凡々たる、煩々たる・・・

タイトル、変えました。凡庸な人間の煩悩を綴っただけのブログだと、ふと気付いたので、、、。

トラブルの芽(続)

2013-01-16 09:11:00 | 日々の雑感
 前回の「トラブルの芽」が、解説不足の感じがするので、補足しておきたい。

 スタッフ6人の中で別格扱いであった人(仮にAさんとしよう)は、担当課の女性職員から何かお墨付きを与えられていた可能性が高い。また、その時の課長ともつながりがあって、何かと市職員とのパイプがあったようだ。
 それで、子どもの小さい人が夜勤ができないことについて、おそらく、市職員との私的な会話の中で、愚痴のかたちで出たのではないかというのが、今の私の推測だ。
 「働いてみて、どうですか? やりにくいことはない?」くらいの問いかけはあったのかもしれない。それに対して、Aさんは、愚痴をこぼしたのかもしれない。「あの人を辞めさせてくれ」などとは言わないにしても、「平等にシフトに入れない人がいるのは、しんどいんですよねぇ」とか、他の人とのうまくいかなさも含めて「もう、辞めようかな、と思う」あたりのことは言ったかもしれないのだ。もちろん、あくまで私の想像だ。

 市職員としては、それを聴いて、何とかしなければならない、と考えたかもしれない。市長とつながりのあるAさんに、不快な思いをして辞められては困る、と思ったかもしれない。Aさん自身は、自分が辞めたい、という意向を持っていた可能性はある。小さい子どもがいる若いスタッフを辞めさせようなどとはゆめにも思わず、他のスタッフとの関係などで、彼女の守備範囲とは異質なものを感じていて、自分が辞職しようと考えていることを市職員に伝えた可能性はありそうだ。が、市職員は、小さい子どものいるスタッフが夜勤をやりにくいことと、Aさんが辞めたいと考えていることを短絡的に結びつけ、小さい子どものいるスタッフの契約を更新しない、という方向へ持って行った可能性はあるのだ。もちろん、市職員は、Aさんに「彼女を辞めさせるから、あなたは残ってくれ」とダイレクトに言ったりはしていないだろう。

 だから、Aさんは、自分の注進で、そのスタッフが辞めさせられることになったとは、微塵も思っていない。彼女の中では、切り離された出来事だからだ。むしろ、その小さい子どものいるスタッフをかばって、夜勤を代わってあげる他のスタッフの過剰に思いやりのある、「優しさ」(一人、カウンセリングマインドを十全に発揮するスタッフがいたのは私も認識しているし、その人のカウンセラー資質を活かした企画もしていた)に違和感を感じていたのかもしれない。そのカウンセラー気質のスタッフは人を助けたいという思いに満ちあふれていて、施設内の優しい雰囲気作りに寄与しているのだが、政治的なことに関心のあるAさんは心のケアよりも国際政治やグローバリズムの問題に興味が強く、施設内の雰囲気全体に違和感を感じていたのかもしれない。だから、Aさんは、自分自身が他のスタッフから浮いているのを感じて、辞めたいという意向を持っていたとしても不思議ではない。
 私が他の職に移るためにそこを退職した時、Aさんもいっしょに辞めた。私は、自分が辞めた後も、Aさんは残って、リーダー的役割をするのかと思っていたので、意外だった。

 Aさんは、その小さな子どものいるスタッフが辞めた時も、全く悪びれた様子はなく、彼女を優しく送り出した。自分の発言が原因とは思っていないからだろう。むしろ、自分がそのスタッフについて言ったことも覚えていない可能性すらある。彼女はスタッフ内の複雑な人間関係について、たぶんちょっと「しんどいかも、、、」というように匂わせたくらいだろうからだ。そして、辞めたい気持ちもあるということを、軽く洩らしただけかもしれない。
 が、市職員はあわてたのだ。Aさんに辞められては困るので、小さい子どものいるスタッフの更新をせずに辞めさせた。そして、Aさんに継続を請うたのだ。それも、「○○さんが辞めて慣れない新しいスタッフが入ってくるのだから、あなたにいてもらわなくては困る」というような言い方だったと想像できる。だからAさんは、スタッフが入れ替わる原因を自分に帰することなど、全くなかったはずだ。市の意向だと思いこんでいただろうと想像する。なぜなら、Aさんはその若いスタッフを辞めさせることなど考えもしなかったからだ。
 
 私があれほど、その小さな子どものいるスタッフだけが更新されない理由を問うて、ぎりぎりと市職員に迫ったにもかかわらず、曖昧なまま終わってしまった後味の悪い出来事だった。
 話し合いの時に、「決められたシフトを代わるのは困る」と言い張る市に対して、私は「他のスタッフだって、今後、本人や家族の事情で、決められたシフトに入れない状況が生じるかもしれない。その時はどうするんですか?」と尋ねた。すると、「その時は、それぞれ助け合って、代わったりしてもらえばいい」ととぼけたことを言い出す市職員に、「だったら、なぜ、彼女だけはダメなんですか!」と私はほとんど吠えたような気がする。全く、市の主張は、理由になっていなかった。

