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about him

俳優・勝地涼くんのこと。

小栗くん

2007-12-21 01:54:16 | その他
初めて小栗くんを見たのは2001年放映の単発ドラマ『憧れの人』でした。
小栗くんは主人公(松本幸四郎さん)の息子役。マッチョイズムを押し付けてくる父親とメーキャップへの強い関心の狭間で苦しみ奇行を繰り返す腺病質な少年を演じていました。
それから少しした頃雑誌で「期待の若手俳優」として紹介されているのをたまたま読んだこともあり、「演技派の少年俳優」として私の中に彼の名前は記憶されることとなりました。 

小栗くんの名前を改めて認識したのは数年後、2006年1月の「はなまるカフェ」で、勝地くんが同じ野球チームのメンバーとして小栗くんを挙げた時でした。
この頃はすでに『花より男子』などで結構な人気者になっていて、「ああ、あの時の子が活躍してるな」とは思ってたんですが、この「はなまるカフェ」以来、新たに「勝地くんのお友達」として気になる存在になったのでした。 

勝地くんのファンになってから、彼の友達を中心に若手俳優・女優さんたちのインタビューをときおり読むようになったのですが、一番読む頻度が高いのが小栗くんのインタビュー。
歯に衣着せぬ発言連発で記事が面白いせいもありますが、言葉の端々に勝地くんと共通するものを感じることがあるのが主たる理由。年少の勝地くんの方が小栗くんにいろいろと影響を受けているのかも。 

以前こちらで小栗くんを「イケメン演技派」の枠に入れたんですが、本来は彼も「演技派」枠の人なんじゃないかと思います。むしろ「演技派」枠を志向している―アイドル俳優より渋い役者でありたいと望んでいる人というべきか。
フォトエッセイ集『同級生』をオーソドックスな写真&日記の構成にせず、さまざまな業種の同い年の若者との対談集にしたり(前書きによると、フェトエッセイの企画をもらったとき「色んな生き方をしている同い年にいっぱい会いたいんですけど」と小栗くんからこの形式を提案したそうです)、パーソナリティをつとめるラジオ番組『オールナイトニッポン』で一般人から脚本・役者を募集する「オールナイトニッポン演劇部」のコーナーを設けたり、というスタンスにも、アイドルでなく役者、他人とりわけ才能ある若者と一緒に作品を作り上げてゆくクリエーターでありたいという自負心を感じます。

それだけに不本意にアイドル的人気が加熱してしまったことに戸惑っているのが、最近の言動にはっきりとうかがえます。
以前にもまして露悪的発言が増え(このところメディアへの露出がすさまじいせいでなおのこと目立つ)、自分を偶像視するファンへの苛立ちを隠そうともしない。
それは『CREA』(2007年7月号)インタビューのコメントや、同年11月11日放映の『情熱大陸』前編での、(蜷川幸雄さんとの)トークショーのために午前3時ごろから並ぶファンに対する「もうやめて欲しい本当にああいうの」発言でも明らか。

とくに『CREA』の「僕にどんなイメージを持ってもらっても別にいいんだけど、ロケ先のホテルにいっぱい人が来てしまったり、というような環境は耐えられない。普通の友達と居酒屋に行っても、会話を聞かれてたりするし、東京が住みにくくなりましたね。」という言葉は読みながら溜息が出ました。
小栗くんに限ったことではないですが、あまりにも苛酷。絶えず他人の目にさらされ、自分は悪くないとはいえ連れの友達やホテル・お店にかける迷惑も心苦しく――ファンがいればこそ成り立つ仕事とはいっても、ろくろく息もつけない気分でしょうね。

2007年夏の舞台『お気に召すまま』の時も、観劇中のマナーの悪さのみならず、出待ち・入り待ちのファンが会場の搬入口を塞いで荷物の受け渡しを妨げたり信号待ちの車に群がる危険行為まであったそうですし・・・。
(これらについては「お気に召すまま」公式ブログにレポがたくさん寄せられています)
勝地くんも出演した11月~12月の『カリギュラ』ではそういう話を(浅見のかぎりでは)見かけないので、会場や小栗くんサイドで何らかの対策を取ったのかも。
夏の『犬顔家の一族の陰謀』(東京公演)では当日券の列のそばを普通に役者さんが通って楽屋入りしてたらしいので、突出した人気者がいるかどうかで関係者の対応も全然違ってくるんでしょうね。

