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about him

俳優・勝地涼くんのこと。

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2015-08-20 00:28:04 | その他
ここ最近の彼の活躍ぶりが実に目覚ましい。本人が冗談めかして言うようにまさに「最近きてる」感じです。
4月期の『ヤメゴク』7月期の『ど根性ガエル』と連ドラ三番手が続き、とりわけ穏やかなオネエキャラから最終2話でサイコパス的な裏の顔を一気に見せつけてきた『ヤメゴク』の佐野くんは、彼の演技力をより幅広い層に印象づけたことと思います。

本業以外でも7月にはまさかのCDデビュー!(それまでも配信で2曲歌ってましたけど)以前「『Relax』」で書いたように個人的にはあまり彼に俳優以外のアイドルっぽい展開―写真集とか歌とか―は望んでないのですが、今回みたいのならむしろ歓迎です。あくまで「勝 勝次郎」(/涼 the graduater/ラブ地涼)名義で宮藤官九郎さんの番組内の(冗談)企画なので、俳優として〈歌手の役を演じている〉のがはっきりしてますから。

このCD発売と連ドラ両方の宣伝で、ここ数ヶ月これまでにないほどの頻度でバラエティーやトーク番組への出演が相次いだのも嬉しい悲鳴でした。
そうした場での振舞いもすっかりこなれて、自分から積極的に笑いを取りに行き、司会者の無茶振りにも体を張って応え・・・――10年前舞台挨拶で必ず噛んでいた頃が嘘のようです(笑)。

こうした番組の中で最も印象深かったのが2015年5月1日放送の『アナザー・スカイ』。俳優人生の転機となったという舞台『ムサシ』の公演が行われた思い出の地ロンドンを再訪するという内容でした。
『ムサシ』にまつわるエピソードなど数々語られるなかでも、演出の蜷川さん、主演の藤原竜也くんとのエピソードが凄かった。


「本番の始まる1時間くらい前に舞台上に蜷川さんが1人で来て、『お前小っちゃい頃から、子役の頃からやってるから、大人の顔色ばっか見ているんだよな』『後輩でいるのは楽だからな』(中略)『えっ、ここで人格的なダメ出し!? えっ!?』。
もしかしたらこれは、まだまだ未熟だけど一役者なんだっていうプライドを、そういうポリシーじゃないけどちゃんと持てって言われた気がして、“よし”っていう気持ちになりました」

「竜也くんから、『武蔵と小次郎っていう役柄同士なのに、お前いつまで敬語使ってんだよ』ってすごく言われた。(中略)『いや年上ですから敬語使いますよ』、俺の中のプライドもあって、『そういうスタイルだから』。(中略)すごく最終的に煽られて、藤原竜也くん、引っ叩いたんですよ、飲み屋で」
「竜也くんがニヤッて笑って『なかなかやるじゃねえか』。『なにこの人』と思って(笑)。・・・今思えば蜷川さんと同じこと言ってるっていうか、『この舞台で俺と一緒にやるんだろ?』っていう、変に生意気になることじゃなくて自信持てってことだったような気がして。それを幼い俺は何かすごいバカにされたような気分になり、引っ叩いちゃうっていう(苦笑)」


