4月期の『ヤメゴク』7月期の『ど根性ガエル』と連ドラ三番手が続き、とりわけ穏やかなオネエキャラから最終2話でサイコパス的な裏の顔を一気に見せつけてきた『ヤメゴク』の佐野くんは、彼の演技力をより幅広い層に印象づけたことと思います。
本業以外でも7月にはまさかのCDデビュー!(それまでも配信で2曲歌ってましたけど)以前「『Relax』」で書いたように個人的にはあまり彼に俳優以外のアイドルっぽい展開―写真集とか歌とか―は望んでないのですが、今回みたいのならむしろ歓迎です。あくまで「勝 勝次郎」(/涼 the graduater/ラブ地涼)名義で宮藤官九郎さんの番組内の(冗談)企画なので、俳優として〈歌手の役を演じている〉のがはっきりしてますから。
このCD発売と連ドラ両方の宣伝で、ここ数ヶ月これまでにないほどの頻度でバラエティーやトーク番組への出演が相次いだのも嬉しい悲鳴でした。
そうした場での振舞いもすっかりこなれて、自分から積極的に笑いを取りに行き、司会者の無茶振りにも体を張って応え・・・――10年前舞台挨拶で必ず噛んでいた頃が嘘のようです(笑)。
こうした番組の中で最も印象深かったのが2015年5月1日放送の『アナザー・スカイ』。俳優人生の転機となったという舞台『ムサシ』の公演が行われた思い出の地ロンドンを再訪するという内容でした。
『ムサシ』にまつわるエピソードなど数々語られるなかでも、演出の蜷川さん、主演の藤原竜也くんとのエピソードが凄かった。
「本番の始まる1時間くらい前に舞台上に蜷川さんが1人で来て、『お前小っちゃい頃から、子役の頃からやってるから、大人の顔色ばっか見ているんだよな』『後輩でいるのは楽だからな』(中略)『えっ、ここで人格的なダメ出し!? えっ!?』。
もしかしたらこれは、まだまだ未熟だけど一役者なんだっていうプライドを、そういうポリシーじゃないけどちゃんと持てって言われた気がして、“よし”っていう気持ちになりました」
「竜也くんから、『武蔵と小次郎っていう役柄同士なのに、お前いつまで敬語使ってんだよ』ってすごく言われた。(中略)『いや年上ですから敬語使いますよ』、俺の中のプライドもあって、『そういうスタイルだから』。(中略)すごく最終的に煽られて、藤原竜也くん、引っ叩いたんですよ、飲み屋で」
「竜也くんがニヤッて笑って『なかなかやるじゃねえか』。『なにこの人』と思って(笑)。・・・今思えば蜷川さんと同じこと言ってるっていうか、『この舞台で俺と一緒にやるんだろ?』っていう、変に生意気になることじゃなくて自信持てってことだったような気がして。それを幼い俺は何かすごいバカにされたような気分になり、引っ叩いちゃうっていう(苦笑)」
以前蜷川さんの著書で読んだ話ですが、藤原くんが初舞台にして主演を務めた『身毒丸』楽日、藤原くんが腰痛のため舞台に立つことが難しくなり、降板もやむなしという事態になったことがあった。けれど藤原くんが「絶対やりたい」と泣いて抵抗し、その強い思いにほだされた蜷川さんが心中覚悟で藤原くんの続投を決め、結果藤原くんは鬼気迫る見事な芝居を見せたという(※1)。
また唐十郎さん作の『盲導犬』を蜷川さんが演出したさい、スケジュールが合わず出演が叶わなかった岡本健一さんが稽古場に遊びに来て、どうしてもこの役がやりたいから台本がほしい、明日までに台詞を覚えてくるからオーディションしてくれと言い出し、翌日稽古場で見事な演技を披露したことがあったそうだ(※2)。
これらのエピソードを読んだとき真っ先に思ったのは、彼に同じような行動ができるだろうか、ということだった。芝居の最中に倒れてしまうかもしれない、そうすればスタッフにも観客にも大きな迷惑がかかる、そのリスクを冒しても降板したくないという自分の意地を通せるだろうか。実際の舞台で演じることが叶わない役をそれでも諦められないからと、いわば自己満足のために多忙な演出家に時間を割かせようとするだろうか。おそらくは周囲の迷惑を考えて自分の気持ちを抑えてしまうんじゃないか。
謙虚で周りの人間に気遣いできる、それは間違いなく彼の人としての美点であり、私が彼に強く惹かれる部分でもあります。けれどそれが役者としてはブレーキになってしまうこともあるのではないか。スタッフや観客にとって真に強い印象を与えるのは、我が儘とわかっていても役への執着を、芝居への情熱を抑えられない役者の方なんじゃないか。現に蜷川さんは藤原くんも岡本さんも非常に高く評価している。自分の演出する芝居にここまでの執着を見せられたのだから多少の迷惑をかけられようと悪い気がするはずもない、むしろ演出家冥利に尽きると感じて無理もないというものでしょう。
蜷川さんが最近の若者の〈大人しさ〉を物足らなく思ってるのはその数々の発言からうかがえます。藤原くんや小栗旬くんを繰り返し主役に起用しているのも、演技力・集客力を買っているのみならず、多分に彼らの“やんちゃ”なところが気に入ってるのだと感じます。