こういう話を聞くと、勝地くんも今はまだ良いけれど、この先もっと知名度と人気が上がっていったら小栗くんのような苦しみを抱えて、性格柄はっきり口には出さなくても「もうやめて欲しい本当にああいうの」と思ったりするんだろうか、とか考えてしまいます。
今だって彼は小栗くんからファンの迷惑話をつぶさに聞いているだろうし、実際その場に立ち会ったこともあるかもしれない。ある程度彼も小栗くんの苛立ちを共有してるわけですよね。
会場のスタッフにも心を配り(
こちら参照)、『SOUL TRAIN』メイキングでは「近所への迷惑」を気にしていた彼のことですから、自分のファンが周囲に迷惑をかける事態というのは、それこそ「耐えられない」んじゃないか。
一ファンとして、どういうスタンスを取るのが一番彼の負担にならないのだろうか、と改めてつくづくと思ったものでした。


p.s. 小栗くん初のタイトルロールとなった『カリギュラ』は大成功のうちに千秋楽を迎えました。
私は結局観劇できなかったので以下はネットなどでの劇評からの推定になりますが、興業的に、というだけでなく演出のクオリティ、役者陣の演技もおおむね好評だった様子。
主役の小栗くんについても、「台詞が聞き取りづらい」という批判を多く見かけたものの、カリギュラの激情・孤独感を見事に体現していたとトータルの評価は上々。

そして露出度の高さに拠るだけではないセクシーさ、悪辣な行動、カリスマ性は、イギリス公演のさいに「セクシーのカリスマ」と現地で絶賛された『タイタス・アンドロニカス』(蜷川幸雄演出、2006年)のエアロンにも通じるのでは。
2003年の『ハムレット』以来小栗くんを育ててきた感のある蜷川さんのこと、現在の異常なブームが一段落したあたりで初タイトルロールである『カリギュラ』をイギリスへ持っていって、舞台役者としての小栗くんの名声を確立しようと計画してたりして。
小栗くん本人同様、蜷川さんも現在彼がアイドル的にもてはやされているのを苦々しく思っているだけに、十分ありえるような気がします。シェイクスピア作品じゃないので『タイタス~』のようにRSC(ロイヤルシェイクスピアカンパニー)招待作品とはならないでしょうけど。

ファンやマスメディアへの怒りを(時には行きすぎとも思えるほどに)臆さず口にしたり目上にもタメ口だったり、冗談で尊大な口をきいてみたり、普段の言動が役に引きずられたりの小栗くんは、今後も毀誉褒貶激しいでしょうが、そうした「大人になりきれない不安定さ」が、際立ったスタイルの良さと並んで彼の(それゆえに意思に反して「演技派」枠でいられなくなってしまった)「華」の源なのだと思います。
その「華」を持つ彼はこの先実績を重ねてゆくことで、今のようなアイドル的人気俳優からこれからの演劇界・映像界の中心を担う実力派のスターにシフトしてゆけるんじゃないでしょうか。
「(蜷川さんからの)人気が先行しがちな自分への宿題」とこの作品を捉え、大千秋楽翌日の夜のラジオで「最っ高。ほんっとに、最っ高です。こんな達成感初めてほんとに」と語っていた小栗くんにとって、『カリギュラ』は彼の俳優史の記念碑的存在になったことと思います。1月6日のwowowでの放映が心待ちです。

ちなみに『カリギュラ』関連では小栗くんと勝地くんの仲良しエピソードをあれこれ聞けたのも嬉しかったのですが、これについてはまたいずれ。


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二十歳の抱負

2007-11-18 01:35:46 | その他
2006年9月上旬、20日の誕生日に大分遅れて勝地くんの公式メッセージが更新されました。
誕生日、それも20歳という節目とあって、当然「二十歳の抱負」のようなものを書いてくるだろうと予想していたのですが・・・。

確かに「二十歳の抱負」について語っていたのは予想通りでした。驚いたのは「抱負」の中身。

「二十歳の抱負は、「人を大切に」です。」

あまりにシンプルな、ゆえに本質を突いた言葉にはっとさせられました。 
普通抱負というと、「免許を取りたい」「外国語を習得したい」などの具体的な目標を掲げるケースが多いように思うのです。あるいは俳優として、こういう役を演じたい、こんな演技が出来るようになりたい、とか。
それだけに俳優としてよりまず人としての心構え、何らかの目標を達成することでなく気持ちの在り様を、二十歳の抱負としたことに驚きました。

インタビューなど読んでいて、彼の発言にこうした「定石からのずれ」を感じることがままあります。
意識的に奇をてらってるのではなく、ちょっと着眼点が変わっている。正確には変わっているというよりも、今どき珍しいまでに真っ当、というべきでしょうか。
かつては美徳とも呼べないほどに当たり前だったことがいつのまにか忘れ去られつつある昨今、当たり前のことを当たり前に話し実行している彼の姿は、とても清清しいものに思えます。
二十歳の抱負は「エロかっこいいを目指す」(少し前に発売された『COOL TRANS』10月号での発言)かな?などと冗談交じりに思っていた自分が恥ずかしいです(笑)。

以前こちらで書いたように、彼が20歳に(成人に)なることにはいささか寂しい気持ちを拭えなかったのですが、こんな言葉をさらっと口にできる勝地くんはきっと素敵な大人になってゆくんだろうな、と晴れやかな心地になったものでした。


