読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

一家に一冊!子どもはもちろん大人も役立つ充実の内容『小学館の図鑑NEO 危険生物』

2017-08-09 07:42:42 | 本のお噂

『小学館の図鑑NEO 21 危険生物 DVDつき』
小学館、2017年


けっこうワタクシ、好きなクチなのでありますよ、図鑑が。
フツーの書籍に比べるとそれなりに値が張る上にスペースも取りますので、そうそう買って読めるというわけでもございません。ですが、子ども向けのもの大人向けのものを問わず、掲載されている豊富な図版の数々を見ているだけでもワクワクしてまいりますし、知らなかった知識や情報にいろいろと接することができるのも、実に楽しいものであります。
中でもわたしが大好物なのが、ちょっと変わった生き物類の図鑑。なかなか目にすることもなく、その存在すら知らなかった生き物たちの姿形にワクワクすることができるのも楽しいですし、生物の多様性がいかに豊かなものなのかを実感することができるのも、変わった生き物系図鑑の大きな魅力です。
これまでにもいくつか、値段の高さも顧みずに購入した魅力的な生き物図鑑がございますが(それらもまた、いずれ機会をつくってご紹介したいな、と)、子ども向け図鑑の中でも高い人気を誇る『小学館の図鑑NEO』シリーズの最新刊として刊行された『危険生物』も、勤務先である書店に入荷した実物をパラ読みしてたちまち取り憑かれ、即買いさせられた物件であります。

この『危険生物』は、人間にとって何らかの危険性を有する、陸と海の動植物約750種を、その危険の種類(刺毒、咬毒、食中毒、防御毒、吸血・病気媒介、刺咬傷の6種類)ごとに分類して紹介していきます。
取り上げられている生物の種類も実に多彩です。ハチやアリ、サソリ、クモ、カ、ダニなどの昆虫および節足動物。ヘビ、カエル、ワニなどの爬虫類や両生類。キノコ、トリカブト、ウルシなどの植物類。クマやゾウ、ライオンなどの哺乳類。クラゲやウニ、フグなどの魚介類。そしてサメ・・・。
いまは夏休み真っ最中ということで、海山川にお出かけになる方も多いことと思いますが、いまの時期に注意したい危険生物の代表が、スズメバチ。この図鑑では、最も大きく攻撃性も高いオオスズメバチを筆頭に、全部で7種類が取り上げられております。攻撃に移るまでには「警戒」「いかく(威嚇)」「攻げき」の3段階があることが説明されているほか、野山で刺されないための予防法や、もし刺されてしまったときの治療法も、イラストとともにしっかり説明してくれています。野外で飲みかけのジュースの缶に入り込んでしまうこともあるそうで、気をつけたいところです。

海で注意が必要な危険生物といえば、クラゲです。本図鑑では、日本で最も危険なクラゲであるハブクラゲから、毒はあまり強くないミズクラゲなど、全部で13種が紹介されています。沖縄では、ハブクラゲに刺された2歳の子どもが呼吸が止まり、危うく命を落としかけた事例もあったとか。
そして、いまの時期に悩ましい存在である「カ」。おなじみのヒトスジシマカから、2010年に新種と認められた種まで、国内に生息する11種(および、海外に生息する2種)がラインナップされています。「カ」が危険なのは血を吸うことよりも、感染症の原因となる病原体を媒介する点にあり、世界では「カ」が運ぶ病気で毎年70万人ものヒトが死んでいるという「地球上で最も危険な生物」でもあるんだそうな。ううむ、これはより一層「カ」には神経「カ」敏にならざるをえんなあ(暑い日々が続いておりますが、コレで少しは寒くなっていただけましたでしょうか)。
しばらく前から、日本の複数の港で発見されるたびに大きなニュースとなっている、熱帯地域に生息しているアリの一種、ヒアリもしっかり取り上げられておりました。英名はファイアーアントで、毒針で刺されると火のように痛いということから、その名がついたのだとか。ヒアリに刺されて腫れ上がった皮膚の写真も掲載されていて、これがいかにも痛そう。「特に危険」を示す赤ドクロマークがついているくらい、危なっかしいヤツのようであります。
ヒアリはこの図鑑では、海外に生息している危ないアリの一種として取り上げられているのですが、こいつがこの先日本に居つくことがないよう、願いたいところです。

