小栗くんは主人公(松本幸四郎さん)の息子役。マッチョイズムを押し付けてくる父親とメーキャップへの強い関心の狭間で苦しみ奇行を繰り返す腺病質な少年を演じていました。
それから少しした頃雑誌で「期待の若手俳優」として紹介されているのをたまたま読んだこともあり、「演技派の少年俳優」として私の中に彼の名前は記憶されることとなりました。
小栗くんの名前を改めて認識したのは数年後、2006年1月の「はなまるカフェ」で、勝地くんが同じ野球チームのメンバーとして小栗くんを挙げた時でした。
この頃はすでに『花より男子』などで結構な人気者になっていて、「ああ、あの時の子が活躍してるな」とは思ってたんですが、この「はなまるカフェ」以来、新たに「勝地くんのお友達」として気になる存在になったのでした。
勝地くんのファンになってから、彼の友達を中心に若手俳優・女優さんたちのインタビューをときおり読むようになったのですが、一番読む頻度が高いのが小栗くんのインタビュー。
歯に衣着せぬ発言連発で記事が面白いせいもありますが、言葉の端々に勝地くんと共通するものを感じることがあるのが主たる理由。年少の勝地くんの方が小栗くんにいろいろと影響を受けているのかも。
以前こちらで小栗くんを「イケメン演技派」の枠に入れたんですが、本来は彼も「演技派」枠の人なんじゃないかと思います。むしろ「演技派」枠を志向している―アイドル俳優より渋い役者でありたいと望んでいる人というべきか。
フォトエッセイ集『同級生』をオーソドックスな写真&日記の構成にせず、さまざまな業種の同い年の若者との対談集にしたり(前書きによると、フェトエッセイの企画をもらったとき「色んな生き方をしている同い年にいっぱい会いたいんですけど」と小栗くんからこの形式を提案したそうです)、パーソナリティをつとめるラジオ番組『オールナイトニッポン』で一般人から脚本・役者を募集する「オールナイトニッポン演劇部」のコーナーを設けたり、というスタンスにも、アイドルでなく役者、他人とりわけ才能ある若者と一緒に作品を作り上げてゆくクリエーターでありたいという自負心を感じます。
それだけに不本意にアイドル的人気が加熱してしまったことに戸惑っているのが、最近の言動にはっきりとうかがえます。
以前にもまして露悪的発言が増え(このところメディアへの露出がすさまじいせいでなおのこと目立つ)、自分を偶像視するファンへの苛立ちを隠そうともしない。
それは『CREA』(2007年7月号)インタビューのコメントや、同年11月11日放映の『情熱大陸』前編での、(蜷川幸雄さんとの)トークショーのために午前3時ごろから並ぶファンに対する「もうやめて欲しい本当にああいうの」発言でも明らか。
とくに『CREA』の「僕にどんなイメージを持ってもらっても別にいいんだけど、ロケ先のホテルにいっぱい人が来てしまったり、というような環境は耐えられない。普通の友達と居酒屋に行っても、会話を聞かれてたりするし、東京が住みにくくなりましたね。」という言葉は読みながら溜息が出ました。
小栗くんに限ったことではないですが、あまりにも苛酷。絶えず他人の目にさらされ、自分は悪くないとはいえ連れの友達やホテル・お店にかける迷惑も心苦しく――ファンがいればこそ成り立つ仕事とはいっても、ろくろく息もつけない気分でしょうね。
2007年夏の舞台『お気に召すまま』の時も、観劇中のマナーの悪さのみならず、出待ち・入り待ちのファンが会場の搬入口を塞いで荷物の受け渡しを妨げたり信号待ちの車に群がる危険行為まであったそうですし・・・。
(これらについては「お気に召すまま」公式ブログにレポがたくさん寄せられています)
勝地くんも出演した11月~12月の『カリギュラ』ではそういう話を(浅見のかぎりでは)見かけないので、会場や小栗くんサイドで何らかの対策を取ったのかも。
夏の『犬顔家の一族の陰謀』(東京公演)では当日券の列のそばを普通に役者さんが通って楽屋入りしてたらしいので、突出した人気者がいるかどうかで関係者の対応も全然違ってくるんでしょうね。
こういう話を聞くと、勝地くんも今はまだ良いけれど、この先もっと知名度と人気が上がっていったら小栗くんのような苦しみを抱えて、性格柄はっきり口には出さなくても「もうやめて欲しい本当にああいうの」と思ったりするんだろうか、とか考えてしまいます。
今だって彼は小栗くんからファンの迷惑話をつぶさに聞いているだろうし、実際その場に立ち会ったこともあるかもしれない。ある程度彼も小栗くんの苛立ちを共有してるわけですよね。
会場のスタッフにも心を配り(こちら参照)、『SOUL TRAIN』メイキングでは「近所への迷惑」を気にしていた彼のことですから、自分のファンが周囲に迷惑をかける事態というのは、それこそ「耐えられない」んじゃないか。
一ファンとして、どういうスタンスを取るのが一番彼の負担にならないのだろうか、と改めてつくづくと思ったものでした。
p.s. 小栗くん初のタイトルロールとなった『カリギュラ』は大成功のうちに千秋楽を迎えました。
私は結局観劇できなかったので以下はネットなどでの劇評からの推定になりますが、興業的に、というだけでなく演出のクオリティ、役者陣の演技もおおむね好評だった様子。
主役の小栗くんについても、「台詞が聞き取りづらい」という批判を多く見かけたものの、カリギュラの激情・孤独感を見事に体現していたとトータルの評価は上々。
そして露出度の高さに拠るだけではないセクシーさ、悪辣な行動、カリスマ性は、イギリス公演のさいに「セクシーのカリスマ」と現地で絶賛された『タイタス・アンドロニカス』(蜷川幸雄演出、2006年)のエアロンにも通じるのでは。
2003年の『ハムレット』以来小栗くんを育ててきた感のある蜷川さんのこと、現在の異常なブームが一段落したあたりで初タイトルロールである『カリギュラ』をイギリスへ持っていって、舞台役者としての小栗くんの名声を確立しようと計画してたりして。
小栗くん本人同様、蜷川さんも現在彼がアイドル的にもてはやされているのを苦々しく思っているだけに、十分ありえるような気がします。シェイクスピア作品じゃないので『タイタス~』のようにRSC(ロイヤルシェイクスピアカンパニー)招待作品とはならないでしょうけど。
ファンやマスメディアへの怒りを(時には行きすぎとも思えるほどに)臆さず口にしたり目上にもタメ口だったり、冗談で尊大な口をきいてみたり、普段の言動が役に引きずられたりの小栗くんは、今後も毀誉褒貶激しいでしょうが、そうした「大人になりきれない不安定さ」が、際立ったスタイルの良さと並んで彼の(それゆえに意思に反して「演技派」枠でいられなくなってしまった)「華」の源なのだと思います。
その「華」を持つ彼はこの先実績を重ねてゆくことで、今のようなアイドル的人気俳優からこれからの演劇界・映像界の中心を担う実力派のスターにシフトしてゆけるんじゃないでしょうか。
「(蜷川さんからの)人気が先行しがちな自分への宿題」とこの作品を捉え、大千秋楽翌日の夜のラジオで「最っ高。ほんっとに、最っ高です。こんな達成感初めてほんとに」と語っていた小栗くんにとって、『カリギュラ』は彼の俳優史の記念碑的存在になったことと思います。1月6日のwowowでの放映が心待ちです。
ちなみに『カリギュラ』関連では小栗くんと勝地くんの仲良しエピソードをあれこれ聞けたのも嬉しかったのですが、これについてはまたいずれ。