だから蜷川さんから見たら勝地くんは優等生すぎるんじゃないかとちょっと心配していました(本当に気に入らなければ二度と起用しないでしょうから、何度も呼ばれている時点でそれなりに買われているのはわかってたんですが)。この『ムサシ』の時に言われたことというのがまさに彼に対する不満を表したものでしょう。
もちろん〈だからお前はダメなんだ〉という意味ではない。勝地くんが受け止めたようにもっと自信を持てということ、さらには〈もっと我が儘になっていいんだ〉ということなのだと思います。藤原くんも勝地くんの遠慮を突き崩してもっと生々しい感情を引き出そうとした。だからこそ彼を煽ったし、その結果引っ叩かれても〈してやったり〉と言う思いで笑ったんでしょう。
もっと遠慮せずに迷惑をかけることを怖れずに、芝居に関するかぎり我が儘であっていい。それが許されるだけの年齢とキャリアと実力と人望を彼はすでに備えている。蜷川さんや藤原くんが言いたかったのはそういうことだったのでは。
もちろん我が儘を通すからには相応の責任と、批判を受け止める覚悟が必要になる。むしろ物分りのよい、後輩キャラの優等生でいるほうが楽なはずだ。それでも、だからこそあえて楽をするな、茨だらけの我が道を行け。そういう彼らのメッセージを勝地くんはしっかりと受け止めたと思います。
上で挙げたようにこのところバラエティーなどで彼を見る機会が格段に増えました。それは連ドラや映画・舞台などの出演が引きも切らず、それらでの番手が上がってるため宣伝に駆り出されているというのが一番の理由でしょうが、勝地くん自身も宣伝番組への出演に積極的になってるように思います。
メイン級の出演者として、作品の視聴率・集客数のアップに多少なりとも貢献すること、それも俳優としての責任のうちだと考えてるんではないでしょうか。
今回CDデビューに当たって直接お客様にCDを手渡しで売り込むようなイベントをやりたいとも話してたそうですが、あの緊張しいの勝地くんが!かつてのように噛み噛みではないものの相変わらずイベントやトーク番組では緊張で大汗かいてるらしい彼がこの発言。もともと冗談企画とはいえ自分の名前を冠した作品のために大勢の人間が動いている状況にあって、関係者の皆様のためにも売り上げという結果を出す責任をより強く感じているのだろうと推察しています。去年初の主演舞台を経験したことも、そうした責任感をさらに強くしたことでしょう。
そしてきっとそんな彼の眼差しの向かう先には『アナザー・スカイ』のラストで語っていた夢がある。その目標に向けて今日29歳になった彼はどんな足跡を刻んでゆくのでしょうか。
※1-高橋豊『人間ドキュメント 蜷川幸雄伝説』(河出書房新社、2001年)。「最終日の前日の夜、藤原は激しい腰の痛みで救急病院へ行く。 楽日。藤原は楽屋に戻ったものの、動けない。昼の公演は代役で切り抜けた。夜の公演もそのつもりだったけれど、藤原が「絶対にやりたい」と号泣した。単に泣くというより救済を求めているようで、魂が揺すぶられ、よし一緒に心中してやろう、蜷川は思わず、「任せた」。 本来なら身動きできないはずの藤原が、板の上では懸命に動く。白石はじめどの出演者にも気迫が籠る。皆で支え合うから、どんどん、いい舞台になる。蜷川は演出家として至福の時だった。」
※2-蜷川幸雄『千のナイフ、千の目』(紀伊國屋書店、1993年)。「ぼくが唐十郎の『盲導犬』という芝居の演出をしているときだった。岡本健一(男闘呼組)が稽古場へ突然遊びにきた。その前年にぼくは岡本君とやはり唐十郎の『滝の白糸』という芝居をやっていた。(中略)岡本君がスケジュールの都合で『盲導犬』に出演できなくなったことを聞いた唐十郎は、本当にがっかりしていた。 その『盲導犬』の稽古場へ、岡本君は遊びにきたのだった。稽古が終わると、ねえ蜷川さん、『盲導犬』の台本くれる、と彼はいった。どうして? とぼくがきくと、ぼくタダハルという役をどうしてもやりたくなっちゃったから、明日オーディションしてくれる? といった。でも出演できるわけないだろうとぼくがいうと、いや出演できなくていいんです。ぼくがタダハルの役をどうしても自分でやってみたいと思っただけだから。明日までに科白も全部覚えてちゃんと稽古してくるから、絶対見てよ、といった。(中略、その翌日)「演技が始まった。そこにはいつもの岡本君ではなく、素朴で屈折したタダハルがいた。演技が終わった。稽古場に拍手と歓声がわきあがった。みんな岡本君の演技と、その行為に感動していた。岡本君は出られない芝居の、やれるはずもない役を、ただ自分が演じてみたいという、ただそれだけでのことで、ぼくの稽古でやったのだった。たぶん彼は一睡もしていないはずだ。ぼくは岡本君を、こいつ格好いいな、と思った。」