以前蜷川さんの著書で読んだ話ですが、藤原くんが初舞台にして主演を務めた『身毒丸』楽日、藤原くんが腰痛のため舞台に立つことが難しくなり、降板もやむなしという事態になったことがあった。けれど藤原くんが「絶対やりたい」と泣いて抵抗し、その強い思いにほだされた蜷川さんが心中覚悟で藤原くんの続投を決め、結果藤原くんは鬼気迫る見事な芝居を見せたという(※1)。
また唐十郎さん作の『盲導犬』を蜷川さんが演出したさい、スケジュールが合わず出演が叶わなかった岡本健一さんが稽古場に遊びに来て、どうしてもこの役がやりたいから台本がほしい、明日までに台詞を覚えてくるからオーディションしてくれと言い出し、翌日稽古場で見事な演技を披露したことがあったそうだ(※2)。
これらのエピソードを読んだとき真っ先に思ったのは、彼に同じような行動ができるだろうか、ということだった。芝居の最中に倒れてしまうかもしれない、そうすればスタッフにも観客にも大きな迷惑がかかる、そのリスクを冒しても降板したくないという自分の意地を通せるだろうか。実際の舞台で演じることが叶わない役をそれでも諦められないからと、いわば自己満足のために多忙な演出家に時間を割かせようとするだろうか。おそらくは周囲の迷惑を考えて自分の気持ちを抑えてしまうんじゃないか。
謙虚で周りの人間に気遣いできる、それは間違いなく彼の人としての美点であり、私が彼に強く惹かれる部分でもあります。けれどそれが役者としてはブレーキになってしまうこともあるのではないか。スタッフや観客にとって真に強い印象を与えるのは、我が儘とわかっていても役への執着を、芝居への情熱を抑えられない役者の方なんじゃないか。現に蜷川さんは藤原くんも岡本さんも非常に高く評価している。自分の演出する芝居にここまでの執着を見せられたのだから多少の迷惑をかけられようと悪い気がするはずもない、むしろ演出家冥利に尽きると感じて無理もないというものでしょう。


蜷川さんが最近の若者の〈大人しさ〉を物足らなく思ってるのはその数々の発言からうかがえます。藤原くんや小栗旬くんを繰り返し主役に起用しているのも、演技力・集客力を買っているのみならず、多分に彼らの“やんちゃ”なところが気に入ってるのだと感じます。
だから蜷川さんから見たら勝地くんは優等生すぎるんじゃないかとちょっと心配していました(本当に気に入らなければ二度と起用しないでしょうから、何度も呼ばれている時点でそれなりに買われているのはわかってたんですが)。この『ムサシ』の時に言われたことというのがまさに彼に対する不満を表したものでしょう。
もちろん〈だからお前はダメなんだ〉という意味ではない。勝地くんが受け止めたようにもっと自信を持てということ、さらには〈もっと我が儘になっていいんだ〉ということなのだと思います。藤原くんも勝地くんの遠慮を突き崩してもっと生々しい感情を引き出そうとした。だからこそ彼を煽ったし、その結果引っ叩かれても〈してやったり〉と言う思いで笑ったんでしょう。
もっと遠慮せずに迷惑をかけることを怖れずに、芝居に関するかぎり我が儘であっていい。それが許されるだけの年齢とキャリアと実力と人望を彼はすでに備えている。蜷川さんや藤原くんが言いたかったのはそういうことだったのでは。
もちろん我が儘を通すからには相応の責任と、批判を受け止める覚悟が必要になる。むしろ物分りのよい、後輩キャラの優等生でいるほうが楽なはずだ。それでも、だからこそあえて楽をするな、茨だらけの我が道を行け。そういう彼らのメッセージを勝地くんはしっかりと受け止めたと思います。

上で挙げたようにこのところバラエティーなどで彼を見る機会が格段に増えました。それは連ドラや映画・舞台などの出演が引きも切らず、それらでの番手が上がってるため宣伝に駆り出されているというのが一番の理由でしょうが、勝地くん自身も宣伝番組への出演に積極的になってるように思います。
メイン級の出演者として、作品の視聴率・集客数のアップに多少なりとも貢献すること、それも俳優としての責任のうちだと考えてるんではないでしょうか。
今回CDデビューに当たって直接お客様にCDを手渡しで売り込むようなイベントをやりたいとも話してたそうですが、あの緊張しいの勝地くんが!かつてのように噛み噛みではないものの相変わらずイベントやトーク番組では緊張で大汗かいてるらしい彼がこの発言。もともと冗談企画とはいえ自分の名前を冠した作品のために大勢の人間が動いている状況にあって、関係者の皆様のためにも売り上げという結果を出す責任をより強く感じているのだろうと推察しています。去年初の主演舞台を経験したことも、そうした責任感をさらに強くしたことでしょう。

