大分への旅、2日目である2月11日(日曜)の朝。別府をあとにしたわたしは、久大本線に乗って日田市へと向かうべく、大分駅のホームにおりました。
前日はイマイチだった天気も、この日の朝にはだいぶ持ち直しておりましたが、そのかわり気温のほうはググーッと冷え込んでおりました。日田行きの列車を待つ大分駅のホームにも寒風が吹いていて、わたしはかじかむ手をポケットに入れつつ凍えておりました。
寒風に凍えながらも、気持ちのほうは暖かでありました。そんな気持ちにさせてくれたのは、別府から大分駅までの移動で乗った普通列車の車体でした。そこには、昨年9月の台風による土砂崩れや冠水による被害で一部区間が不通となりながらも、年末までには復旧し全線での運行が再開された、日豊本線へ寄せられた手書きのメッセージがラッピングされておりました。
それらのメッセージからは、地域の人びとにとって、鉄道がいかに大事な交通インフラになっているのかが伝わってきて、なんだかジンとくるものがありました。そして、地元である佐伯市や津久見市を愛する熱い思いも、またじんわりと伝わってまいりました。経営的にはいろいろと大変な中で、災害からの復旧に尽力しているJR九州の努力には敬意を払いつつ、これからも鉄道を必要としている沿線住民の利便性には最大限の配慮をしていただけたら・・・と願うのであります。
暖かになった気持ちとともに、ホームに入ってきた日田行きの特急列車に乗り込んだわたしでありました。
日田を訪れるのも20年ぶりくらいなのですが、思えば久大本線に乗り込むのもまた、ずいぶん久しぶりのことでありました。
以前はこの久大本線に乗り込み、毎年のように湯布院に出かけていた時期がございました。まあ湯布院といえば、どちらかといえば一人旅派よりは団体客や家族連れ、はたまたカップルといった “リア充” な皆さまの聖地、といった観がありますが、恵まれた自然に囲まれた温泉郷、といった雰囲気はけっこうお気に入りでありました。個性のある飲食店やお土産屋さんに立ち寄ったりするのも、また楽しいものでありました。その頃からずいぶん経っておりますので、湯布院もだいぶ、雰囲気が変わっているのでありましょうか。なんだか久しぶりに、湯布院にも立ち寄ってみたいという気がいたしますが・・・。
その湯布院に近づくにつれ、列車の窓から眺める景色にところどころ、雪が残っているのを目にいたしました。そして、列車が湯布院に停車したときに外を見ると・・・なんとホームには雪がちらほらと舞っているではありませんか。冬でもめったに雪が降らず、降ったとしてもすぐに止んで積もることのないという南国宮崎で生まれ育ったわたしは、雪の舞う風景自体に軽いコーフンを覚えたのであります。おお、やはり内陸に行くにつれて、冷え込みも強くなるということなのか。
事実、湯布院を出て内陸へ進むにつれ、窓の外に見える風景に残る雪の量が徐々に増えていくのがわかりました。これは日田もけっこう、冷え込みが強そうだのう・・・。
日田まであと少し、というところで、川に沿うように立ち並ぶホテルや旅館が見えてまいりました。玖珠川沿いの温泉郷、天ヶ瀬温泉であります。ここにも以前、立ち寄ったことがございました。・・・川のすぐそばにある露天風呂がよかったなあ。しかも混浴の。まあ、オレが入ったときには女の人はいなかったけど、川の流れを間近で感じながらの入浴は最高に気分良かったなあ。でも、温泉から上がってしばらくしてから近くを通ったら女の人がグループで入ってて、ちょっぴり悔しかったなあ。うまくはいかないもんだのう・・・。
とまあ、そんなことをあれこれ思い返していたりするうちに、終点の日田駅に到着いたしました。本来ならば、九大線はここから福岡の久留米まで伸びているのですが、昨年の九州北部豪雨により、日田を流れる花月川にかかっていた橋が流されてしまい、現在は不通区間でバスによる代行輸送が行われております。
降り立った日田駅の駅舎は真新しく、杉のいい香りが漂っておりました。どうやら、ご当地特産の日田杉がふんだんに使われているようであります。
駅舎から外に出ると・・・いやー、やっぱりけっこうな寒さでありました。ここは歩き回ってカラダを暖かくしなければと、江戸の街並みが残る豆田町まで歩いて行くことにいたしました。豆田町までは1.2キロほど。歩けない距離ではございません。
