カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 A年 年間第十六主日

2011年07月14日 | 神父様からメッセージ(A年)
イエス様のことを愛される皆様へ,
「小さなことに忠実であれば、神様はあなたに多くのことをお任せになるでしょう。」
 聖フランシスコ・サレジオ

山にそって流れ落ちる水、草の間から染み出る水、水底からこんこんと湧き出す水、どのような水も清冽で手に触れて冷たく、口に含めば歯が痛いほどです。水の豊かな菊池では野山の至るところでこの自然の恵みを受けることが出来、感謝の念が心から豊かにわきあがります。                
さて、イエス様が現在でもたとえ話を語り続けています。そのたとえ話はイエス様に従った人たちだけが理解出来ます。つまり、そのたとえ話はキリスト信者の日常生活の中で起こる出来ごとです。イエス様のたとえ話はイエス様と出会う場になり、その中でいつもイエス様が主役であることに気付きます。
マタイによる福音書 13・24-43
今日の主日もイエス様がたとえ話を通して語りつづけて、私たちの心を窺っています。イエス様はたとえ話を通して、神の国の素晴らしさを私たちに告げ知らせてくださいます。神様はこの世のこと、また私たちひとり一人を大切にしてくださいます。そのため、皆の喜びを求めておられます。その喜びの根は神の国にあります。神の国は何であるかと言うと、イエス様自身であり、イエス様から明らかにされています。神の国の始まりはとても小さくて素朴です。毒麦の間にも成長するし、からし種のようにとても小さいのです。パン種にも似ています。けれども神の国を通して神様が皆を大切にされ、確実に皆の心の中に大きな喜びを実らせるまで導いくださいます。確かに神様の国では悪が滅ぼされて、良いことを大切にします。良いことは小さくても成長し実り、素晴らしい影響をいたる所に及ぼします。良いことは大きな力を持っています。パン種のように人の心や環境まで全部、改善し変えることができます。イエス様がたとえ話を用いて、自分の聞き手を教育され、神の国の神秘的な存在を見出すように教えました。このようなイエス様の話はとてもやさしくて簡単で、だれにでも神様を見出す能力を与えました。神の国はいつも神秘的な状態の中に隠されてあり、とても小さな存在です。だからそれを見出すために特別な、イエス様の目のような能力が必要です。なぜなら神の国はすでにこの世にあり、この世の中に溶け込んでおり、だれでも受け入れることが出来ます。では、聖パウロの手紙の中にある思いを深めるようにしましょう。ご存じのように今日の旧約聖書の第一の朗読と福音書のテーマは大体同じで、旧約聖書の言葉と新約聖書の言葉も一緒に並行して学ぶことを示されています。新約聖書からの第二朗読は独特な課題をとり上げて、使徒たちの書簡か使徒の言行録から取っています。今回聖パウロはローマの教会への手紙で「霊」という神秘的な神様の存在を語っています。弱い私たちは「霊」によって強くなります。祈りのできない私たちでも「霊」によって神様に話しをすることができます。「霊」によって神様の心に尽くようになります。私たちの心の中にあることを何でも知っているのは「霊」です。同じ霊は、聖パウロが語る通り私たちの中にもおられて、このように私たちは神の国の真ん中に生きていることを実感することができます。
                                 モヨリ神父
※「くまもと歳時記 編集委員会編」(熊本日日新聞社)より一部引用

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