もう、誰からも脅かされずに、人と縁を切って、心静かに生きていきたいと思う時、それが過去の自分と決別することを意味している、ということに私は気づいていない。自分を守るために、他人と縁を切るのだが、それはとりもなおさず、これまでの自分とも縁を切る、ということなのだろう。
罪を犯して逃げている人が、顔を変え、名を変えて、見知らぬ街で長年別人として生きていた、という話が以前あったけれども、(結局、捕まった)、自分を捨てて新たな人として生きる時、それはどのような心地なのだろう。自分という者の、良きことも悪しきことも捨てることによって、(否、捨てるのだから、過去の自分は全部悪しきものとして総括されているのか)、より良い人生が開けるのだろうか。
私を害した人の手柄話などもう聞きたくない、私を虚仮にした人が幸せになった話など知りたくない、私を大事に思ってくれる人などいないこんな人間関係などもう捨てたい、という思いがすることがある。それでも、ふと、私はまだ周りの人の役に立てていない、まだ大して何も貢献していない、と思うと、もうちょっとがんばって、少しは誰かのお役に立てるような人間になりたい、とも思う。
でも、もう年だからなぁ、大して誰の役にも立たない間に老いてきたので、このままいくと、お荷物になりかねない。それも辛いなぁ、という感じもする。
誰も私を愛してくれる人などいないから消えてしまいたい、と思う時と、誰の役にも立てないのだからもう少し何かに貢献したい、と思う気持ちが時折交代で起こる。
身近な親しい人がいないと、人との距離がどうも遠くて、こんなふうにしか考えられない。家族を持っている人は、もっと日常的に、距離がわからないほど、人とつきあっているのだろうか。
罪を犯して逃げている人が、顔を変え、名を変えて、見知らぬ街で長年別人として生きていた、という話が以前あったけれども、(結局、捕まった)、自分を捨てて新たな人として生きる時、それはどのような心地なのだろう。自分という者の、良きことも悪しきことも捨てることによって、(否、捨てるのだから、過去の自分は全部悪しきものとして総括されているのか)、より良い人生が開けるのだろうか。
私を害した人の手柄話などもう聞きたくない、私を虚仮にした人が幸せになった話など知りたくない、私を大事に思ってくれる人などいないこんな人間関係などもう捨てたい、という思いがすることがある。それでも、ふと、私はまだ周りの人の役に立てていない、まだ大して何も貢献していない、と思うと、もうちょっとがんばって、少しは誰かのお役に立てるような人間になりたい、とも思う。
でも、もう年だからなぁ、大して誰の役にも立たない間に老いてきたので、このままいくと、お荷物になりかねない。それも辛いなぁ、という感じもする。
誰も私を愛してくれる人などいないから消えてしまいたい、と思う時と、誰の役にも立てないのだからもう少し何かに貢献したい、と思う気持ちが時折交代で起こる。
身近な親しい人がいないと、人との距離がどうも遠くて、こんなふうにしか考えられない。家族を持っている人は、もっと日常的に、距離がわからないほど、人とつきあっているのだろうか。