせいか、
私は晩ご飯の準備をしたらソファーで眠ってしまいました。

目を覚まして、ももの夢を見ていたなあ、と、おぼろげに思いました。

シロが大変なときに、

何年も前に亡くなったももの夢を見るなんて。

不思議でしたが、
夢の中のももはにこにこしていたので、
いい夢だったのだと思います。


(先住犬もも。メニエール症の直後のしんどそうな写真でごめんね)



シロクマ相方が帰宅して、
遅い晩ご飯を一緒に食べて、

テレビを見ながらくつろいでいると、

10時20分すぎ、電話が鳴りました。

それでわかりました。


シロは逝った。

逝ってしまった。

ああ、ももはそれを知らせに来たのか。

「シロ、あかんかってん」

母はしゃくりあげていました。

「シロ、逝ってしまってん」

雨の音が聞こえました。

「8時45分くらいやと思うねん。
お風呂に入ってる間に逝ってしまってん」

そこからこのひとはずっと泣いていたのか。

母はシロの最後について泣きながら話してくれました。


その日は朝からシロは激しい嘔吐に苦しんでいました。


お水を飲むのもしんどそうだったとか。

母はほとんどつきっきりで、
背中をさすったり、
お水を飲むのに介添えしたり。

ドクターのアドバイスで、ポカリスエットを飲ませたり。

「そんなにしんどいのに、
あの子、おしっこは外でするってきかへんねん」

それでは体が参ってしまうと思って、
母は買っておいたおむつを初めて履かせようとしたらしいです。

「弱りきってるはずやのに、
どこにそんな力が残ってるのん?
ってくらいに抵抗するねん」

断固拒否されたもよう。

そんなにしんどいのに。

外は雨なのに。


「シロは強いなあ」

「賢い子やねえ」

やっとの思いで外でおしっこをすませたシロを、
感心した母は本心からほめてあげました。

午後になって、ますます嘔吐は激しくなりました。

お薬も吐きだしてしまったようです。

吐いた後は少し楽になるのか、深いため息をつきました。

母はずっとつきっきりで、世話をしました。

「大丈夫か?」

「しっかり!」

「ほらこれ飲んで…」

母もシロにはたくさん話しかけます。

そんな母の介添えする手をシロはなめたそうです。

シロの感謝の気持ちをそうやってあらわします。

「ありがとう」と言っているのです。

そんなにしんどいのに。



やがて夜になり、

シロの症状はほんの少し落ち着いたように思えました。

「ちょっと待っててや。 すぐ戻って来るから」

8時半頃、

母は素早くお風呂に入って、

あわててシロに添い寝する準備をして戻ってきました。

8時50分を少し過ぎていたそうです。

「シロ、一緒に寝ような」

近づいてシロをなでようと手をかざすと、

シロはもう息をしていませんでした。

体は温かく、
ほんの少し前に息を引き取ったとわかりました。


シロはひとりで逝ってしまいました。


お風呂場はシロの寝床のすぐ隣。

母が添い寝の支度をしていたのもシロのすぐ近く。

物音がしたらわかるし、
クンとでも鳴いてくれたらわかるのです。

それなのに、
シロは黙ってひとりで逝ってしまいました。

「シロ!」
「シロ!」
「シロ!」

母は温かいシロの体を抱き上げて、
うっすら開いている茶色の瞳をのぞき込んで、
何度も呼びました。

何度も呼んで、その体をゆすり、なで、さすりました。

でも、シロは応えてくれませんでした。

シロは戻ってこない。

母はシロの目を閉じてあげました。

シロはずっと苦しんでいたのに、
目を閉じると眠ってるような穏やかなお顔になって、
ホッとしたと母は言いました。

「やっと楽になれてんな」

それからずっと泣いて。

10時をまわってやっと少し落ち着いた母は、
私に知らせることに思い至ったようです。



シロさんはもともと滅多に鳴かない子でした。

ワン、とも鳴かなければ、

きゅん、とも、くんくん、とも、鳴かない。

女の子なのに口数が少ない。

ももが、
ワンワン、きゃんきゃん、くんくん、
いつでも口うるさく何か訴えているのとは対照的。


おばあさんになってからのシロさんは、
さらに口数が少なくなりました。

若い頃はドタバタとがさつでしたが、
おばあさんになってからはいつも物静か。

おとなしくてやりやすい子でしたが、
何か辛抱させてないか、無理してないか、
心配になることも。

こちらに心配かけないようにとの配慮だったのでしょうか?