 それは、たぶん、Aさんの何気ない愚痴から事態を勝手に解釈して、Aさんを引き留めるために市が講じた解決策だったのだろう。Aさんがあずかり知らない、Aさん引き留め策だったのだろうと思う。

 地方自治体の公務員というのは、玉石混淆だ。否、個人の資質というより、適材適所でないと、とんでもない不具合が起こる。なぜなら、一介の平職員でも、市民や外部職員に対しては、その力量を越えた権限が与えられてしまっているからだ。
 誰も、自覚的な悪意や敵意はない。与えられてしまった権限と責任の重さを自覚しないまま、事態を紛糾させることになる。

 ここまで書いて、自分もまた、同じ過ちを犯してきたのだろうと忸怩たる思いで振り返る。

 

お節介の限界

2013-01-09 09:37:55 | 日々の雑感
 私はお節介が苦手。するのもされるのも、好きではない。
が、お節介な人というのはいるものだ。若い頃は、近所の主婦たちと鍋を食べる時に、われがちにと箸が伸びる人たちの中で、私はゆっくりタイプなのだが、そうすると、いつの間にか、「はい」と私の分をよそったお椀を渡してくれる人がいる。「え? 入れてくださったんですか」と私は戸惑う。
 何も自分で取れないのではない。皆が一斉に箸を突き出すから、そのピークの後で、自分は取ろうと思っていただけなのだ。人に取ってもらうと、好きでない物や一度に食べる自分の適量ではない物がくるので、あまりうれしくはない。まぁ、でも、嫌悪するほどのことではないが、「なんだかなぁ」とは思う。

 この類のお節介は、女の人に多いのかもしれない。先回り先回りして、こまごまと世話を焼こうとする。
 
 そう言えば、以前、非常勤の仕事を一緒にしていた女性講師の人が、いつの間にか私の分もお昼を持って来てくれるようになった。これには戸惑った。自分の分と一緒におにぎりを握って来てくれる。私はびっくりしていたのだが、そのうち、習慣のようになっておにぎりは有難くいただき、一緒につけてくれるインスタントのおみそ汁の分はお金を返していた。
 いやではないので、断る、ということでもないのだが、恐縮はしてしまう。

 そんなに私のことを気にかけていただかなくても、自分で何でもやりますから、、、というのが私の本音。

 でも、優しい女の人の厚意は有難いので、基本的には受け取るようにしている。が、そのきめ細やかさが裏目に出ると、苛立つ。
 その極め付けが母だったのかもしれない。母に連れられて歩いていて、知り合いに会うと、たいていの人は、「いくつ?」と尋ねてくる。私は子どもなので、初めて会う人にそう尋ねられると一瞬戸惑う。が、一瞬だ。次の瞬間に答える用意を整える。が、母は、その時にはすでに、「この子はほんとうに、からだばかり大きくなって頼りなくて。○才ですの」と、答えている。答える気持ちはそこで折られてしまう。

 お節介な人というのは、他人のテンポを理解しないのだろうか。他人には自分とは違うリズムや呼吸があることをわかっていないのだろうか。

 が、お節介で助けられることも、確かにある。命拾いすることもある。だから、一概に否定する気も、拒否する気もない。それは良く機能することもあるのだ。

 私自身は全くお節介をしない。他人には他人の自由とリズムがあるのだろうと思うから、基本的に人にはかまいにいかない。ただ、グループ活動はする。それは1人の人をターゲットにしないので、相手も断りやすいだろうと思うからだ。だから、こんなことをしませんか?と複数の人に声かけをする。断って来る人もいるし、だんだん足が遠のく人もいる。それもOKだ。その人にはニーズがなかったのだと、考えることにしている。
 始める自由、加わる自由、辞める自由を織り込んだ上での活動をしたいと思っている。誰ひとり、応えなくなったら、それはその需要がなくなったということだ。

 その時は一人遊びをすることにする。誰も巻き込まない。ただ、この自分流の動き方は、時には人生の枯れていくような寂寥感も伴う。



トラブルの芽

2013-01-07 09:59:04 | 日々の雑感
 不器用な私が、様々な人々の複雑な関係に巻き込まれてダメージを受けた経験から、気づいた諸々を書きとめている。