また驚いたのが『イージス』で共演した吉田栄作さんと飲みに行った話。
後に『婦人公論』2007年1月22日号でも「『20歳になったら飲みに連れていってやる』と言われていて、共通の知人を介して本当に誘いの声をかけてくれた」(概要)と語ってましたが、こんな他愛もない口約束をちゃんと履行してくれるとは。何だか私の中で栄作さんの株が急上昇しました(笑)。
撮影中も栄作さんとはほとんど役の上でからまなかったはず(CICに仙石から通信が入る場面くらいか?それだって同じ部屋にいるってだけだし)なので、この二人にこんな交流が生まれていたというのは嬉しいサプライズでした。

勝地くんは現場で最年少というパターンが多く、とくに『イージス』ではメインキャスト唯一の十代でありながら超豪華キャストの中で体当たりで頑張っていただけに、先輩たちから目をかけられ可愛がられてたんだなあと、この栄作さんとのエピソードを読んで改めて感じました。
そして「頑張って肝臓鍛えたいと思います。」という締め方がやっぱりなんか天然です(笑)。
こういうところも可愛がられる要因なんだろうなと思ったりします。


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「演技派俳優」という事

2007-11-07 01:47:45 | その他

勝地くんのファンになってから、映画・舞台雑誌、果てはアイドル雑誌などを読む機会が増えました。それらの雑誌を見ていると、若手俳優さんは大きく二つに分類できる(されている)気がします。
すなわち、整った容姿から女性ファンにアイドル的人気を持つ人たち-いわゆる「イケメン俳優」と、もっぱら演技力を評価されている「演技派」。

「演技派」の人たち(例えば浅利陽介くんや高橋一生くん)はアイドル雑誌やファッション誌ではまず見かけないです(もちろん事務所の方針というのもあるのでしょうが)。
そして「イケメン俳優」はさらに「顔が良くて演技も上手い」、「顔はいいんだけど・・・」の二タイプに分けられる。藤原竜也くんや小栗旬くんが前者の例でしょうか。
勝地くんもカテゴリー的にはここに入る・・・と言いたくなるんですが、私見では彼は「演技派」の枠の方に属してるように感じます。

確かに顔立ちは整っているし、バラエティーなどで「若手イケメン俳優」と呼ばれたり、アイドル・ファッション雑誌への露出も少なくない。
ファン層は主として30代以上の女性が多く、容姿で騒がれることもしばしば。
だから正確には「演技派」と「イケメン演技派」のボーダーラインにいるというべきでしょうか。

顔が良くて演技派ならなぜ素直に「イケメン演技派」カテゴリーに入れないのかというと、演技の質と雰囲気のゆえ。一言で言えば、いわゆる「華」のあるタイプではない、ということ。
けれど存在感がないのではなく、きらびやかさの代わりに年齢不相応なまでの落ち着き、重心の低さを備えている。「華」ではなく「磁力」の人とでも言うか。
若手の多い作品なんかだと彼が出てくると画面が締まる感覚を覚えることがあります。
それゆえか、外見からすればもっとアイドル的に女の子に騒がれてもおかしくないのに、そうした人気より演技力に対する評価のほうが常に先行している。これは結構珍しい事なんじゃないか。

ときどき、彼は外見のせいで損をしてる部分もあるのかなと感じることがあります。
アイドルでも通りそうな顔立ちと役者としての資質のギャップが、彼の立ち位置を曖昧にしてしまってるのじゃないかと。
「ヒゲを生やしたいのですが」「早くシワができてほしいんですよ」なんてコメントやジムでかなり体を鍛えてるところからすると、彼自身は「男らしい」「渋い」方向性を望んでいるようなので、「可愛い」「綺麗」と言われるのは不本意なのかも、としょっちゅうそうした発言をしてる身としてはいささか反省を覚えてしまったり・・・(でも事実だし)。
『カリギュラ』のポスターで話題になった臍毛も本人的には無問題、というより男っぽい感じでむしろ気に入ってるんじゃ。
(これまで写真目当てで雑誌を買ったことなかったのに、うっかり彼の肉体美にやられて『シアターガイド』を購入してしまった私はどうやら少数派のようで・・・)

ただこの「立ち位置が曖昧」-二つのカテゴリーのボーダーライン上にいるというのは同時に強みでもある。
たとえばベテラン勢と渡り合える重厚な演技力と美形であることの双方を求められた『亡国のイージス』の如月行。
行というキャラクターは強烈な存在感を示しつつも、背負っている過去・現在の重さを思えば華やかなオーラを放ってはいけない。その意味で勝地くんを行に起用したのはベストな配役だったと思います。
今後とも硬派な作品で綺麗どころの若手が必要とされる場合に重宝されるんじゃないでしょうか。

彼はドラマのロケを見学中にスカウトされたので、もともと事務所の方は彼の容姿を買ったわけですよね。
なのにアイドル的方向性で売り出すのではなく、単純に「テレビに出られるんだ」程度の気持ちで事務所に入った少年に一から演技の勉強をさせて、俳優としての道筋をつけてくれた。
彼の存在を見出し、資質を見出したフォスターさんの慧眼に感謝です。