いかにも危なっかしい感じの生物たちに交じって、「えっ?これも危険生物なの?」と思うような意外な生きものも取り上げられています。たとえば、ジャイアントパンダ。滅多にヒトを襲うことはないものの、鋭い爪や牙によって大けがをした例があるとのこと。また、ムラサキイガイ(ムール貝)やホタテガイ、アサリといった食用としてお馴染みの二枚貝も、有毒なプランクトンを食べることで毒化し、下痢や麻痺を引き起こすことがあるということで、けっこう大きく取り上げられております。
その名の通りヨーロッパに生息するヨーロッパアカヤマアリの群れが、近づく敵に反応して一斉に蟻酸を上に向けて噴射している光景や、見た目に反して実はアフリカでは特に獰猛で、足も速いカバがヒトを追っかけている光景など、思わず見入ってしまうようなオドロキの写真もいろいろと掲載されているので、めくっているだけでもけっこう楽しめます。

取り上げられている生物の多彩さやオドロキの写真の数々もさることながら、本書の真骨頂といえるのはその情報量の多さでしょう。危険生物によって生じるケガの実例とその対処法をはじめ、危険生物によって起こった実際の事件・事故の紹介、豆知識などを、たくさんのコラムを設けて盛り込んでいます。
ケガの実例と対処法を説明した「救急コラム」は、多数のケガの症例写真もオールカラーで掲載しています。中には、マムシに噛まれて皮膚が壊死している指先や、オニダルマオコゼに刺されて大きな水ぶくれができた手の写真といった、ちょっとギョッとするようなものも。
危険生物による事件・事故を紹介した「事件ファイル」では、昨年(2016年)秋田で起こったツキノワグマによる死亡事件や、岐阜でのマラソン大会で100人以上がスズメバチに刺されるといった新しい事例から、さまざまな小説や映画の題材にもなった1915年の「三毛別ヒグマ事件」のような歴史的事例までを豊富に網羅。驚くような事例もいろいろと載っていて、興味を掻き立ててくれます。
さらに「ものしりコラム」では、取り上げた危険生物についての補足知識をはじめ、江戸時代の外科医・華岡青洲がトリカブトなどを配合した麻酔薬を使って成功させた世界初の全身麻酔手術のことや、ホホジロザメをモデルにした映画『ジョーズ』のエピソードなどといったトリビア的なことまで、危険生物にまつわる幅広い情報が満載されています。中には、東北地方では「春先のアワビの内臓をネコに食べさせると、耳が落ちる」という言い伝えがあるということ(毒がたまったアワビの内臓を食べることでアレルギーが出てかゆくなり、掻きすぎて耳がなくなってしまった、という意味)など、初めて知るようなことが数多く記されていて、拾い読みすると大いに楽しめます。
このように、大人でも知らないような知識や情報がたくさん詰まっているので、子どもはもちろん大人にも大いに役立ちそうです。

付属のDVDは、ドラえもんとのび太のコンビとともに危険生物の生態を学ぼう!という内容で、オトナが観るには若干の気恥ずかしさが伴うのですが・・・。それでも、ゾウの上に乗っている人めがけてトラがジャンプして襲いかかる瞬間など、アメリカのナショナルジオグラフィック提供による迫力の映像がふんだんに使用されていて、思いのほか見入ってしまいました。
とりわけ、長時間かつ瞬発的な活動を支える2種類の筋肉や、正確な距離感覚で獲物を捉えることのできる目や感覚器官を持った、ホホジロザメの驚異的な身体能力を解説したパートは、ちょっと驚嘆ものでした。

人間にさまざまな害を与える「危険生物」を紹介したこの図鑑。活用する上で頭に置いておきたいのは、たとえ危険な生物であっても、それらは同じ地球でともに生きている「仲間」でもあるのだ、という認識でしょう。
それぞれの生物の特徴と危険性についての正確な知識を持ち、「正しく怖がる」ことで住み分けと共存を計り、生物の多様性を守っていく・・・そんな知恵を養うためにも、この図鑑を一家に一冊備えて活用することをオススメしておきます。

