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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

フランスのテロから想う

2015年01月08日 | エッセイ

 震災5年1月8日

 フランスでもテロが最近ありました。イスラムの過激派ということらしいのですが、フランスは移民の国でもあり、フランス語ができれば国民にするという広い心で開国人を受け入れています。

 肌の色は違っても同じ血が通っているからでしょう。9.11がまだ、昨日の様な感じもしますが、イスラム過激派は西洋社会は接点がないのでしょうか。イスラム社会の中でも過激派だけが、問題を起こしているようです。

 どんな考えであれ、暴力はいけません。何の思想でも過激になると度を超し分別がつかなくなってしまいます。まじめにイスラム教を信じている人は平和を望んでまじめに生きていると思います。

 テロなど暴力に訴えることは世界では許されません。結果的に言論の自由を奪ってしまいます。「板垣死すとも、自由は死せず」です。宗教の最終目的は人類の幸せを追求するはずですが、物事を短絡的にはどうかと考えてしまいます。何事も「ローマは一日にしてならず」です。点滴石を穿つです。天を味方につけることです。

 自分のところが絶対となれば他はそうでなくなります。それでは、宗教も最終的には力の対決になってしまいます。世界にはあと、仏教もあります。それらが世界3大宗教ですが力を合わせて平和な世界になるといいですね。

 どれも、究極の価値では一緒なはずですが、イスラムの分派なのでしょうか。テロは絶対許してはなりません。国際社会が一致団結してがんばりましょう。ややもすると、世界の平和は力の均衡で成り立っているところがないとはいえません。もっと、誰もが広い心で許し合ったり思い合ったりすることはできないでしょうか。

 「挨拶は心を開いて相手にせまる。」と、言うことを若いときに聞いた事があります。西洋の敬礼は武装したお互いの仮面を上にあげ、敵意を持っていませんよ。と、シグナルと送ることだと教わった事があります。

 このように相手にもオープンにして振る舞うことが平和の第一歩だと思います。それが、できなくなり隠し事が多くなると問題です。「胸襟を開いて話す」という言葉もあります。そんな信頼関係こそ大事ですね。

 でも、現実はなかなか駆け引きがあり、難しいですね。国との関係では国益をまず考えてしまいますものね。

 それにしても、最近の日本への観光客が増えていることはいいことだとおもいます。オリンピックまではまだまだ、増加するでしょう。2千万ぐらいまでいくのではないでしょうか。日本の良さがどんどんPRされるいいチャンスです。人と何気なく接することが深まることが理解に繋がります。日本人も誰もが英語が理解できるようのなるといいです。やっと、日本でも小学生から英語は始まりだしているようです。遅きに逸し手いる感もありますが…。

 「人を非難するかわりに、相手を理解するよう努めようではないか。どいういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。そのほうがよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれてくる。」といったのはデール・カーネギーだと思いましたが、時々、立ち止まって自分を反省しなくてはと、思います。若い頃はその英語版を暗唱しいい声に出したものでした。

 世の中は、自分的には倫理観に優れた人がオールマイティの力を持って世界を治めることが理想ですが、そうはいっても現実には、そんな人はいませんので、私も現在の三権分立の民主主義が一番いいと思っています。

 民主主義は衆愚政治と言いますが、そうにならないように、一人ひとりが感謝と思いやりの精神を持って生きていってほしいと思います。

 テロは言論自由の敵です。また、全体主義もおなじようなものではないでしょうか。日本では軍国主義の為、大変な時代がありました。その為、国学が義務教育から外れてしまって残念です。仏教以前の時代が日本には長かったはずですが、その辺がどこかに行ってしまった観もあります。軍国主義や全体主義はいけませんが、日本の心や大和言葉などの不易な部分は後世にもその良さを残していきたいです。


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