凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

加害側は気づかない

2013-08-01 10:19:32 | 組織・集団
 私が整理しないといけないことは、いくつもある。が、なかなかはかどらないのは、思い出すと、常に痛みが伴い、冷静な思考が続けられなくなるからだ。

 最近、新聞報道された16歳の少女が集団暴行で殺された事件を読んでいて、ふと思った。

 表現にはさまざまな手法があるが、極端な表現手法を使えば、私のケースも「集団暴行」だったと言えなくもない。もちろん、直接、手を下されたわけではない。だから、通常、そのようには表現しない。が、された方の気分はそれだ。

 嘗て、某団体の事務局長が、事務局スタッフの夏休みをどうするか、ということを理事に同報メールで尋ねてきたことがある。理事それぞれが、「就業規則にないのか」「夏休みもまだ与えていなかったのか」というような、自分は何でもわかったふうの叱り口調の人もいたし、上から指図するふうの人もいた。いずれもそれぞれ1回ずつのメールによるレスポンスだった。私は、事務局長がなぜそのようなことを自分で判断しないのか、ということに戸惑い、レスしそびれていたが、他の理事の、よくわかっていないのに口々にエラソーに書いてくるメールに呆れ、事務局長がなすべきことだけを事務的に書いて送った。就業規則も私が作ったので、それについては何の問題もないものだった。それで、事務局長は私の書いた通りにシンプルに事を済ませたのだが、その時すでに、事務局長は疲労困憊して判断する力さえなかったのかもしれない。
 そして、その時のことを彼女は、「小突き回された」と、表現した。誰一人、彼女を小突いた、という意識はないだろう。でも、彼女は小突き回された、のだ。

 私の場合もそうなのだろう。誰一人、私に暴行を加えた、などと思っている人はいないだろう。が、私は集団でぼこぼこにされたのだ。私の気分は、まさにそんな気分だ。実際に、病気にもなった。と言うより、すでに病身で弱っていた私を、集団でぼこぼこにしたのだ、彼女たちは。

 「病気だなんて、知らなかった」「知らなかったんだから、仕方がない」という理屈になっているのだろう。
 自分は知らないけれど、人にはそれぞれ事情がある、だから、むやみに人を批判したり、攻撃するのはよくないのではないか、という配慮は要るのだろうが、自分がむしろ「被害者」だと思っている人、「被害者」を支援しているつもりの人は、もはやそれ以上の配慮も思考もしない。

 一人の善意の第三者を傷つけ、ぼこぼこにしてしまった事実を知らない。いわば、「善意の加害者」たち。

 考えれば考えるほどやりきれなくなって、まとまらなくなる。