NHKスペシャル 東日本大震災『“津波の海”を潜る ~三陸・破壊と回復の5年間~』
初回放送=2015年10月31日(土)午後9時00分~9時49分 NHK総合
キャスター=鎌田靖
語り=渡邊佐和子
製作=NHK仙台放送局
かつては豊かな環境と、そこで育まれた良質の海の幸で知られていた三陸の海。4年前の東日本大震災による巨大津波は、その豊かな三陸の海にも、計り知れないダメージを与えました。
巨大津波は、海の生きものと生態系にどのような影響を与えたのか。そして、震災から4年半以上が経ち、海はどのように変化してきているのか。この番組は、各分野の研究者たちによる地道な調査、研究によりわかってきた知見を、現地の水中映像とともに伝えたものでした。
岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)湾。ここもかつては豊かな漁場でしたが、震災から2ヶ月後の海底には、沈んだ漁船や車などの大量の被災材(いわゆる「がれき」)が、浅いところから深いところにまで広がっていました。
かつて、越喜来湾の海底に生い茂っていた海藻の一種「アマモ」は津波により根こそぎ剥ぎ取られ、アマモ場を食料確保や繁殖の場にしていた魚たちも姿を消していました。魚の数は、震災前の13分の1にまで減少してしまっていました。
海底の地形を調査すると、そこには数多くのクレーターができていて、大きなものでは直径が3メートルほどにも及んでいました。その中でも特に大きい、10メートルのクレーターがある場所に潜ると、そこには陸上から運ばれてきた堤防の一部が。
調査にあたった東海大学の研究者は、「普通、自然の力でこのような窪みができることはあり得ない」と言います。海底に構造物があると、津波の強い流れにより海底がえぐられる「乱流」という現象が起きるといい、深いところでは10メートルにも及ぶ窪みができたのだとか。
津波により運ばれ、海底に堆積した砂の層も、海に大きな影響を与えていました。同じく岩手県の大槌湾では、最大で1メートルになる砂の層が海底に堆積していました。浅瀬で巻き上げられた砂は、最大時速30㎞の流れに運ばれ、浅瀬から離れた深い海底にまで広がっていたのです。それが海藻の生育を妨げ、海藻の繁茂する場を生活の場としていた生きものを減らすことになったのです。
宮城県南三陸町の志津川湾。「アラメ」という海藻の繁茂している場所の向こうには、海底が真っ白になっている光景が広がっていました。「磯焼け」とよばれる海の砂漠化現象です。そこでは大量のウニが繁殖し、アラメを食い荒らしていました。ウニの天敵であったヒトデやヤドカリが津波でいなくなり、流されずに済んだウニが繁殖。産卵数が500万から1000万にもなるというウニが、爆発的に数を増やしたことでアラメが食い荒らされ、「磯焼け」につながった、というのです。数少ない食料を奪い合うかたちとなったウニも、通常より中身はスカスカとなっていました。
調査にあたっている東北大学の研究者は、「アワビが痩せたり、魚がいなくなる現象が並行して起こっている」「想定できなかった事態で、今回初めて見る現象」と語ります。
津波により大きなダメージを受けた三陸の海。しかし、着実に回復してきている実情も見えてきました。
魚の数が13分の1にまで減った大船渡市の越喜来湾。今月(10月)に撮影された水中映像では、水深1メートルのところにあるコンクリートの上に、広大なアマモ場ができていました。その広さはおよそ、テニスコート12面分。
そこにはまた、大小の魚たちの姿もありました。メジナの群れ、アイナメ、「コモンカスベ」というエイの仲間、ヒラメ、そして数万にも及ぶアジの群れ・・・。震災前には50種類いたという、越喜来湾の魚の8割が回復してきているとか。調査にあたる東北大学の研究者は、「自然の回復力は強いし、また着実に回復してきている」と語ります。