 今日はその一つ。思い出したこと。

 私はある公的施設の専門職として勤務していた時期がある。管理職は市の課長職。私は委託を受けて、専門職として施設内の事業企画や市民研修、職員研修を中心に行う業務である。管理職ではないが、私が勤務していた当時、その施設で働く臨時職員6人の統括的なことも、なんとなく行わねばならない立場だった。机の位置も一番奥に、6人の人を見渡す配置である。6人の人たちはシフト勤務に縛られ、臨時職員という待遇でありながら、施設の鍵を預かる。私は鍵も持たない。彼女たちよりも遅く出勤し早く帰る仕様であり、勤務日も特に定められていない。
 臨時職員という軽い扱いでありながら、鍵を持たせ、施設のオープンからクローズまで、彼女たちに責任を負わせてしまう仕様はいかがなものかと思う。しかも、「ここに職を得たと思うな」と言い含められ、期限6カ月のアルバイト待遇である。
 市職員は、何かがある時にしか来ない。せめて引き継ぎのための会議は必要だとかけあって、彼女たち全員と私との定期会議を認めさせたが、「彼女たちに会議が要るのか?」と最後まで不本意だったらしい女性の市職員もいる。

 まぁ、自分たちの制度設計のまずさを棚に上げて、こちらにばかり努力と忠誠と便宜を要求してくるのは、市職員の常だけれども、たいがい私も頭に来ていて、結構たてついて市の職員(特に女性)からは嫌われていたようだ。権威を守りたい人からは、たいてい嫌われる。

 その頃、気づかなかったが、後で「あ、そうか」と思ったことがある。6人のうち1人の人が年齢も高く、元高校教師で、他の5人が一目置いていた人だった。後の方では、私には頼もしい右腕になってくれて、その職場を二人とも離れてからも、自分が移った他の公的施設の講師に呼んでくれたりして交流が続いた。
 が、当時は他の5人の人から、その人の悪口を聞くことが多かった。1人張り切っていて自分たちを指導しようとするだの、一人で決めてしまうだの、評判が悪かった。
 また、一人の若いスタッフが子どもが小さいため夜のシフトを引き受けられない、ということがあり、他のスタッフはなるべく夜の勤務を交代してあげていたが、そのようなことは困るとこの年長の人は市に注進していたとかで、市の方はそのためにその若い人だけ更新せずに辞めさせたことがある。

 そうしたことで、その人への不信感はなんとなく漂い、私もその若い人を辞めさせる方向に持っていった、という一事だけは理解できず、その人を見る目に一点の曇りがあった。

 が、後でいろいろつなぎ合わせてわかったことがある。その人は、市がその施設をオープンさせるときに、市の1人の担当の女性職員がその人を専門職にと話をふっていたふしがあるのだ。が、私は、その女性職員よりもっと上司にあたる女性幹部から招聘を受けていて、市の部長クラスにも話が通っていた。それで、表向き公募に応募した形だが、すでに私がその職に就くことは内定していた。
 私も当初、その人は私の職に就きたいのかなと訝ったことはあった。言動にそれらしい感じを持ったのだ。が、その専門分野に関しては、私から見ればその人は素人同然であるので(もちろん、優れた人であることは確かだと思うが)、一緒に仕事をする間に、その人は私の右腕となって協力してくれるようになった。専門というものは、ちょっとかじったくらいではわからない奥の深いものであるのだが、私が守備範囲とするところは誰でも取りつきやすい分野なので、入口あたりにいて、わかった気になる人は多い。市の女性職員もそうだ。それで、その女性職員は地域住民であるその人を専門職に、と考えたのだろうが、上層部がわけのわからない私という人間を連れてきたので、違和感があったのだろう。

 結局、その人は、他の6人の臨時職員と同じスタッフとなった。ただ、ここからは私の想像が働くが、おそらく件の女性職員から、その人は「皆のリーダーとしてよろしく」あたりのことを言われたのではないかと思う。それは、他の、似たような事例に遭遇し、そこからもめごとが起こっているのを見たために推察することなのだが。

 特に、その人は、当時の市長とつながりのある人で、首長格とつながっている人というのを、公務員は恐れてさえいる。市民の中でも別格である。私のようなよそものは全くその事実にひるまないが、その人は何かにつけて、そのために特別扱いだったのではないかと想像される。もちろん、ご本人はその上に胡坐をかくようなことはなく、ただ、期待にこたえるために頑張っていただけだろう。そういう、真面目でガンバリズムの人なのだ。

 しかし、その人を自分たちと同じ横並びのスタッフの一人と思っている(思って当然なのだが)他の5人のスタッフは、その人の何か特別な振舞い方が気に入らない。「一人で張り切っている」「皆を指導しようとする」「偉そうである」などと不満を溜めていく。
 似たようなことが他の職場でもあるのを知ったので、おそらく、この時のスタッフ同士の不和はこれが原因だろうと想像するのだ。

 要するに、担当者の勇み足だ。自分には権限がないと職務階層上はわかっているだろうが、下級公務員は担当となると、何か特別な権限を持ったかのように市民や非正規職員に向かって、指示的になる。市民や非正規職員を相手にする担当窓口となると、自分が市を代表していると考えてしまう。そして判断を誤り、市民を怒らせたり、非正規職員の不満を募らせたりする。また、そのような自主判断をしない人は、今度は、何一つ、自分には判断ができないとして、即答を避け、すべて上司の指示待ちになる。