そしてきっとそんな彼の眼差しの向かう先には『アナザー・スカイ』のラストで語っていた夢がある。その目標に向けて今日29歳になった彼はどんな足跡を刻んでゆくのでしょうか。

 

※1-高橋豊『人間ドキュメント 蜷川幸雄伝説』(河出書房新社、2001年)。「最終日の前日の夜、藤原は激しい腰の痛みで救急病院へ行く。 楽日。藤原は楽屋に戻ったものの、動けない。昼の公演は代役で切り抜けた。夜の公演もそのつもりだったけれど、藤原が「絶対にやりたい」と号泣した。単に泣くというより救済を求めているようで、魂が揺すぶられ、よし一緒に心中してやろう、蜷川は思わず、「任せた」。 本来なら身動きできないはずの藤原が、板の上では懸命に動く。白石はじめどの出演者にも気迫が籠る。皆で支え合うから、どんどん、いい舞台になる。蜷川は演出家として至福の時だった。」

※2-蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』(紀伊國屋書店、1993年)。「ぼくが唐十郎の『盲導犬』という芝居の演出をしているときだった。岡本健一(男闘呼組)が稽古場へ突然遊びにきた。その前年にぼくは岡本君とやはり唐十郎の『滝の白糸』という芝居をやっていた。(中略)岡本君がスケジュールの都合で『盲導犬』に出演できなくなったことを聞いた唐十郎は、本当にがっかりしていた。 その『盲導犬』の稽古場へ、岡本君は遊びにきたのだった。稽古が終わると、ねえ蜷川さん、『盲導犬』の台本くれる、と彼はいった。どうして? とぼくがきくと、ぼくタダハルという役をどうしてもやりたくなっちゃったから、明日オーディションしてくれる? といった。でも出演できるわけないだろうとぼくがいうと、いや出演できなくていいんです。ぼくがタダハルの役をどうしても自分でやってみたいと思っただけだから。明日までに科白も全部覚えてちゃんと稽古してくるから、絶対見てよ、といった。(中略、その翌日)「演技が始まった。そこにはいつもの岡本君ではなく、素朴で屈折したタダハルがいた。演技が終わった。稽古場に拍手と歓声がわきあがった。みんな岡本君の演技と、その行為に感動していた。岡本君は出られない芝居の、やれるはずもない役を、ただ自分が演じてみたいという、ただそれだけでのことで、ぼくの稽古でやったのだった。たぶん彼は一睡もしていないはずだ。ぼくは岡本君を、こいつ格好いいな、と思った。」

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28歳

2014-08-20 02:39:30 | その他
去る8月9日・16日にBSプレミアムで勝地くん主演のドキュメンタリードラマ『撃墜 3人のパイロット』が放映されました。ドラマで主役を演じるのは『さよなら、アルマ』以来であり、来月には初主演舞台も控えているとあって、改めて彼の躍進ぶりにわくわくしたものです。

一方で若干の不安要素だったのが、初の妻子持ちの役であること。以前映画『カフーを待ちわびて』で奥さん(妊娠中)がいる役を演じていますが、実は最初に奥さんとのツーショットが出たとき姉弟かと思ってしまった。離婚か死別かで実家に戻ってきたお姉さんとお腹の子供を守ろうとする健気な弟の役と勘違いしてしまったのでした。
話が進むにつれ夫婦だとわかったものの第一印象に引きずられて最後までどうしても夫としてプレ父親として認識できなかったのを覚えています。
勝地くんの演技力に問題があったわけではなく(奥さん子供を懸命に守ろうとする気持ちはすごく伝わってきました)、外見及び実年齢の若さと何より私自身が初めてファンになった頃の青年未満の彼のイメージをずっと引っ張ってしまってたのが原因だったと思いますが。

しかし何といっても『カフー~』は2009年の作品であり公開当時勝地くんはまだ22歳、27歳の現在なら奥さんや小さな子供がいても全然おかしくない年齢でもあり、自然に夫役・父親役を演じてくれることだろうとおおよそは考えていました。
そして放映日を迎え――やはり不安は杞憂に過ぎませんでした。戦闘の合間の短い新婚生活、赤ん坊との対面シーンとも、初々しいながらも妻子への愛情と包容力、生活感を感じさせるお芝居をしっかり見せてくれました。

