どれも今回訪れたお寺は心に残るところばかりでしたが、あと一つだけあげるとすると高桐院(こうとういん)でしょうか?
広い敷地の大徳寺の中には22もの塔頭(たっちゅう)が点在していますが、常時4つの塔頭は拝観が出来、そのうちのひとつが高桐院になります。同敷地内で龍源院も見に行くことができましたが、こちらも日本最小の石庭があったりと見どころが沢山・・
7月をもって閉じられた京都在住のモヨコさんのブログコトモノBLOGの最後のほうの記事で、高桐院がとても素敵に紹介されていたので、娘と行きたいね~と言っていた場所のひとつになっていました。
高桐院は慶長6年(1601年)に、利休七哲の一人といわれた細川忠興(ただおき)が父親の菩提を弔うために建立した寺になるそうです。
忠興(三斎公)は戦国時代きっての智将でもあり、茶道を極め、歌道をたしなみ文武両道に秀でた粋な人であったようです。
高桐院でまず心洗われてしまうような所があります、表門から続く敷石の参道がとてもとても美しい!
木々の緑に遮られて、昼でも少しほの暗く静かで赴きのある雰囲気の中、別世界につながる道のようにも思えます。
苔むした地面から伸びている両側の緑のもみじと、竹を使った仕切りが真っ直ぐ伸びたその先にある門までの道のりが、これから高桐院を訪れることが出来るという、静かな期待を増幅させる効果があるように思えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1e/7d7c917c69a9e260f6ee9cf639e2947e.jpg)
小さな入り口から上がりますと目の前にまず庭園の一部が目に飛び込んできました。
そして右側に千利休の屋敷の広間を移築したという「意北軒」さらにその奥には秀吉が主催した北野天満宮の茶会に使っていたものを移したという「松向軒」(しょうこうけん)とお茶に非常にゆかりの深いものばかりがあります。
茶の湯との関連も深い寺ゆえに、派手さというものはありませんが凛とした中に気品があります。
寺が用意した履物をはいて中から外の庭園も出てみてまわることが出来ます。
本堂西側には三斎(細川忠興)と妻ガラシャ婦人(明智光秀の娘)の石灯籠となっている墓石が静かに据わっています、そこまで敷石を踏みながら進むことが出来ました。
そして書院の左、南側には江戸時代初期につくられたという庭園があり、縁側にも腰掛けられるような感じでのびやかな空間が広がっています。
訪れた方は皆ここでしばらく庭園を見ながらくつろいでいます。
(2枚とも携帯写真になってしまってますが、よく見たらぼ~っと座ってるのは旦那さんでした^^;)
そして庭園は夏の暑さを一時忘れさせてくれるような清涼感があり、そこだけ別な風が吹き抜けているような感じがします。
楓を主としたつくりの庭になっていてもみじも植えられていて、現在は夏の青々とした景色が広がっていますが、紅葉の頃は庭には真っ赤に紅葉した落ち葉が敷き詰められるそうです。
紅葉の絨毯、その頃も見てみたいものです。
広い敷地の大徳寺の中には22もの塔頭(たっちゅう)が点在していますが、常時4つの塔頭は拝観が出来、そのうちのひとつが高桐院になります。同敷地内で龍源院も見に行くことができましたが、こちらも日本最小の石庭があったりと見どころが沢山・・
7月をもって閉じられた京都在住のモヨコさんのブログコトモノBLOGの最後のほうの記事で、高桐院がとても素敵に紹介されていたので、娘と行きたいね~と言っていた場所のひとつになっていました。
高桐院は慶長6年(1601年)に、利休七哲の一人といわれた細川忠興(ただおき)が父親の菩提を弔うために建立した寺になるそうです。
忠興(三斎公)は戦国時代きっての智将でもあり、茶道を極め、歌道をたしなみ文武両道に秀でた粋な人であったようです。
高桐院でまず心洗われてしまうような所があります、表門から続く敷石の参道がとてもとても美しい!
木々の緑に遮られて、昼でも少しほの暗く静かで赴きのある雰囲気の中、別世界につながる道のようにも思えます。
苔むした地面から伸びている両側の緑のもみじと、竹を使った仕切りが真っ直ぐ伸びたその先にある門までの道のりが、これから高桐院を訪れることが出来るという、静かな期待を増幅させる効果があるように思えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/96/5f7c64f546f1d3a0fa3e80313650c2a7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/1e/7d7c917c69a9e260f6ee9cf639e2947e.jpg)
小さな入り口から上がりますと目の前にまず庭園の一部が目に飛び込んできました。
そして右側に千利休の屋敷の広間を移築したという「意北軒」さらにその奥には秀吉が主催した北野天満宮の茶会に使っていたものを移したという「松向軒」(しょうこうけん)とお茶に非常にゆかりの深いものばかりがあります。
茶の湯との関連も深い寺ゆえに、派手さというものはありませんが凛とした中に気品があります。
寺が用意した履物をはいて中から外の庭園も出てみてまわることが出来ます。
本堂西側には三斎(細川忠興)と妻ガラシャ婦人(明智光秀の娘)の石灯籠となっている墓石が静かに据わっています、そこまで敷石を踏みながら進むことが出来ました。
そして書院の左、南側には江戸時代初期につくられたという庭園があり、縁側にも腰掛けられるような感じでのびやかな空間が広がっています。
訪れた方は皆ここでしばらく庭園を見ながらくつろいでいます。
(2枚とも携帯写真になってしまってますが、よく見たらぼ~っと座ってるのは旦那さんでした^^;)
そして庭園は夏の暑さを一時忘れさせてくれるような清涼感があり、そこだけ別な風が吹き抜けているような感じがします。
楓を主としたつくりの庭になっていてもみじも植えられていて、現在は夏の青々とした景色が広がっていますが、紅葉の頃は庭には真っ赤に紅葉した落ち葉が敷き詰められるそうです。
紅葉の絨毯、その頃も見てみたいものです。