豆田町も、昨年の豪雨のときには浸水被害があったと聞いておりました。久しぶりの豆田町訪問を楽しみにしつつも、はたして今はどうなっているのだろうか・・・と、いささか気がかりでもありました。
日田駅から歩くことしばし。交差点に立つ信号機横に「淡窓一丁目」との地名表示が。
「淡窓」とは、幕末に私塾「咸宜園」(かんぎえん)を日田に設けて数多くの人材を輩出させた廣瀬淡窓のことで、咸宜園もここから近いところにございます。さすがは日田を代表する偉人、地名にまでなっているんだなあ。
そこからさらに奥へと進むと・・・見えてまいりましたよ、豆田の街並みが。
さほど広くはない道沿いに立ち並ぶ、昔をしのばせる町屋の数々。久しぶりに目にするそれらの風情が、わたしの心を一気に江戸へと引き込んでくれました。
ただ、国指定の重要文化財にも指定されている、元禄の頃に創建された豪商の屋敷「草野本家」は、「平成の大修理」の真っ最中ということで、屋敷の本体には覆いがかけられていて、残念ながら外から見ることはできませんでした。しかし、覆いがかかっていない建物の一部から、昔の面影をしのぶことができました。
・・・それにしても、思っていた以上に厳しい冷え込みでありました。生まれも育ちも南国な上に、人一倍暑がりでもあるわたしは、今回の旅でもそれほど着込んでいたわけではなかったのですが・・・うーむ、これならもうちょい厚着して来ればよかったのう。
ちょっとだけ寒さを避けるとするか、ということで、町屋の中にある「天領日田はきもの資料館」に立ち寄ることにいたしました。一階が、特産の日田杉で作る「日田下駄」の直売所になっていて、入り口を入るとそこには、高さ4メートル、幅2メートルにおよぶ「日本一の杉げた」が、どどーんと鎮座ましましておりました。
入場料100円を箱に入れ、二階にある資料館に入ると、そこには日田下駄をはじめとして、さまざまな下駄がふんだんに展示されておりました。凝った彩色の美しい逸品から、学校のトイレでおなじみだった日用の下駄まで、形状も用途も多種多様。中には花魁道中のときに履かれていた高下駄や、底に氷の上を滑るためのブレード(刃)がつけられたスケート下駄といった変わり種も。
そして資料館の一角には、なんと「天領日田下駄神社」なる社殿(?)が。「ご利益」が列挙された札に「旅行の安全」とありましたので、ささやかながらお賽銭を投げ入れて、日田での旅がいいものとなるようにお祈りしてまいりました。
「はきもの資料館」に隣接している「日田創作和紙人形会館」には、廣瀬淡窓の生い立ちや事績をテーマにした和紙人形作品の数々が展示されているのですが、その作り込みの細かさはため息もので、まるでリアルなジオラマを見ているかのようでした。
それら和紙人形の作品紹介の中に、かつての日田は「九州の北海道」といわれるくらい寒さが厳しかった、という文言がありました。ああ、日田ってやっぱり、寒い場所だったんだなあ。
廣瀬淡窓に関する作品のほかに、明治のはじめに日田に設立された「日田養育館」を再現した作品もいくつかございました。説明文によれば、豪商や医師、産婆などからの拠出金と労務奉仕(ボランティア)によって運営され、360余名の棄児・孤児・貧児が養育されたこの養育館は、全国最初の公的養育施設だったのだとか。天領日田には、そのような社会福祉の歴史もあったということをこれで初めて知り、ちょっと感銘を受けました。
「はきもの博物館」を出て町歩きを再開すると、どこかからカレーのいい匂いがしてまいりました。匂いのもとをたどると、「福爺」なるちょっと変わったお名前のお店が。中を覗くとお店の方が「どうぞ見ていってください」とおっしゃるので、ちょっと入ってみることにいたしました。ドレッシングや鍋料理のタレ、そしてカレーを製造販売しておられるお店でした。
「よろしかったら試食を」と、匂いのもととなっていたカレーを味わってみると、これがなかなかの美味しさ。スパイシーだけど、どこか懐かしさも覚えるようでいい感じでした。鍋料理のタレで煮込んだスープもけっこういけました。