南三陸町の志津川湾も、かつての広大なアマモ場が津波により半分にまで減りましたが、こちらも震災前の8割にまで回復してきていました。津波の及ぶ力が弱かった場所に生えていたため、流されなかったアマモの地下茎から根が伸びていき、ゆっくりとながら回復につながったといいます。また、志津川湾でのカキやホタテ、サケの養殖も、震災前の4~9割に回復してきているとか。
志津川湾で調査にあたる北海道大学の研究者は、現地の「栄養塩」(窒素やリン)の豊かさを指摘します。栄養塩は内陸から雨水に乗って運ばれてくるほか、親潮に乗って北の海域からも志津川湾に集まってきます。それら栄養塩の量は、なんと震災の前と後でも変化がない、というのです。「本当に復元力があるというのが、海の生物が持っている能力」と、その研究者は語ります。
今月。志津川湾にサケが戻ってきていました。震災の翌年に繁殖場で生まれ、外海で育ったサケは、震災により激変したはずの生まれ故郷たる志津川湾にちゃんと戻り、川に遡上して産卵に励んでいました。
津波で父親を亡くし、家とカキの養殖施設も失い、「もうダメだと思った」という絶望の中から再起した地元の漁師さんは、戻ってきた大きなサケを見て、こう語りました。
「こういうふうに再会できたことがうれしい。やっぱり自然に生かされてるからね、海の仕事は。自然にやられることもあれば、生かされることもあるけれど、生かされている実感のほうが強い。海は津波で死ななかった」
あの巨大津波が、いかに大きなダメージを海とそこに生きる生きものたちに与えたのか。その実態とメカニズムを詳しく知り、あらためてその恐ろしさに慄然といたしました。しかし、そこから回復していく力の強さと巧みさにも、ただただ唸らされるばかりでした。
牙を向いて破壊する力の大きさと、そこから回復していくたくましさと巧みさをあわせ持った自然。人知を遥かに超えるそれに振り回されながらも、正面から向き合っていこうとする研究者、そして海に生きる漁師さん。それらの方々の、自然に対する謙虚な姿勢にもまた、学ぶところが多くあったように思いました。
初回放送=2015年10月31日(土)午後9時00分~9時49分 NHK総合
キャスター=鎌田靖
語り=渡邊佐和子
製作=NHK仙台放送局
かつては豊かな環境と、そこで育まれた良質の海の幸で知られていた三陸の海。4年前の東日本大震災による巨大津波は、その豊かな三陸の海にも、計り知れないダメージを与えました。
巨大津波は、海の生きものと生態系にどのような影響を与えたのか。そして、震災から4年半以上が経ち、海はどのように変化してきているのか。この番組は、各分野の研究者たちによる地道な調査、研究によりわかってきた知見を、現地の水中映像とともに伝えたものでした。
岩手県大船渡市の越喜来(おきらい)湾。ここもかつては豊かな漁場でしたが、震災から2ヶ月後の海底には、沈んだ漁船や車などの大量の被災材(いわゆる「がれき」)が、浅いところから深いところにまで広がっていました。
かつて、越喜来湾の海底に生い茂っていた海藻の一種「アマモ」は津波により根こそぎ剥ぎ取られ、アマモ場を食料確保や繁殖の場にしていた魚たちも姿を消していました。魚の数は、震災前の13分の1にまで減少してしまっていました。
海底の地形を調査すると、そこには数多くのクレーターができていて、大きなものでは直径が3メートルほどにも及んでいました。その中でも特に大きい、10メートルのクレーターがある場所に潜ると、そこには陸上から運ばれてきた堤防の一部が。
調査にあたった東海大学の研究者は、「普通、自然の力でこのような窪みができることはあり得ない」と言います。海底に構造物があると、津波の強い流れにより海底がえぐられる「乱流」という現象が起きるといい、深いところでは10メートルにも及ぶ窪みができたのだとか。
