カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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A年 待降節第三主日

2016年12月08日 | 神父様からメッセージ(A年)
 

 わたし達の降誕祭への準備は、この待降節の第三主日の喜びの中で進んでいます。待降節はイエス様の到来を期待することですが、イエス様は確実にわたし達のもとを訪れてくださいます。つまり「神の国」が近づいているので皆にとって大きな喜びとなっています。 今日のミサの典礼では、その為に喜ぶように勧められています。 感謝の祭儀をたてながらわたし達は心の中に深く大きな喜びを感じ、それを祝うようになっています。典礼はキリスト信者にとって、その意味で心の中にある神秘的な思いが祈り、言葉、儀式を通して祝うことです。わたし達に大きな喜びをもたらした救いの出来事を思い起こし、記念し、その喜びで神様に感謝し、又周囲の人と共感しながら祈りの中で祝うことです。それは典礼の意味であり、わたし達はいつも教会で典祭する時にこのような素晴らしい行事を行っています。12月13日は聖ルチア殉教者の記念日です。ルチアと言う名前はラテン語でルクス「LUX」:光を意味しています。実は聖ルチアは盲目にされて、殉教されましたが、それによって光の象徴となりました。ヨーロッパでは、聖ルチアは頭にろうそくの冠を置いた姿で画かれています。さて、降誕祭へ向っているわたし達は聖ルチアの取り次ぎによって、より大きな光で心を照らしていただけるように願いましょう。光はイエス様です。今度来られるイエス様は世の光なのです。
「マタイによる福音書 11・2-11
 待降節第三主日の福音書は、イエス様を出迎える準備をする洗礼者ヨハネが、現在のように疑う心をもつ人に答えています。大きな喜びをもってメシアを期待する共同体は、もう一度救い主の姿を目の前に思い描いています。当福音の箇所は、はっきりと二つに分かれています。メシアとしてイエス様の紹介と洗礼者ヨハネの紹介です。まず、洗礼者ヨハネがイエス様のところに弟子達を送って尋ねさせます。「来るべき方はあなたでしょうか?」その時、イエス様はご自分の計画、目標、使命を明らかにされています。そしてイエス様自身が群衆に向かって「あなた方は、何を見に荒野へ行ったのか。」と、問いかけられています。イエス様がカファルナウムの会堂でも宣言されたように、神の国を予言しながら、「目の見えない人は見え、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」と洗礼者ヨハネの使命を紹介して答えてくださいます。このように降誕祭の時、救い主を期待するわたし達にとって、心の中に、大きな光を見出すようになりました。救いは見えること、聞こえること、喜んで生きること、良いメッセージで支えることとされ、それは救い主であるイエス様ご自身のことです。だから喜びましょう、主が近づいておられます。わたし達の救い主は到来しています。その到来は、最終的なイエス様の到来をも示しています。その時こそ、「神の国」もわたし達の方に近ついているのです。不自由な人、迷っている心、疲れたものの為に、大きな希望の時になっています。喜びましょう。今日典礼の中で洗礼者ヨハネの姿を見つめて心の準備をすすめ、心の中に残された多くの疑いを乗り越えて、イザヤや預言者達にも勧められたように喜びましょう。このように導かれて、心の準備を整えながら降誕祭に向かって行きましょう。
                                    モヨリ神父  


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