「夏休み子ども科学電話相談」ファン必携の 『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』と『カリスマ解説員の楽しい星空入門』

2017-08-07 22:16:22 | 本のお噂
毎年夏休みシーズンに、NHKラジオ第1で放送されている名物番組「夏休み子ども科学電話相談」。
子どもたちから電話で寄せられる、科学にまつわるさまざまな疑問質問に、各界の専門家の方々が答えていくというこの番組。オトナ顔負けの鋭い質問を発してくる子どもたちと、四苦八苦しつつもなんとかわかりやすく答えようとする専門家とのやりとりが実に面白く、子どもたちはもとよりオトナにも、根強いファンがおられます。最近は仕事の都合で思うように聴けないのですが、わたしも大好きな番組であります。
今シーズンも7月24日から放送が始まりましたが(番組サイトはこちらです。ちなみに高校野球の期間はお休みです)、それを前に番組ファンには見逃せない本が2冊、新書として刊行されました。今回はその2冊をまとめてご紹介することにいたしましょう。


『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」 鋭い質問、かわいい疑問、難問奇問に各界の個性あふれる専門家が回答!』
NHKラジオセンター「夏休み子ども科学電話相談」制作班編著、SBクリエイティブ(サイエンス・アイ新書)、2017年

昨年(2016年)のシーズンに番組に寄せられた数々の質問から50本を選び、番組中でのやりとりを抜粋、再現しながら補足コラムも加えて書籍化したのが『大人もおどろく「夏休み子ども科学電話相談」』であります。
「スイカは果物みたいなのにどうして野菜なのですか?」という質問における、野菜と果物の区分けについてのお話や、「ワニのしっぽは切れないのにトカゲのしっぽが切れるのはなぜ?」という質問に対して説明される、トカゲのしっぽが切れるメカニズムなどなど、わたしたちオトナも知らないようなお話の数々に、読みながら「そうだったのか!」の連続。
中には「空は、どの高さから空なのですか?」や「人の心はどこにあるのですか?」といった実に奥の深い質問もあったりして、子どもたちの着眼点の鋭さにあらためて感心させられたりいたします。

番組でのやりとりを再現した紙面から、回答者それぞれの人となりが生き生きと立ち上がってくるのも楽しいところです。
「雑草は、どうして次から次に生えてくるのですか?」の項における、番組ではお馴染みの植物学者・田中修先生の回答からは、飄々とした京都ことばでの語りっぷりが頭に浮かんで、読みながらカオがほころんでまいりました。

(田中先生)「栽培している植物は、人間がタネをまいたり、苗を植えたりしているの。でも、雑草がエライのは、自分でタネをまいてるところなの!タネもまかないのに次々と生えてくるのが不思議なんだよね?」
(質問した子ども)「はい」
(田中先生)「そやねぇ。雑草っていうのは、『も、の、す、ご、く』、たくさんのタネを作るの。そして、それを飛ばしたり、人にくっつけたりして撒き散らしてるのね」


また、「ハート形や星型のシャボン玉は作れないの?」という質問に回答した、法政大学教授の藤田貢崇先生。シャボン玉には、表面積を小さくしようとする「表面張力」が働くので、たとえハート形や星型の枠であっても球形にしかならない、という回答に、ちょっとガッカリした様子の質問者の子ども。そこで藤田先生は話題を変えて、洗濯のりや砂糖、ハチミツを混ぜることで丈夫なシャボン玉を作ることができることを教えるのです。
時には質問からさらに話題を広げて興味を掻き立てようとする、回答者の先生方の巧みな話の運びかたも、本書ではじっくりと味わうことができます。

テキストの形で再現された、専門家の方々のお話を読んで気づかされたのは、単に科学的な知識を説明するだけにとどまらず、科学的なものの見方と考え方とはどういうことなのかをしっかりと伝えている、ということでした。
本書に収められた質問中、おそらく最大の難問といえそうな「人の心はどこにあるのですか?」という質問に回答した脳科学者・篠原菊紀先生は、心がどこにあるのかということについてはさまざまな考え方がある、ということを説明したあと、このように話を結びます。