最後に上述の「華」について補足を。
「華やかさはないけれど存在感がある」というのは基本イメージであって、たとえば2007年夏の舞台『犬顔家の一族の陰謀』の野見山玉男のように「(うさんくさいまでに)キラキラしている」のが仕様の役を演じるときは、ライト効果のせいばかりでなくちゃんとキラキラしていた。
そして本人のキャラクターについていえば、眩いスターオーラの代わりにごく柔らかな光をもっているように思います。春の陽だまりのように周りの空気をじんわり温めてくれるような、周囲に影を作らない淡く優しい光。『はなまるカフェ』でにこにこ話をしている彼を見たときに、そんな印象を抱きました。
一方でヘタレなやんちゃ少年っぷりが際立っていた『東京フレンドパーク2』では眩しいほどのキラキラ感があったし、『恋するハニカミ!』ではカラッと爽やかな笑顔が夏の太陽のごとくだった。
結局場合によりけりってことですかね。多面体な人だからな。


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5月の沈黙

2007-10-04 01:15:03 | その他
2005年12月から2006年4月にかけて、珍しくテレビで彼を見る機会が多かった。
2月はテレビには出なかったものの映画やドラマの撮影の様子が聞こえてきたし、4月は『恋するハニカミ!』のみだったけれど(あとNHKの『いっと六県』で上演中の舞台『父帰る/屋上の狂人』の映像を一部流した)、『父帰る~』のレポをネットでたくさん読めたので情報不足は感じませんでした。 

次の仕事についても舞台が終わる頃には告知されるだろうと思ってたんですが、予想に反して5月に入っても何も情報が聞こえてこない。
そればかりか事務所公式のメッセージも全然更新されないまま。約一ヶ月に及ぶ舞台が終了して時間的にはいくらか余裕ができたと思われるにもかかわらず。 

ひょっとして仕事で海外行ってるのか、あるいは千秋楽を迎えたら疲れが一気に出て寝込んじゃったのかとも思ったんですが、東京近辺でたびたび観劇中のところを目撃されているのでそのどちらでもない。
となるとあと考えられるのは・・・・・・心の問題。  

4月の舞台は見ていないのですが、観劇レポはほとんどが絶賛状態、彼に対する評価もすごく高い。
カンパニーのチームワークも最強で、日々進化し続けるとんでもなくクオリティの高い舞台だったのがひしひしと伝わってきました。 
そんな充実した日々が突然なくなって、そこに長いオフが重なったとしたら(長丁場のあとだし新作情報がないことからして十分ありうる)虚脱状態に陥ってもおかしくない。 

さらに彼が前年から時折口にしていた「漠然とした不安」。
その不安が大学に行くという保険をかけず不安定な専業俳優の道を選んだこと(その選択を決して後悔はしてないでしょうが)に由来する以上、これはもう耐えてゆくしかないわけですが、舞台が終わって気が抜けた時にこれまでは漠然としていたものが一気に形になって噴き出してしまったんじゃないかと思えるのです。 

学生がたとえ学校にろくに行かなくても学費さえ払っていれば学生なのと違って、事務所に所属しているとはいってもやはり俳優は演じることによって俳優たりうる部分がある。
まして「『職業は俳優』とそんな大きなことはまだ言えない」(18歳当時のインタビュー。2007年6月の
escala café」のインタビューでも同様の発言をしていました)と考えている彼であってみれば、仕事をしていない状態が続くと、自分が何者なのか、その足元さえ覚束なくなるような不安を感じるんじゃないか、と。  

頻繁に観劇に通っていたのも、「時間的余裕ができたから」「知り合いが出演してるから」という以上に、少しでもお芝居に近いところにいないと不安で居たたまれなかったのでは。
けれど見に行ったら行ったで、きっとまた「なぜ自分は客席の側にいるのか」と考え込んでしまったり・・・。
そんな悪循環を一ヶ月近く繰り返してたんじゃないでしょうか。勝手な想像ですけれども。
 
 

思うんですが、彼ってファンに愚痴らないですよね。甘えないし、媚びない(ファンに愚痴りまくる芸能人もそういないでしょうが)。
ちゃんと友達とお客さんの線引きができている。
撮影の苦労話を書くときも「大変でしたあ~!」「涙です。」などあくまで軽い調子で、「でも楽しかったです。」「やり甲斐がありました。」といったフォローの言葉も忘れない。
メッセージを読むといつも自然と彼の笑顔が浮かんできます。だからこそ、どうしても笑えない気分の時は更新できなくなってしまうのかもしれません。 
『Kindai』7月号(同じ事務所の北条くんとやっていた連載の最終回が載った号)の発売日(5月23日)にメッセージを更新してくれたのは、突然の連載終了にファンが動揺しないようにとの本人なり事務所の人なりの気遣いだったんでしょうね。
頑張って長文を書いてくれたその気持ちが嬉しいです。