手をなめたり、体をくっつけてきたり。

お礼や甘えは控えめなボディランゲージであらわしてくれました。

最後まで静かな子でした。

最後まで静かに「ありがとう」を言ってくれました。


15年前の春の日に突然、
ひとりでわが家にやって来たシロは、

また春の日に、ひとりで去っていきました。



14日、木曜日。
朝から私が帰ると、シロはまだ温かかったです。

「ゆうべは一緒に寝てん」

母がうれしそうに言いました。

寝顔のように穏やかなシロの横顔は、苦しさから解放されたようでした。

口元は口角が少し上がっていて、微笑んでるみたい。

そのお顔を見ていると、私は救われました。

シロを救ってやれなかった苦しさから、
シロは私たちも解放してくれました。

シロは私たちを許してくれたのでしょうか。



「シロの体が傷んでいくのはイヤだから」
「シロがどんなふうに扱われるかわからないから、お預けするのもイヤ」

母の強い思いから、
私は今日中に火葬してくださる葬儀社を探しました。

当日中に私たちの目の前で火葬してくださるところはなかなかありませんでした。
夜になるけれど移動火葬車で家まで来てくださる、というところが見つかりました。

暗いなかでお別れするのでは、シロがかわいそうにも思いましたが、
うちの裏、わが家の敷地内で火葬してもらえるなら、
空に帰っていく彼女も淋しくないと思ってそこに決めました。
予算オーバーには目をつぶりましょう。