「科学って、だいたいわかんないことを、こうじゃない?って思って、こうだったらこうなるよねってやってみて、それで結果を出しての積み重ねなんです。ひとつのことだけで『そうだ!』って決められるわけじゃなくて・・・」
「いろんなことをやって、積み重ねて、だんだんわかってくるものだと思います」


わかっていることについてはハッキリと伝えつつも、まだよくわかっていないことについては一方的に決めつけることを避け、これからの研究と知見の積み重ねへと繋げていく・・・。そんな、科学的なものの考え方の大切さをしっかりと伝えているところも、この番組の優れているポイントなんだなあ、ということを認識した次第であります。



『カリスマ解説員の楽しい星空入門』
永田美絵著(写真=八板康麿、星座絵=矢吹浩)、筑摩書房(ちくま新書)、2017年

「夏休み子ども科学電話相談」でお馴染みの回答者のお一人が、天文・宇宙テーマを担当されている「コスモプラネタリウム渋谷」解説員の永田美絵さん。解説員のお仕事で培ったわかりやすい説明を、美しく優しげなお声でこなしておられる永田さんは子どもたちはもとより、大きなお友だち(笑)からの支持も厚いものがあるものと推察されます。・・・などと申している不肖ワタクシも、美絵さま(以下、謹んでこのように呼ばせていただきます)ファンの端くれなのであります。
その美絵さまがお出しになったばかりの新著が、今回ご紹介する2冊目『カリスマ解説員の楽しい星空入門』です。美絵さまファンとしては買って読まないワケにはいかないではございませぬか。

本書は、四季の夜空に輝くさまざまな星座を見つけるコツから、星座にまつわる神話や伝説、地球の家族である太陽系の惑星や小惑星、彗星についての基礎知識などを、星空観察の初心者に向けてわかりやすく解説していく一冊です。
たとえばちょうど今、夏の時期に見られる星座の1つが、こと座。毒蛇に噛まれて死んでしまい、黄泉の国から戻ることができなかった妻への切ない思いのあまり、川に身を投げて命を絶ったギリシャ神話の琴の名人・オルフェウスの持っていた琴が星になったということ座は、悲しくも美しい夫婦愛の物語をまとった星座です。また、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に描かれた、アルビレオという星を持つはくちょう座も、夏の星座です。
ロマンティックな物語を持つ星座がある一方で、やはり夏の星座であるやぎ座は形からしてパンツにそっくりな上、それにまつわる物語もとても愉快です。上半身が神様、下半身は山羊という姿の森の神様・パーンが開いたパーティーに呼ばれなかった荒くれ者の神様から殴り込みを受け、パニクった挙句に下半身は魚、上半身は山羊というけったいな姿に化けてしまい、それを面白がった他の神様たちの手で空に上げられてしまったのが、やぎ座なんだそうな(カワイソ)。ちなみに、「パニック」という言葉の語源も、そのパーンからきているのだとか。

夏を過ぎ、秋になると見ごろとなる月が、太陽と地球とのからみでどのように見えかたが違ってくるのか・・・というお話も、けっこう知らないことが多かったので、とても勉強になりました。
なかでも目からウロコだったのは、月の見かけの大きさと太陽の見かけの大きさはほとんど同じである、ということでした。月と太陽は大きさが400倍違ううえ、月までの距離と太陽までの距離もまた400倍違うという偶然により、双方の見かけの大きさはほとんど同じになるのだとか。・・・そうだったのかあ。
本書はこういった、さまざまな星座や星にまつわる物語や基礎知識を、まことに親しみやすい語り口で伝えてくれます。美恵さまの美しく優しげなお声を想像しつつ読むと、さらに雰囲気が高まること間違いなしでしょう。
さらには、美恵さまが日々活躍の場としているプラネタリウムをめぐる裏話も披露されています。矢印で星座の位置を示すポインターが点灯せず、窮余の策としてとんでもないモノをポインターの替わりにしたという愉快な失敗談もあれば、星によって繋がった解説員仲間や来館者との、心暖まるエピソードも。

