想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

梅雨時の花々

2016年06月23日 | 我が家の庭

震災6年6月23日

 

 梅雨が続いています。そんな中にあっても庭には沢山の花が咲いています。

まだ、あじさいの花が咲いています。そろそろ、あじさいも終わりを迎えています。花菖蒲はもう、咲いていません。

こぼれ種から咲いたカボチャの雄花です。もう少し、大きくなったら畑に植えます。

ペチュニアの切り戻しをしたので、その名残を挿し芽をしました。つぼみがついていたので、今、咲いています。鹿沼土を用意してあるので、色々な種類を挿し芽しています。

松葉ボタンを実生から育てています。昔はツミキリソウと呼んで、つみ取ってはそれを挿し芽して増やしていました。私が子供の頃から育てている花です。真夏に咲き、育てやすく花色も豊富で日照りにも強いとても育て安い花です。

ツミキリソウという名の通り、摘みきって、それを挿し芽するとどんどん増えていきます。菜園に植えようと思い育っています。もう少し、大きくなったら植え替えです。

ナスの花です。今年は種からナスを育てています。こちらは苗を購入しました。

奥がインパチェンスで手前がペチュニアです。どちらも夏花壇のスターです。ただ、インパチェンスはやや日陰を好みますので、日陰においています。

ブーゲンビリアです。初めて苗を購入しました。今後はもっと、気を大きくして玄関に飾ろうと思います。

トマトの花です。ナスとは親戚になります。うつむき加減に咲くところがいじらしいですね。

インパチェンスです。アフリカが原産地です。アフリカホウセンカともいいます。

こぼれ種から開花したキンギョウソウです。花が終われば種取りです。

ペチュニアです。この時期夜は毎日ナメクジ退治です。ナメクジの大好物な花です。

小さい花がいっぱし咲くペチュニアが好きで何度も育てました。

挿し芽から増やして鉢植えにしました。なかなか、きれいに色づいてくれました。

山野草のヤブコウジの花です。小さなですが、かわいらしい素朴な花です。秋には赤い実を付けます。和風の庭の下草にはなくてはならない脇役です。

 

 

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旅情 こんな所があったのか!

2016年06月21日 | エッセイ

震災6年6月21日



 

 

 日本は島国です。グローバル化といわれている今日ですが、人生80年として考えると、一人の人間のできることは少ないと思います。旅行したいと思うとき、世界旅行が浮かびますが、外国はなかなかテロとかあって命がけのこともあります。

 

 若いときは、外国のプラント会社にも就活を考えたことがありましたが、今、思えば、その会社に入っていれば、命がなかったかも知れないと思います。

 

 さりとて、母が進める中電は原発の問題があり、やはり、やめてよかったと思っています。そういうわけで、最終的には教員を選んだのですが、正解でした。36年間小学校教師として定年までどうにかつとめあげました。この間、時代の流れもあり、教師に逆風もありましたが、聖職と労働者の狭間でがんばって来ました。

 

 さて、旅行というと、世界を旅してみたいという思いもあります。過去には、バリ島、香港、USAぐらいしかいったことはありませんが、USAではホームステイと、つかの間の大学でのキャンパスライフを楽しみました。いい思い出です。

 

 若い頃は船旅も経験しました。教育の船にのり、沖縄や北海道へ行ったのも懐かしく想い出します。沖縄では星砂を拾いました。南十字星も半分見たように記憶しています。台湾の近くにまで行きました。珊瑚礁も一杯見ました。その海の中を泳いだのもいい思い出です。

 

 国内にもいいところが沢山あります。一個人では、多すぎて、国内だけでも、見おせません。温泉旅行も大好きですので、色々な所へも行ってみたいです。上高地にある白骨温泉の白濁とした湯はよかったですね。

 

 さて、ネットで偶然見たのですが、こんな町が掲載されていました。好奇心を刺激されましたので、紹介しておきます。それは、百夜月という何ともロマンチック名前です。こんな地名もあったんですね。現在は人が住んでいないようで、船でしかいけない陸の孤島のような所です。こんなところがあったなんて、びっくりです。好奇心をくすぐる尼僧伝説もあります。そのお話を聞くと百夜という意味が分かります。熊野古道という言葉は聞いたことがありましたが、こんなエピソードのある町もあったのですね。いつか、訪れてみたいと思います。曲までありました。詩がきれいです。カラオケのレパートリーにでも入れようかな。

 

 高野山は数回訪れたことがありますが、紀州には熊野川が流れ古道があり、旅情をかき立てられる場所が沢山あります。いいところですね。瀞八丁も言ったことがありませんので、そこも訪れてみたいです。姉は昔、新婚旅行で白浜に行ったと言うことを聞いたことがあります。昔は、新婚旅行は国内が当たり前だったのですね。熱海もメッカですものね。最近は、地球が狭くなったということです。

 最近外国からの旅行者が倍増していますし、どの国の方も、日本に来ても違和感のない方ばかりです。異邦人という言葉がはやった面影は近年はありません。そうですね。同じ人間ですものね。

 