お別れまでしばらく時間ができたのはありがたく、
私は最後にシロに添い寝しました。

シロに体をくっつけて、シロをなでながら、色々話しかけました。

シロのピンと立った耳の向こうに見えた桜は、もう葉桜になっていました。

それからシロの体を丁寧に清めました。

シロは元気だった頃はとてもきれい好きだったから。

その頃にはシロの体はほとんど冷たくなっていましたが、
どこまでも愛おしくて、愛おしくて。

もうすぐこの姿も失われるのかと思うとたまりませんでした。

たった1日のことなのに、
シロは私が最後に見た姿よりさらにやせていました。

やせ細った体は、痛々しくて、寒そうで。

無水シャンプーで洗って、丁寧にブラッシングしたシロの体は、
真っ白でツヤツヤになりました。

やせたせいで一層手足が長く見えます。

シロはこんなにきれいな犬だったんだなあ。

しみじみ思いました。

16年近くを生き抜いたおばあさんには思えません。


「あんまりやったったら、シロ、ハゲるで」

何度も何度もしつこくなでていると、
母に注意されました。

手を止め、シロの体にブランケットを掛けました。

ベビーピンクの花柄のふちどりが、
真っ白なシロによく似合いました。

それは去年10月、
シロが前庭疾患を発症した時に、友人がお見舞いとして送ってくれたものです。

お天気がよかったので、その後はシロとよく歩いた道を散歩しました。

シロも良く匂いをかいだ原っぱや土手のタンポポを摘みました。

シロに持たせてあげよう。

帰ってから、早めの夕食をすませて、庭に出ました。

ハナミズキ、オオテマリ、コデマリ、シラン、スイセン、
クリスマスローズ、トキワマンサク、シロバナマンサク、キンセンカ…

桜が咲く頃から5月までがわが家の庭のいちばん美しい季節です。

2月、3月は、家にいることが多くなったシロは、
お庭の中で散歩を楽しんでいました。

庭中の花を摘み、眠っているシロのでそばに飾りました。


最後にこの花でシロを送るのです。

シロの体を、シロが見た花、その匂いをかいだ花で埋め尽くそうと思いました。

母はシロのご飯と大好きなおやつを紙袋に詰めました。

シロはお弁当も持っていくのです。


夜7時15分、葬儀社の方がいらっしゃいました。

母とふたりで泣きながら、鼻水を垂らしながら、支度しました。

こんな汚いおばさんふたりの対応をしなくちゃいけない葬儀社の方も大変です。

シロを移動火葬車に運び、
その体を花々で埋め尽くし、
前足の近くにお弁当袋を置きました。

何度もシロに頬ずりをしました。

しつこいくらいにその体をなでました。

「シロ、また自由になったやん」

「シロ、走れ!走れ!」

野良犬として辛い思いをしながら放浪した末に、わが家にたどり着いたシロ。

「シロ、ありがとう!」

見返りを求めず、たくさん、たくさん、私たちに与え続けてくれたシロ。

「シロ、また会おうな!」

いつかまたシロに会える、そう信じています。


よく晴れた夜でした。

月がきれいで、明るすぎて、星はまばらでした。

火葬は深夜までかかったので、あたりは静かでした。

登っていくシロは、

「こんなところに住んでたんやー」

「この道、よく散歩したなあ」

とか思いながら、

わが家の一員になってから初めて見る夜景を、楽しんだと思います。


解放されて、自由になって、
弾丸ムスメだった若い頃のように、
リードを持つ母や私を市中引き回しにしたあの力強さで、
夜空を勢いよく駈けあがっていったと思います。

わが家で最後の愛しいケモノはこうして旅立ちました。


(若かりし頃のシロさん。弾丸・怪力のデストロイヤー)


先に逝った犬や猫、動物たちは、
虹の橋のたもとで飼い主さんたちを待っているといいます。

若い頃、元気な頃の姿でみんなで楽しく待っているそうです。

何年か先に飼い主さんが到着したら、
目を輝かせて駈け寄って、
一緒に天国へ向かうんですって。

順番からいうと先に到着するのはきっと母。

シロは、母と一緒に行っちゃいそうだなあ。

結局、わが家の歴代の動物たちを最後までお世話したのは母だもの。

犬猿の仲(犬ですのに!)のももや、初代の茶々丸、猫のドラちゃんと、
わいわい騒ぎながら、
母だけ待って、狂喜乱舞でみんなでそのまま行っちゃいそう。

それもいいかな。

私は生涯飼い主のいなかった犬と一緒に行くわ。


飼い主の生涯見つからなかった犬や猫たち。

それは大抵苦難の人生だったと思うのですが、
そんな子たちも虹の橋のたもとにはいるんですって。

そこに到着したひとと出会って、一緒に天国へ向かうそうです。

最終的にシロに会えるなら、それでいいわ。

その子をシロやみんなに紹介するわ。

シロ、

それまでしばらくお別れやね。



(1年前のシロさん。穏やかなおばあさんになりました。)



シロさん、そちらはどうですか?

ご覧いただきありがとうございました。

シロはいきました。

2016-04-17 10:20:14 | いぬ・シロさん
4月13日、水曜日。

雨降る夜の8時45分頃、

シロは静かに逝きました。


もともと口数の極端に少ない子だったけれど、

最後までずっとなくことも、うめくこともなく、

静かに息を引き取りました。


16年に満たない生涯でした。



最後の日は朝からずっと苦しかったのに、

お顔は眠っているように安らかでした。

その安らかさに救われました。


シロさんは苦しさから解放され、

私たちも解放してくれました。

最後まで賢くて優しい子でした。



シロさん、お疲れさま。

私たちのところへ来てくれてありがとう。

一緒にいてくれて本当にありがとう。




(2007年4月末、まだしっぽが長かった頃)


シロさんが空に帰っていった翌14日はよいお天気でした。


若い頃のように、

自由になったシロさんは、

勢いよく駈けあがっていったと思います。



道は迷わじ なるにまかせて



シロさん、

存分に、思いっきり、

走れ!


いつか、また会おうよ。



シロさん、どうか安らかに。

シロを応援してただきありがとうございました。


もう決めたん?