本書を読んで、星空というのはとてつもないスケールの大きさと、人間の歴史をすっぽりと包み込んでしまう、悠久の時の流れによって成り立っている素晴らしいものであることを、あらためて認識することができました。
美恵さまはこのように語ります。

「宇宙を知れば知るほど、大きさ、星の多さに圧倒されます。私たちは天の川銀河の中の太陽系の中の第3惑星の中の小さな地球という星の中で、世界がわかったような気になって、泣いたり笑ったりしているのです。自分の人生を悲観したり思い通りにならないで怒ったり、まして小さな土地を取り合い、争いを起こしたりします。なんて小さなことなのでしょう」

そして、星空を見上げ、広大な宇宙に想いを馳せることの大切さを訴えます。

「星を見上げることは、大きな視点に気づかせてくれることでもあります。迷った時、悲しい時こそ前を向いて生きる希望が必要です。その時に助けてくれるのは計り知れない大きな世界です。だから人は星空を見上げなければいけないと私は思っています」

思えばわたしもずいぶん長いこと、星空を見上げるという行為から遠ざかっておりました。自分自身の、そして人間社会の狭い常識や視野に囚われないためにも、本書を手引きにしながら星空周遊してみたいと思います。

不思議なものごとに対する驚きと好奇心、そしてその不思議さを解明していこうという科学的な探究心は、子どもはもちろんのこと、われわれオトナにも必要なことでしょう。
ラジオ番組「夏休み子ども科学電話相談」とこの2冊の本で、科学することの楽しさ面白さを、子どもたちとともに味わっていだだけたら、と思います。

なにげない風景を写真で記録し続けることの意味を伝えてくれた「264時間の宮崎 写真展」

2017-08-02 07:34:18 | 宮崎のお噂
日本写真協会によって「写真の日」に制定されている6月1日。その同じ日に、宮崎で活動している写真家たちが集って「宮崎県写真家協会」が発足しました。1989(平成元)年のことでした。
その翌年である1990年、宮崎県写真家協会は6月1日の24時間の宮崎を写真で記録し、後世に伝えていこうというイベントを開催します。協会の呼びかけのもと、プロアマ問わず多くのカメラマンから、さまざまな宮崎の6月1日を記録した写真が寄せられ、それらは写真集として刊行されました。6月1日24時間の宮崎を21世紀まで記録し続けるという意味を込めて「264時間の宮崎」と名づけられたそのイベントは、2000年まで毎年6月1日に開催され、ひとまずの幕を降ろすことになります。

11年間にわたった「264時間の宮崎」で撮影された膨大な写真から選ばれた、約2000点の作品を一堂に展示した「264時間の宮崎 写真展」が、先週7月26日から30日の5日間、宮崎県立美術館で開催されました。わたしも最終日の30日に鑑賞してきました。
「264時間の宮崎」について早い時期から知り、初年度にまとめられた写真集も手元に持っているわたしでしたが、11年間の写真を通して見るのは今回がはじめてでした。




モデルさんを立てて撮影するなどの趣向を凝らした作品もわずかながらあったものの、そのほとんどは宮崎県内各地のなにげない風景と、そこに生きる人びとを淡々と捉えたフィルム撮影のモノクロ写真。それらには、もう失われてしまった懐かしい風景や、新しいスポットが生まれつつある過程など、21世紀を目前に控えて変わっていった宮崎の風景がつぶさに記録されていて、興味の尽きないものがありました。