そして奥さんに〈家庭を持ったことでわずらわしい思いをしてるんじゃないか、自分たちが重荷になってるんじゃないか〉と問われたときに「わずらわしいのも楽しいがや」と答える場面に象徴されるように、彼は家族に対する責任の重さを自覚しつつそれを前向きに引き受けていた。その重みの中に楽しさを見出していた。
一方戦場においては打って変わった厳しい表情で敵に臨み、妻子に心を残しながらも一歩も引くことなく任務を全うする。私人としては家庭を、公人としては国をその肩に背負い、双方に対して立派に責任を果たしている彼の姿に、これまでにない大人の男の重厚な魅力を覚えました。
誕生日を目前に、この先の俳優としての展望を占うような役を堪能させてもらえたのがつくづくと有難い。かえってファンの方が彼からプレゼントをもらったような気分です(笑)。

28歳、おめでとうございます。

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結びのことば(2013年版)

2013-11-26 20:45:23 | その他
お誕生日記念の一時復活のはずが、いっこう書き終わらないために三ヶ月もだらだら続いてしまいました・・・。
復活時点ではまだ話題にのぼせてもいなかった出演舞台作品『高校中パニック!小激突!!』も一昨日開幕を迎えました。『蜉蝣峠』同様宮藤さんの脚本で、またまたおバカな役どころ(物語自体もおバカ路線らしい)です。
「ロックオペラ」なので大分歌うシーンもあるようですが、「歌が上手になっていてびっくりした」との宮藤さんのコメントに彼の進化のほどがうかがえます(昨年の『ポクの四谷怪談』で鍛えられたのもあるでしょうね)。

すでに演技力に高い評価を受けながら、決して現状に満足して歩みを止めようとはしない。雑誌のインタビューを読んでいても、二十歳前後の頃より柔軟になりながらもひたむきさも失わない、魅力ある大人の男性として成長しつつあることを感じます。さらに一年後には彼がどこまで進化しているのか、じっくり見守ってゆきたいです。

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定期便

2013-08-20 01:36:25 | その他
いまや一年に一度、この日にだけ復活するのが定番になりました。今年は去年書こうとしながら時間オーバーで果たせなかった『蜉蝣峠』です。

この舞台のころ彼は22歳。宮藤官九郎さんの脚本作品も3作目になり、宮藤作品では常に2.5枚目を演じているため世間的にもコメディが得意な役者というイメージができて、そういう役が増えていきつつあった頃です。
『亡国のイージス』でファンになった身としてはもっと彼のシリアス演技が見たい思いも強いのですが、その分お仕事の幅が広がったのは間違いなく、実際コメディ演技の間の取り方、照れずに振り切れた、けど作りこんだ感じのしない自然な面白さを見るにつけ、笑いを取る役回りを期待されるのは無理もないよなあと納得してしまいます。

現在放映中のドラマ『SUMMER NUDE』でも主人公の親友・孝至をコミカルに、でも一定の重みと安定感をもって演じている彼ですが、一方大河ドラマ『八重の桜』ではまだ少年の年齢の山川健次郎をぐっとシリアスに演じていました。
髪型などが似ている『里見八犬伝』の犬村大角(19歳の時に演じた)と比べるとやはり顔立ちは大人びたと感じますが、健次郎の物腰や表情にごく少年らしい純粋さ・一途さが溢れているのに驚かされます。そして一つ一つのシーンが見惚れるほどに美しい。顔立ちそのものは孝至と同じなのに持っている雰囲気が全く違う。改めて彼のすごさを感じさせられました。
 
今日27歳になる彼がこの先さらにどんなお芝居を見せてくれるのか(さしあたっては大人になって再登場する健次郎がどんな風に成長しているのか)、そっと見守ってゆきたいと思います。

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結びのことば

2012-09-11 23:11:14 | その他
結局のところ、きっちり幕を引くと言っておきながら、『少年メリケンサック』までで制限時間オーバーになってしまいました・・・。前回のブログ閉鎖時からの懸案だった『蜉蝣峠』まで手が届かなかったのがなんとも心残りです。
当面はとても改めて感想文を書く時間は取れそうもありませんが、「いつかきっと」、こちらについては書いてみたいと思います(いいかげん往生際が悪いのですが・・・)。

それでは短い間でしたが、ありがとうございました!