正直、このメッセージが明るい調子だったので、無駄に心配しすぎたかなとも思ったんですが、6月7日発売の『POTATO』7月号の記事を読んだら、舞台が終わった後いつになく役を引きずった、高校卒業以来の長いオフに「休みがつくづく性に合わないと思い知らされた」「休んでていいのかな?」と不安になったと話していて、「ああやっぱり」という感じでした。
8月発売の『俳優になる』でも「何もしていない自分が、まわりに置いて行かれちゃう気がした」と言っていたし・・・・・・一ヶ月さぞ悶々と苦しんでたんだろうなあ。
ただファンに愚痴らない代わり友達にはたくさん甘えたり弱音を吐いたりできてるようなので、そこの部分は安心してるんですが(悩みを吹っ飛ばしてくれた二宮くんに感謝!)。 
このさいぜひフォスターさんには倒れない範囲内で彼をガンガン働かせて頂きたいです。
その方がファンも本人も(たぶん)喜びます。あくまでも「倒れない範囲」で。 

――そういえば8月もやはりメッセージの更新が滞りましたが・・・こちらはあまり心配にならなかった。
『さよなら』PVのインタビューや『Cool Trans』で最高の笑顔を見せてくれてたからかな?


P.S. 上記の文章を書いたのはブログ開設前、去年の12月頃でした。その後まもなく事務所のメッセージコーナーはなくなってしまったので、いまや遠い昔の話題という感じですね。
メッセージに代わる個人ブログの開設については長らく「Coming Soon」状態になってますが、ずっとこのままでもいいんじゃないかという気もします。
たぶん短い文章一つ書くのにも、読者であるファンや関係各方面に相当気を使ってしまうタイプだと思うので、負担になるのなら無理にやらなくても、と。
メッセージ中の何気ない文章にしばしば胸打たれてきた身としては結構残念ではありますけど。

話は変わりますが、最近はオフの過ごし方として、トレーニングジムやウェイクボードの話をよくしていますね。
「根は結構家にいちゃう、何もなかったら夕方まで寝ちゃったりとかするから、なるべく、こう、出ていくようにしてる」という、『月光音楽団♪』ほかでの発言を聞くと、休みを「何もしていない」時間にせず有効活用してゆこう、(とくにジム通いはもともと舞台『犬顔家の一族の陰謀』に向けての体力作りだったようなので)役者としてのレベルアップのための充電期間にしようと積極的に動いているようです。

不安をまぎらわすのでなく、不安を感じる必要がないほどに日々を充実させてゆこうとする――。
あれから一年を経て、より前向きに逞しく歩んでいる彼の姿が何だか眩しく思われるのでした。


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21歳

2007-08-20 00:11:34 | その他
正直去年のこの日は、素直に喜べなかったのです。
当時私がリアルタイムで知っていたのはほぼ19歳の彼だけ、その19歳―少年以上青年未満の彼があまりに「綺麗」であったがゆえに、20歳という大人の年齢になってしまうのが、とてももったいないような悔しいような心地さえ覚えたものでした。

実際には20歳になっても幼さの残る面差しも透明感も相変わらず(大人びたかなと思ってもすぐに揺り返しがくる)だったので、最近はそうした胸苦しさを感じることもなくなっていたのですが、8月20日が近付いてくるにしたがって、彼がまた一つ年を重ねる―大人になってゆくことに、一抹の寂しさがよぎるように。

そんな折読んだインタビューで、衝撃を受けたのが次の一言。

「早くシワができてほしいんですよ。年を取って、味のある役者さんになりたい」(「escala cafe」参照。)

インタビュー記事やトーク番組などを見聞していると、彼の発言に胸をつかれることがしばしばあるのですが、これは相当ガツンときました。
一般人でもアンチエイジングに精を出す昨今、20歳前後でもう「劣化」したの何のと言われてしまう若手俳優・女優さんたちは、容姿を保つことへのプレッシャーも相当なはず。
なのに彼は、女性も羨むような滑らかな肌と端整な目鼻立ちを持っていながら、こんな言葉をあっさりと口にする。
「年を取って、味のある役者さんになりたい」というのは他のインタビューでも言ってましたが、普通なら「老化」「劣化」と見なしてしまうだろう皺を、成長の徴、人間的な味として捉えていることに驚愕しました。
若さにしがみつくどころか年を重ねることを楽しんでいる。
時に現状に満足してしまいそうになる自分を叱咤しながら、未来はより輝かしいものだと真っ直ぐに信じて、いつも前を見つめ続けている。
こんな彼はきっと40になっても50になっても、「老化」ではなく「成長」しつづけてゆくのでしょうね。伸びやかな肢体や肌の色艶を失う代わりに、もっと大切なものを身に付けながら。
今の彼よりさらにずっと素敵な、渋い大人になった彼に出会える日が楽しみです
(本当言うと今より素敵な状態というのが想像つきませんが。私にとってはとっくに最高値です)。
ゆっくりと理想の自分へ向かって歩いていってください。今日はその長い旅路の里程標。


お誕生日おめでとう。

 