 公務員の組織の問題性であるのだろうが、何も自分では判断しない人も困るし、自己判断で自分の偏りを押し付けてくる人も困る。

 私はその件の女性公務員に嫌われていたらしい。辞めさせられることになった若いスタッフの雇止め理由が納得がいかないとして、話し合いを要求したら、その時の課長は、課員全員を引き連れて、会議の場にやって来た。その時から明らかに件の女性職員に嫌われ、いやがらせをされた。
 私が専門職員として市の会議に出る時、その施設は市役所とは離れていて、私は自転車が得意ではなく移動をどうしようかと思案していたら、人事異動で新たにやってきた課長か係長の男性か、どちらかが公用車で迎えに来てくれるようになった。それはずっと続いたが、私もそれを当たり前と思う気持ちはなく、恐縮してはいた。が、いつも時間を見計らってちゃんと来てくれるので、有難く車に乗せてもらっていた。ある日、会議の前になっても、(たいていは課長か係長が○時頃に迎えに行きますと連絡をくれる)連絡がない。送迎がないのであれば早い目にバスで移動しないといけないので、確認の電話を市役所に入れた。すると、その女性職員が出て、確認をしようと用件を切り出したとたん、「誰でも自腹を切って移動しています。市役所でも職員はみなそうしています。それは服務規定に書かれています」とまくしたてた。

 服務規程はないだろう、と唖然とした。「迎えに来い」と言っているのではなく、今日は迎えがあるのかどうかを確認したかっただけなのに、と私も不快になった。それで、すぐに市役所の人事に電話を入れて、今こういうことを職員に言われたがそのような服務規定はあるのか、と尋ねた。当然のことながら、「そのような服務規定はありません、公務で移動するときは交通費が支弁されます」との返事。そこに、あわてたらしい課長から電話が入り、「すぐに迎えに行きます」とのことだった。
 これも後でわかるのだが、課長と件の女性職員とはとても仲が悪いらしいということだった。女性職員は以前からその部署の担当で古いので、経理を握っているとかで、課長もその経理の中身を把握できていなかったそうだ。課長が、私に予算を示さないで企画をせよと言うので、予算もわからないで企画はできない、と文句を言ったことがあるが、裏にはそのような事情があったようなのだ。

 実は、公務員と仕事をすると、こういうややこしいことがある。下級公務員ほど、ややこしい動き方をする。担当職員の勇み足で、私たちのような外部職員や非正規職員などは、そのとばっちりを受ける。
 外形的にはわかりにくいのだが、この担当職員の私情、価値観、牽強付会の言い分などが、そこに関わる人を翻弄し、トラブルの原因になっていることが多々あると私には見える。そうして無自覚であることが最大の問題だ。

 指示系統は守られねばならない。守れないような無理な指示、あるいは自分の重大な価値観に抵触すると思える指示に対しては、自分の立場を賭けて闘うしかない。闘うと言っても、別に喧嘩をするのではなく、その指示に対してきちんと自分の意見を言い、考え直してもらうよう提言したり、自分は何を問題と感じているのかを明示した上で協議してもらう。それでもうまくいかない時は、屈服して職務を全うするか、職を辞するか、を決断するしかない。
 が、自分の立場を守りながら、微妙に上からの指示を改竄したり、味方を作って自分の思う方向に恣意的に向けようとしたり、隠密な動き方をするから、話がややこしくなる。
組織は明示された指示系統に基づいて動くものであり、私的に動かしてはならないものなのだ。

 が、あちらこちらで、もめている。このようなもめごとは不毛だ。組織を機能不全に陥らせる。

 

 




生きるエネルギーが枯れそう

2013-01-04 15:23:09 | 日々の雑感
生きたいという欲求のようなものが、二日に一度は、ゼロ値を下回る。もう、生きていたくない、という思いがわいてきて、死にたいと思う。呟くように思う。

 それは、何か悪い出来事がきっかけというわけでもなさそうだ。昨日は、新年会で楽しい(筈の)ひとときを過ごした後、訪れた。今、自殺なんかすると、共に新年会を過ごした人は、「信じられない」「楽しそうに笑っていた」などと言うだろう。新年会の後に、電話で話した友人も、「楽しい会だったと言っていた」と、驚くだろう。
 楽しくなかったわけではない。みんな気持ちの良い人たちで、私に悪意や敵意を持っている人はいないと思う。
 
 楽しかったはずだ。悪くなかったはずだ。
それでも、私は生きていることの負担で、死にたくなる。

 大人になってから、いろいろな人と交流している忙しい時期に、とても疲れを覚えて、鬱に襲われるようになった。子どもの時は、ダイレクトに不幸感に押しつぶされて、鬱のようだったが、大人になってからは、様々な人と交流していることの空恐ろしさに、恐怖と不安で打ちのめされるようになった。

