8月中旬。お盆の時期ということで、お盆休みの真っ最中という方も多いことでしょう。
夏休み映画祭1本目『アンタッチャブル』THE UNTOUCHABLES(1987年 アメリカ)
夏休み映画祭2本目『イレイザーヘッド』ERASERHEAD (1977年 アメリカ)
夏休み映画祭3本目『セブン』SE7EN (1995年 アメリカ)
わたしも、先週の11日から断続的にではありますが、お盆休みをいただいております。せっかくなのでどこかへ出かけてもいいのですが、なんせ暑いのが大の苦手ときていますので、外に出ようという気になれません。
(実は、ここしばらくブログの更新が止まっていたのも、連日のうだるような暑さで心身がへたばっていたためだったりするのですが・・・)
そこで、ここしばらく買い集めていたBlu-rayやDVD(新品もありますが、中古で安く仕入れたのも多い)がだいぶ溜まってまいりましたので、お盆休みを使って個人的映画祭をやることにいたしました。どの作品をチョイスするかは、その時その時の気分次第の出たとこ勝負ですが、それでもなるべく幅広いラインナップになればなあ・・・などと考えつつ、すでに7本の作品を鑑賞いたしました。
ということで、この個人的夏休み映画祭で観た作品を、これから何回かに分けてご紹介していきたいと思います。
夏休み映画祭1本目『アンタッチャブル』THE UNTOUCHABLES(1987年 アメリカ)
監督=ブライアン・デ・パルマ
製作=アート・リンソン 脚本=デイヴィッド・マメット
原作=オスカー・フレイリー、エリオット・ネス、ポール・ロブスキー
撮影=スティーブン・H・ブラム 音楽=エンニオ・モリコーネ
出演=ケビン・コスナー、ショーン・コネリー、アンディ・ガルシア、チャールズ・マーティン・スミス、ロバート・デ・ニーロ
Blu-ray発売元=NBCユニバーサル・エンターテイメント
禁酒法時代のシカゴ。ギャングの親玉であるアル・カポネは酒の密造・密輸によって莫大な利益をあげ、警察や裁判所さえも手玉にとって、暴力でシカゴを支配していた。そんなシカゴに派遣された財務省の捜査官エリオット・ネスは、老警官マローンと新人警官のストーン、会計係のウォーレスとチームをつくり、敢然とカポネとの戦いに立ち上がるのだった・・・。
かつてテレビドラマ化もされて人気を博した、エリオット・ネス本人の自伝をもとにしたブライアン・デ・パルマ監督の大傑作です。30数年ぶりに観たのですが、その圧倒的な迫力と面白さに、あらためてぐいぐいと惹きつけられました。
なにより魅力的なのが役者陣。とりわけ、本作でアカデミー助演男優賞を受賞したマローン役、ショーン・コネリーの円熟味たっぷりの存在感は格別です。コネリーが画面に登場すると、まるで年代もののウイスキーをじっくりと味わっている時のような(といっても、そういう機会にはなかなか恵まれないのですが)、陶酔した気分にすらなりました。
そして、まさに正義感がアルマーニのスーツを身に纏ったかのようなエリオット・ネスを、颯爽と演じきったケビン・コスナー。新米警官ながらも凄腕の射撃の名手であるストーンを演じた、アンディ・ガルシアのカッコよさ。慣れない銃に戸惑いながらも、だんだん張り切って戦いに臨んでいくウォーレスを、コミカルに演じたチャールズ・マーティン・スミス・・・。名優4人による、個性豊かな顔ぶれのメンバーが力を合わせて、巨悪に立ち向かっていくストーリー展開は、まさに王道ともいえる痛快さです。
彼らの敵となるギャングの頭目、アル・カポネを演じたロバート・デ・ニーロも貫禄充分。別の映画への出演を控えていたために体は太らせなかったようですが、それでも顔だけはしっかり丸くして演技に臨んだのはさすがであります。白づくめの殺し屋・ニッティを演じたビリー・ドラゴの禍々しい雰囲気も印象的です。
洗練された映像センスで知られるデ・パルマ監督は、語り草となっているクライマックスの駅構内での銃撃戦シーン(銃撃戦が繰り広げられている中、赤ちゃんが乗った乳母車が階段を落下していくさまをスローモーションで捉えていく)をはじめとした、見応えのある映像をたっぷりと魅せてくれます。その映像づくりに貢献した撮影監督、スティーブン・H・ブラムの仕事も素晴らしいですし、数多くの映画音楽を手がけた巨匠、エンニオ・モリコーネのスコアも、作品を大いに盛り上げてくれます。
脚本のデイヴィッド・マメットによる、名セリフの数々も見逃せません。なかでもお気に入りなのが、捜査への協力者を探そうとするネスに対して、マローンがアドバイスとして語った、このセリフ(字幕より)。
「腐ったリンゴがイヤなら、樽の中を探すな。木からもげ」
夏休み映画祭2本目『イレイザーヘッド』ERASERHEAD (1977年 アメリカ)
監督・製作・脚本=デイヴィッド・リンチ
撮影=フレデリック・エルムス、ハーバート・カードウェル
出演=ジョン(ジャック)・ナンス、シャーロット・スチュアート、アレン・ジョセフ、ジーン・ベイツ、ジュディス・アナ・ロバーツ、ローレル・ニア
DVD発売元=KADOKAWA
荒れ果てた工業都市のような街に住むヘンリーは、ある日ガールフレンドのメアリーが赤ちゃんを産んだということを知らされる。その赤ちゃんは、人間とも動物ともつかない異様な姿をした未熟児であった。ヘンリーはメアリーと赤ちゃんとともに暮らしはじめるが、絶え間なく続く赤ちゃんの泣き声に耐えかねたメアリーは出ていってしまう。かくて、ヘンリーは一人で赤ちゃんを育てることにするのだったが・・・。
