カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第十七主日

2011年07月21日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ,
「自分の思うような望みを少なくすればするほど、人は神のみ旨を多くはたすようになります。」
 聖フランシスコ・サレジオ

今の時期、暑さで食欲不振に悩んでいる人たちに喜ばれる食べ物があります。素麺です。奈良時代から伝えられたと言う麺類の一種です。小麦粉を食塩水でこねて、ごく細かくするために胡麻油で伸ばします。一年も寝かせたものの味が良いとされます。これを茹でて冷やしたものを令素麺といいます。さて、このような大変厳しい暑さの中で七月の最終日曜日に向かいます。此の暑さと共にイエス様のみ言葉を分かち合いましょう。
初代キリスト信者にとって、復活されたイエス様のイメージは登る太陽の姿に結びついていました。イエス様の降誕祭の祝いでも、ローマ帝国の年末の太陽の俗的な祝いの代わりに、この世の太陽の光りであるイエス様を祝うようになりました。それで日曜日は太陽の日として、イエス様の日となっています。アッシジの聖フランシスコにとって太陽は兄弟のようなものでした。お日様はこの世を暖かい光で照らし、冷えているところを温めます。イエス様のみ心も同じではないでしょうか。イエス様の光に照らされて、より深い真実を見つめましょう。イエス様の篤い愛に抱かれて、人生の冷たさに生きる者たちを温めるようにしましょう。イエス様のことを語ってくださる「しるし」は太陽だけではなく、心の目が覚めれば、どんな小さなことでも、どんな小さい出来ごとでもイエス様の素晴らしさを語っていることに気づくでしょう。
マタイによる福音書13・44-52
今日もイエス様は綺麗なたとえ話を三つ語ってくださいます。田圃で発見された宝のたとえ話、素晴らしい真珠を探し求めた商人のたとえ話、網に掛かった魚がとりわけられたたとえ話です。このようなたとえ話は私たちにとって知恵の箱のようなもので、神の国のあり様がより深く語られます。まず、神の国はどんな人にとっても本当の宝です。その宝はどんなことよりも、この世のすべての財産よりも貴重なものです。神の国はこの世の財産よりも貴重だとわかる人だけが、アシジの聖フランシスコのように全てを捨てて田圃に隠された宝、つまり神の国を手に入れることができます。同じように一番素晴らしい真珠を探し求める商人も一番綺麗な真珠を手に入れる時に、すべて他の輝きのない真珠を売り払うことにします。イエス様に従う私たちにとって、神の国は全くそのようなものです。私たちの価値観の中で、神の国は本当に一番貴重な宝です、本当に一番、世界一素晴らしい真珠のようなものです。さて、そのように思う私たちの日常生活の行動を、周囲の人に見せるべきではありませんか。最後に神の国は網のようなものです、つまり、良い麦と一緒に毒麦を蒔いた畑のたとえ話に似ています。つまり良いこと、また悪いことも一緒に成長していますが必ず神様は良いものだけをより分けて評価し、悪いことを投げ捨ててしまいます。このような世界に生きるキリスト信者は、神様の心を持ちながら、悪い禍にも辛抱して、悪い誘惑も拒否しながら、良いことを選んで成長させていきます。
では、今日もパウロの「ローマの教会への手紙」の言葉に注目しましょう。神様は私たち一人ひとりに、一緒に働くように呼びかけています。神様は呼ばれた者たちにご自分の計画として、この世でイエス様の姿を複写するように勧めています。だから、神様の計画は、イエス様に従った者たちがこの世でイエス様の姿を見せるのです。このように神様の秘められた計画は明らかにされています。それに従って神様は、人間を自分のところまで呼び集めて、ご自分「儀(慈しみと愛)」に包まれ、生かされ、ひとり一人に大きな報いの喜びを与えるのです。このパウロから教えられた神様のご計画は私たちに、大きな生きる希望を与えてくれるのではないでしょうか。                                               
                                         モヨリ神父
※「くまもと歳時記 編集委員会編」(くまもと日日新聞社)より一部引用

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