 が、しばらく、それらが消えていた。人を恐れない、堂々としていられる自分がいて、やっと人並みの自己肯定感を身につけたと思っていた。
 が、今はまた、苦しんでいる私がいる。このようなことは、他の人にも起こるのだろうか。あるいは、子ども時代から、否定的に遇されてきた者の自己肯定感の危うさがもたらす鬱状況だろうか。そういう人もいるが、そうではなくて、基本的に自己肯定的に生を享受できる人もたくさんいるのだろうか。

 自分がこの世にあることを良きことと思っていいのか悪いのか、それは賭けみたいなもので、良いことと思えるときと、悪しきことと思うときがある。
 死んだ方がまし、と思う時と、生きていこうと思える時がある。振れ幅の大きな振り子状態だ。振れながら疲れ果てる。エネルギーを失う。

 何か外から厳しいものが来ると、アッという間に、私のエネルギーは飛び去る。人々のエゴ、人々の欲望、それらに押しつぶされそうになる。
 自己防衛を攻撃に変える人がいる。無意識にたやすく、攻撃に変える。あるいは、些細な不快感を、すさまじい攻撃力に転換させ、自分の感情を守るために他者を踏みつぶす人もいる。そして、踏みつぶされる人もいる。

 昨年、世の中を騒がせた角田美代子という連続(殺人?)死体遺棄事件の主犯格の女性がいた。拘置所内で自殺してしまったが、私とおそらく同年くらいだ。自殺の報道に接して、どこまでも自己チューの人だったのだろうとしか想像が出来ない。自分の快楽追求のために行動していたのだろうとしか思えない。そして快楽追求の貪欲さは、おそらく不快の払拭ではなかったのか、と思う。不快感が続くと、私たちは蝕まれる。私は疲れ果てて生きたいという欲求を失う。その人は、もっとエネルギーが高くて、不快を払拭するために不快を上回る快楽を得ようとしていたのだろうと思う。そのための行動が、常軌を逸した他者への侵犯、物質的快楽と支配欲の充足だったのかと、想像する。
 その人に、行動の理由の説明を求めても無駄だったような気がする。被害を受けた人の被害の説明にはならないし、加害行動の理由が説明可能なはずがないと思う。
 カミュの『異邦人』のように、太陽が眩しかったから殺人を犯したのだ。不快の回避に過ぎない。しかし、不快は永遠に回避されない。自分を傷つけても、他者を傷つけても、その人の不快は回避されない。

 不快は、それを上回る快楽で置きかえる以外にないのだとしても、不快は次から次生まれるからだ。不快を生み出す装置によって生み出される不快は、その装置をこわさないことには終わることはない。不快を生み出す装置を何とかする以外にない。

 エネルギー値が下がっていることが多くなった。いつまで生きるのかなぁと思うと、少しは、実のある人生を送っておこうと思うのだが、、、、。
 

おばあさんは、男好き?

2013-01-02 22:00:03 | 日々の雑感
 年配の女性と関わる時によく思ったのは、ほんとうに男を大事にするなぁということだった。とにかく、男を立てる、男の言うことはよく聞く、男に褒められると喜ぶ、、、そして、同性である女のことはくそみそなのだ。

 そういう女性たちにたくさん遭遇してきた。逆に、リブ系は、必要以上に男の人を毛嫌いする。なんだか、男好きの裏返しであるかのように、ヒステリックに男を拒否してきた。

 自分の母親を見ていても、つくづく思う。次回のNHKの大河ドラマは、女性を主人公にしているので、魅力を感じないのだそうだ。スポーツ観戦がものすごく好きなのに、全くスポーツを見ない私でさえ興奮したなでしこジャパンは見ない。「女」嫌いを遺憾なく発揮している。

 この社会が女嫌いの社会なので、それをそのまま内面化してきた人たちだ。自らが女性であるにも関わらず、「女のくせに、、、」と他の女性に言ってきた人だ。女が女を貶める。男になりかわって、女を足蹴にしてきた女性がたくさんいる。そして、男の寵愛を求める。
 女に厳しく、男に甘い年配の女性たち。

 私にはきょうだいがいないが、子どもの時から、自分に男きょうだいがいれば、虐待に近い扱いを受けたのではないかと思ったものだ。もちろん、父自身が女である私をあまりにも軽んじていた、ということがある。
 子ども時代、何度も言われた。中学校から高校に進学する時、すでに世の中には高校進学するこどもが圧倒的に多かったにもかかわらず、「もし、お前に弟がいれば、お前は弟を高校に行かせるために中学校を卒業したら、働きにいかないといけない」と何度も言われた。私自身は当然のことながら、男女共学の学校に通っていたし、男子と机を並べて授業を受け、並みいる男子よりもよほど良い成績をとっていた。だから、男が勉学に向いているとか、賢いとか、微塵も思ってはいなかった。男子にせよ女子にせよ、いろいろな子がいる、としか思えない。しかし、父は、私が本来なら進学することはできない者である、ということを何度も言ってきかせた。