2016-04-11 16:38:24 | いぬ・シロさん
「シロ、がんばって。
でも、がんばりすぎやんかていいで。
犬の神さま来ゃはったらついていくねんで。
もう私らのことはいいから。
『私も連れていってください』ってついていくねんで」

2月なかば、シロさんに初めての鼻出血がありました。
お昼すぎに始まったそれは、
びっくりするくらいの量で、夜になっても止まらなくて。

3月には止血剤を飲み続けているのに、
鼻出血は始まり、止まりませんでした。

シロはよくない病気だ。
3月にこちらから求めて、
かかりつけのドクターにインフォームドコンセントをしていただき、
「あくまで推測ですが」と鼻腔内腫瘍の診断を受けました。

私はそれまでにネットで情報検索し、
図書館で本を借り、ない本は買い求め、読み漁り、
同じ推測をたてていました。
だからそれがどんなに残酷ながんなのかわかっていました。
シロさんには残された時間が少なくて、
おばあさんになってからこんなに弱々しくなったのに、
勝つ見込みのない闘病をしなくちゃいけないんだ、
と、絶望的な気持ちになりました。

それからは、シロさんのおでこに自分の額をくっつけては、
しょっちゅう冒頭の言葉をかけていました。

シロさんは自分の病気を知らない。
だから私が泣いてはいけない。
彼女を不安にさせたり、悲しませてはいけない。

鼻出血さえなければ、
シロさんはおっとりとしたおばあさんらしさで、
穏やかな毎日を送れました。

それでも、
彼女が寝ている時にその安らかな寝顔を見ていると、
おばあさんになってもかわいくて、
いっそう愛おしくて、
失われることが耐えがたくて、
これから待ち受けている辛い闘病を考えると苦しくなって、
泣けてくるのでした。

そうすると、
シロさんはその気配で目を覚ましてしまい、
起きあがって、

私の額に自分のおでこをくっつけてくるのです。

シロさんは私をなぐさめているのです。



4月初め、別のクリニックで検査を受けました。

結果、鼻腔内腫瘍はなく、
多発性骨髄腫にほぼ間違いないとわかりました。

今、ステロイド剤投与で痛みやしびれは抑えられています。

食べてくれさえすれば、
治療を受けられる体力が取り戻せるはずなのに、

まだひとくちも食べようとしません。

私は自分の目でその姿を見て、
自分でも食べさせようとやってみました。

それまでは、
あの食いしん坊万歳なシロさんが、
そんな状態になってしまうなんて信じられなかった。

先週金曜日にはドクターは、
「この状態ならステロイドで痛みをとってやれば、
元気に食べられるようになりますよ」
と、おっしゃってました。
「血液検査の結果が出る頃には体力も戻って、
抗がん剤治療を始められますよ」と。

今日、検査結果がでているはず。

それなのにまだ何も食べられない、
食べようとしないなんて。

母と私がむりやり口を開けようとしても、
シロさんは歯を食いしばってこばみます。


苦労して無理やりひとくちだけ食べさせたのに、

数分後、お水をたくさん飲んで、
胃液とともに吐き出してしまいました。


たぶんシロさんは、
私と母の会話を聞いていて、

もう逝くことにしたんだと思います。

「もう終わりにしたい。
シロにとってもそれがいちばんいい。
長引かせる方が残酷や」

彼女には母の気持ちがわかったんだと思います。

母のことが大好きな、
とても賢い子だったから。

もう逝くことに決めたんだと思います。

犬の神さまが迎えにいらっしゃるのを待っているのでしょう。



(今日のシロさん。痛々しいくらい痩せてきたのでうしろあたまだけ。
たぶんリアルタイムでシロさんを載せるのは最後になると思います。)



