カトリック菊池教会 


毎週の福音書と典礼にそって人生の素ばらしさを探る一言
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毎週の一言 B年 年間第二十五主日

2009年09月18日 | 神父様からメッセージ(B年)
イエス様のことを愛される皆様へ、

秋の色が少しづつ、あたりの風景を染めていきます。秋の色、秋の食べ物を楽しみましょう。日本の秋はカラフルで、ぶどうや栗や柿、お米など見事な収穫の季節を迎える時です。イタリアでもこの季節に静かな風景の中、人々は山で散歩したりするのを好み、それぞれの村で秋祭りが行なわれて大きな楽しみとなっています。私は故郷に帰って、天国にある皆の故郷を度々思い起こして、いつかその国へ帰ることを思っています。また、故郷の教会に足を運び感じるのは良い関係で結びついている共同体の暖かさです。実は暖かい共同体はカトリック教会の特徴です。たとえて言えば巣のような所というよりもお母さんの腕の中のようなところであり、神様の懐と同じです。慈しみと憐みで満ちたところで、すべての失敗や弱さを赦していただけるところです。
マルコによる福音書 9・30-37
細かく当福音書を読むと、宝石のようなところが多くありますから、それに気づくようにしましょう。イエス様がガリラヤを通って行かれたとあります。ガリラヤは布教の地域のシンボルであり、一般の人、弱い人へのイエス様の愛着も示しています。イエス様は目立たない所を好まれ、私たちの側、心の中も通っておられるのに気づかない時が多いのです。沈黙の中、イエス様は自分の存在を知らせず、人の出会いだけを求めて教え、人の心と体も癒しています。当時、イエス様が人にご自分の使命と運命を説明した時に(つまり、皆の愛のために十字架につかれること)自己中心的な生活だけしか求めない人は、イエス様の話をよく理解できなかったのです。だからイエス様が自分のメッセージを理解しやすい課題を提示ました。まず権力を求めた弟子たちに、人を支配するよりも弱い人皆に仕え、自分の人生を奉仕することは神様の心に叶う理想だと強調しました。そして、イエス様が小さいもの、つまり子供や、お年寄り、病人を自分のように受け入れるように勧めています。人を受け入れることはイエス様に従った私たちにとってどういうことなのか、具体的に考えてみたいと思います。教会では、叉ミサの前に新しい人、初めて教会に足を運んだ人、小さい人、お年寄りや子供も歓迎します、これはとても大切な教会の役割です。その心の態度は教会の名刺であり、教会の看板になります。このように教会の心を、教会の姿を表します。だから教会ではぜひイエス様が勧められたように、誰でも受け入れることを大切にしましょう。大切に受け入れて歓迎された人は、未信者であったとしても、イエス様自身が受け入れて歓迎されるのです。
                         モヨリ神父


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