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中目黒上腕二頭筋

2007-07-28 02:39:24 | その他

勝地くんや彼のお兄さん、小栗旬くんたちが所属する草野球チーム「中目黒上腕二頭筋」。
一度聞いたら忘れられないインパクト溢れる名称です。

紹介文によると、
「2003年夏に結成された野球チーム。大学生を中心としたメンバーに小栗 旬や笠原 秀幸や勝地 涼らの俳優から、ニート、フリーター、詩人、デザイナー・・・etcに至るまで幅広い人材が参加している。」
とのこと。何かと世間から蔑視されがちなニートやフリーターを俳優やデザイナーと同列に「人材」と言い切る姿勢が素敵です

(小栗くんのフォトエッセイ集『同級生。』に「上腕二頭筋」のメンバー5人の座談会(?)が載っています。これを読んで、チームの気風の一端が理解できたような気がしました。ちなみに勝地兄弟の話は一切出てきません)。

みんな仕事の都合などでなかなか野球が出来ない(しかも野球経験者が少ないためかなり弱い)そうですが、忘年会は毎年相当気合いが入っているらしく、俳優チームが劇をやったり(プロの俳優さんたちが演じてるわけですから演技レベルは相当なもののはず)、バンド演奏があったりと出し物も充実。
『俳優になる 2006-2007』で勝地くんが「いずれ下北沢あたりの小屋で手作りの舞台を披露できれば」と話していましたが、ぜひいつの日か実現させてほしいものです。

そんな「上腕二頭筋」が2005年の春に関わった企画がこれ

なんかもはや草野球チームというよりクリエイター集団といった趣きです。
グラフィックデザイナーの一人、勝地寿光さんは名字からするに勝地くんのお兄さんですね。
お母さんはお花屋さん(多肉植物のオーソリティとしてその道では有名な方です)、長男はグラフィックデザイナー(職業か趣味かは不明ですが)、次男は俳優――そのままドラマになりそうなきらびやかな一家だ・・・。 

ちなみにこの企画、見てのとおり服のモデルは小栗くんが務めていますが、勝地くんバージョンも見てみたかったかも。
基本メンズ仕様とはいえ「女性にも着れる」(XSサイズが女性対応)ことを前提にデザインされてるのだし、実際主たる購買層は小栗くんファンの若い女性だったと想像されます。
だとすればモデルばりの長身で引き締まった体躯の小栗くんより、小柄(公称174cmなのでそんなに小さいわけでもないんですが)で華奢な勝地くんの方が着こなしの参考になるんじゃないか、と。

近年、小柄でお洒落な若い男の子はたくさんいて、ユニセックスな服を格好よく可愛く着こなしてたりする。
にもかかわらず女性モデルはティーン向け雑誌などだと結構小柄な人も多いのに、男性モデルって180cm以上の人しかいないように感じます
(P.S. 忍成修吾くん(173cm)が雑誌の読者モデル出身だということを最近知りました。なので単に私が知らないだけという可能性が大かも)。

彼らのファッションリーダーたりうるような160~170cm代の男性モデルがいてもいいんじゃないかなー、と『Smart』2006年2月発売号ジーンズ特集の勝地くんの写真を見つつ思ったものでした。
まあ彼にモデル的な仕事をしてほしいかといえば、その時間に映画やドラマを撮影しててくれた方が嬉しかったりしますが(笑)。


P.S. 2007年になってから、わりにメンズファッションやヘアカタログ系の雑誌に載るようになってきましたね
(『Patsu×2』7月18日発売号の美肌特集など、思えば今までこのジャンルで取り上げられなかったのが不思議なくらい)。
『Samurai Magagine』5月号では小栗くん、岩佐真悠子さんと3人で「nouno」の服のモデルを務めていて、「上腕二頭筋」×「nouno」コラボの時に見られなかったものを見せてもらったみたいで何だか嬉しくなってしまいました。
(この時期はまだ華奢な印象ですね。『月光音楽団♪』や、舞台『犬顔家の一族の陰謀』を観劇された方のレポを見るに、近頃の彼はかなりガタイよくなってるようですが。)


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趣味は読書。

2007-07-07 03:01:06 | その他
履歴書の「趣味」欄に「読書」と書く人は多い、のだそうだ。  
読書が趣味というと何となく真面目で向学心旺盛というプラスイメージがあるので、書くには無難というところだろうか。
こういう人が実際にどんな本を読んでるかというと、マンガや雑誌、良くてベストセラー作品がせいぜい、なのだとか(個人的にはそれも十分読書のうちだと思いますが)。

さて勝地くんもデビュー当時(中学一年)から一貫してプロフィールの趣味欄は「読書」となっているのですが、実際彼がどんな本を読んでるかといえば――

「最近読んだ本は、向田邦子さんの「寺内貫太郎一家」です。」(18歳当時のインタビュー、ソースこちら)

このコメントにのけぞりました。今どきの十代男子が向田邦子をっ!? 
・・・こりゃ本物だ。真性の本好きだ。

13歳当時のインタビューにある好きな本(作家)のラインナップも「シャーロック・ホームズ」は中学生らしいチョイスだと思いましたが、芥川龍之介(渋!)とか星新一(20年前なら読書好きの中高生が一度は通る道だったでしょうが、近年もそうなのか?)とか、世の流行りすたりなど気にも留めていない感じがすがすがしい。  