よし、まずはここでお買い物しておこう、ということで、辛口カレーのレトルトを今回のお土産第1号として購入いたしました。旅から帰って自宅で味わってみるとやはり美味しくて、あっという間に平らげたのでありました。うう、ちょっとまとめ買いしときゃよかったなあ。
並行した二本の通りを中心にして、碁盤の目のように区画された豆田の街並み。横丁にもまた、風情のある建物が立ち並んでおります。
ここはちょっと、お茶かコーヒー、あるいは甘酒でも飲んでカラダを暖めたいのう・・・ということで、わたしは横丁にある小さな和風のカフェ「なぎの風」に立ち寄ることにいたしました。表に出していたメニューに「コーヒー」「甘酒」とあったので、そのどちらかを飲もうかな、と最初は思ったのですが、その下にあった「日田産ぶどうジュース」に惹かれるものがあり、お店に入るととっさに「ぶどうジュースください!」とお店の女性に申し上げました。
お店の方はちょっと呆気にとられた表情で「あ・・・えーと、ぶどうジュースでよろしいんですか?」と聞き返してこられました。そりゃそうだろうなあ。外はけっこうな寒さでしたし、お店にいた先客2組はいずれも、コーヒーかなにかの暖かいものをお召し上がりになっておられましたから、そんなときに冷たい飲みものの注文というのは意表を突かれたことでありましょう。
やがて、目の前に氷を入れた、いかにも清涼感のあるぶどうジュースが運ばれてまいりました。お店の方は「冷たいですから、少しずつゆっくりお飲みくださいね」と、気遣いあふれるお言葉をかけてくださいました。
飲んでみると、芳醇な甘みが口いっぱいに広がって、まるでワインを味わっているかのよう。あまりの美味しさに、少しずつゆっくり飲むつもりがたちまちのうちに飲み干してしまいました。なんせ喉が渇いてもいたもので・・・。日田産のぶどう、かなりの実力者でありますねえ。
お会計のとき、わたしが宮崎から来たということをお話すると、お店の方は、
「そうでしたか!さきほど、やはり宮崎から来たという人がいらっしゃいましたよ」
とおっしゃいました。おお、わが宮崎からもしっかり、日田に観光に来られる方がおられるんだなあ。なんだかちょっと、嬉しい気持ちになりました。
豪雨の時にはこのあたりも浸水したんですか、と伺ってみると、お店の方はひざ下あたりを指しながら、
「だいたいこのあたりまで水に浸かってしまいましたねえ。店の中も泥だらけになって、あとで掻き出すのが大変でした・・・」
と、当時のようすを話してくださいました。ああ、やっぱり大変な状況だったんだなあ。でも、お店の方はこう続けました。
「でも、ここも含めてほとんどのお店が再開できましたし、こうやって観光に来てくださる人もたくさんいて、ありがたいと思いますねえ」
豪雨による影響が気になっていた豆田町でしたが、町の皆さんはそこからしっかり、立ち上がっておられることがわかってきて、その心意気にさらに嬉しい気持ちになってまいりました。土砂崩れによって大きな被害を受けた山あいの地域や、橋が流されて不通の区間がある久大本線も、これから復旧、復興が進んでいくことを願ってやまないのであります。
「なぎの風」を出て外を歩くと、空から雪がちらついてまいりました。ちょいと冷えはするのですが、昔をしのばせる街並みに降る雪は、それはそれでなかなか、風情を感じさせてくれました。
そして、雪の降る豆田の通りには、家族連れやカップル、はたまた団体さんなどの観光客が行き交い、けっこう賑わいを見せていたのでありました。
次回は豆田町でのお昼ごはんや、お楽しみの夜呑みのことなど、美味しいお噂を中心にお伝えすることにいたします。
(第3回に続く)
国指定重要文化財・草野本家公式ホームページ→ http://www.kusanohonke.jp/index.html
天領日田はきもの資料館/足駄や ホームページ→ http://getamuseum.com/
豆田町「福爺」の紹介記事→ ブログ「Rnyossy (よしい らどん)の楽しい生活日記」 https://ameblo.jp/rnyossy/entry-12138477596.html