 国内にもいいところが沢山あるので、今後は、国内の良いところを訪れてみたいです。まだ、、まだ、行ってないところが沢山あります。東北、山陰方面などじっくり見てみたいですね。他にも、佐渡や隠岐の島、八丈島、礼文島、利尻島、新潟、宍道湖、屋久島、八丈島なども行ってみたいです。四万十川も訪れて見たいし、奥入瀬もみてみたい。ブナの原生林もすごいでしょうね。それから、高野山や永平寺は何度訪れてもいいです。京都も何度訪れてもいいですね。

 

 そのためには、健康が一番です。心身共に健康を今後も第一に考えていきたいと思います。

 

 


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雨上がり 詩

2016年06月17日 | 我が家の庭

震災6年6月17日

 

 

桝添さんの電撃的な辞任で
幕を閉じた知事問題

今日の空は日本晴れ
今までのことが嘘のよう
雨降って地固まる

日本の自然はこうでなくっちゃ

 

 さわやかな朝
 天が
   抜けてしまう
 青い空

 透き通るような白い雲
   天女の舞の忘れ物

 透き通り
 舞い上がる衣
 シルクの輝き

 天空で旋回し
 地上を眺めている
 天からの贈り物


  

明石三山を下り
下界に流れ込む
怒濤の滝

幾重にも重なり
麓にふり注ぐ
銀色の滝

天と地をつなぎ
連綿の如く

次から次へと
地上に降りてくる
天からの使者

 

 

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Think globally, act locally と桝添問題

2016年06月15日 | エッセイ

震災6年6月16日

ビールを飲もう一番搾り!
下をクリック

 一人の生命は全地球よりも重いは人権思想より出たのでしょうが、戦後よく叫ばれるようになりました。本当にそうでしょうか。それは誇張した表現ではないでしょうか。本当は地球の生命がまず、大事だと思います。その地球が滅びたら、人間はどうなってしますのでしょう。自然と個人は同列の問題ではないのです。

 

 人権思想がこれだけ広まった戦後憲法でありますが、基本的人権は大切だ言うことは誇張した表現だと言うことを理解しないで、この言葉だけ一人歩きすると大変なことになるのです。

 

 自己中が増え、権利意識ばかり各人が主張したら、この地球上はどうなるでしょう。Think globally, act locally と言う言葉があります。

 

 人の生命は確かに重く、尊重されなければならないのですが、公共の福祉の名のもと、それとの整合性がないといけません。

 

 両者がWIN WINになる方法をできるだけ模索し、最大限尊重し、それでもそれが両立しないときには、やはり大多数の生命を生かす公共の福祉を優先させないと、この地球は危ないのです。

 

 過度な人権思想は利己主義を助長し、天につばすることになりあyがて、自分に降り注ぎ、全体を滅ぼすことになります。

 

 地球号という船が沈めば誰一人として生きることはできないのですから、そのときは、地球号を公共の福祉の名のもとに優先するということは、自明の理であり、賢明な人の選ぶ道でもあります。

 

 個人は最大限尊重されなければならないのですが、公共の福祉の為に制約を受けることは免れません。新憲法の人権思想も深く地球全体を考えてThink globally, act locally で行動しないと大変なことになるのです。法に触れなくても、自然法という考えもあるのですから…。

 

 

 

 桝添問題が架橋になってきていますが、彼の言葉に

 

 Think globally, act locally や畏敬の念、情操、断腸の思い、泣いて馬謖を斬る、愛するが故に別れる、思いやり、同情心、ムヒカ大統領、名もなく貧しく美しく、清貧の思想、武士は食わねど高楊枝、我が子を思う真の親心、森羅万象、貧しいものへの心配り、気配り心配り、優しさ、利他、犠牲心、一歩後退二歩前進、世間は自分と同じ人間ばかりない、誠や愛ある人生、いぶし銀、品格、品性、倫理観、逸材は彼ばかりでない、謙虚さ、潔さ、真理、真の芸術とは、柔和な目つき、まなざし、庶民目線、利他を生かすことにより自分も生きる、遠い目線、澄んだ瞳、1万年先を見る瞳、慈悲と慈愛、バランス感覚、調和、因縁果、諸行無常、信仰心、木登りは下り際が大切…。

 

 彼の中には

 

 自尊心、出世欲、征服欲、敗北感、名誉欲、利害、効率、経営、計算高い、打算、経済、オリンピック、自己、名声、競争心、負けず嫌い、劣等感、二枚舌、権力志向、上から目線、現実、速さ。対抗心…。

 

 残念ながら、テレビを見ている限り温かな穏やかな目線が感じられません。目力があり、目線も鋭いですが、それにしても温かさをもっと見せてもいいと思います。

 

 連日マスコミで報道されているとおり、辞職寸前な御身を大切にされて、心を入れ替え、それだけの能力を人様の幸せに向けて頂ければと思います。それだけの力のある人だと思いますので、願っています。 

 

 それと、残された家族がそれでは、可哀想です。人の親ならお子さんの将来も十分考えて同じ一人として考えて自重して行動して欲しいです。

 

