久しぶりに昔、私の講座に来ていた若い人にあった。
一時期、とても落ち込んでいて、自信なさげで、引きこもるような感じだった。
が、久しぶりに会うと、元気そうで何よりだった。
が、びっくりした。全能感に充ち満ちている、とでも言おうか。自分は何でもわかっている、という状態になっていて、一緒に働いている人のことをくそみそ。誰それはここが変、あれはこれが足りない、あいつはこういうダメな奴、、、、という感じで、一緒に過ごした後、ちょっとこちらも疲れた感じ。
一緒に食事を、と言ってくれるのだから、私のことまでくそみそに他で言っているとは考えたくないのだけど、なんだかな~。まぁ、口で言うほど悪くは思っていない、ということもあるから、割り引いて考えてもいいのだけど、他の人がそれほど能力が低く見えるというのは、自分の能力がそれほど高いと思っている、ということか?
嘗て、私の講座に来ていて刺激的だと言ってくれていた人だから、当時は初心者であったのだろうけれど、長い間には勉強して知識を身につけたのだろう。それでも、あの他人への厳しさには、う~んと唸ってしまう。
でも、確かに若いとき、全能感に満たされる感じの時はある気がする。もっと若い時とは違って、いろいろなものが見えてくる、酸いも甘いもわかってくる、知識も増える、という時期がある。知識の使い処もわかってくるし、とても偉く見えていた上司や先輩などがやっと普通の人だとわかってくる。その頃に、ある程度能力があると、なんだか自分が一番何でも見えているように思える時期があったりするのだ。私もおそらくそういう時期はあったのだろう。ただ、キャラクター的にエラソーに見えないタイプだったとは思うので、そうそう他人に「エラソーに!」と思われることはなかったのかもしれない。
私の場合、仕事を始めたのが遅く40歳くらいなので、その後になるが、多くの順調に来た人は20歳代~30歳代でそのような時期を過ごすのかもしれない。
私は、人の紹介で出会った人から、次に会った時に、「すごい方だったんですね。失礼しました」などと言われた。たぶん、権威のある本などで私の名前を見つけた人などがそういう言い方をしたのだろう。まぁ、それくらいでいいのだ。ノっている時には結構目立つ仕事もできるが、また時代の要請で変化も起こる。時代が後押ししたり、阻んだりする。自分一人の力ではないのだ。
が、全能感に満たされていると、どうも自分の力と錯覚するらしい。特に、劣等感が強い人の場合、その落差が大きい。最初から尊大で最後までエラソーな人はそういうキャラなのだろうけれど、激しく上下する人は、キャラの変化が目立つ。
先日会ったその人に、いささか驚いてしまったのだが、人とはまことに厄介なもの、という感じがした。
人よりも劣っている自分に嘆く時期が過ぎて、人よりも優れている自分に酔う時期がくる。埋め込まれた自我意識の面倒くささに、なんだかなぁ、と思う感じ。
一時期、とても落ち込んでいて、自信なさげで、引きこもるような感じだった。
が、久しぶりに会うと、元気そうで何よりだった。
が、びっくりした。全能感に充ち満ちている、とでも言おうか。自分は何でもわかっている、という状態になっていて、一緒に働いている人のことをくそみそ。誰それはここが変、あれはこれが足りない、あいつはこういうダメな奴、、、、という感じで、一緒に過ごした後、ちょっとこちらも疲れた感じ。
一緒に食事を、と言ってくれるのだから、私のことまでくそみそに他で言っているとは考えたくないのだけど、なんだかな~。まぁ、口で言うほど悪くは思っていない、ということもあるから、割り引いて考えてもいいのだけど、他の人がそれほど能力が低く見えるというのは、自分の能力がそれほど高いと思っている、ということか?
嘗て、私の講座に来ていて刺激的だと言ってくれていた人だから、当時は初心者であったのだろうけれど、長い間には勉強して知識を身につけたのだろう。それでも、あの他人への厳しさには、う~んと唸ってしまう。
でも、確かに若いとき、全能感に満たされる感じの時はある気がする。もっと若い時とは違って、いろいろなものが見えてくる、酸いも甘いもわかってくる、知識も増える、という時期がある。知識の使い処もわかってくるし、とても偉く見えていた上司や先輩などがやっと普通の人だとわかってくる。その頃に、ある程度能力があると、なんだか自分が一番何でも見えているように思える時期があったりするのだ。私もおそらくそういう時期はあったのだろう。ただ、キャラクター的にエラソーに見えないタイプだったとは思うので、そうそう他人に「エラソーに!」と思われることはなかったのかもしれない。
私の場合、仕事を始めたのが遅く40歳くらいなので、その後になるが、多くの順調に来た人は20歳代~30歳代でそのような時期を過ごすのかもしれない。
私は、人の紹介で出会った人から、次に会った時に、「すごい方だったんですね。失礼しました」などと言われた。たぶん、権威のある本などで私の名前を見つけた人などがそういう言い方をしたのだろう。まぁ、それくらいでいいのだ。ノっている時には結構目立つ仕事もできるが、また時代の要請で変化も起こる。時代が後押ししたり、阻んだりする。自分一人の力ではないのだ。
が、全能感に満たされていると、どうも自分の力と錯覚するらしい。特に、劣等感が強い人の場合、その落差が大きい。最初から尊大で最後までエラソーな人はそういうキャラなのだろうけれど、激しく上下する人は、キャラの変化が目立つ。
先日会ったその人に、いささか驚いてしまったのだが、人とはまことに厄介なもの、という感じがした。
人よりも劣っている自分に嘆く時期が過ぎて、人よりも優れている自分に酔う時期がくる。埋め込まれた自我意識の面倒くささに、なんだかなぁ、と思う感じ。