カフェ「なぎの風」の紹介→日田市観光協会のホームページ https://www.oidehita.com/25688.html
前日はイマイチだった天気も、この日の朝にはだいぶ持ち直しておりましたが、そのかわり気温のほうはググーッと冷え込んでおりました。日田行きの列車を待つ大分駅のホームにも寒風が吹いていて、わたしはかじかむ手をポケットに入れつつ凍えておりました。
寒風に凍えながらも、気持ちのほうは暖かでありました。そんな気持ちにさせてくれたのは、別府から大分駅までの移動で乗った普通列車の車体でした。そこには、昨年9月の台風による土砂崩れや冠水による被害で一部区間が不通となりながらも、年末までには復旧し全線での運行が再開された、日豊本線へ寄せられた手書きのメッセージがラッピングされておりました。
それらのメッセージからは、地域の人びとにとって、鉄道がいかに大事な交通インフラになっているのかが伝わってきて、なんだかジンとくるものがありました。そして、地元である佐伯市や津久見市を愛する熱い思いも、またじんわりと伝わってまいりました。経営的にはいろいろと大変な中で、災害からの復旧に尽力しているJR九州の努力には敬意を払いつつ、これからも鉄道を必要としている沿線住民の利便性には最大限の配慮をしていただけたら・・・と願うのであります。
暖かになった気持ちとともに、ホームに入ってきた日田行きの特急列車に乗り込んだわたしでありました。
日田を訪れるのも20年ぶりくらいなのですが、思えば久大本線に乗り込むのもまた、ずいぶん久しぶりのことでありました。
以前はこの久大本線に乗り込み、毎年のように湯布院に出かけていた時期がございました。まあ湯布院といえば、どちらかといえば一人旅派よりは団体客や家族連れ、はたまたカップルといった “リア充” な皆さまの聖地、といった観がありますが、恵まれた自然に囲まれた温泉郷、といった雰囲気はけっこうお気に入りでありました。個性のある飲食店やお土産屋さんに立ち寄ったりするのも、また楽しいものでありました。その頃からずいぶん経っておりますので、湯布院もだいぶ、雰囲気が変わっているのでありましょうか。なんだか久しぶりに、湯布院にも立ち寄ってみたいという気がいたしますが・・・。
その湯布院に近づくにつれ、列車の窓から眺める景色にところどころ、雪が残っているのを目にいたしました。そして、列車が湯布院に停車したときに外を見ると・・・なんとホームには雪がちらほらと舞っているではありませんか。冬でもめったに雪が降らず、降ったとしてもすぐに止んで積もることのないという南国宮崎で生まれ育ったわたしは、雪の舞う風景自体に軽いコーフンを覚えたのであります。おお、やはり内陸に行くにつれて、冷え込みも強くなるということなのか。
事実、湯布院を出て内陸へ進むにつれ、窓の外に見える風景に残る雪の量が徐々に増えていくのがわかりました。これは日田もけっこう、冷え込みが強そうだのう・・・。
日田まであと少し、というところで、川に沿うように立ち並ぶホテルや旅館が見えてまいりました。玖珠川沿いの温泉郷、天ヶ瀬温泉であります。ここにも以前、立ち寄ったことがございました。・・・川のすぐそばにある露天風呂がよかったなあ。しかも混浴の。まあ、オレが入ったときには女の人はいなかったけど、川の流れを間近で感じながらの入浴は最高に気分良かったなあ。でも、温泉から上がってしばらくしてから近くを通ったら女の人がグループで入ってて、ちょっぴり悔しかったなあ。うまくはいかないもんだのう・・・。
とまあ、そんなことをあれこれ思い返していたりするうちに、終点の日田駅に到着いたしました。本来ならば、九大線はここから福岡の久留米まで伸びているのですが、昨年の九州北部豪雨により、日田を流れる花月川にかかっていた橋が流されてしまい、現在は不通区間でバスによる代行輸送が行われております。
降り立った日田駅の駅舎は真新しく、杉のいい香りが漂っておりました。どうやら、ご当地特産の日田杉がふんだんに使われているようであります。
駅舎から外に出ると・・・いやー、やっぱりけっこうな寒さでありました。ここは歩き回ってカラダを暖かくしなければと、江戸の街並みが残る豆田町まで歩いて行くことにいたしました。豆田町までは1.2キロほど。歩けない距離ではございません。