 田中角栄さんも愛人が沢山いました。田中さんの晩年は可哀想なものでした。自分一人で生きているのではない。絶えず、自分は人様との関わりで生きているという気持ちを常に抱いていないと、幸せな晩年は難しいと思います。色々なところでつながっていますので…、俺が俺がではないのですよ。

 

 頭の回転がいいのと道徳性や倫理観や信仰心は別物です。それらの心の変化を伴うものは、時間の経過がないと醸成されません。そこが大切なことです。多分、昔から自分の考えで何でもでき、やってきたひとだったのでしょう。知っていても、たまには人を立て、人の意見に真摯に向き合うこと大切でしょう。

 

 どんなにパソコンが回転がよくても、そのマシンに人間性という温かい物がなければいけません。人様の幸せがその計算のベクトルとして備わっていないと、単なる頭の良さはマシンになってしまいます。

 

 計算は頭のいい人は一瞬でできるでしょうが、人間性や、品性や信仰心などは、誰も長い時間的な経過がないと育ちません。そこが、一番大事で、人間が人間たるゆえんです。

 

 最近の偏差値教育はその辺がお留守になっているようです。料理も同じです。頭の回転のいい人が作る料理と中学しか出ていなくても心を込めてじっくりごとごと煮て作った料理とではどちらが価値があるのがわかるでしょう。

 

 机上であっているからおいしいはずはおかしな論理です。人には感性があるのです。その感性の奥深さに心配りをすることです。お料理は一瞬では作れないのです。ですから、遠い将来になっても、手作りの心のこもった料理はサプリメントには代われないのです。人には必ず時の流れが必要なんです。

 

 いずれにしても、今回のことが日本の汚点とならないよう、雨降って地固まるで即刻辞職し、再出発がなされることを祈っています。それが、彼にも国民にもwin winなことです。

 

 知事の玉はいくらでもあります。その辺を謙虚になってもらいたいです。上に立つ人にありがちなことです。俺が俺がでなく、たまたま、今の地位になれたんだと言う謙虚さが大切です。威張るのでなく、自然に人から尊敬されることが大切です。国民はしっかり見ています。世の中、学歴や頭のよさ等のブランドだけではありません。にじみ出るような、品性や徳性を発揮してください。それが、真のブランドです。

 

 

 

 


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大詰め桝添問題

2016年06月14日 | エッセイ

震災6年6月14日



 桝添問題も大詰めになって参りました。あれだけ、言っていることとやっていることの違いがある政治家も珍しいと思います。厚顔無恥という言葉がありますが、まさに彼のことをいっているのだと思います。


 前々から述べていますが、めざすベクトルの方向が違っています。人様の幸せに究極的には公人として向かわなくてはいけないのに、自分の利益に向かって言っているのです。これでは、恥ずかしい限りです。特にこの点上に立つ人は最大限き気をつけなければいけない立場です。自分の立ち位置があがるにつれ、分からなくなってしまったようです。それでも、まだ、リオのオリンピックまでやらせてくれとよく言えたものだと思います。


 何でも、引き際が大切です。やり始めるときはエネルギーと闘志に満ちあふれているのが、凡人です。問題はやめるとき余裕を持ってやめることにできる勇気が大切です。


 木登りも登りはいいが、下りるときに気をつけなさいと昔からいうでしょう。その辺の空気を読めないといけません。地位が上がれば上がる程、己をむなしゅうしていかないといけません。それができる人が上に立つ人です。


 自分の欲のためにやる人では絶対いけません。その辺が分かれ目です。桝添さんにはその、徳がなかったと言うことです。自分の為にはエネルギーを使えるのですが、利他の為に使うことができなかったのです。利他の心がない人は上に立ってはいけないのです。


 通常の神経では辞職するのが当たり前なのに、何という厚顔無恥でしょう。賢さも行き先を間違えると大変人様に迷惑をかけることになる見本になってしまいました。


 そして、残念なことに、法に触れなければ道義的な責任なんぞ、問題外としている神経のおかしさはなんなんでしょう。自然法という言葉もあるんですよ。法規範以前の問題ですぞ。


 努力家らしいのですが、その努力の方向が違っていました。頭の良さをどこに使うのかが大切だと前々から述べてきましたが、その辺の道徳感はどこへいってしまったのでしょう。


 頭がいいことと、人様の為になる思いやりがあるということが連動していません。恥ずかしい限りです。スポーツで言えばどんな姑息な手段を使っても勝てばいいという勝利至上主義と一緒です。


 何でも倫理的な方向が決まれば、ぶれないで実行するということの大切さが政治家には強く求められています。いわゆる公人としての自覚です。


 人ですので、過ちはあるでしょう。素直に謝ればいいのに、法に触れないとかといって…、変に頭がいいと、その過ちを言葉で言いくるめて誤魔化してしまうようです。素晴らしい才能がこれでは台無しです。辞職してもう一度しっかり反省してきて欲しいです。舛添さんには、残念ながら、頭の良さを超える何かが足らなかったようです。まあ、人徳のようなものかな、今の偏差値教育の弊害なようなものかもしれません。


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