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ごあいさつ

2012-08-20 23:27:07 | その他
私が映画『亡国のイージス』で初めて彼に“出会った”のは2005年。彼はまだ19歳ちょっと手前の、少年と青年の端境期にある男の子でした。
その演技力と、それ以上に雑誌やネット上で紹介された発言に滲み出る人間性とにノックアウトされてから、早くも7年以上の月日が経過しました。

今日で26歳を迎える彼は着実に実力派俳優としての足跡を刻み、舞台挨拶やインタビューでの応対もぐっと大人びたものの、19歳の頃の透明感をいまだ失っていない。私も7年の間に生活環境も変わり、今は当分お芝居を観劇することも叶わなそうな状況ですが、細々とでも一ファンとして彼の活躍をずっと見守ってゆきたいと思っています。

というわけで3年前から休眠状態だったこのブログですが、このたび短期限定で復活させることにしました。そしてこれできっちり幕を引こうと思います。長らく中途半端に放ってあったのがずっと気にかかっていたので。 
時間的制約から、取り上げる作品は2008年から2009年のもの(一部作品除く)+αになる予定です。短い間ながら、お付き合い頂ければ幸甚です。

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Short Message 2

2011-08-20 03:44:30 | その他
大変ご無沙汰しております。なんと一年ぶりの更新です。前回、「来年のこの日、彼が25歳になる前にはいくらなんでも復活したいところです」と書いたものの、懸念どおりさっぱり復活の目処が立っておりません・・・。『蜉蝣峠』の感想を、とか言ってる間に、もはや新たな新感線舞台が始まってますし(汗)。

そう、「劇団☆新感線」への参加もすでに三回目、2007年に初めて公演中に誕生日を迎える経験をした彼は、今日また舞台の最中に25歳の誕生日を迎えることになります。しかも奇しくも同じ新感線の舞台。初参加がいきなり“ネタもの”だった彼は、外部脚本の異色作『蜉蝣峠』を経て、ついに本格“いのうえ歌舞伎”作品、それもたびたび再演されてきた超人気演目で、念願だった殺陣(ちょい変格らしいですが)にも初挑戦しています。

いまや「準劇団員?」とも言われ、新感線ファンにもすっかりお馴染みになっている彼は、観劇した方々の感想を見るに全体に安定した演技力で、難しい役柄を生き生きと魅せているらしい。この「新感線」での立ち位置や周囲の評価の在り様に、ここ4年間での彼の役者としての成長ぶりがありありと示されているようで何だか嬉しくなってきます。

一方でその外見にほとんど変化が見られないのに驚きます。4年間どころか、私が初めて彼を知った18歳の頃と比べてさえ目立った変化がない。ごつさのない滑らかな輪郭線も涼しい目元もあの頃のまま。そしてトークなども、さすがに大分場慣れしてきたものの、その受け答えから滲み出す誠実さ・真摯な態度は変わることがない。
どうか彼にはこの先もずっと、どれだけ年齢を重ねても、(蜷川幸雄氏が評したところの)いい意味での「青さ」を、お芝居においても人間性においても持ち続けていてほしいと思います。

25歳、おめでとうございます。

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Short Massage

2010-08-20 00:03:09 | その他
ブログの更新停止からちょうど一年。本当は春ごろ、『蜉蝣峠』DVD発売に合わせて再開したかったのですが、いろいろとたてこんでまして・・・年内復活はちょっと難しそうです。来年のこの日、彼が25歳になる前にはいくらなんでも復活したいところです(断言できないのが何とも(汗))。

