カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 待降節第二主日

2016年12月01日 | 神父様からメッセージ(A年)


 待降節の典礼では「目を覚まして…」と言う表現をよく聞きますが、実際にこのイエス様の誘いを聞いてどうすればよいのでしょうか。今、キリスト信者の目の前に、輝くまぶしい、素晴らしい光があります。それは今度クリスマスに来られるイエス様です。目を覚ますことによって、光であるイエス様を見ることが出来ます。目を覚ますことによって歩く道も見えます。神様は待つ人間と一緒に歩いています。目が覚めれば歩く道の美しさも見えるし、その道の苦しさ、その道の目的地も見えるようになります。その道はわたし達の人生です。いろんな幻、夢のような不思議な現象にとらわれている人間は、盲人のように生きていますが、時によって目を覚まして自分自身の方に目を向ければ、自分の人生を見つめて、その素晴らしさ、その居場所、その現実を見ることが出来ます。同時に危険な所も見出して目覚めたことによって避けることが出来ます。道端に、生まれつきの盲人のように佇むわたし達は、クリスマスの時に迎えようとする救い主であるイエス様に見出され、目覚めて大きな喜びの中でメシアであるイエス様に出会うことになるのです。
「マタイによる福音 3・1-12」
 当祝日の第一朗読では、預言者イザヤが神様に再び会う為に指導し続けています。第二朗読の福音書には洗礼者ヨハネも登場して、神様に会う為にふさわしい回心を呼びかけています。神の国をふさわしく受け入れる為に、つまり神の国に属する為に自らの心、思いや行いも、洗礼を受けて変えなければなりません。だから洗礼者ヨハネの誘いは力強く神の国に属したい人に改心を呼びかけています。改心とは、まず心を変えることです。その変化は外面的な変化、行動や生き方、習慣などを変えるだけでもなく、まず自分自身の心を変化させ、自分の人生の方向、またその考え方を変えるのです。神様に背く行いを取り除き、神様の思い通りに行い、心を込めて生きるのです。洗礼者ヨハネが勧めている改心は、自分の人生に、自分の心に神様を中心に据えることです。洗礼者ヨハネが求めているのは道徳的な生き方ではなく、心の完全な転換です。つまり神様は自分の心の宝、自分の人生のあり様の中心であるのです。そうすれば人間の考え方が完全に変わり、神様と同じように考え望むようになります。このような人の変化は、ヨルダン川で洗礼者ヨハネの洗礼によって示されていました。洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、このようなしるしによって改心した者たちはより深い、より素晴らしい神秘的なしるしを見出していました。それはメシアであるイエス様がなされた聖霊による洗礼です。その洗礼による大きな愛の力によって、人間が神様と一つになって、神様に属する者になったことを悟ったのです。
                                モヨリ神父 

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