その後、『SEVENTEEN』2006年3月15日号の「有名人オススメBOOK☆ベスト3」でまたものけぞらされました。
第1位がリリー・フランキー『東京タワー』というのは、意外に普通だなあと思ったんですが、第2位が『小川未明童話集』・・・。
正直、名前しか知りませんでした小川未明。児童文学というジャンルのゆえかあまり国文学史では重要視されてこなかった(国語の授業で取り上げられない)作家かと思ってたんですが、19歳(当時)の勝地くんが知ってるということは、最近は短編が教科書に載ったりしてるんでしょうか。
もしくは編集部のコメントに「「赤いろうそくと人魚」は学校の図書室で読んだ人もいるかも」とあったように子供の頃に出会ったか(でも最近初めて読んだような口ぶり)、誰か年配の人にお勧めされたかしたのかな?

(ちなみに別のインタビュー記事によると『寺内貫太郎一家』は友達のお勧めだそうです。彼以外にも向田作品を愛する若人がいるわけですね!
もっとも若手俳優さんたちのインタビューなど読むと、勝地くんに限らず「若者の活字離れ」など他所事のように読書家が多かったりする)

さらに第3位は『おおきな木』という絵本。
女性タレントだとお勧め本として絵本を挙げるケースもあるように思いますが、男性が絵本を好きだと公言するのは(『葉っぱのフレディ』みたいな例外をのぞいて)珍しいかも。
まだ10代だから言える、というんじゃなくて、きっと30歳になっても40歳になっても、好きなものを好きだとごく当たり前に言い続けてそうな気がします(最近も『ダ・カーポ』6月20日発売号で「無償の友情の物語」として『おおきな木』を紹介していました)。

なんというか彼には「自分をよく見せたい」という欲をほとんど感じないです。
といって「他人の目など気にせず自分流を貫く」という気負いも感じない。ただ自然にしてるだけ。
思うところ、訊かれた事を正直に(常識と礼節に反しない範囲で)話してるだけ、という印象があります。

あと個人的に嬉しかったのは、第2位のコメントで「(寝しなに読む本の)定番は星新一さんの〝ショートショート〟でしたが、最近はこの1冊です」と話していたこと。
中学一年の頃に好きだった本を6年後も大切に読み続けている。
「サイモン&ガーファンクル(とくに「冬の散歩道」)が好き」というのもずっと言い続けてますし、『BiDaN』2007年4月発売号で、好きな本を三冊あげた中に『寺内貫太郎一家』がしっかり入っていた。
「流行りすたりに関係なく好きなものは好き」、そして「一度好きになったものはずっと好き」なんだなあ、と彼の変わらなさになにやら胸が温まる気分になったものでした。

P.S. その後『寺内貫太郎一家』を読んでみました。石屋を営む昔気質の頑固親父とその家族のドタバタ劇。
貫太郎はすぐにカッとなって手が出る性質だし、貫太郎を中心に家族の誰もが一度は(多くは相手あるいは他の誰かを思いやるがゆえに)「決して口にしてはいけない言葉」を、つい口にしてしまう。
他人であったらまず一生不通、関係の修復は不可能になるだろうほどの暴言をお互い繰り返しながら、最後には謝罪とも呼べないような、短い日常的な言葉のやり取りの中で許し合う。
いや、罵りあっている時点ですでに、心のどこかで相手を許し合っている。
家族の絆の確かさと暖かさを押し付けがましくなく伝えてくれる素敵な作品でした。

この本を読みながら、以前に読んだ瀬尾まいこさんの『幸福な食卓』(まだ映画が公開される前だったので原作のほう)を自然と思い起こしていました。
時代の流れもあり、二つの作品の中の家族のあり方は相当違っていますが、「簡単につくれないかわりにめったになくならない」家族の絆が描かれていた点は同じ。
『幸福な食卓』に出演したさいに、勝地くんは『寺内貫太郎一家』を思い出したりしたでしょうか。

 


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センチメンタル

2007-03-02 00:07:05 | その他

 



彼に惹かれるようになった2005年夏の頃。
舞台挨拶の映像や写真で見る彼は撮影当時よりずいぶん髪が伸びて、青年と呼ぶにはまだ多分に少年の面差しを残しながら、それでもスクリーンの中の彼より一年分確実に大人びていた。 

その後も夏から秋にかけて雑誌などで見かけるたびに少しずつ大人っぽく男っぽく成長してゆく彼の姿に、いつか焦りにも似た感情を覚えはじめていた。 
「きっとすごくいい男に育つんだろうな」 そう思いはしても、少年から青年への過渡期にいる今の彼が本当に、本当に綺麗で、透明感に満ち溢れていて、このままの彼をもっと見ていたい、そう思わずにいられなかった。
人は誰も、放っておいてもいずれ自然に大人にはなるけれど、過ぎ去った少年期に後戻りすることはできない。
「だからそんなに急がないで」 彼の時間が少しでもゆっくり流れてくれるように。そう願わないではいられなかった。 

