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2012.09.08 嬉しいご意見(予科練少年兵の墓について)

先日、このブログで、「2012.08.17 67年目の終戦記念日に思うこと。」を書かせて
頂きました。

その記事に、Y様からコメントを頂きました。
せっかくの有難いご意見ですのに、コメント欄は目に留まり難い上に、スレッドが下に
なって行きますので、ご了承を得て、こちらへUPさせて頂きます。

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(1)
私の親が戦前から宝塚に住んでおり、隣が予科練の方々の宿泊をされていた旅館で
当時 親と叔母と二歳児の所に遊びに来られたとの話を幼い頃に聞いた記憶がありました。
しかし、悲惨な出来事だけに あまり多くは語りませんでした。
当時の事を取材を要請されても拒否をされていたようです。

私は子供頃を色々と思い出す中で 予科練の事が気になってネットを見ると余りにも酷い
ことでショックを受けて 前々日に阿那賀の墓地と春日寺に伺いました。
墓石に刻まれたのを見ると最年少で11歳と刻まれたのを見ると……
改めて嘆かわしい想いを致しました。(ブログ編者注:最年少は14才で兄も14才でした。)

来年の8月2日の命日には春日寺を御参りしたいと思っております。
追記
春日寺に伺った際に本堂にて爽やかな風を受けました。
また、お墓にても軽く優しい微風を感じましたね。

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<ご両親が戦前から宝塚に住んでおられ、隣が予科練の方々の宿泊されていた旅館であった>
とのこと。
何と言う偶然でしょうか?驚きました。
当時は宝塚歌劇団の建物の壁も黒く塗られて、予科練兵の宿舎となっていたと言う話を聞いた
ことがあります。毎夜、幼い少年達の泣き声が聞こえたと廻りの住民達が言っていました。

<私は子供頃を色々と思い出す中で 予科練の事が気になってネットを見ると余りにも
酷いことでショックを受けて 前々日に阿那賀の墓地と春日寺に伺いました。>
阿那賀の墓地と春日寺にお参りに行って下さったとのこと。何と有難いことでしょう?
さっそく、兄にこのことを連絡致しました。大変感謝しておりました。

<来年の8月2日の命日には春日寺を御参りしたいと思っております。>
Y様に伝わったことで、私がブログで書かせて頂いた甲斐がありました。
とても嬉しく思います。

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(2)
親が宿泊先の隣に住んでいた縁で 少年達から親への手紙を託されて監視の目が厳しい中で
親元に届けて 戦後に手紙を届けたご両親から亡くなられた事情を知ったと聞いておりました。
私もあなた様と同様に宝塚海軍予科練の少年達の事を後世に伝えたい思いは強いです。

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<少年達から親への手紙を託されて監視の目が厳しい中で親元に届けて…>
ご両親のご親切に、どんなに少年達が感謝したか、想像に余りありますね。

思い切って、ブログにこのことを書いて良かったと思っています。嬉しいご意見を頂き
感謝に堪えません。
なお、予科練の続きをあと2~3話書きたいと思っておりますが、多忙で果たせずにおります。
でも、どうしても伝えたいことですので、時間を見てUPしたいと思っております。
Y様、そして皆様、これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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