想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

お金持ちより心持ち

2024年04月07日 | エッセイ
コロナ5年4月9日
(ウクライナ、ロシア戦争3年)

   最近、相対的貧困という言葉をよく使いますよね。今、貧困層が増えてると…。しかし、これをよく見るとね。今の貧困と言うのは軽自動車やテレビは持っていても、貧困になってますよね。だからこれは一面、心理的なものでもあるわけですね。

 そして,昔の絶対的貧困っていうのは、もうほんとに物もない、食うものもない、そういう時代だったと思います。だから、今の貧困というのは、どうもピンとこないですね。想いは考えようでどうにでもなりますもんね。私のうちなども、バラック建てでひどいものでした。特に伊勢湾台風の時は、家が飛んでしまうかと心配をしたものです。もう、遥か昔の出来事になってしまいました。

 周りみんなが豊かになっているのに、自分だけという疎外感が心に響くんですよね。だけど、太陽は誰にでも光を与えてくれてるし、空気もただですよね。時の流れも、誰にも平等に与えられています。それこそ、天下の周り物です。そう考えれば、自然や周りの環境に恵まれてさえいれば、案外、内面は豊かだという考え方もできますね。ないものをないと嘆くのでなくて、あるものに気づきそれに感謝する気持ちが大切ですね。

 そういえば、お天道様とか罰が当たる、閻魔様に舌を抜かれる、壁に耳あり障子に目あり、月明かり、ほのぼの、良心の呵責、おかげ様で…などの言葉が使われなくなって久しいわけですが、寂しいですね。そこには自然への畏敬の念や、感謝がありますね。

 どうも、今の貧困は、物の豊かさで決まっている部分も大きいですね。心の貧困、それこそ、一番心配しなければならないことではないでしょうか。心が満たされること、心持になることが何より大切です。心は永遠ですし、形もないし、場所も取りません。お金持ちより心持をめざしましょう。

 昔、「名もなく貧しく美しく」と、いうタイトルの映画がありましたが、まさに、そんな考えが漂って、輝いていた昭和の時代が懐かしく想い出されます。そういう私は古い人間でしょうかね。今の時代が変わりすぎてしまって、一種のノスタルジアを感じるのかもしれませんね。夜中でもこうこうと照明がつき、田舎でも、闇夜がなくなり、植物の生態に影響があるかもしれません。やはり、自然と共に人間も生きるのが一番良いのではないかと想います。自然こそ最大の師匠ですから。

 相対的貧困という言葉も最近使い始めたんですよね。まだ私が子供の頃は、もう、貧乏といえば、お金がなくて、物もかえない。それだったんですね。そうそう、近所にも恵んでくださいといって、浮浪者がまわって来ていました。そんな時代を知っている世代が私たちかな。

 
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