私がしっちゃかめっちゃかしてる間にも、彼は『ムサシ』で初の海外公演を経験し今までにないワイルドさで観客を惹きつけ、『シュアリー・サムデイ』では近年得意のおバカで下ネタ三昧の役柄ながら、中盤見せるどシリアスな惨めさ痛々しさに満ちた演技とのコントラストでこれまた観客を魅了し・・・と、また一歩上のステージへ着実に進んでいます。
両作品の宣伝のためのメディアへの露出期も終わり、ドラマ『美丘』の放送はまだ続いてるもののなかなか新作情報(声優として出演のアニメ映画『機動戦士ガンダム00』以外)が聞こえてこないという、ちょっと淋しい時期ではありますが、秋ごろにはきっとまた出演情報が解禁になって、ファンの胸をときめかせてくれることでしょう。

ひとまず今日はこのメッセージだけを――年男の彼の新しい一年が実り多きものでありますように。

追記-「Yahoo!映画」に『シュアリー・サムデイ』の感想を挙げてみました。勝地くんについてはあえて触れていませんが(公正な視点で書けそうもないので)、一応こちらに転載してみました♪

 

上映開始から一ヶ月弱で打ち切られることになったようですね・・・。やはりスクリーン数が多すぎたのが痛かった。
初監督作品のうえ、主要キャストもあまり集客力のあるメンバーではない。山本プロデューサーによるともともと小栗監督は小規模での公開を望んでいたらしいのに、小栗監督の熱意に周囲が応じた結果どんどん規模が大きくなってしまったのだとか。
ここはプロデューサーがプロジェクトの拡大を押し留め単館上映にしていたなら、監督人気と話題性でもっとそれなりの成績を残せたでしょうに。

ただ、なまじ小規模公開で俳優・小栗旬や役者陣の熱心なファンで席が埋まっていたなら、監督も周囲もそれを作品が評価された結果と勘違いしかねない。そうならないように現実を見せるためにスクリーン数を増やしてあえてハードルをあげたのかも?
だとしたらそれだけ監督としてプロデューサーから今後を期待されてるということでしょう。作品の質についてはここを見ても酷評されてる方が多いし、私自身も多々引っ掛かる要素はありましたが(マネーロンダリングに関する描写は社会経験のない学生が聞きかじった知識をそのまま使ったようなぎこちなさ)、全体に勢いがあり、随所に独特のセンスを感じさせる面白い映画でした。

なかでも一番感心したのは、主人公の巧が小学生の時に美沙を訪ねるくだり。巧は美沙が自分の母親ではないかと言う一方で、「あの女」と明らかに美沙を異性と意識した台詞も口にする。
一見矛盾してるようですが、この「母と異性を一人の女に同時に見ている」設定が巧と美沙の関係に何ともいえない艶めいた匂いを生み出しています。
自分を訪ねてきた巧のよじれた想いを受けて、美沙の側も母性愛と年下の男へのからかいめいた感情を投げ返す。巧の手をとって胸を触らせる場面は母性的でありながら性的でもある、「擬似母子」だからこそのエロティズムがありました。

廊下で銃撃戦になり、美沙が身を呈して巧をかばう場面のBGMは「アヴェ・マリア」。身体を張って巧を守ろうとする美沙は聖母マリアに比されている。
同時に風俗嬢である彼女は、娼婦だったとも言われるマグダラのマリアのイメージも帯びている。
美沙が母であり性的対象でもある(両方だったからこそ美沙は巧にとって以後何年も忘れられない女になった)―二人の特殊な関係性とそれを描く手法が監督と脚本家いずれの功績なのかは知りませんが、この点だけでも充分に見所のある映画だったように思います。

 


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Fly High

2009-08-20 00:20:00 | その他

大好きな写真があります。アイドル系雑誌『Kindai』の2004年9月号、その頃同じ事務所の北条隆博くんとやっていた連載「かっち&タボのアフタースクール・ブギ」(二人の高校卒業後は「かっち&ジョーのクロスロード」に改称)の中で紹介されたものの一枚。