豆田町も、昨年の豪雨のときには浸水被害があったと聞いておりました。久しぶりの豆田町訪問を楽しみにしつつも、はたして今はどうなっているのだろうか・・・と、いささか気がかりでもありました。
日田駅から歩くことしばし。交差点に立つ信号機横に「淡窓一丁目」との地名表示が。
「淡窓」とは、幕末に私塾「咸宜園」(かんぎえん)を日田に設けて数多くの人材を輩出させた廣瀬淡窓のことで、咸宜園もここから近いところにございます。さすがは日田を代表する偉人、地名にまでなっているんだなあ。
そこからさらに奥へと進むと・・・見えてまいりましたよ、豆田の街並みが。
さほど広くはない道沿いに立ち並ぶ、昔をしのばせる町屋の数々。久しぶりに目にするそれらの風情が、わたしの心を一気に江戸へと引き込んでくれました。
ただ、国指定の重要文化財にも指定されている、元禄の頃に創建された豪商の屋敷「草野本家」は、「平成の大修理」の真っ最中ということで、屋敷の本体には覆いがかけられていて、残念ながら外から見ることはできませんでした。しかし、覆いがかかっていない建物の一部から、昔の面影をしのぶことができました。
・・・それにしても、思っていた以上に厳しい冷え込みでありました。生まれも育ちも南国な上に、人一倍暑がりでもあるわたしは、今回の旅でもそれほど着込んでいたわけではなかったのですが・・・うーむ、これならもうちょい厚着して来ればよかったのう。
ちょっとだけ寒さを避けるとするか、ということで、町屋の中にある「天領日田はきもの資料館」に立ち寄ることにいたしました。一階が、特産の日田杉で作る「日田下駄」の直売所になっていて、入り口を入るとそこには、高さ4メートル、幅2メートルにおよぶ「日本一の杉げた」が、どどーんと鎮座ましましておりました。
入場料100円を箱に入れ、二階にある資料館に入ると、そこには日田下駄をはじめとして、さまざまな下駄がふんだんに展示されておりました。凝った彩色の美しい逸品から、学校のトイレでおなじみだった日用の下駄まで、形状も用途も多種多様。中には花魁道中のときに履かれていた高下駄や、底に氷の上を滑るためのブレード(刃)がつけられたスケート下駄といった変わり種も。
そして資料館の一角には、なんと「天領日田下駄神社」なる社殿(?)が。「ご利益」が列挙された札に「旅行の安全」とありましたので、ささやかながらお賽銭を投げ入れて、日田での旅がいいものとなるようにお祈りしてまいりました。
「はきもの資料館」に隣接している「日田創作和紙人形会館」には、廣瀬淡窓の生い立ちや事績をテーマにした和紙人形作品の数々が展示されているのですが、その作り込みの細かさはため息もので、まるでリアルなジオラマを見ているかのようでした。
それら和紙人形の作品紹介の中に、かつての日田は「九州の北海道」といわれるくらい寒さが厳しかった、という文言がありました。ああ、日田ってやっぱり、寒い場所だったんだなあ。
廣瀬淡窓に関する作品のほかに、明治のはじめに日田に設立された「日田養育館」を再現した作品もいくつかございました。説明文によれば、豪商や医師、産婆などからの拠出金と労務奉仕(ボランティア)によって運営され、360余名の棄児・孤児・貧児が養育されたこの養育館は、全国最初の公的養育施設だったのだとか。天領日田には、そのような社会福祉の歴史もあったということをこれで初めて知り、ちょっと感銘を受けました。
「はきもの博物館」を出て町歩きを再開すると、どこかからカレーのいい匂いがしてまいりました。匂いのもとをたどると、「福爺」なるちょっと変わったお名前のお店が。中を覗くとお店の方が「どうぞ見ていってください」とおっしゃるので、ちょっと入ってみることにいたしました。ドレッシングや鍋料理のタレ、そしてカレーを製造販売しておられるお店でした。
「よろしかったら試食を」と、匂いのもととなっていたカレーを味わってみると、これがなかなかの美味しさ。スパイシーだけど、どこか懐かしさも覚えるようでいい感じでした。鍋料理のタレで煮込んだスープもけっこういけました。