 大学に進学する時は、私は国立大にいけると言われていたにもかかわらず、父は、「もし、お前に弟がいたら、それほど勉強ができなくても、どんな私立大にでも行かせてやるが、お前が行くことはない」と、言明していた。

 当然のことながら、将来への展望を持てない私はノイローゼのようになっていた。否定され尽くして、生きていく気概がなかった。さすがに父は、私の消沈した様子に、「どこでも行けばいい」と最後には言ったが、子ども時代から積み上げられた私の空しさは、あまりにも根が深く、どのような希望もわいてこない状況にいた。
 
 父は女である私の将来像に「主婦」以外のイメージも興味もなく、母は基本的に女が嫌いだから、私を応援することはない。
 
 男は女に「女」として以外の期待はなく、女は「女」を厭う。母は、父が私を褒めるといやがったし、父が私を叩くことを望んでいた。「愛されるのは私だけ!」という母の強烈な思いがあった。父が私をひどく叱ると、やっと寛大になって母は私を慰めるのだ。とことん折檻されて打ちのめされていると、やっと母は慈母になる。その慈母を私は慕っていた。

 母は、私の息子の存在を喜ぶ。娘は「あの二人は相思相愛」と言うが、うまく言い当てている。
 医者に行けば、男性医師の存在を喜ぶ。

 この先、若い男性のヘルパーが増えて優しくしてくれれば、おばあさんたちは大喜びしてデイサービスでも何でも行くのではなかろうか。そんな気がする。高齢化社会は、おばあさん社会である。男性の介護士の需要は高いと思われる。

 母たちの世代は、同性の魅力を見出す機会があまりにもなかったのだろう。社会的地位を持つ女性も少ない。女性が魅力的に見えることが少なかったのだろう。もちろん、女性であっても、男性社会の中の女性像を好ましいと思う少数の人がいるのは事実だ。そこにはセクシュアルな欲求や志向も含まれる。性自認の問題もある。が、母のように、その社会の価値観を内面化し、自らが生き延びる道を探りながら、人生を送ってきた人たちには、他の選択肢はなかったのだろう。母が女嫌いであるのは、母自身の責任ではない。そのように仕組まれた社会を生き抜いてきたのだ。

 しかし、母と話していると、疲れる。娘の私に対して、魅力的であろうと全く努めない母は、ほんとうに魅力に欠ける。たくさんの美質を持っている人なのに、娘にはそれを示してくれない。

なんだかなぁ

2012-12-29 11:56:44 | 日々の雑感
 某MLで議論が起こっていて、(まぁ、議論自体はよくあるのだけど)、私の守備範囲にも関わっているテーマなので、ちょっと興味を持って読んでいた。

 で、そのテーマ自体の展開よりも、気になったこと。

 ある人が、自論を展開するのに、「それについては、わたしの『○○』をお読みください」といったたぐいの言い方をしていて、そのすぐ後にまた同じような書き方をする人が続いて、気がつくと、そういうように、自分の著作の紹介をしている人が多い。まぁ、それぞれ、自著で論陣を張っているわけだから、そう言いたくなるのだろうけれど、そういう人が続くと、「要するに、あなたの本を買えってことね、そして勉強しろって、わけね」と返したくなる。(返さないけど)

 私には単著はないが、あちらこちらに書いた文章はある(まぁ、こういうのを断簡零墨というのだろう)。それを知っている人も多いグループで話し合いをしていて、私がすでに言及していることを一生懸命自分の説のように言い出す人、あるいは私が書いたものを読んでいたらそういうような意見は言えないだろう、というような展開をする人、などが多々いる。が、私は、「私もあそこでそのことを言っていますが、、、」とは、まず言わない。読んでいただけるほどの物ではないですよね、という卑屈な思いが漂っているのも事実だし、そこでひけらかすだけの自信も厚かましさもない。で、新たな議論の土俵として向き合うことにしている。たまにちゃんと読んでくれた人が、「虎之助さんもあそこで書いておられますよね」と言ってくれるが、共有者の方が少ない場面ではそれは通用しない。

 が、単著をものした人は、すでに上梓されたのだから、自分の意見が世間の共有物になっていてしかるべきである、と考えるようだ。また、研究者の世界では、読んでいないと話にならない、ということもある。だから、読んでいない者の意見など気にもかける必要がない、という共通した態度が見える。
 が、なんだかなぁ、、、、と思ってしまうのだ。学問の世界の権威主義を目の当たりに見るようで、やっぱりなんだかなぁと思ってしまう。権威主義に立たないための論陣を張っている人たちだらけのMLでこれはなんだかなぁと、、、、。

 ネットという公表ツールが出来たのは、よかったかもしれない。学問研究に依拠するだけの知的エリート集団の占有を許さない知的財産のありようを示す新たな可能性かもしれない。