シロさん、どうか穏やかに。

ご覧いただきありがとうございました。

しばらく更新できないと思います。

検査結果とこれから

2016-04-10 09:21:45 | いぬ・シロさん
検査結果について。

いちばん驚いたのは、

鼻腔内に腫瘍がなかったこと。

腫瘍はCT画像にも写ってなく、
細胞診検査でも、異常なしでした。

2月の大量・長時間・何度にもわたる鼻血はなんだったんだろう?
10時間とか20時間とか、恐ろしいほど鼻血が、
それも右側からだけ出続けたのに、
あれはなんだったんだろう?
それでかかりつけのドクターに鼻腔内腫瘍をいちばんに疑われたのに。
そのドクターには打つ手がないから、
腫瘍科のある別のクリニックで検査から始めたのに。

鼻腔内腫瘍は進行が早く、
私が調べたかぎりでは、
こんなに残酷ながんがあるのか、
と、涙がでてくるほどのものでした。

がんは鼻から骨を溶かして進行するため、
腫瘍が大きくなるにつれ、
元のお顔がわからないくらいに崩れます。
骨を溶かすってたとえかと思ったのですが、
鼻のあたりから目の周りまでぐるりと骨がなくなるのです。
私が見た画像では、犬であることすらわからないほどのかわいそうな子も。
また、その腫れ具合によって、
目が押しつぶされたり、押し出されたり、
嗅覚はもちろん、視力や聴力も奪われることも。
鼻腔内や喉に向けて腫瘍が大きくなると、
呼吸ができなくなり、いずれ窒息死。
先に脳に進行すると、神経症状があわられ、
けいれん・発作に苦しみ、死にいたります。

このがんは犬のすべてのがんのうち、発生率1%という珍しさ。
外科手術で取り除くことはできなくて、
抗がん剤は外科手術との組み合わせでしか効果がないとか。
放射線治療も位置的に難しいことも。
初期ならそれでも効果が得られることもあるのですが、
このがんはなかなか気づいてあげられず、
診断されたときには、
かなり進行していることが多いそうです。

望みが少ないのに辛い辛い治療を選ぶのか、
どこかのタイミングで安楽死を選ぶのか、
飼い主さんたちは苦悩することになります。

シロさんに鼻腔内腫瘍がないのは本当によかった。

でも、腫瘍は他にありました。

シロさんにあったのは、

副腎腫瘍。
左右のうちより大きい右は悪性にほぼ間違いなく、
すでに外科手術で取り除けるサイズではない。
左は悪性か不明でまだ心配するサイズではないとか。

下垂体の腫瘍。
これはグレー、
年齢とともに誰しも大きくなるものなので、良性か悪性かまだ判断できず。
仮に悪性としても副腎に比べると優先順位は低そう。
ただ、副腎腫瘍は下垂体の悪性腫瘍が原因であることも多いとか。
では、下垂体腫瘍は悪性なのか?

下垂体の病理検査は難しく、
副腎も切らないと病理検査はできない。
シロさんはおばあさんだから、
切ることが負担になり、命にかかわる。
悪性かもしれないけど、病理検査は無理。
検査しないリスクは受け入れるしかない。

ここまでは「おおまかな診断」として検査当日に説明を受けました。

すべて最終ステージではなさそうだったので、
鼻腔内腫瘍がなかったことの喜びの方が勝りました。
ホッとして気が抜けて泣けてきたくらい。

そんな状態だったので、
ドクターが最後に腰椎のいくつかの形と色が
普通でないことを指摘なさっていたのに、
「犬にも骨粗しょう症ってあるんですかね?」
と、気楽な反応を返していました。


「検査結果をさらに分析して、詳細と治療の方針については後日に」
その言葉でその日はすべて終わりました。


水曜日、
担当ドクターから電話がありました。

聞きたくない結果でした。


シロさんにとって、いちばんの懸念は、

多発性骨髄腫の疑いでした。

シロさんの腰椎のいくつかの変形。
中身がスカスカであること。
これが多発性骨髄腫である可能性がとても高いと。

多飲多尿に鼻血、貧血が多発性骨髄腫の特徴。
発症するのは高齢犬が多い。
すべてシロさんにあてはまってます。
CT検査前に採取した血液からもその疑いはあると。
犬の多発性骨髄腫も珍しく、発生率1%未満だとか。
それでシロさんは鼻腔内腫瘍をまず疑われたのか。

