想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

安上りな男が感じる幸せとは?

2024年02月04日 | エッセイ
コロナ5年2月4日(ウクライナ、ロシア戦争3年)

 私は自分のことを非常に安上がりな男だなと思っております。何故かって言うと布団のシーツを洗濯するとそれだけで幸せを感じちゃうんです。それをお天道様のところに干すわけです。そして、お天道様のエネルギーがいっぱいのそのシーツで寝ると、暖かくてとても気持ちが良く、自然と一体になれるんで、まあ、それだけでも幸せ感に包まれちゃいますね。ストレスも何もなくなります。

 今は基本、妻が洗濯をするので、そういう楽しみも少なくなりましたが、結構洗濯は好きですね。

 また、きれいな夕日を見る。きれいだなあと思う。それだけでいいんですね。ふと真冬に空を見上げるとオリオン星座が輝いています。それを見るだけでいろいろ神秘を感じ、その星はどうなってるのかな?星の中に誰が住んでるのかなとか、そう想うだけでも楽しくなりますよね。

 また、あの寒い冬にふと、上を向くと、「月天神貧しき街を通りけり」と言う俳句が浮かんできて、古びた屋根の上を寒そうな月が通り過ぎて、それを見ているだけで、幸せになります。

 ストレスもどこかに飛んで行ってしまいます。想像しただけでも楽しくなりますね。まあ、行ってみれば私は安上がりな男だなとつくづく思います。

 幸せってのはどこでもあるとそういうことですね。心の持ち方でどうにもなりますよ。と、何でもプラスに考えましょうね。マイナスに考えたらきりがないね。上を見ればきりがない。そんなことを昔お袋がよく言ってました。まさにその通りです。そういうお袋にも感謝です。

 幸せっていうのは自分の心が決めるもんですね。うちの親父は言ってました。うちの親父はよく酒を飲みましたけども、職人で家具職人でしたけども、般若心経をよく唱えてました。毎朝そんなわけで私もいつのまにか般若心経をそらんじてしまいまして、仏様の前やお墓の前では私は手を合わせると般若心経を唱えます。

 毎朝、ウォーキングをしていますが、この時も般若心経を1回だけ唱えながら歩くんです。そうすると、自然と自分が不思議に一体となるんです。そして、いつの間にか、心が浄化していくような気持ちになりますね。まあ、それがいいのかなと想ってます。

 またあのクラシック音楽がありますよね。その中でもシューベルトやグノーなどの世界三大アベマリアの曲、それを聞くとほんとに心が浄化しますよね。やっぱりそれもいいですね。スマホでいつでも聴けます。何にもお金もいりません。それだけでも非常に癒されます。

 そうそう、昔、「名もなく貧しく美しく」って言葉がありましたね。確か、佐田啓二が出ていた映画の題名だったな。まあ、今はもうそういう言葉は滅多に聞けませんが、確かに昔は、名もなく、名誉もなく、貧しいんだけど、心は美しいということがあったんだなと私なりに感心してます。スマホもなく物もなく、貧しい方が幸せ感はあるような気がしてました。

 今の貧困は相対的貧困というらしく、自動車があっても生活保護を受けられるようですね。貧困の定義も随分リッチになりました。昔の貧困は絶対的な貧困でしたね。心の純粋さは昔の人の方があったような気がしてます。

 今、想い出すと、子供のころはバラックの家で育ちましたが、貧しくても、ちっとも寂しいとは思わなかったです。これも、貧乏でしたが、親の愛情ですかね。また、新しくたった家よりそのバラックの古い家の方が私は好きだったですね。

 さて、美しいという字ですが、かって、私が中学生の頃、友達が美の字の成り立ちについてしゃべってくれたことを想い出しています。それは、「美」という漢字の成り立ちについて、美は羊と、大(大きい)とから成り、神に供える羊が肥えて大きいことから、「うまい」「うつくしい」意を表すんだよといったことを今想い出しています。

 私が高校生の時、倫理社会という教科があって、その考えが好きで、倫社の先生になろうと想った時期があったんです。もとは工業高校の出身でしたが、専門の電気よりもそちらの方が好きになっていたようでした。

 そういうこともあってか、卒業後、それに関連する本を読んでいて、ただ、それだけで、すごく幸せ感に包まれて、その関連の学者になろうと想った時期もあったんです。ただ、それだけですが、あの瞬間が最高に幸せだった感があったんです。

 結局、その後、夜間と通信の大学に通って、中高の社会科の免許をとったんです。もうその本に吸い込まれてしまって本当にね。これならその関連の学者になってもいいなあと想った時期もありましたね。

 その倫理学の本っていうのは物の考え方が非常に奥が深くて、これならこれで生きていけるなと思った時もありましたね。まあそういう私も、もう76歳にまで、なってしまいました。

 結局、色々な諸事情もあり、結局は36年間、小学校教師で終わってしまいましたがね。

 その後、コミュニティセンターに事務長として4年勤めたこともあり、その間は随分と勉強になりました。当時は社会教育主事の資格があったこともあり、いい勉強になりました。

 まあ、今は、どちらにしても、怒っても1日笑っても1日と、だったら笑って過ごそう。と、勝手に決めて生きています。それが私の幸せですかね。私は絶えず幸せを考えながら、生きながらえていた様に想います。

 人様と、自分の幸せを遥か彼方の宇宙の置いてそこへベクトルを進めていく過程が人生だと考えています。自他のwinwinですね。神様がくれた命、その命の目的を見極めるまで、そこにベクトルを重ねて、これからも生きたいですね。

 日に日に弱っていく体がどこまでついていくかが当面の課題ですが…、いつか新しい世界に飛び立つまでは…、それが、いつになるかは、まさに神のみぞ知るというところでしょうか。

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