読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

魅惑のジオラマ作品集②『凄い!ジオラマ』 念入りな手作業とリアルさの追求から生まれる、豊かなドラマ性と詩情が溢れるジオラマ

2017-03-20 10:45:53 | 本のお噂

『凄い!ジオラマ 超リアルなミニチュア情景の世界』
情景師アラーキー著、アスペクト、2015年


最近立て続けに閲読した、魅力的なジオラマの作品集のご紹介。今回取り上げるのは、 “情景師アラーキー” こと荒木智さんの『凄い!ジオラマ』であります。
家電メーカーでプロダクトデザインの仕事に就きながら、アフター5と休日を使ってジオラマを制作し、それを写真に撮ってはTwitterやFacebook、そしてブログで公開し続けておられる荒木さん。その作品はいずれも、言われなければ実景としか思われないほど、とことんリアルさを追求した完成度の高い逸品ばかりです。それらの文字通り「凄い!」というコトバしか出てこないような見事なジオラマは、『タモリ倶楽部』や『マツコ&有吉の怒り新党』などのテレビ番組でも取り上げられたそうで、それらで荒木さんの作品を知ったという方もおられることでしょう。

わたしが荒木さんのジオラマを知るキッカケとなったのは、Twitterでした。数年前、リツイートされてきた荒木さんのツイートに貼られていた「ゴミ捨て場のジオラマ」の写真を目にして、思わず我が目を疑いました。
そこに再現されていたのは、黒いビニール袋に入ったゴミや段ボールが無造作に置かれ、空き缶や空き瓶が散乱し、新聞紙が湿り気を帯びて路面に張り付いている路傍のゴミ捨て場の情景でした。どう見ても模型とは思えないような、リアルなまでの「汚さ」が感じられるその徹底したリアリティに、ただただ「凄すぎる・・・」というため息しか出てこなかったのを覚えております。
その「ゴミ捨て場のジオラマ」を含む作品が、本書で最初に紹介されている「ゴッサムシティ」。映画『バットマン』シリーズの舞台となっている架空の街・ゴッサムシティの一角を再現したものです。バットマンが乗る装甲車のようなマシンが通る街角には、レンガ造りの古いアパートが2棟。それぞれのアパートの壁面には、スプレーで描かれた落書きや貼り紙が見られるのに加え、窓ごとに異なるカーテンやブラインドを用意して、各戸ごとの住人の個性を出す演出がなされているという凝りっぷりです。
さらに驚かされるのは、噛んでいたガムが吐き捨てられたあとにできた染み「ガムスポット」が、歩道上に点々とつけられていること。「粘着性のある接着剤に黒い塗料を混ぜ、爪楊枝の先で、道に点になるように」描いて再現された「ガムスポット」は、アメリカの友人から絶賛されたとか。35分の1(市販されている戦車などのミリタリーもののプラモデルと同じ縮尺)というスケールの中でよくぞここまで・・・と、あらためてため息が出てしまうほどの恐るべき再現度です。
本書には、やはり35分の1に縮小して作られたミニチュアのゴミ袋や空き缶、段ボール箱の作り方も紹介されていて、その細かさ極まる手作業の過程にこれまたため息。このジオラマでは、300個ほどのミニチュア空き缶を作ったのだとか。むう・・・。
なお、本書に巻かれていた帯のソデの部分には、「このまま切って作れます」という、35分の1スケールの空き缶の展開図が載っております。どうぞくれぐれも、帯をあっさり捨てたりはなさらないように(笑)。

荒木さんのジオラマ作品における、徹底したリアルさの追求がとりわけ際立つのが、古びて朽ちているモノを主役にした情景の描写でしょう。
「昭和の終わりに」と題された作品では、昭和の時代に活躍していた4台のトラックが、廃車置き場で朽ちながら静かに眠っているという情景が描かれています。雨ざらしの状態で放置され、錆による腐食が進んでいるトラックには落ち葉が積もり、その横にはこれまた、古い冷蔵庫やミシンが放置されているという念の入りっぷりです。昭和という時代に、わたしたちの暮らしを支えてくれた存在へのレクイエム、といった趣きの作品で、見ていて胸に迫るものがありました。
そう、荒木さんのジオラマでとりわけ印象深いのが、朽ちて腐食したクルマなどに生じる「錆」の表現です。「かぶとむし」の愛称で知られるフォルクスワーゲン・ビートルや、「てんとうむし」の愛称で親しまれたスバルの軽自動車・スバル360が朽ちているジオラマにおける腐食した錆の表現ぶりは、それが人の手によって模型に加えられたものだとは思えないほど、真に迫っています。本書では、そんなリアリティ溢れる錆塗装の方法も、順を追って説明されています。
そして、Googleの画像検索で目にした、空き地に野ざらしにされている廃船の写真に触発されて作ったという「港の片隅で」。表面が朽ちてささくれ立ったり折れたりしている表現が息を飲むほどリアルな、港の片隅に横たわる小型の漁船は、厚紙を使った紙工作によってイチから作り上げたものだといいます。乾燥した木の表層がめくれた表現には、実際の木よりも厚紙のほうが向いている、というのが、その理由です。
しかし、屋外の自然光の下で撮影された(ちなみに、本書に収録された写真の数々も、荒木さんが自ら撮影したものです)ジオラマの漁船からは、それまで長く海で活躍した船の歴史と、時間の重みのようなものが、現実感をともなって立ち上がってくるようにすら思えました。
荒木さんは、ジオラマにおける「リアルの追求」について、このように語ります。