そんな物思いに変化が生じたのは11月頃。「愛のメロディー」のPVを見て「おや?」。雑誌『QRANK』のインタビュー記事の写真に「あれ?」。 
さらに髪が伸びた彼はさらに大人っぽくなっていたのですが(『QRANK』の写真など到底10代とは思えない)、男っぽさのほうはむしろ減退して中性的な感じ。 
なんで逆行してんだ?と首を捻っていたら、12月になって髪を短く切った彼は・・・すっかり少年の顔に戻ってしまったのだった。 
――どうやら彼の時間は「少しでもゆっくり流れる」どころかしばしば後ろ向きに進むらしかった。過渡期ってそんなものなのかも? 
ともあれ彼が大人の男に成長するのはまだまだずっと先の話になりそうだ、とひとまず安堵したのでした。 

P.S. 2006年に入ってからも、髪型や体型変化に応じて、大人びてたり幼かったり、可愛かったり格好よかったり、相変わらず一定方向に成長していかない彼。
けれど11月あたりからは、ぐっと男っぽく大人っぽくなって、「青年」というより「男」になりつつあるような感じ。
今度こそ本当に大人になっちゃうかなあ、とか思ってたんですが、久しぶりに2004年発売の『Boys Beat』を見返したら、表情こそ幼いものの今と全く同じ顔しててびっくり。
記憶の中ではもっと少年ぽかった気がしてたんですが。
よーく見るとやっぱり幾分こちらの方が若いような気もしないではないものの、でもほとんど変わらない。
逆行というよりループしてる?
年が明けてからはまた若返って、一年前とおんなじ顔になってるし。
・・・なんかもう童顔なんだか老け顔なんだかもよくわかりませんが、おかげで中学生から30代まで演じられるし、いいんじゃないんですかねー、ええ。(投げやり)


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出会い編

2007-01-09 23:53:27 | その他

2005年4月に友人に勧められて読んだ小説『亡国のイージス』。
国防と日本国の在り方への問題提起もさることながら、熱い男たちのドラマ、そして「如月行」というキャラクターにすっかり魅せられてしまった。

映画化の話はすでに知っていたので、読了後さっそく映画の公式サイトで予告ムービーをチェック。
「ああ、これが映画版の行か。イメージより幼い&男っぽい顔立ちだけど、まあいいんじゃないかな」。それが彼の第一印象でした。

その後『オール・アバウト・如月行』や雑誌のインタビュー記事を散見しつつ、「感じのいい青年だな」と好感を抱いたものの、この時点ではまだ「如月行を演じる俳優さん」という視点でした。
5月頃のインタビューは4月に出演した舞台(『KITCHEN』)の話が主だったので、「早くイージスの話して~」とか思ってましたから(笑)。

勝地くん本人に惹かれるようになったのは映画公開の直後、ネットで映画の感想を検索していた時に見つけた『イージス』&勝地くんファンの方のサイトに書かれていたあるエピソードでした。
公開前夜の2005年7月29日(~30日)、ラジオ番組『オールナイトニッポン』で勝地くんがパーソナリティを務めた時のこと。

「映画のキャンペーンで全国を回った中で一番印象に残ったことは何ですか?」(概要)
との質問に対する回答が、 
「劇場の人たちが、すごく忙しいはずなのに、自分が行くとちゃんと相手をして下さったのがありがたかったです。」(概要) 

共演者や監督だけじゃなく、縁の下の力持ち的現場のスタッフのこともちゃんと見ていて感謝する気持ちを忘れない。
当たり前のこととしてつい通り過ぎてしまうような、「そこにあるのに気づかないこと」を決して見逃していない。
何て綺麗な心を持った子なんだろうかと思わず胸が熱くなりました。 

さらに追い打ちをかけたのがMOVIX三郷で風間役の谷原さんと一緒に舞台挨拶をした際の1コマ。
「自分も大人になったら真田さんのような役者になりたい」と言おうとしたらしいのですが、緊張のあまり口がすべったのか「自分も大きくなったら・・・」と言ってしまったと!
・・・ちょっと待って、あなた如月でしょー?可愛すぎるよ・・・!
スクリーンの中とのギャップにとどめを差された形でした。

P.S.2006年7月に勝地くんが、所属事務所(フォスター)公式サイトのメッセージで、当時撮影中だった作品(『ソウルトレイン』)の現場、というかケータリングの食事について書いていたんですが、 
「スタッフさんが毎日飽きないように考えて出してくれるので、ホント感謝です。」 
との一文に、変わってないな、と思いました。
この一年でいろいろな経験を積んで、その分大人になって、でも一番大切な部分は何も変わらない。
この綺麗な心を失わないかぎり、私はずっと彼のファンで居続けるんだろうな、と改めて感じたものでした。


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