疑いを確定にするための検査は4つ。
4つの項目のうち、3つがクロなら確定。
年齢的にシロさんはCT検査ともうひとつで確定できる、と。
・CT検査
・血液検査(多発性骨髄腫を確定させる特別な検査)
・尿検査
・病理検査

進行をあらわすステージについては病理検査が必要で、
骨髄腫の場合、実際に組織を取って行うのは困難であり、
かつ、ステージの違いで治療法が変わることはないので、
行う意味はあまりないそうです。

治療には抗がん剤投与が効果的です。
75%もの犬に有効というのは、他のがんにはない良い数字。
ゆるやかに作用し、
根治できなくても1年から2年延命できるケースが多いらしい。
痛みも抑えられる。
またステロイド剤を同時に投与するとより効果的。
ステロイド剤投与は腎臓への負担を考え、ひと月しかできない。


高齢のシロさんの場合、
ストロイド剤と同時に副作用が緩やかな抗がん剤を
ごく少量投与するところからスタートすると。
それでも副作用はある。
嘔吐や下痢、食欲不振…。
今のシロさんにそれに耐えうる体力が残されているのか?
耐えてまでの延命が、シロさんにとってしあわせなのか。
でも投与することで上手くすれば、
シロさんは苦しまず日々を過ごし、
老衰で穏やかに旅立てるかもしれない。
それこそが私の望み。

多発性骨髄腫は進行は遅めですが、痛い。
痛さに耐え続けなければなりません。
もろくなった骨は骨折しやすく、
また免疫力が低下してきて、
いずれ感染症などで死にいたることが多い。
シロさんの場合は、他の腫瘍も進行するでしょう。
抗がん剤治療を行っても、免疫力は徐々に低下していくのですが、
行わないよりそのスピードは緩やか。



シロさんは金曜になっても、
何ひとつ口にできないまま。
急激にやせ、さらに弱ってきました。

母は「もう何もしたくない」と言います。
点滴を打ってもらうことを提案するも、
「どのみちもう命は尽きようとしているから」と拒否。
「今、一時的に救ってもまた繰り返されるなら、逆に苦しめるだけ」って。

でも今のままだとシロさんの苦しみは死ぬまで続く。
すでにシロさんは腰椎の痛さに襲われているらしい。
神経症状で下半身にはしびれがきているとか。

確かにシロさんは何もないところで急にこけたり、
下半身がヨロヨロすることがここ最近、増えてきました。
だけどそれは加齢のせいだと思い込んでいました。
ハスキー犬や大型mix犬の平均寿命を、
何年も超えて生きてるおばあさんだから。

辛い病気にかかっているのに誰にも気づいてもらえず、
シロさんはひとり静かにずっと耐えていたんだ。
いつから痛かったんだろう?
気づいてあげられなくて、ごめん。

犬は群れ社会の動物だから、
痛くても苦しくても平静を装うものらしいです。
弱みをみせると、群れの中で順位が下がるから。

それでも私が気づくべきだったと思います。
時々しか会えないからこそ、気づける変化もある。
そこで病気を疑うだけの知識を備えておくべきでした。

「点滴に鎮痛剤を入れて打ってもらおう。
どのみち死んでしまうのでも、ずっと痛いままじゃあ、辛すぎる。
私だったらそんなの絶対いやや。
放っておかれるくらいなら、もう殺してほしい」
その言葉でやっと母を動かすことができました。
ここはペットタクシーも来ないような田舎、
母が車を運転し、
私が後部座席でシロさんを支え続ける、
その二人三脚でないと、
シロさんを通院させられないのです。

金曜日にクリニックで点滴を受け、
そこに鎮痛剤としてステロイド剤を入れてもらいました。
抗がん剤ほどじゃないけど、
多発性骨髄腫の進行を妨げる働きもするそうです。
「食べられないのは検査疲れや麻酔薬の後遺症ではなくて、
たまたま多発性骨髄腫が進行して痛みがひどいからでしょう」
ドクターはおっしゃいました。