悲しみと寂しさと諦めと、、、、。

2012-11-25 21:01:05 | 日々の雑感
 ちょっと体調が悪い。5年前に癌にかかっているので、何かとつい、癌と結びつけてしまう。癌というものは、やっぱり死に近い感じがあるので、ともすれば、ふと、生命のはかなさを感じてしまう。

 まぁ、友人知人で、癌で亡くなった人は結構いるのだし、夫は悪性リンパ腫だったのだから、あんまり生きようとか、絶対生きるんだ、というような元気は出てこない。

 死を身近に感じると、悲しみ、寂しさはえもいわれぬものだが、諦めも生じる。この諦めというものが、どうも活力を失わせるような気がする。

 闘う気力のようなものがなくなるのだ。

 いろいろな人が、無意識に人を傷つける。その人が明日死ぬかもしれなくても、知らなければ平気で人を攻撃したり、批判したりする。死にゆく人になら、通常はしないようなこともする。

 批判や攻撃は、もう大概にして、なるべく穏やかに人を見つめた方がいい。殺したいとは思っていないはずだ、通常は。しかし、殺す力があったりするのが、攻撃や批判だ。

 自分を守らんがために、人に対して酷い仕打ちをしている人が多すぎる気がする。

 それだけ余裕のない社会なのか。なんだか、もう、この世から退場した方がよいような気がする昨日、今日。
 しかし、もう少しだけ生きたいような気もする。ちょっと、今のままでは寂しすぎるような。
 が、生きていっても、さらに寂しくなるだけかもしれないからな。

 体調が悪いと、どうも弱気になっていけない。

 人をネガティブに見つめれば、ネガティブな種はいくらでも見つかる。ポジティブに見つめれば、ポジティブな面がいくらでも見つけられる。人を批判する人は、批判の種を探すのだろう。
 人々が攻撃的になっているこの時代、人を見る目が優しくなるきっかけはないものか。

 今のまま寂しく死んでいくのは、ちと悲しい。





自己違和

2012-11-24 07:40:24 | 日々の雑感
 性別違和というものは、認知されて久しい。身体違和ということを言う人もいる。

 性別違和感に苦しみ続け、「性同一性障害」というアイデンティティ(と言えばよいのか)を獲得し、性別の変更まで辿り着いて、やっと本来の自分というものに落ち着けた、という人の語りもいくつか読んだり聞いたりした。それは語られた物語であるから、その物語が全てではないのだろうが、それで語り尽くした、と思える瞬間はあったかもしれない。

 その性別の違和を乗り越えて、初めて、普通の人の悩みを悩むことができる、という違和感の最中にいた人の落ち着かなさ、切迫した苦悩を知り、私は私で考える。では、この私の苦しみは何なのだろう、と。この落ち着かなさ、この違和感、この不安定な感じ、これは何なのか? 性別違和を抱いた人が、「性別違和」という状態を特定され、そこに説明される自分を置いてみることができるということは、苦悩の正体がつきとめられ、解決の道が探られるということだ。もちろん、その人の苦悩は並大抵のことではないのだろう。だから、自殺する人もいる。しかし、私が、性別違和を抱いた人の自己語りを読んで思ったのは、その説明を与えられた時から、解決は始まったのだなということだ。この人たちの苦悩は名づけられ、社会的に認知された。それはむしろ、類別可能な、社会的認知を得た希有な苦悩の例かもしれないと思う。
 説明可能な苦悩。

 そして、また私は自分に引き戻る。では、私の苦悩は何なのか? 説明する言葉を持たない限り、私の苦悩は終わらない。私の違和感は、性別に特化して強烈なものではない。否、嘗て強烈であったが、ずいぶん緩和されてきた。性別への違和はあるが、それなりにこの「女」というカテゴリーに埋もれてしまうことはできる。否、時には「女」というカテゴリーにいることが私を守ってさえいる。「女」に見えていて、「女」にカテゴライズされているなら、そこでなんとか生きられる私がいる。「女」アイデンティティは極めて薄い。しかし、「男」でなければ「女」というこの社会で、「女」の側に分類されたからと言って、それほども苦しまない。じゃ、それでいくか、という感じだ。

 私が落ち着かないのは、自己自身への違和であるような気がする。私は私を語る言葉を持たない気がする。出自を考えても違和感、嫌悪感で満たされるし、「あなたは○○ね」と言われる度に、他の人のことのような気がする。「違う、私はそうではない」と思うが、では、どうなのか、と問われても、そこに私自身を説明する言葉がない。

 自己チューの母を持ち、子どもに心などないと思いこんでいた父に悪態をつかれ、ただ茫然と、自分は生きていていいのかと迷いながら、大人になり、年を取った者だ。それ以外に私を語る言葉はない。そして、それはアイデンティティではない。
 この世に居場所がない、という言い方がある。居場所作りが試みられる。でも、私のこの世に居場所がない感じは、外部に居場所を作ることとは違う。私がこの世に居場所を持たないのは、外部に居場所がないからではなく、私の違和感でしかないからだ。