「私は、影がしっかりと出るように凹凸を作る『造形』と、光の反射や吸収を考慮した『質感』が重要だと考えます。立体とは、光と影によって視覚化されるもの。光をうまく使うことで、凝縮された小さな世界でさえ、現実さながらに時間の経過を演出できます」

驚くほどに念入りな手作業による造形と、光による効果まで考慮した演出とが相まった、徹底したリアルさの追求により生み出される、荒木さんのジオラマ作品の数々。それらは、模型であることをすっかり忘れさせるような豊かなドラマ性と詩情を、見る者に感じさせてくれます。

とはいえ、「どこかにありそうな風景、リアリティのある空間を作り出すには、たんに緻密な工作と臨場感あふれる塗装で済むわけではありません」と荒木さんは言います。そこで大事な要素となるのが「妄想」。「完成シーンを取り巻く風景、光、風、さらに歴史までもを」自分で生み出し、「妄想」しながら作り込んでいくのだ、と言うのです。
その例として紹介されるのが、「トタン壁の造船所」という作品です。修理のため陸揚げされた漁船と、部品を運んできたトラックが並んでいる向こうに、歴史を感じさせるトタンづくりの造船所が建っている情景。荒木さんはそれを制作するにあたり、その造船所をめぐるドラマを細かく「妄想」して設定します。・・・瀬戸内の海を前にしたその造船所は、太平洋戦争の激戦を「必ず生きて還ってふたりで故郷に造船所を開こう!」を合言葉にして生き延びたふたりの男によって開かれたもので、屋号もふたりの名前からそれぞれ1文字ずつとってつけられた。今はふたりの息子たちが跡を継いだその造船所で、ふたりは新たな友情を紡ぎ始めた・・・と。
作品にはもとより、人物を表現するフィギュアのたぐいは一切置かれてはおりません。しかし、造船所内部の使い込まれて油に汚れた工作機械までをも、64分の1という小さなスケール(小スケールミニカーの代表的ブランド「トミカ」と同じ縮尺!)で再現したジオラマからは、苦楽を共にしてきたふたりの男たちのドラマをしみじみと想像することができ、ちょっとジンときてしまいました。

小さなジオラマの世界に命を吹き込む、「妄想」という名の豊かな想像力。その背後に、荒木さんの興味対象と喜怒哀楽の振り幅の広さがあることを教えてくれるのが、本書をプロデュースした編集者の石黒謙吾さんです。石黒さんによる巻末の解説によれば、打ち合わせのため訪れた荒木さんのご自宅には、多種多様なジャンルの大量の本があったのだとか。それを踏まえた上で、石黒さんはこう言います。

「幅広い事象への興味は、すなわち幅広い人間への興味でもあります。人に対するリスペクトの視線があるからこそ、動かぬ模型に感情が注入され、動き出す」

幅広い事象、ひいては幅広い人間に興味を持つことで豊かな想像力を育み、そこから立ち上がってきた情景を念入りな手作業で形にする・・・。どんなに発達した人工知能であろうとも、絶対にマネができないであろうクリエイティブないとなみが、ここにはあります。

荒木さんをジオラマの世界へとのめりこませるキッカケのひとつとなったのが、やはりゴジラやウルトラマンなどの特撮もの。そしてもうひとつが、お母さんから教わったという「箱庭遊び」だったといいます。そして、日本には盆栽や根付け、ひな人形といったミニチュアを楽しむ風習が昔からあり、その同じ血が自分にも流れている、ということを語ります。なるほど、そういった流れで捉えてみると、ジオラマもれっきとした「日本文化」の一つなのかもしれませんね。
そんな「日本文化」としてのジオラマを象徴するような秀作といえるのが、本書の表紙にもなっている「西瓜の夏」という作品です。風情ある石橋の上を渡る、スイカを満載した軽トラック。石橋の下を流れる川は美しく澄み切っていて、そこには群れ泳ぐ錦鯉・・・。この作品は、荒木さんが小学生の頃に住んでいたという熊本の思い出をモチーフにしたのだとか。
小さなジオラマの中に、熊本の美しい夏の情景を見事に凝縮させたこの作品もまた、わたしの大のお気に入りであります。

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