「何もしたくない。するべきじゃない。それがシロのため」
そう主張する母は駐車場で待機。
一緒にドクターのお話を聞いて欲しいのですが、
連れてきてくれただけでも感謝しないと。

「この子の年齢を考えると、
ずっと食べてなくてこの体力はすごいことですよ」
ドクターが驚くようなことをおっしゃいました。
私にはよれよれで瀕死に見えるシロさんですが、
プロの目からすると違っていたもよう。

「ステロイドで痛みが取れて食べられるようになったら、
さらに体力も戻るでしょうから、
多発性骨髄腫の診断確定さえしておけば、
いつでも抗がん剤治療をスタートできます」

それには血液検査が必要。
母を説得はできなかったけど、
説得できたら始められるように、検査をお願いしました。

抗がん剤治療を始めることを母に納得してもらえるのか。
それよりまず、治療がシロさんのためになるのかどうか。
悩みは尽きません。
でもシロさんの時間はどんどんなくなる。
それも痛いまま、苦しいまま、なんていやだ。
走りながら考えよう。
まずは痛みを抑えてあげたくて、
ステロイド剤の投与は続けることにしました。

今までシロさんをいちばん大事にしていたのは母です。
その母が彼女の早い死を望むくらいネガティヴ思考になっているのは、
寝不足の影響も大きい。
夜中に何度も彼女の様子を見に行かなくてはならないので、
ぐっすり眠ることができないのです。
疲れ果ててしまった母は、もう解放されたいのです。

私が連日、シロさんの元へ通っていても、
日帰りではあまり母の助けにはなってなかったということ。


(ずっと何も食べられず弱々しくなってきたシロさん。
なかなか立ち上がれないのも、
それなのに一度立ち上がると
後ろ足を震わせながらも長いことそのままままなのも、
多発性骨髄腫がもたらす痛みと神経症状のせいでした。
悲観的な母は「もうこのまま逝ってしまう」と首輪を外しました。)

この先しばらくは毎週何泊か実家で過ごし、
夜も私がお世話することを考えました。
神戸に帰ってからシロクマ相方にその考えを相談しました。
彼は快く私の考えを受け入れてくれました。
心から感謝。
最初から何日も留守にするのは彼の負担が大きい。
まずは2泊3日でスタートして、
シロさんと母、それからシロクマ相方、
両方の様子を見ながら、日数は調整しようと思います。

今日は冬もの衣料をたくさん手洗いしました。
これが渇けば実家へ帰ります。

お泊り介護、本日よりスタート。


シロさん、どうか明日は元気で。

ご覧いただきありがとうございました。

今日もシロさんに会いに

2016-04-06 19:18:57 | いぬ・シロさん
検査を受けてから、
シロさんの容体が思わしくなく、
本日も実家へ。

昨日も何も食べられず、
今日も何も食べられていない。

このままでは弱っていってしまう。

シロさんにとって全身麻酔を受けての検査は、
そんなにダメージが深かったのか。

検査を受けたことが間違いだったのか?
でも、検査を受けないと、
何のがんか、どのくらい進行しているのか、わからない。

それを知らないと、がんに対抗できない。

母には、
「これでシロが命を落としたら、アンタのせいや」と責められて。

しんどいです。



今日は寄り道したくて阪急電車で帰りました。

利用するのは、阪急御影駅。

そこから、弓弦羽神社(ゆづるはじんじゃ)を抜けて帰ります。

弓弦羽神社…
引っ越して来た当初は、ひっそりとした境内が好きでした。

それが、羽生結弦くんの活躍で、
彼の一層の活躍を祈願したり、
彼自身もお参りしたりで、一躍有名になり。


(羽生くんの活躍を祈願する絵馬がびっしり!)


私がお願いしたのは、シロさんの回復。

それから、彼女がこの先がんで苦しむことがないように、
一日一日を穏やかに過ごせるように、
お祈りを。


(美しいしだれ桜に少しなぐめられました。)


シロさん、どうか明日は元気で。

ご覧いただきありがとうございました。