『エレファント・マン』(1980年)や『ブルー・ベルベット』(1986年)、『ワイルド・アット・ハート』(1990年)、そしてテレビシリーズ『ツイン・ピークス』(1990年〜)などの作品で根強い支持を受けているデイヴィッド・リンチ監督の長篇デビュー作であり、いわゆる「カルト映画」を代表する一本となっている作品です。
上に記したように、一応の「ストーリー」らしきものはあるものの、その内容はシュールで不気味、そして不可解なイメージの連続からなっています。夕食の席で皿に盛られたチキンが、血を吹き出しながら脚をバタつかせたり、ラジエーターの中にいるリスのように膨らんだ頬を持った女が、上から次々に落ちてくる虫のような生き物を踏みつぶしたり・・・。とりわけ、異様な姿をした赤ちゃん(そのリアルな特殊効果はリンチ監督自身によるもの)が出てくるくだりは実にショッキングであり、正直なところ観る人を選ぶ映画ともいえるでしょう。
本作の異様なイメージはモノクロの映像でありながら、というよりモノクロであるからこそ、より一層不気味さが際立っていて、まさにダークな悪夢を見ているような気持ちにさせられます。映画のほぼ全篇で響いているさまざまなノイズが、さらに不安感を掻き立てます。
本作を観るのもかなり久しぶりのことでしたが、不気味でわけのわからない映画、という印象に変わりはありませんでした。それにもかかわらず、本作における数々の悪夢的なイメージには、なぜか強く気持ちを惹きつけるものがあります。それらのイメージが、われわれの無意識下に確実にある「なにか」を引きずり出し、可視化したものであるからなのかもしれません。
誰かれとなく「オススメ」することには躊躇してしまうものの、一度は観ておいていいと思える作品であります。
夏休み映画祭3本目『セブン』SE7EN (1995年 アメリカ)
監督=デイヴィッド・フィンチャー
製作=アーノルド・コペルソン、フィリス・カーライル
製作総指揮=ジャンニ・ヌナリ、ダン・コルソード、アン・コペルソン
脚本=アンドリュー・ケビン・ウォーカー 撮影=ダリウス・コンジ
音楽=ハワード・ショア
出演=ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、グウィネス・パルトロー、R・リー・アーメイ、ケヴィン・スペイシー
Blu-ray発売元=ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
退職を1週間後に控えたベテラン刑事のサマセットと、彼のもとにやってきた新人刑事のミルズは、極度の肥満体の男がスパゲティに顔を埋めた姿で死んでいる現場に急行する。その部屋にあった冷蔵庫の裏には「GLUTTONY(暴食)」という文字が残されていた。それに続いて、荒稼ぎをしていた弁護士が殺害される事件が起き、その部屋には「GREED(強欲)」という文字が。それぞれの現場に残されていた言葉から、犯人がキリスト教でいう「七つの大罪」(あとの5つは「怠惰」「憤怒」「高慢」「肉欲」「嫉妬」)に基づいて殺人を続けていると知ったサマセットは、ミルズとともに謎の犯人を追うことに・・・。
『ファイト・クラブ』(1999年)や『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)などの作品における、卓越した映像センスに定評のあるデイヴィッド・フィンチャー監督が、ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンの2大スターを主演に据えたサイコスリラーの大ヒット作です。実は恥ずかしながら、今回Blu-rayで初めて観たのですが、その出来の良さにぶっ飛んでしまいました。これはもっと早く観ておくべきでした。
「七つの大罪」に絡めての、おぞましい殺人の数々(犠牲者の特殊メイクを手がけたのは、多くの作品で活躍した特殊メイクアーティストのロブ・ボッティン)と、あまりにもヘビーなクライマックスに戦慄させられながらも、そのダークな世界観には強く惹かれるものがありました。
特に印象に残ったのは、クライマックス直前のやりとりでした。自首して逮捕された連続殺人犯「ジョン・ドウ」(ケヴィン・スペイシーの怪演が光ります)が、主人公2人とともに車で移動しているとき、「お前は罪のない人たちを殺した」と迫るミルズに対し、ジョンは自らの「正当性」を縷々主張したあと、こう続けるのです(以下、字幕をもとに句読点を補いました)
「問題は、もっと普通にある人々の罪だ。我々は、それを許してる。それが日常で、些細なことだから。朝から晩まで許してる。だが、もう許されぬ」
残忍な連続殺人犯の、いささか誇大妄想的な自己正当化ともとれるのですが、それでもこのセリフには重い問いかけがあるように、わたしには思えてなりませんでした。一見「普通」に思える「罪のない」人たちも、実は何らかの「罪」や「悪」とは無縁ではないのではないのか?それらが日常の些細なことであるがゆえに許され、意識されることすらないだけで・・・。
戦慄の物語に込められた、「罪」についての重く、挑戦的な問いかけ。その意味においても、『セブン』は単なるサイコスリラーとは一線を画する傑作だと思いました。