凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

なんかモヤモヤ・・・

2012-12-12 23:37:41 | 考え方
 ある人が自分の貧困を軸に、貧困問題について発言し続けている。いや、確かに貧困は問題だ。私も、そのワーキングプアの一人だ。

 が、その人の場合、友人曰く、すべて自分が選んだ道ではないのか、というのだ。言われてみればそうかも、、、。ずっと運動をしてきた人だ。ウーマン・リブに始まって、市民運動をしてきた。親はそれなりにお金も持っているらしいから、貧困と言っても最後は帰る家もある。そして、私立大学にも行かせてもらい、運動に身を投じ、旅行だの何だのと遊び回っても来た。要するに、結構、好きなように生きている人だ。
 そりゃあ、そんな生き方をしていれば、貧乏だろうさ、とつい意地悪な目で見てしまう。

 他に選択肢がなかったのではなく、選んで来た人だ。上手に持てる資源を使いながら、やりたいことをやって来た。大学院にも行き、遊びにも行き、まぁ、あれだけ好きなことをしながら「貧乏」って言うな、と思うのよね。

 自分の人生を振り返ると、神経を病むくらい選択肢がなかった。離人症になるくらい、私は私でなかった時期が長い。

 それに比べれば、ずいぶんやりたいことをやって、「貧乏」って言うな、とやっぱり思う。

 選択肢などないまま親の言いなりに結婚して、専業主婦となり、やがて夫の経済力を恃みにできなくなった女性は、本当に大変な目に遭っていると思う。そういう人が貧乏を嘆くのは、ほんとうに同情できる。

 それなのに、その人は、専業主婦を蔑む。専業主婦は選んでなったのではない。それ以外に生きる道はないと、脅迫され、首に縄をつけられて歩かされた道なのだ。
 リブ系の人は、どうも自己チューで思い込みの激しい人が多いように思う。

 だんだん私の考え方が変わってきたかも。

 汲々と生活の維持のために小市民の暮らしを生きた人は、苦労をしてその暮らしを獲得したのだ。本当なら、やりたくなかった行為を重ねて、「貧乏」ではない暮らしを手に入れただけの、忍従の人生を歩んだ人かもしれないのだ。 

 

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