『老人の美学』
筒井康隆著、新潮社(新潮新書)、2019年
御年85歳の筒井康隆さんが、周囲や社会と付き合っていく上での己の律しかたや、死と向き合う心構えを、『敵』や『わたしのグランパ』などの自作を引き合いにしつつ語っていく老年論です。
本書の中でとりわけ気持ちに響いたのは、ひとりでできることを無心に行うことの必要性を説いているところでした。
御年85歳の筒井康隆さんが、周囲や社会と付き合っていく上での己の律しかたや、死と向き合う心構えを、『敵』や『わたしのグランパ』などの自作を引き合いにしつつ語っていく老年論です。
本書の中でとりわけ気持ちに響いたのは、ひとりでできることを無心に行うことの必要性を説いているところでした。
筒井さんは、かなり以前に付き合いがあったものの、その後長らく会うこともなかった出版社の編集者が、退職後になって突然、筒井さんと話したいというだけの理由で一方的に、朗読劇の楽屋へと押しかけてきた・・・というエピソードを語ります。そして、仕事がなく、何もすることがなく、誰も訪ねてこないまま、一日中家の中で過ごす境遇のつらさは想像に余りある、としつつも、このように述べます。
「寂しさのあまり毎晩のように居酒屋へ行ったり、暇を持てあましてパチンコなどに通ったりして老後の蓄えを次第に失っていく愚かしさは、自らを律している老人とは無縁のものである」
「仕事をしなくてもすむ境遇になった人の仕事は、孤独に耐えることである」
確かに、社会的なつながりを保つことも、生きていく上では大事ではありますが、それを当たり前だと思い込み、依存することは危険なことでもあります。それらの社会的なつながりにしても、未来永劫変わらず続くわけではありませんし、人間はいずれ、一人で死んでいかなければならないのですから。
これからは、社会的なつながりをできるだけ保ちつつも、一人で過ごす時間を楽しく、充実したものにするための知恵と工夫を見出していくことが大切だなあ、とつくづく思った次第であります。
死との向き合い方について述べた章にあった以下の言葉も、すごく気持ちに響きました。
「死への向き合い方は人によって千差万別であり、人生の最晩年を不機嫌に過ごすか、楽しく陽気に迎えるかもあなた次第なのである」
死を前にしたときどのような精神状態となるのか、今のわたしにはまったく想像がつきません。ですが、そのときになってもなるべくなら、不機嫌に過ごすよりも楽しくありたい、という思いはあります。そのためにも、一人でいる時間を充実させるための知恵を身につけておきたい、そう思うのです。
「老人」と言われるような年齢までは長い時間がありますし、まだまだ若いつもりでいるわたしではございますが、月日の経つのは早いもの。今から少しずつではあっても、「老人」となったときに向けての心構えを持つようにしなければ・・・と思わせてくれる一冊でありました。
「老人」と言われるような年齢までは長い時間がありますし、まだまだ若いつもりでいるわたしではございますが、月日の経つのは早いもの。今から少しずつではあっても、「老人」となったときに向けての心構えを持つようにしなければ・・・と思わせてくれる一冊でありました。