津波により運ばれ、海底に堆積した砂の層も、海に大きな影響を与えていました。同じく岩手県の大槌湾では、最大で1メートルになる砂の層が海底に堆積していました。浅瀬で巻き上げられた砂は、最大時速30㎞の流れに運ばれ、浅瀬から離れた深い海底にまで広がっていたのです。それが海藻の生育を妨げ、海藻の繁茂する場を生活の場としていた生きものを減らすことになったのです。
宮城県南三陸町の志津川湾。「アラメ」という海藻の繁茂している場所の向こうには、海底が真っ白になっている光景が広がっていました。「磯焼け」とよばれる海の砂漠化現象です。そこでは大量のウニが繁殖し、アラメを食い荒らしていました。ウニの天敵であったヒトデやヤドカリが津波でいなくなり、流されずに済んだウニが繁殖。産卵数が500万から1000万にもなるというウニが、爆発的に数を増やしたことでアラメが食い荒らされ、「磯焼け」につながった、というのです。数少ない食料を奪い合うかたちとなったウニも、通常より中身はスカスカとなっていました。
調査にあたっている東北大学の研究者は、「アワビが痩せたり、魚がいなくなる現象が並行して起こっている」「想定できなかった事態で、今回初めて見る現象」と語ります。
津波により大きなダメージを受けた三陸の海。しかし、着実に回復してきている実情も見えてきました。
魚の数が13分の1にまで減った大船渡市の越喜来湾。今月(10月)に撮影された水中映像では、水深1メートルのところにあるコンクリートの上に、広大なアマモ場ができていました。その広さはおよそ、テニスコート12面分。
そこにはまた、大小の魚たちの姿もありました。メジナの群れ、アイナメ、「コモンカスベ」というエイの仲間、ヒラメ、そして数万にも及ぶアジの群れ・・・。震災前には50種類いたという、越喜来湾の魚の8割が回復してきているとか。調査にあたる東北大学の研究者は、「自然の回復力は強いし、また着実に回復してきている」と語ります。
南三陸町の志津川湾も、かつての広大なアマモ場が津波により半分にまで減りましたが、こちらも震災前の8割にまで回復してきていました。津波の及ぶ力が弱かった場所に生えていたため、流されなかったアマモの地下茎から根が伸びていき、ゆっくりとながら回復につながったといいます。また、志津川湾でのカキやホタテ、サケの養殖も、震災前の4~9割に回復してきているとか。
志津川湾で調査にあたる北海道大学の研究者は、現地の「栄養塩」(窒素やリン)の豊かさを指摘します。栄養塩は内陸から雨水に乗って運ばれてくるほか、親潮に乗って北の海域からも志津川湾に集まってきます。それら栄養塩の量は、なんと震災の前と後でも変化がない、というのです。「本当に復元力があるというのが、海の生物が持っている能力」と、その研究者は語ります。
今月。志津川湾にサケが戻ってきていました。震災の翌年に繁殖場で生まれ、外海で育ったサケは、震災により激変したはずの生まれ故郷たる志津川湾にちゃんと戻り、川に遡上して産卵に励んでいました。
津波で父親を亡くし、家とカキの養殖施設も失い、「もうダメだと思った」という絶望の中から再起した地元の漁師さんは、戻ってきた大きなサケを見て、こう語りました。
「こういうふうに再会できたことがうれしい。やっぱり自然に生かされてるからね、海の仕事は。自然にやられることもあれば、生かされることもあるけれど、生かされている実感のほうが強い。海は津波で死ななかった」
あの巨大津波が、いかに大きなダメージを海とそこに生きる生きものたちに与えたのか。その実態とメカニズムを詳しく知り、あらためてその恐ろしさに慄然といたしました。しかし、そこから回復していく力の強さと巧みさにも、ただただ唸らされるばかりでした。
牙を向いて破壊する力の大きさと、そこから回復していくたくましさと巧みさをあわせ持った自然。人知を遥かに超えるそれに振り回されながらも、正面から向き合っていこうとする研究者、そして海に生きる漁師さん。それらの方々の、自然に対する謙虚な姿勢にもまた、学ぶところが多くあったように思いました。