カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 年間第二十四主日

2009年09月11日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

イタリアでも穏やかな天気がつづいて、紅葉前のまだ緑濃い山は青空に包まれてくっきりとその姿を誇示しています。しばらく日本を離れて故里に戻って、地球はとても小さく感じられます。日本とイタリアの生活と風景もほとんど変わりない気がします。神様のみ言葉も、人間の心もはるかにこの地球の大きさを超えています。神様の慈しみがどこをもこの地球をすべて包んでいます。故郷を再び見ることができて、親、兄弟、親戚に再会して大きな感動の時でした。多くの思い出と共に、新しい建物や路も目について人間が神様と一緒に創造主になって美しい地球を作りつづけていることを実感します。叉、亡くなられた方々のかわりに新しく生まれた赤ちゃんの楽しい姿を見かけたことも嬉しい出会いでした。神様からいただいた人生、命、喜びは人間にとってかかせない贈り物であり、そのために感謝の歌のように生きることを勧められています。日本から離れても、皆さんの姿を思い出しています。日本の素晴らしさ、日本人の心の深さと暖かい愛情も忘すれられません。思い出は人間の心身にしみこんで、一生、切り離すことは絶対できないことです。この地球のどんな所ででも、喜ぶ人がある一方で、自分の十字架を苦しみの中で運ぶ人もいます。どこでもどんな人間の人生にもかかせない苦労があり、そこは神秘的な神様との出会いの場になっています。この思いの中で、菊池や山鹿で出会った皆さんはこのように自分の心の中で深く残っています。
マルコ8・27-35
イエス様に従うことは「とく」であると言われて、疑う人は少なくないと思います。「とく」であることは、商売の中で宣伝・広告の中でもよく使われた言葉であり、はっきりした意味の言葉です。イエス様に従って、福音のために自分の命を失い、自分の十字架を背負って本当に「とく」でしょうか。はい!イエス様が「とく」だとはっきりと宣言します。むしろ、そのように生きようとすれば、救われるとおっしゃっています。イエス様の人生は花道のような生き方ではありませんでした、けれども苦しみを受けてその死後、復活の喜び、栄光の誉れを味わう事が出来ました。さて、当福音書の神様の言葉の光に引かれて、イエス様の足跡を踏み、歩み続ける私たちの運命はちょうどイエス様の運命と全く同じになるのです。イエス様に従い毎日の様々な出来事、苦しみを、愛を込めて受け入れることができれば、イエス様と一緒に十字架を背負うこと、イエス様と一緒に歩くことになります。皆さんも経験したことがあると思いますが、旅行中ツアーの中で一緒に歩いた人と知り合って、深いところまで友達になったことはないでしょうか。同じようにイエス様と一緒に歩きつづけた人は、イエス様と深く出会いイエス様を深く知ることができたのではないでしょうか。だからその人たちはイエス様が当福音書の中でされた質問に答えることが出来ます。本当にイエス様は私たちの人生の「とく」であり、私たちの救い主なのです。
                         モヨリ神父


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