まだ中心街にあった頃に馴染みだった映画館。青果業者らが繁華街の一角に集まって露店を開いていた通称「青空市場」と、その近くにあった商店街のレトロチックなアーケード。デパート前の歩道にいた靴磨きのおじいさん・・・。それらの、もう失われてしまった宮崎市内の光景を映し出した写真には懐かしさとともに、哀切さをともなった感慨がしきりに湧いてきました。
その一方で、いまの宮崎市を形づくっているスポットの数々が、1993年前後にかけて生み出されていく過程も記録されておりました。宮崎駅の新しい駅舎とその前後の高架化。リゾート施設シーガイア。宮崎公立大学や県立芸術劇場といった文教施設。宮崎銀行や宮崎観光ホテルの新館・・・。21世紀を目前にして、いろいろなものが一気に生み出されていたんだなあ、ということをあらためて知り、また違った感慨が湧いてまいりました。
変わりゆく風景の中でも変わることのない、そこに生きる人びとそれぞれのいとなみも、写真は生き生きと捉えていました。笑顔あふれる子どもたち、黙々と日々の仕事に励む人びと、飲食店で談笑する人びと、穏やかな表情のお年寄り、そして生まれてまもない赤ちゃんの寝顔・・・。

いつもは見過ごしがちな、自分の住む地域の日常の光景と人びとのいとなみ。それらを継続的に記録し続けたことによって、これらの写真はいまの目で見ると実に貴重な資料ともなっているということを、大いに実感いたしました。それとともに、フィルムによって撮影された写真が持つ、なんともいえない味わい深さも、存分に堪能することができました。



当時の撮影に使われていたフィルムカメラや、撮影された写真のチェックや現像に使われていた機材も展示されておりました。写真の機材についてはよく知らないわたしではありますが、これらのカメラや機材にもまた、なんともいえない味わいを感じました。



会場では、「264時間の宮崎」をリニューアルして3年前から始まった「photo264miyazaki」で撮影された「今」の宮崎を捉えたカラー写真も、あわせて展示されておりました。それらからは、撮影した写真家(「264時間の宮崎」にも参加された数名を含む)それぞれの視点や個性が感じられて、また違った意味で楽しめました。中には、360度パノラマ写真という「今」ならではのものも。
現在は写真家として活躍している、高校時代からのわたしの友人も、なかなか素敵な作品を寄せていたのが嬉しいところでした。

会場では、「264時間の宮崎」が始まってから5年目に至るまでの歩みを辿った、地元テレビ局MRT(宮崎放送)製作のドキュメンタリー番組も上映されておりました。
それによれば、「264時間の宮崎」の歩みは決して順風満帆だったわけではなかったようです。作品が思うように集まらなかったり、初年度には発行できた写真集もその後は刊行できずじまいだったり・・・。それを乗り越えて継続していったことで、21世紀を目前にした宮崎の生きた記録がしっかりと残されたということに、静かな感銘を覚えました。
関係者の方々の努力と志に、大いに拍手を贈りたい思いがいたしました。

それから20年足らずが経った現在。デジカメや携帯電話、スマートフォン、タブレットといったデジタル機器の普及で、誰もが簡単に写真を撮り、コミュニケーション手段として共有することができるようになっています。
「264時間の宮崎」をリニューアルした「photo264miyazaki」では、Facebookに設けられたページや特設サイトを通じて、プロの写真家だけではなく一般の方々にも広く呼びかけが行われ、多くの写真が投稿されていました。
(実はわたしも、上記の写真家の友人に誘われて初年度の2015年から参加していて、拙いながらもスマホやタブレットで撮った写真を投稿させていただきました。初年度に参加したときのことについては、拙ブログに記事としてまとめております。→「なにげない街の風景や人びとの写真で記録する『24時間の宮崎』。 ~『写真の日』のイベントに参加して~」
「photo264miyazaki」のFacebookページや特設サイトにもまた、「今」だからこそ捉えることができた宮崎のなにげない風景と、人びとの息づかいが感じられる写真が溢れておりました。
撮影機材がフィルムからデジタルに変わろうとも、なにげない日常の風景といとなみを記録し、後世に伝えることの意味が変わることはないでしょう。「264時間の宮崎」が育んできたものが、デジタル機器の普及を得て再び芽吹き、さらに裾野を広げようとしているということにもまた、感慨を覚えます。

これからさらに、写真による生きた宮崎の記録が積み上げられ、未来へと繋がっていくことを楽しみにしたいと思います。
「264時間の宮崎」を集大成した写真集、いつの日か出るといいなあ。