 自己への違和、落ち着かなさ、というようなものだ。これは言語化するのはほんとうに難しい。違う言葉に簡単に置き換えられそうな気もするが、あえてしないで、出してみる。

 
 

幸せの秘訣

2012-11-21 10:07:30 | 日々の雑感
 猫を飼っている。猫がこたつふとんの上で丸くなって寝ているのを見ると、そしてちょっとやそっとで起きないくらい熟睡していたりすると、この子は安心しきって、ここで眠ることができることを喜ばしく感じる。そして、そういう環境を提供できた自分の幸せをかみしめる。猫に、ありがとう、そこにいてくれてありがとう、と思う。

 もう子どもたちは大人になっているが、今でも幼い頃のイメージがダブることがある。幼い仕草や表情が思い出されて、無性に愛しい感情がこみ上げることがある。そして、ふと、他者をいとおしいと感じる感情を抱ける幸せに、何かに感謝したくなる。
 幼くてか弱い存在をいとおしいと感じる気持ちは、人に与えられた無上の贈り物のような気がする。このような美しい感情を与えられたことに感謝したくなる。

 子どもを持つことによって、私は、憎らしいことをされても言われても、それを乗り越えて、相手のために資することをしようとする心性を手に入れた気がする。もちろん、子どもを持たなくても、そのような寛容で他者思いの人はいるのだろうけれど、私は子どもを持つことによって得たような気がする。
 子どもは、薄情だったりする。親の苦しみなど考えてくれないし、自分勝手だ。反抗は凄まじかったりする。それでも、その自分に向けられた刃を見なかったふりをして、その相手の幸せを願うというのは、親の努めだと思う私がいる。そして、その親の義務感から、本当にそう思えるまでに自分をなんとか鍛錬する。もともとなかったのだから、鍛えて得るよりしかたがない。

 そして、子どもに対してそのように感じられるようになる頃には、それ以外の人の刃にも、思いが至るようにもなる。他者を攻撃する人の悲しさや苦しさがなんとなく想像できる。もちろん、赤の他人から自分に刃が向けられれば、身を守る。しかし、身を守った後で考えるのはその人の流す涙だ。
 憎しみではなく、共感の悲しみだ。

 「赦し」がもたらす癒しというのがある。生きている間に、そういう境地に行きたいものだ。

 そして、そういうことを考えるようになった状況に、感謝したい。

 時々、ふと、何気ない時にそんなことを考える。晩秋の日ざしを浴びながら、ベランダで洗濯物を干しているときなどに、、、。

 幸せ感というのは、自分を鍛えて、良き感情を残すように努めて、自らを幸せに導こうとする行為から得られるものなのだろう。

 19歳で結婚するとき、20歳の相手に、「幸せにしてね」と言った。周囲の先輩女たちの言動から、女は男によって幸せになれる、と思いこんでいた頃だ。すると彼は言った。「幸せは人にしてもらうものではなく、自分でなろうとしてなるものだ」と。20歳の、まだ学生だった男は、一人の人間の幸せに責任を持たされるのはたまらないと思ったのかもしれない。あるいは、20歳ながらに成熟した彼の人生観からの言葉かもしれない。それを年をとった私がかみしめる。誰も他人を幸せになど出来ない。自分で幸せになる人だけが、幸せを手に入れる。
 幸福感は「感」である。ほんとうに「気持ち」以外の何ものでもない。幼くてか弱いものを愛しいと感じる幸せ、朝日を美しいと感じる幸せ、何かしみじみしたものが幸福感につながる。そのような「感」を、自分の中にたくさん育む以外に、幸せになる手段はないような気がする。



 

宿命というのは、、、。

2012-11-14 15:57:25 | 日々の雑感
 自分の身にふりかかる違和感や理不尽さに苦しみ、その解決を望んで生きてきた。それは時には、人類史を貫通するような、いずれの人々も悩み苦しんだことであるような壮大なテーマであったかもしれないが、その解決を早急に望んできたような気がする。

 年を取って、やっと、自分の目の黒いうちにそれが解決することではないと気づき、自分一代で片の付かないことなのだと思い知って、初めて「これを宿命というのかも」と思う。生まれてから死ぬまでずっと背負わねばならないのなら、それは「宿命」と呼んでもいいのだろう。いつか解消され、もっと生きやすい時代が来るかもしれない。否、来させないといけない。そのための努力はしないといけないのだけれど、自分の生きているうちに来ることはない。わたし流に言葉の意味を置き直すならば、「宿命」とは、自分一代では解決できないことであるが、諦めることとは違う。私一人のレベルに限定すれば、宿命的なこと、でしかない。

 まぁ、そういう覚悟がやっとできるのも、年を取ったからだ。悩みながら、ちょっとため息などつきながら、人生の店じまいをしていく。
 それでも、前を向くことを忘れないで、ちょっと面白いことなども楽しみながら、年をとるのが、まぁ、いいのかなぁと思うこの頃。