この連載はほぼ毎回二人が何かしらのテーマで対決することになっていて、この回のお題は「ボートに乗ろう!」。
代わる代わるボートを漕いで、どちらが上手いかを競いあうといった内容でした(結果は北条くんの勝ち)。

この対決模様を写した写真の中に、ボートの舳先に大きく水平に両手を伸ばして立つ彼の上半身を捉えたものがありました。
キャプションでも「ボートの上で立ってはいけません(笑)」とツッこまれてる通りの危険な体勢で、恐れげもなく悠々と立っている彼。
坊主頭が少し伸びたベリーショートにキャップという出で立ちと少し悪戯っぽい笑みも手伝って、やんちゃな少年然としたその姿。
恐れるものなど何もない、このまま空にだって飛び立ってゆけそうな。
そんな無限の可能性を写真の中の17歳の彼に感じたのでした。

この写真から5年と少し、今日で23歳になる彼は、ますます伸びやかにしなやかに活躍の場を広げています。この先もまたさらなる可能性に向かって歩み続けて行く彼を、ドキドキしながら見守っていたいと思うのです。

 

今回でひとまずこのブログは最終回になります。もともとどうしても書いておきたい話(『銀色の髪のアギト』「5月の沈黙」)があったために時間的な無理を押して期間限定のつもりではじめたブログでしたが、結局当初の心づもりより丸一年長く続けてしまいました。
書いているうちにまた新たに書きたいことが増えたせいでもありますし、何よりこれまでは心の中に留めるだけだった、彼に対するさまざまの想いを書き綴ることが大変ながらも楽しかったから。
これまで読んでくださった方々、本当に有難うございました。また「どうしても書かなくては」という使命感に燃えるようなネタがあったときには、ひっそり更新されるかと思います。
さしあたり、『蜉蝣峠』についてはDVDかゲキシネで再見の際には感想文を書こうと予定しています。それでは皆さま、また会う日まで!

 


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NEXT STEP

2008-08-20 01:24:11 | その他


以前にも書いたことですが、私が彼のファンになったのは2005年7月30日公開の『亡国のイージス』から。当時彼は18歳(翌月で19歳)、舞台挨拶の映像などで見る彼はとても綺麗な男の子でした。
その後まもなく19歳を迎えた彼を、雑誌記事や映像を通して追いかけながら絶えず思っていたのは、「この子がこんなに綺麗なのは今だけなんだろうな」ということ。
きっと格好いい大人の男に成長するのだろうけど、少年から青年への過渡期ならではの透明感を漂わせ、「綺麗」という表現が当てはまるのは今だけ、今が最高点なのだろうと――思ってたんですが・・・。

2007年11月、舞台『カリギュラ』の東京公演中に発売された雑誌(『Hanako』と『Samurai ELO』)の写真を見たとき、正直言うと「一体最近の彼はどうしちゃったんだ?」と真っ先に思いました。
『カリギュラ』の役作りで髪をかなり明るくしたせいもあるんでしょうが(そして久々に茶髪&長髪にした初夏ごろからその傾向は見えていたものの)、何だかますます――綺麗になったんじゃ? 
すでに8月で21歳になったというのに男っぽくなるどころかむしろ中性的に、綺麗になっていくというのは何なのかと首を捻ったものです。

その後も2008年1月期のドラマ『未来講師めぐる』、現在放映中の『四つの嘘』とさらに綺麗っぷりに磨きがかかってきてるような。
ファンになったばかりの頃、『イージス』パンフレットの白黒写真(18歳当時撮影のもの)を見つつ、「もう四、五年もして幼さが抜けきったら苦みばしったいい男になるだろう」なんて思ってたものですが、それから4年を経た現在・・・全然幼さ抜けてないです。
少年ぽさをいまだ色濃く留めたまま、いい男というより美青年に成長している。これは結構嬉しい誤算でした。

今日で22歳になる彼は、この先どんな顔を見せてくれるんでしょうか。

 


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