よし、まずはここでお買い物しておこう、ということで、辛口カレーのレトルトを今回のお土産第1号として購入いたしました。旅から帰って自宅で味わってみるとやはり美味しくて、あっという間に平らげたのでありました。うう、ちょっとまとめ買いしときゃよかったなあ。
並行した二本の通りを中心にして、碁盤の目のように区画された豆田の街並み。横丁にもまた、風情のある建物が立ち並んでおります。
ここはちょっと、お茶かコーヒー、あるいは甘酒でも飲んでカラダを暖めたいのう・・・ということで、わたしは横丁にある小さな和風のカフェ「なぎの風」に立ち寄ることにいたしました。表に出していたメニューに「コーヒー」「甘酒」とあったので、そのどちらかを飲もうかな、と最初は思ったのですが、その下にあった「日田産ぶどうジュース」に惹かれるものがあり、お店に入るととっさに「ぶどうジュースください!」とお店の女性に申し上げました。
お店の方はちょっと呆気にとられた表情で「あ・・・えーと、ぶどうジュースでよろしいんですか?」と聞き返してこられました。そりゃそうだろうなあ。外はけっこうな寒さでしたし、お店にいた先客2組はいずれも、コーヒーかなにかの暖かいものをお召し上がりになっておられましたから、そんなときに冷たい飲みものの注文というのは意表を突かれたことでありましょう。
やがて、目の前に氷を入れた、いかにも清涼感のあるぶどうジュースが運ばれてまいりました。お店の方は「冷たいですから、少しずつゆっくりお飲みくださいね」と、気遣いあふれるお言葉をかけてくださいました。
飲んでみると、芳醇な甘みが口いっぱいに広がって、まるでワインを味わっているかのよう。あまりの美味しさに、少しずつゆっくり飲むつもりがたちまちのうちに飲み干してしまいました。なんせ喉が渇いてもいたもので・・・。日田産のぶどう、かなりの実力者でありますねえ。
お会計のとき、わたしが宮崎から来たということをお話すると、お店の方は、
「そうでしたか!さきほど、やはり宮崎から来たという人がいらっしゃいましたよ」
とおっしゃいました。おお、わが宮崎からもしっかり、日田に観光に来られる方がおられるんだなあ。なんだかちょっと、嬉しい気持ちになりました。
豪雨の時にはこのあたりも浸水したんですか、と伺ってみると、お店の方はひざ下あたりを指しながら、
「だいたいこのあたりまで水に浸かってしまいましたねえ。店の中も泥だらけになって、あとで掻き出すのが大変でした・・・」
と、当時のようすを話してくださいました。ああ、やっぱり大変な状況だったんだなあ。でも、お店の方はこう続けました。
「でも、ここも含めてほとんどのお店が再開できましたし、こうやって観光に来てくださる人もたくさんいて、ありがたいと思いますねえ」
豪雨による影響が気になっていた豆田町でしたが、町の皆さんはそこからしっかり、立ち上がっておられることがわかってきて、その心意気にさらに嬉しい気持ちになってまいりました。土砂崩れによって大きな被害を受けた山あいの地域や、橋が流されて不通の区間がある久大本線も、これから復旧、復興が進んでいくことを願ってやまないのであります。
「なぎの風」を出て外を歩くと、空から雪がちらついてまいりました。ちょいと冷えはするのですが、昔をしのばせる街並みに降る雪は、それはそれでなかなか、風情を感じさせてくれました。
そして、雪の降る豆田の通りには、家族連れやカップル、はたまた団体さんなどの観光客が行き交い、けっこう賑わいを見せていたのでありました。
次回は豆田町でのお昼ごはんや、お楽しみの夜呑みのことなど、美味しいお噂を中心にお伝えすることにいたします。
(第3回に続く)
国指定重要文化財・草野本家公式ホームページ→ http://www.kusanohonke.jp/index.html
天領日田はきもの資料館/足駄や ホームページ→ http://getamuseum.com/
豆田町「福爺」の紹介記事→ ブログ「Rnyossy (よしい らどん)の楽しい生活日記」 https://ameblo.jp/rnyossy/entry-12138477596.html
カフェ「なぎの風」の紹介→日田市観光協会のホームページ https://www.oidehita.com/25688.html